第56話 すべては些細なことだった
まさに脳で感じたという状態だった。いつものように秋になったばかりの蒸れた空気の中の昼過ぎのコンビニには工事現場の作業員が並んで雑誌を読む姿があった。釣りを受け取りながらその群れに目をやると紫色のニッカポッカの若い男に目が集まった。
『なんだ?』
水島はしばらくなんでその男から目が離せないのか理由が分からなかった。髭面で焼けた肌だがどちらかと言うとその日焼けは仕事でついたと言うよりもその荒れた茶色い髪が意味するようにマリンスポーツでも楽しんだ結果の日焼けのように見えた。
『なんで俺はアイツを見ているんだ?』
再び自分に尋ねてみた。理性では理解できないがその男が他の作業員達とは明らかに違う何かを持っている。自分の中の何かがそうこたえている気がした。
『……嘘ばっかじゃねえか。パチンコは根気。一万二万で大当たり?無理無理!……』
突然自分の中で他人の声がした。水島は受け取った小銭を落としかけた。店員は慌ててそのコインを拾うと再び水島の手に乗せようとしている。だがそんなことは水島にはどうでもいいことだった。人の考えていることが手に取るようにわかる。その事実が水島を興奮させていた。
『何かあるんじゃないか?君には……』
心でつぶやく。その瞬間男は驚いたように茶色い紙を振り乱し雑誌を手に左右を見回した。店員の不審そうな視線もその時の水島には気になるはずも無かった。
『気持ち悪りい……なんだ?声がしたけど……先輩かな?』
男の思いが読めたと分かった瞬間。水島の頭の中に何かが引っかかるのが分かった。
周りの男達と自分が心を読んでいる男との決定的な違いはその引っかかりだ。理由も無く水島はそう確信していた。そして心の中で叫んだ。
『はじけろ』
水島にとってはそれだけだったが、次の瞬間に起きた出来事は彼の予想を超えたものだった。
紫色のニッカポッカの男の髭が火で覆われた。何が起きたか分からないというように呆然としたあと、男はそのまま顔を抑えてのたうち回り始めた。明らかに何も火の無いところから火が回り転げまわる男の姿がそこにはあった。
助けを呼ぶ仲間、レジから飛び出していく店員。その様子を驚き呆れて見つめるだけの他の作業員。そんな中、水島はただ一部始終を眺めていた。
消火器を持ち出した店員が薬剤を男に噴射して何とか火は収まった。そしてその様子を見ていた客はそれぞれに手にしていた端末などで連絡を取り始めた。その混乱にまぎれて水島は店を後にした。
誰も自分の知らない力がこの騒動を引き起こしたことなど気づいていない。
『俺の力なのか?これが法術なのか?』
水島は心の中でそう思いながら店から出て歩き出した。気づくと自分の顔に久しぶりの笑いがあることに気がついた。法術適正があるが何の能力も無い。そんな思い込みがその瞬間から変わっていくのを水島は感じていた。