ロッテルダム市警ムルダー警部
まさかの超有名なホームズのカメオ出演!大胆ですなあ!そして姑息ですなあ。カメオ出演にとどめることで炎上を防ぐ。「カメオだから許してちょ」の顔が目に浮かぶ。
第2章
ロッテルダム市警のムルダー警部は、資料を眺めながら葉巻に火をつけた。
「ライデン、デン・ハーグ、デルフトか。だんだんロッテルダムに近づいているが、偶然だろうか。そもそも同一犯の犯行かどうかもわからない。これは通り魔なのか、愉快犯なのか、はたまた切り裂きジャックの模倣犯なのか、皆目見当が付かない。なにしろ犯人は何一つ証拠を残しておらず、犠牲者に共通する特徴や属性もない。ライデンの大学生、デン・ハーグの娼婦、デルフトの陶工、男2人に女が1人、次があるとすれば女か?いやいやそういう話ではないだろう。」
ムルダー警部が大きく煙を吐き出したとき、ドアがノックされた。「どうぞ、お入りください。制服を着た警察官が敬礼をしながら入室すると用件を告げた。「ロンドンからのお客様がお着きになりました」。ムルダー警部が警察官の背後に目をやると、ダークグレーのインヴァネスコートを着た細身の紳士が立っていた。「グッド・アフタヌーン、インスペクター・ムルダー!」軽く微笑んで紳士は帽子を少し上げた。
「やあ、よくいらっしゃいました、ミスター・ホームズ。お忙しいところをご足労頂き恐縮です。」
「いいえ、たまにはドーバー海峡を越えないと、ロンドンの空気は淀みすぎですからね。電報で犯行の概要は知ることができました。詳しく教えていただけますか?」
「はい、犯行は先週の月曜日から今週の火曜日にかけて3件です。1件目、ライデンの大学生殺害事件。被害者はライデン大学で法律を学ぶヘンドリック・ファン・デン・ベルフ、22歳。頸部切創による失血死。発見場所はボスマン森林公園の茂みです。2件目、デン・ハーグの娼婦殺害事件。被害者は、ヤネチェ・スミッツ、25歳、ゼーラント地方から出てきて街娼をしていました。死因は同じく頸部切創による失血死。発見場所はハーグ中央駅近くのクーカンプ公園の茂みです。」
娼婦殺人事件の報告を聞いたとき、ホームズの顔色が曇り目が鋭く輝いた。ロンドンの類似の事件を思い出したのだろうか。
「そして3件目は、デルフトの陶工ピーテル・デ・フリース、33歳。死因は同じく頸部切創による失血死。発見場所はウィルヘルミナ公園の茂みです。」
報告を聞き終えたホームズは、パイプを取り出して火をつけ、、煙を吐き出しながら言った。「遺体解剖は行われなかったのですか?」
「はい、死因は明白で、犯行状況を解明するヒントとなり得る防御創もありませんでした。背面から忍び寄って一気に切り裂いたものと推測されます。」
「ふむ、しかしそれは捜査の現場ですぐに判断できることではないでしょう?法医学者と検察が相談して決定するのではないのですか?」
「はい、その通りです。いったん警察内部で大まかな方針を話し合い、それを検察に上げて、検察は法医学者の助言を得て決定します。」
「なるほど、ではその助言をした法医学者に会わせていただけますか?」
「承知いたしました。今日中に連絡して、明日お会いできるように調整いたします。」
その日の夜、10時頃、ロッテルダムの繁華街を歩く黒衣の女がいた。黒衣と言っても法衣の類いではなく、ふつうの外出用のコートだった。誰も女に奇異な視線を送る者はおらず、女も周囲を全く気にしていない。「くっ、生気を補給するためだけの吸血は味気ないわね。でもこれでいろいろと楽しめるわ」。
女は繁華街から離れた古い大きな館に到着した。大柄で無表情な下男が扉を開ける。どちらも無口だ。ひょっとしたら下男は口がきけないか、あるいは外国人で言葉がわからないのかも知れない。奥に進むと玉座が設えられた広間があった。ビロードの織り目が微かに光を反射する、重厚なクリムゾンのドレープが玉座の間の大窓を覆い、その深紅の色合いが部屋全体に流れ込んでいる。布地の柔らかな質感が壁に沿って優雅に垂れ下がり、まるで高貴な血筋の流れを語るかのような荘厳な雰囲気を纏っている。天井から吊るされた真鍮の燭台が、微かな揺らぎを灯に映し出し、玉座へと続く通路を幽玄な光で飾る。ヴァパイア・クイーンは玉座に座った。
