第45話 どの口がそんなことを言うのかと誠は思った
「やっぱり西園寺大尉のことが好きなんですね……不潔ですよ。神前先輩には日野小隊長と言う立派な『婚約者』が居るんですよ。それを他の女に眼を向けるなんて……」
アンはそう言うとそのままシャワー室のかごの中のタオルで体をぬぐい始めた。
「不潔って……夜間中学が終わったら彼氏と毎日ラブホ行ってるどの口が言うんだ?そんなこと。それにかえでさんと結婚するといきなり6人を相手にすることになるんだぞ?俺はそこまで飢えてはいないぞ。変態じゃないぞ」
誠は半分呆れつつアンに向けてそう言った。
「だってそうじゃないですか!神前先輩とクラウゼ中佐とホテルに入った所を菰田曹長が見たって噂ですよ!僕は一筋に彼との関係を維持しています!浮気なんてしていません!」
アンは自分の事は棚に上げて誠の知らない話を言い出した。
「は?そんな話信じてるの?俺にそんな度胸が有ると思ってたの?」
誠は呆れるしかなかった。菰田邦弘主計曹長。管理部門の経理部主任の事務方の取りまとめ役として知られる先輩だが、彼は誠の苦手な人物だった。ともかく彼の率いる誠の上官カウラ・ベルガー大尉の平らな胸を褒めたたえる団体『ヒンヌー教』の教祖を務めていて部隊に多くの支持者を抱えていた。
カウラも明らかに迷惑に思っているが、それを利用して楽しむのが運航部のアメリア・クラウゼ少佐の日常だった。アンが聞いたデマも間違いなくでっち上げたのはアメリアに決まっている。そしてそれに乗って騒いでいるのが菰田であることはすぐに分かった。
「あのさあ。そんなこと信じてるの?俺の事を好きだとか言ってる割には俺の言葉よりそっちを信じるんだ」
体を拭き終えてパンツをはき終えたアンに尋ねてみる。そのままズボンを履くと気が付いたように誠に顔を向けた。そしてしばらく首をひねった後、アンの表情が急に明るくなる。
「そうですよね。そんなことやる甲斐性は先輩には無いですからね……少し考えればわかる話ですよね。本当にすいません。日野隊長とお幸せに」
アンの納得の仕方はある意味誠の予想した通りのものだった。
「甲斐性が無いってのは余計だよ。それと俺はかえでさんを『婚約者』とは認めて無いから。それもかえでさんが勝手に吹聴して回ってるだけ。クバルカ中佐がまずデートから初めてステップを踏めって言ってたから……それもどうなるか分からないけど。いきなりリンさんと一緒に襲ってきたりとかしそうだし」
そこでアンは屈託のない笑みを浮かべた。誠もしばらくは笑顔を向けていたが、そのアンの表情が次第に真顔に変わるのを見て目をそらした。
「本当に僕のこと嫌いなんですね……やっぱり僕には女の人についているものがついてないから」
悲しそうにそう言うとアンはワイシャツのボタンをはめ始めた。
『いや、女の人についてない余計なものがついてるだろ!』
誠は心の声を押し殺した。
沈黙が続いた。これもまた誠に重く圧し掛かった。
『早く来てくださいよ!西園寺さん!アンと二人っきりは苦行ですよ!僕には耐えられませんよ!』
心の中で願った。一秒が一時間にも感じるような緊張が誠に圧し掛かった。そんな彼にアンは熱い視線を投げて着替えていた。
「おーいこれ!」
引き戸が開きかなめが誠の勤務服を投げてきた。
「有難うございます!」
「はあ?濡れちゃったみたいだけどいいのか?」
誠はかなめの到着を確認すると涙を流さんばかりに自分のシャツに手を伸ばした。