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覚醒

冷たい結界の牢獄で、かつてヘルシングの妻だったジョアンナが目覚めます。そして、油断をして扉を開けた元夫の脇をすり抜けて....。

第1章

 

 漆黒、すなわち闇、何も見えない、いや、見えはするのだが何もない。闇は無とほぼ同義。「闇をひとつかみ掴め」と言ったドイツの詩人がいた。もちろん掴めないものを掴もうとしても無駄だという意味だ。その闇の中に硬い寝台があった。何かうごめく気配がする。いや、気配だけではなく声のようなものが聞こえる。

「我は無の一部か?暗闇でも我の目は見える。暗闇でこそよく見える。だが今は何も見えない。何もないからか?我も虚無なのか?いや、そんなはずはなかろう。虚無は何も語らない。我はいま、虚無に飲み込まれる絶望とともに、悲嘆と怨讐の念を語ろうとしている。すなわち我は虚無ではない。虚無に囲まれ、そこから這い出ることすらかなわぬ、動くことすらできぬ虚無の他者、すなわち実在(ダーザイン)。我はここにある。なぜここにいるのか?思い出せない。思い出せないほどの過去の出来事なのか?」


 つぶやく存在は手を伸ばしてみた。もちろん闇は掴めない。それは、いや声を聞く限り女だろう、彼女は身を起こした。寝台から立ち上がり、周囲を探った。壁のようなものはない。しかしある一定以上進むと寝台の位置に戻される。まるで四方という概念がないような、非幾何学的空間だった。歩いても歩いても進めず、まるで無限に折り返す鏡の中を彷徨っている。硬い寝台に戻った彼女は、ため息をついた。

「我は幽閉されておるのか?囚人とさえ呼べないような境遇に閉じ込められたのか?戒めも罰もない闇の牢獄に、何も見えず、何も聞こえず、何にも触れられない虚無の中に。語りかけられるのは我自身のみ、触れることができるのは己が身体のみ。ん?己が身体はどうなっておる?


 女は右手で左手に触れてみた。冷たくて死体のようだ。肉はほとんどなくて骨と皮だけだ。顔を覆ってみた。やはり骨と皮だけだ。鏡があれば骸のような姿が映し出されるのだろう。彼女は四肢と胴体をチェックすると、現在の自分が裸体の骸のような姿であることを知った。風化して塵になるのを待つ骸。

「死は受け入れよう。死は万人に訪れる。このまま最後の意識が消えれば、あとは永遠の無だ。いや、待て。もし意識が消えなかったら、この現実の虚無が永遠だとしたら、とても耐えがたい。この状況、いったいなぜ?」


 彼女はもがいた。己と周囲をかきむしった。血は出ない。しかしこの動きで身体の各部分に電流のようなものが走った。放電の光はない。電流のようなものであって電流ではないからだ。その電流のようなものの発生源は、彼女の首、いや喉元にあった。ひび割れた皮膚の奥に折りたたまれるように見え隠れする傷跡がかすかに鼓動している。


「うぐぐぐぐ....、これは何だ?喉の奥が熱い。その熱が身体全体に広がる。何かに触れたのか?何か禁忌のスイッチに。これで死ねるのか?いや、どうも死にそうにない。むしろ生きている、いや、生きている感覚ともまた違う。そうか、それがわかるということは、どうやら我は昔生きていたようだ。では今はどうだ?死んでいるのか?いや、死にそうにないとさっき言ったではないか。生きているのでも死んでいるのでもないのか?死んでいないが生きてもいない.....そうかわかったぞ、すべて思い出した。我は不死者(アンデッド)、呪いによって生死の理から外れた者、生きることも死ぬこともかなわぬ魔物、そして....やっと思い出したぞ。我をこの結界に幽閉した者の名を。杭を打ち込むことをためらい、幾重にもめぐらした結界の中に我を閉じ込め、タンタロスの苦しみを味合わせた者の名を。忘れはしない、許さぬぞ、エイブラハーーーム!」


 そのとき結界の外から物音がした。誰かが結界の外部に近寄ったようだ。呪文とともに結界に何かを振りかけている。「アペリ・フェネストラーメ・イン・ノミネ・デイ!」。呪文とともにカタッと乾いた音がした。つぶやきのような声が聞こえる。


「ジョアンナ、声は聞こえないだろうけど思いを届けに来たよ。ジョアンナ、ぼくのジョアンナ、漆黒の闇の中に闇そのものとなって眠るエウリュディケ。君を目覚めさせる歌と竪琴をぼくは持たない。でもこうしてしばしば、せめて思いだけでも伝えようとここに通っているんだ。」


 ジョアンナと呼ばれた女はこれを聞いて舌なめずりをした。「呼んだら来たのね、お馬鹿さん」。ジョアンナは慎重に、気づかれるかどうかわからないほどの音、蛇の気音のような音を発した。それは音と呼ぶにはあまりにも微少だったが、気配を感じさせるには十分だった。


「ジョアンナ?まさかな。30年も血は吸っていないのだから、動くことはできないだろう。思いが強すぎたせいで幻聴が聞こえたのか。アペリ・オスティウム・イン・ノミネ・デイ!」  


 男が呪文を唱えた瞬間、目に見えない霧が男のそばを通り抜けた。そして、その霧はエーテル体の女の姿に変わった。突然の出来事に驚愕して固まる男にジョアンナと呼ばれた女は言った。


「そんなに思っていてくれたんだね、エイブラハム、私も会いたかったよ。でも今はこんなエーテル体しか見せられないな。汚い骸の姿はねえ。ほっほっほ、でもそのうち見せてあげるわ、あなたが恋い焦がれているジョアンナを。楽しみに待ってて。」


 女はそう言うと、コウモリに姿を変えて飛び去ってしまった。

 


思いを詰めすぎてオープニングを書いたので、重い文章になってしまいました。(ああ、ここでオモイだけに~と言いそうになる自分が許せない。)次章からは通常の文体になります。

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