第55話 すべてを失った男の選択
水島徹はようやく部屋にたどり着いてコタツにもぐりこむと大きくため息をついた。そして自分が何をしたのかようやく分かってきて沸いてくる笑顔がとめることができなくなっていた。
「法術師……悪くないな。今日初めてそう思った……悪くない。悪くないな」
久しぶりの自分の笑顔になんだか楽しくなってくるのが分かった。
半年前。会社を突然解雇された。理由は半月前に社で強制的に受けさせられた法術特性があったからだった。組合に入っていた同僚達はその解雇を不服として労働基準監督署を通じての団体交渉に入ったが、組合というもののアレルギーを持っていた彼は一人で退職して半年は寮に住む権利があるということと割り増しの退職金の支給という条件で満足した。そのときは少しばかり高い退職金にすっかり得をした気分でうきうきしていたことを今でも思い出すことが出来た。
しかし、退職手続きを終えてから急に区民会館に呼び出されて行われた検査の後で様相は変わり始めた。実際後で聞いてみれば自分の反応は他の法術師の反応とは違うということだった。なんでも空間に介入して時間軸や状態を変性させる能力や思考を読み取ったりする能力があるという話だが、彼にはそんな能力があるわけではない。その結果が社に伝わると退職金の半額の返納請求書と見たことも無い書類とそれに押された自分の実印を目にすることになった。書類の内容は寮からの一週間以内の退去に同意しているので荷物をまとめて出て行けという内容だった。
怒りは無かった。ただ頭の中が白くなったのを今でも覚えている。退職をほとんど当たり前だと言う調子で告げた上司もさすがにこの決定にはばつが悪かったらしく、彼の友人が経営している湾岸地区のアパートに三ヶ月だけ住まわせてくれると言う約束を取り付けて急いでそこに移った。
職業安定所に行く気にはならず、有料職業紹介の会社に何度か連絡を入れたが法術師は対象にしていないと言う理由ですべて門前払いを受けた。減ったとはいえ手元の退職金はそれなりの額がある。町工場を経営していた父の残した遺産もある程度あり数年は食うに困らないのは分かっていた。
焦る気持ちと諦めかけた気持ちを切り替えようと工事の騒音が響くアパートの一室で水島は学生時代の教科書を引っ張り出して法律の徹強を始めた。
再就職を諦めたのは正解だったと水島は思っていた。
実際、その後もネットや人材業界の友人に仕事を貰おうと電話をかけてようやく今の自分の現状が見えてきた。法術師を歓迎しているのは軍と警察くらい。どちらも年齢制限で彼が応募できるわけも無かった。それ以前にルート営業一筋の彼が犯罪者相手に渡り合えるなどとは自分でも思っていなかった。
そんな彼にも転機が来た。
いつものように彼は徹強の疲れを癒そうとコンビニに入りビールを買うとそのまま会計をしようとレジへ向かった。湾岸地区はあまり治安がいいとはいえない。事実その時どう見ても堅気には見えない若者が勢いよく扉を開けて入ってきた。その時だった。いつもなら目を合わせることすらできずにレジで硬くなっている自分が何かを脳で感じた。
それはこれまでにない感覚だった。まるで何かが出来るような喜びが水島を支配したのをまだ覚えている。そして実際その場所で水島の『力』は目覚めた。