第38話 生きにくくなった法術適性者
静かに男は書類に目を通した。そしてその間中何度と無く黒ぶちの眼鏡を掛けなおした。その姿からその眼鏡が老眼鏡だと言うことは誰の目にも明らかだった。手にしている役所の書類は『法術適正確認書』と呼ばれる書類だった。何度と無くその書類の能力の欄が空欄になっていることを確認し、それでいて適正が有りになっている事実に首をひねる。
「法術適正はあるけど能力が無い……本当に?法術は有るのに何もできない……まあパイロキネシストみたいにそう簡単に物件に火を付けられちゃうちとしても困るんだけどね」
狭い不動産屋のカウンターで店主は広がってきた額に手をやった。書類を見るのに疲れて老眼鏡を外しながら目の前の若干天然パーマぎみの疲れた表情の男の顔をのぞき込んだ。
男は何度と無く同じ質問を受けてきたのでさすがに口を開くのもばかばかしいと言うようにうなずいた。実際法術適正検査が任意で行なわれているということになっている東和共和国の建前である。だが、実際こうして部屋を借りようなどと言う時には法術適性検査で未反応だったと言う証拠が必要になると知ったのは最近だった。そしてこうして部屋を探すことになることも最近までまるで考えにも及ばなかった。
そんな男の部屋探しの連続面接行事だが、三件目の30歳くらいのきつい近眼の眼鏡をかけた女性の担当者などはかなりひどかった。法術適正はあるかと聞かれ、証明書を出すとそれを投げつけて貸す部屋などないと言い放つ姿には逆にすがすがしささえ感じてしまった。
「それにしても……学生って……おたくいくつ?」
店主は老眼鏡をずらして裸眼で男を見上げた。
「三十二です」
男は絞り出すような小声でそう答えた。
「で、大学生?」
店主は納得がいかないように首をひねった。
「法科大学院ですけど……」
店主は灰色の背広の袖を気にしながらそのまま振り返り端末に条件を入力していった。
天然パーマに眼鏡、黒い時代遅れの型のジャンバーを着こんでいる姿は他人から見れば確かに相当滑稽に見えるだろう。そう水島徹は思いながら店主の苦々しげな顔をのぞき込んでいた。入力を終えた店主はこの店に入った当初、まだ水島が法術関連のことに言及する前の親しげな表情に戻ると手を打って笑顔を向けてきた。
「ああ、法科と言うと明法大だね?まあ、あそこの法科大学院はいろんな年齢の人が居るからね。それなら納得できる」
ここでようやく店主の顔に笑顔が浮かんだ。
「ええ、そうですけど」
これもまた何度も繰り返された話題だった。明法大は法学部で数多くの司法試験合格者を輩出している名門として知られた。この豊川市にキャンパスがある以上、それが自然な話と納得するのも当然のことと言えた。
「それにしても最近はこんな能力があるなんて……放火魔がパイロキネシス能力を持っていたりしたらどうなるんだろうねえ。本当に嫌な世の中になったもんだよ」
世間話のつもりで親父がつぶやくのを聞いて水島は正直うんざりしていた。これまでこんな会話をどれだけ聞いてきたことだろう。法術適正の無い連中の無神経な一言がもちたくも無いのに力を持っていることが分かってしまった自分達をどれほど傷つけているか。たぶん彼等には死ぬまでわかることはない。そう思いながらなかなか検索結果が出ない時代遅れのブラウン管の端末を水島はそれとなくのぞき込んだ。だが店主は自分の世間話に何も反応しない水島をいかにもひどい男だと言うような表情で見つめてくる。仕方なく水島は口を開いた。