「こんな館も、コウモリになってあっちこっちから金貨を集めて買わなければならないなんて、不便なものね。でもあまり大胆にやって大事になると、いろいろと面倒なことになりそうだから、小金を少しずつくすねて、ホント忌々しい、こそ泥の真似までしなければならないなんて。ともかく、目立たずに堅実に作戦を進めなければ。思えばあのドラキュラ伯爵という老いぼれも、辺境に引っ込んで齢だけ重ねていたから、いろいろとへまをしでかして滅んでしまったわね。さて、こんな館にひとりぼっちじゃ退屈すぎるわ。眷属を増やそうかしら。ふふふ、ドラキュラが3人の花嫁を城に住まわせていたわね。だったら私も、3人の花婿を探しに行きましょう。漆黒の結界に30年も閉じ込められてすっかり艶がなくなってしまったわ。そうだ、パリへ行きましょう。パリは光の都(La Ville Lumière)だから夜の種族である私たちに合わないはずなのだけれど、光にもいろいろあるわ。夜のガス灯や電灯は、むしろ血をたぎらせてくれる。そしてパリには、いえパリは、人々の夢そのもの、人の集団が作り出す幻影だから、夜の夢魔と近縁関係にある私たちととても相性が良いはず。30年ぶりのパリ、私に何をくれるのかしら?」
ホテルでコンティネンタル風の朝食を取った後、ホームズは指定されたコーヒーショップへ向かった。ドクター・アナ・デ・グラーフはもう来ていた。「グッド・モーニング、ミスター・ホームズ!」彼女は少し緊張した笑顔で挨拶した。「フーデモルヘン、ドクター・グラーフ!」ホームズはぎこちないオランダ語で挨拶してから照れ隠しの苦笑いをした。
「お話しというのはあの3件の事件のことでしょうか?」
「はい、検死の結果、解剖は不要という所見を出されたそうですが、そのことについていくつかお聞かせ願えればと思いまして」。ホームズは遠慮がちに切り出した。
「知っていることは何でもお話しいたしましょう」。
「被害者の死因は全員が頸部切創による失血死ですね?」
「はい、状況は非常に単純明快です。頸部の切創以外の外傷は認められませんでした。」
「失血死ということは、現場には大量の流血の跡があったわけですね?」
「はい、だと思うのですが、遺体発見場所がすべて茂みだったので、現場に残された血液の量は確かめられませんでした。」
「そうですか、それは残念だ」。
「といいますと?」
「私たちはあらゆる可能性を想定して、その仮説をひとつずつ潰していかなければならないのです。例えば、頸部切創が偽装されたものであったとか、失われた血液が現場の土に染みこんだだけではなかったとか」。
デ・グラーフ医師の顔色がわずかに白くなった。なるほど、どちらも可能性としては成立する、あくまで可能性としては。しかしその動機が思い当たらない。血液を持ち帰る?傷を偽装する?
「なぜ、なぜなんですか?動機が思い当たりません。血液を持ち帰って何にするのでしょう?実験材料ですか?それならしかるべき手順を踏めば、いくらでも生体から採取した血液を使うことはできます。切創で偽装した死因は何ですか?頸部への注射で毒を注入したとでも?でも、検死の結果、毒物反応は出ませんでした。」デ・グラーフ医師は首を横に振りながらホームズをにらんだ。
「お待ちください、ドクター、私は別にあなたに難癖をつけているわけではないのです。ただあらゆる可能性を考えてみたいだけなのです。例えば、毒を注入ではなくて、血液を吸い出したのだったら、そして吸い出した跡を切創で偽装したのだったら。何のために?それは私にもわかりません。検死の段階でその可能性を考えていたら、ここで突き当たる謎も無事に潰れていた——ただそれだけのことです。では、ドクター、よい日を。きょうはお忙しいところをありがとうございました。私はこれから警察に寄って、それからロンドンへ帰ります。別件の捜査がありますので。」そう言うとホームズは狩猟帽をかぶって席を立った。
ロッテルダム市警のムルダー警部が葉巻をくゆらせながら、新聞を読んでいるところへホームズが顔を出した。「おはようございます、ホームズさん、何か収穫はありましたか?」
「ええ、収穫と言えるかどうかわからないのですが、切創の精密な解剖が行われなかったということは判明しました。もしまだ遺体が火葬にされずに残っているのなら、たとえ墓を掘り返しても傷跡だけでも調べてみる価値はあると思います。そして、もし傷跡の奥に噛み跡の痕跡が見つかったら、アムステルダムのヴァン・ヘルシング氏にご相談することをお奨めします。これが彼の連絡先です。詳しい話は彼がしてくれるでしょう。私には専門外の事件かも知れませんから」。そう言うとホームズは、帽子をかぶって席を立ち、「それでは、来て早々で慌ただしいのですが、これでおいとまします。ロンドンで頸部切創の連続事件が起きているので放置するわけにはいきません。こちらはおそらく早急に追い詰めることができそうです」と言い残して部屋を出た。
被害者が3名出てしまいました。それもモブとして。だけどモブでもしっかり名前を付けましたよ。アムステルダムに誰がいるのでしょう。




