Truth is stranger than fiction.
イケメン眷属3人目ゲット!
5章
ヴァン・ヘルシングは遠くトランシルヴァニアへ来ていた。ビストリッツで一泊してから馬でボルゴ峠に向かう。
「1年になるか。あのときは仲間たちと馬車で来たな。」
峠を越えてさらい進むと、小高い丘に出て、目の前に黒々とした廃墟が見えた。1年前、ドラキュラを滅したとき、城が崩れ始め、急いで脱出した後で火の手が上がり、城は跡形もなく散乱する岩塊に姿を変えたのだった。
「ふむ、まさかと思って調べに来たが、どうやら無駄足だったようだ。」ヘルシング教授は安堵して踵を返した。
ジョアンナはライデン大学の図書館にいた。豪華な装丁の大型本が並ぶコーナーで次々と背表紙を読んでいくと、「あった!」彼女が手に取った本の背表紙には大きく「Don Juan」と記されていた。「これだわ、希代の女たらし!」
彼女は本を手に取って閲覧室で読み始めた。予想を裏切って韻文だった。長大な叙事詩だった。そして、主人公は「希代の女たらし」というよりは、出会う女すべてが純朴で美しいだけの主人公を気に入ってできる限りの便宜を図り、なおかつ主人公を拘束もしないという、決して実現しそうもない男の都合の良い夢のような存在だ。「私の知っているドン・ジュアンと違う。」そう思ってジョアンナは作者の名前を確認した。ジョージ・ゴードン・バイロン。「バイロン卿、たしかギリシャ独立戦争に義勇兵として参加しようとして、現地で病死した詩人だわ。」ジョアンナは本を閉じて棚に戻し、屋敷に戻った。
屋敷の奥の間の時空器を前にしてジョアンナは短い呪文の後で「1824年、ギリシャ、メロンギ」と呟いた。
「あなたは異邦人なの?」病床のバイロンにジョアンナは語りかける。
「だ、誰だ?」バイロンは咳き込みながら尋ねる。
「あなたは異邦人ね、トルコ人にとっては。」ジョアンナは冷たい微笑みを浮かべる。
「君はぼくの詩を読んだのか?」
「ええ、魂を渦の中へ引き込むような調――私に魂はないけれど――でした。あの詩に出てくる異邦人ムルソー――キリスト教徒――は、異教徒のハッサンを射殺してしまい、その後自責の念に駆られて修道院に隠遁し、なおも魂は救われず、死後はヴァンパイアになって自らの家族の血を吸って命を奪った。」
「ああ、その通りだ。人間の欲望と罪、その苦悩と不条理がヴァンパイアという姿を取った。」バイロンの目に一瞬だけ灯がともった。
「それが人間の真実であり、あなたの言う“Truth is stranger than fiction.“ということなのですね。」ジョアンナは虚空に向かって呟くように言った。
「ヴァンパイア、それは人間の欲望の最も暗い部分が反映した存在なのだろう。」バイロンの声は生気を失った。
「あなたが想像したヴァンパイアが本来のヴァンパイアなのかどうか、反省してみたことはありますか?」ジョアンナの瞳に魅了の灯がともった。
「本来の...?」
「ええ、あなたはセルビアで起こった忌まわしい事件をヴァンパイアの仕業だとお考えのようですが、あれはヴァンパイアの階梯において最下層、おそらく下級の眷属が囓った家畜の肉でも食べた人間のなれの果てでしょう。もはやヴァンパイアとは呼べない下級の屍鬼です。」
「ならば本来のヴァンパイアとは?」
「自由を何より愛し、束縛と制限を拒絶する存在。死の恐れも生の倦怠も知らない存在。己の死を前にしたあなたなら、それがどんなものなのか想像できるのでは?」
「私は死を恐れない。」バイロンは目を強く閉じた。
「死があればの話ですが。」ジョアンナの声に魅了が発動する。
「死のない世界?」バイロンはうつろに目を開けた。
「ええ、死のない世界は恐ろしいですか?」
「いや、何も私を圧するものはない。」バイロンは毅然とジョアンナを見据えた。
「では、一緒に来ていただけますね?死のない世界へ。」ジョアンナは手を差し伸べた。
バイロンはその手を取った。そして抱き上げられ胸に絡め取られた。
「何も恐れないあなた、それでこそミューズの寵児バイロンです。」
バイロンは、日本では破天荒で情熱的な詩人という受け止められ方をするのが通例(なのかどうか寡聞にして知りません)ですが、特筆すべきはやはりその詩の技巧でしょう。研ぎ澄まされ一分の隙もない韻文で数万行も書けてしまう、これこそ天才と呼ばれるふさわしい資質です。