自己理解その2
説明回というやつです。
一先ず本体の時とドリアードの時でスキルを自由に使えるのか、新たに増えたスキルと共に確認することにした。
水魔法の行使。ドリアード体で出来ることは既に確認済みなためそちらは割愛し、本体。結果は使用不可能。水撒きに使用する水の塊1滴すら出来なかった。
次に土魔法の行使。ドリアード体では手を付いた場所、その握り拳1個分を中心に半径10センチほどの範囲しか動かすことが出来なかった。要するに手を開いて閉じる時に手に触れる範囲だけ操作が可能だった。逆に本体の場合、相変わず木の周囲10センチほどの範囲しか動かせなかったがそれは根も対象の内だったし、ドリアード体では動かせなかった地中まである程度自由に動かせるのは大きな発見だった。
ただ地中含め本体で操作しようとしても、自由に動かせる体ではないため、結局はドリアード体と出来ることは変わらなそうだった。
光魔法。ドリアード体での使用は、要練習で光の小さな玉ぐらいなら出せそうというほどだった。その練習は本体では出来そうにないため、水撒きが終わって魔法力に余裕が有る時に練習して行くことに決めた。練習次第で破壊力は持たせられないが自在に光の塊事態は操れそうだった。
反対に本体ではドリアード体と比べると、火力は高いがコントロールが難しいという感じだった。ドリアード体での光魔法の行使を赤ちゃんの投げる小さな小石程度の破壊力と例えたら、本体では大筒の大砲による砲撃ぐらいの破壊力、ぐらいの違いが有った。考えもせずに地面目掛けて撃ったらその部分の地面が抉れて、恐らく本体の根と思われる他と比べて少し太めの木の根が見えた時は毛穴が拡がって汗が噴き出るような感覚に襲われた。確認したのがドリアード体でだったため実際に拭う動作で汗が噴き出たか確認してみたが、結果は湿り1つ起こしてなかったが。
弱めに撃ってみてもこんな結果だったため、技術のドリアード体、火力の本体という認識で、今後俺の葉や根を食べに来るかもしれない虫や害獣なんかに備えようと固く決意した。
自己知覚。ドリアード体では既に散々世話になってるスキル。なのでドリアード体での確認は割愛し、本体での確認。結果は...…なんとも言えなかった。ステータスの確認のためステータス画面を見るということは出来なかった。ただ木として自分の体の、何処が良い、何処が悪い、何処に栄養が足りてる、何処に栄養が足りてない、根は何処まで伸びたのか、今のままなら何処まで伸ばせそうか、そういうことの知覚は大雑把にだが理解出来た。 人間に例えたら、お腹が痛い頭が痛いはわかる、でもお腹でも胃の辺りなのか腸の辺りなのか、頭でも側頭部が痛いのか後頭部が痛いのかはわからないというのが近い。
もし今後植物の病気に罹ったとしたら、本体で大雑把にどの辺が悪いのか把握し、本体でわからなかったり詳細に知るのはドリアード体でステータス画面の確認や目視での確認というのが良さそうだ。
自己強化。ドリアード体では水魔法の習得を、本体では恐らく成長や進化という形で経験してる。ドリアード体では任意で、本体ではほぼ強制的にこのスキルを使った訳だが、どちらで試すにも潜在能力値を減らさないと使用出来ない。だからこれについては試すに試せなかった。
それに次の成長進化でどれほど潜在能力値を残しておけば可能なのか、確認のため本体で自己知覚を使ってみたところ、感覚的に最低30は必要そうだった。
結局スキル習得に必要な値を導き出せてないこと、習得したスキルの値が11以上だった時にこれ以上大きくなれないことの危険性を考えて、初日のように切羽詰まった理由が無いかスキル習得の値を導き出せた時に試すという結論に到った。
自己保存。これについては先の自己◯◯以上に謎が深い。自己保存と言えば如何にも人間が人間以外に対して産み出した言葉的で、とても人間らしい言葉な上生存率向上という意味ではこの上なく全ての生物的だと思う。 ただ、じゃあそれを具体的に説明せよと求められたら困る言葉でもある。第一イメージが付かない。自己保存って、なんだ?
輪廻転生する前のことまではわからないが、輪廻転生してからを思えば、本体が自己保存の為にドリアード体を産み出したとは考えられる。でもそれは本体が生きるという生物の絶対を達成するために使われた力だ。本能と呼べるほどのそれぐらい強い生物的欲求レベルじゃないと、このスキルは使うことが出来ない。自己保存というスキルについて考えれば考えるほどそんな気がした。
だからこのスキルについても自己強化のスキル同様保留にすることにした。
こうやって本体とドリアード体でのスキル行使の違いを確認してみて思ったのは、本体はより植物的で、ドリアード体は植物という分類の中の人間寄りの行使方法ということだ。
光魔法のスキルが1番わかりやすいのかもしれない。
ドリアード体では地面を抉るような力は出せないけど本体では地面を抉るような力を出せる。本体では細かなコントロールは出来そうにないけど、ドリアード体では練習次第では針の穴に糸を通すような細やかなコントロールが出来そうというのは、正に植物的か人間的かの大きな違いのように思う。
それに前世は職人気質の多い技術国だった日本生まれ日本育ちだった。それ故かコントロール練習は楽しいし、手慰みにスキルのコントロール技術を磨くというのは、これからの永い永い植物生を生きていく中でとても有意義なものになりそうだ。