第86話 無駄かと思える巡回
慣れない事をすれば誰でも疲れるものだった。
「これで何件目か……戸別訪問と言うものは疲れるものなんだな」
戦うために作られた存在である『ラスト・バタリオン』のカウラには作り笑顔で戸別訪問と言うこの操作方法は苦行以外の何物でもなかった。
「カウラさん……まだ始めたばかりじゃないですか。それに僕達はまだ当たりを引いていませんよ。当たりを引くまで根気よく続けるのが戸別訪問です。大学の友人でセールスの仕事に付いて奴がそう言ってました」
誠はそう言って慰めてみるが、いつもの運転席に乗り込むカウラの顔は疲れていた。
初日。すぐに動き出したカウラ、誠、ラーナの三人の訪問は続いた。とりあえず防犯の呼びかけのポスターを手に五件のマンションを回ったが、捜査よりも戦闘のために作られた人造人間であるカウラの忍耐力はすでに限界を迎えていた。
「午前中はこんなもんすかねえ。こっからお昼。いかがっすか?」
後部座席で腕組みをしているラーナは静かにそう言うと幼くも見えるようなおかっぱの髪を掻き上げた。
「午前中でたった十五件でこれか……と言うかもう昼食時間か……」
カウラの声がかすれるのも無理は無かった。すでに三時を過ぎようとしている。住宅街の食べ物屋は多くが準備中になっている時間帯である。
「個別訪問がこんなに疲れるものだとは……」
そう言いながらカウラは『スカイラインGTR』を動かす。狭い路地を縫うようにして車は進んだ。
「まあ……こういう地道な積み重ねが大事っすからねえ。それと市民と向かい合う時はいつも笑顔。ベルガー大尉はまだイマイチっすね。そんな堅い表情だと相手も緊張して心を開いてくれないっすよ。第一、ベルガー大尉はその髪の色と顔立ちで東和人じゃないってすぐに分かっちゃって警戒されるんですから。その点私は遼帝国人ですけど東和人と同じように地球の東アジア人にしか見えないですからアドバンテージがあるっすけどね」
ラーナの慣れた口調にカウラはため息しか出なかった。
「はあ」
ラーナに駄目だしされて少しばかりカウラは肩を落としながら狭い道を進んだ。両脇に続く家並みはすべて平屋だった。二十年前の第二次遼州大戦の時の特需以前の貧しさを感じるような家々が続いた。
「でも……もしかしたら僕達が回った家の中にすでに犯人の家もあるんじゃないですか?」
思わず誠はそう言っていた。その言葉にラーナは不機嫌になるだろうと振り向いた。だが誠をまっすぐに見つめるその顔には別にいつもの落ち着いた物腰のラーナの親切そうな表情が写っている。
「それで良いんすよ」
笑顔でラーナはそう返した。
「え?良いのか?」
カウラはようやく大通りに出る入り口の信号で車を止めながら驚いたように静かにつぶやいた。ラーナは再び助手席で正面を向くと教え諭すような口調で話を始めた。
「もしアタシ等が警戒しているって分かればそれだけで犯罪に対する抑止力になるんすから。確かに犯人逮捕も大事っす。でもこうして未然に犯罪を防ぐことも任務の一つっすから」
ラーナはいかにも警察官らしい警戒感を解くような笑顔を向けた。いつも茜の助手として付いて回っていると言う印象しかない誠には、そんなラーナの穏やかな表情が非常に新鮮に見えた。カウラもうなずきながら大通りに車を走らせた。
「それは分かった。じゃあ西園寺とアメリアはちゃんとやってるのか?人当たりの良いアメリアはともかく西園寺は……」
カウラは作り笑顔とは無縁の存在であるかなめの事を思い出してそう言った。
『おいおい、特殊部隊上がりを馬鹿にすんじゃねえぞ!特殊工作員の主任務は情報の収集だ。こんなのはアタシの独壇場なんだよ!アメリアなんて雑談するばかりで役に立たねえ!人からは話を聞き出すには下ネタが一番!アメリアのはコアすぎて相手が引いてやがる』
車の固定端末のスピーカーから響くのはかなめの声だった。彼女の脳には常に通信端末が接続されている。そんな彼女にとってこの車の会話を盗聴することなど手数にも入らないことなのは誠も知っていた。。