第62話 一時的な方便としての出向
沈黙。それを自分が破ることを先ほど指示された誠は、額に汗を掻きながらそのタイミングを計っていた。かなめもカウラもアメリアもその時を待っている。そして目の前に現れた人影を確認して四人が立ち上がって敬礼した瞬間誠は口を開いた。
「私が……専従そっさかっの……」
「馬鹿!噛むんじゃねえ!」
長い会議を終えたと言うことで難しい顔で署長室に入ってきたのはずんぐりむっくりの豊川警察署の署長だった。悠然と誠の前に現れたその姿を前にして誠は緊張のあまり挨拶すらできない有様だった。そんな誠は明らかに怒りの骨髄反射を起こしたかなめに足の親指をパンプスのかかとで踏まれた。
飛び上がりたい痛みに耐えながら誠は挨拶を再開しようとした。その痛々しい姿を見て表情を緩めた署長は笑みを浮かべながら口を開いた。
「まあ緊張しなくても……まあかけてくれます?」
署長は小太りで白髪が混じってはいるが、良く見れば20代後半と言う感じに見えた。でこぼこコンビの大きい方という感じにも見える妙に張ったえらが特徴の角刈りの副署長。こちらは明らかに敵意で武装して誠達を見ながら自分の中で値踏みでもしているように見えた。
「ほら、座ってくださいよ」
丸顔をさらに丸くしたように笑う署長はリラックスして応接ソファーに誠達を座らせた。
出向メンバーとして選ばれたのは誠、かなめ、カウラ、そしてアメリアだった。愛するかなめと『許婚』の誠と引き離されることにかえでが涙ながらにランにその判断の不適格性を指摘して泣きついたことは言うまでも無かった。そんな『男装の麗人』の泣き顔を思い出してどこか落ち着かない誠達の中で一人、悠然と座って小太りの署長に色目を使うアメリアいつもどおりのことだった。
「法術となると……うちでは素人捜査しかできないものでね。司法局実働部隊の厚生局での違法法術研究の一件。実績としては目を見張るものがある。その時と同様の活躍を期待していますよ」
署長のにこやかな笑顔を浮かべてのその言葉に明らかに不機嫌そうな顔をさらにゆがめる副署長。署長は警視庁からのキャリア組、副署長は上級職からの現場叩き上げと言う経歴だろう。誠も何度か警察に出入りしているうちに相手の持っている雰囲気やしゃべる内容で相手の経歴がある程度わかるようになってきていた。
副署長の『我々にも法術に関する資料が有れば十分に捜査活動は可能なんです!』と言いたそうな顔を十分時間をかけて眺めた後、ゆっくりとアメリアは話を始めた。
「法術に関しては未だ未解明な部分が多いですから。正直な話、警察署に閲覧権限が無い法術関係の資料を我々が所持していることは否定しません。ですがそれは上層部の決定によるもので私達の一存ではなんとも出来ません。ですので今回私達が専属捜査官としてこちらにお世話になって、それらの情報も十分駆使して解決のために全力を尽くすことに決まりました」
丁寧に、そう心掛けているようにアメリアは言葉を紡いだ。同じことをかなめが言ったらたぶん副署長は怒りに任せてその場を立ち去っていたことだろう。誠は言いにくい話をさらりと言うアメリアの技術に感心しながら話を聞いていた。
文句は山ほどある。そんな顔の副署長を見るとアメリアは大きくため息をついてカウラに目をやった。カウラもそれが多少へりくだって見せろと言うアメリアの意図だと悟って静かな調子で口を開いた。
「こちらもまだ捜査のノウハウを蓄積している段階です。市民社会への法術の情報提供はまだ各地で論議の最中ですが、残念なことに情報の漏洩や一部在野研究者による情報リークが進んでいるのが現状です。これからはさらに凶悪化、組織化が予想されますからできるだけ早く対応することが必要になります」
カウラはまさに立て板に水と言うようにあること無い事見事に並べ立ててキャリアの警察官僚である署長を納得させた。
「とうちの責任者は申しております」
カウラの穏やかな言葉にかなめが茶々を入れた。その言葉に明らかに不快そうな顔をしたのはそれまで穏やかな表情だった署長の方だった。キャリアの署長。その言葉自体かなめの気に入る要素は無い。誠はなんとかこの場を乗り切ろうと考えはじめた。
最初は穏やかな言葉で場の雰囲気を作ったアメリアだが、彼女は当てにならない。おそらく彼女もかなめとこの小太りの署長の相性の悪さには気づいているはずだった。一応、義理は果たしたと言う顔をしているアメリアの本来の行動原理は『面白ければそれでいい』である。引っ掻き回しにかかられたら誠も分が悪い。一方、カウラはそんな相性などは考えることもない。ただ今回の事件が本当に豊川市に舞台を移したのかを知りたいと言う職業倫理に基づいて動くだけ。となるとこの場をなんとか取り繕うことが出来るのは自分しかいないと分かって誠の心臓の鼓動は高まった。
「で……この署に法術適正者は何人いるんですか?」
早速カウラが尋ねた。実務的な話ならと、それまで不機嫌だった副署長の方がこれからの捜査で主導権を取ろうと話を切り出そうとした。だが彼も組織人である、隣の署長に目をやった。署長はなにやら複雑な笑みを浮かべて黙ってかなめを見つめていた。かなめは目をそらさずにそれに答えて卑屈そうな笑みを浮かべた。この様子に先ほどまでの不快感が吹っ飛んだようで慌てて副署長が口を開いた。
「法術適正はプライバシーの問題がありますからそれについては申し上げられません。それに法術師で無いと捜査官が務まらないとは到底思えません」
犯罪捜査について持論を延々と展開したいのを我慢しているのが誠にも分かるように言葉を選んでの副署長の一言は厳しく簡潔なものだった。署長も特にとがめるようなことを言わなかった部下に満足したようにうなずくとそのまま最初に誠達に向けた笑顔をわざとらしく作って話し始めた。