第6話 「深層への潜行」
わたしたち、サフィア、シキ、ジャズの三人は、黒い闇の底へ向かう梯子を一歩ずつ降りていく。上方には薄暗い室内空間、罠を避けて進んできた地上からの入り口がある。ここはGWNコンプレックスへと通じると思しき地下経路。電気も光もない深淵に、ランプの淡い光だけが頼りだ。
空気は重く、湿っている。何か腐ったようなにおいが鼻を突く。下へ行くにつれ、冷気が肌を刺し、足を置くたびに鉄の梯子がわずかに軋む。慎重に、ゆっくりと。もし梯子が途中で崩れれば、闇の底へ転落するだけだ。
わたしが先頭、次にシキ、最後尾にジャズ。
ジャズが不安げな声でつぶやく。「どこまで降りるの? 深すぎる……」
シキは息を静かに整えながら、「今さら戻るわけにもいかないわ。大丈夫、無事に下へ着くはずよ。」と励ます。
わたしは下の闇を睨む。ランプを片手に梯子を片手で掴み、身を安定させる。足元が次第に固い床に近づいているようだ。
数分降下を続け、ようやくブーツがコンクリ面に触れた。足場は固く、水平の床がある。わたしはランプを掲げ、辺りを照らす。
目の前には低い天井の通路があり、パイプや配線が絡み合っている。地上よりもさらに荒廃が進み、湿気たコンクリ壁には苔のようなものが生えている。奥へ続く通路は狭く、ところどころ土砂が流れ込んでいて迂回が必要そうだ。
シキが降りてきて、ジャズも合流する。3人揃うと、わたしはランプをかざしながら通路を慎重に進む。
「見て、あそこに扉みたいなのがある。」シキが指差す。
通路の先に、重い金属扉が半ば開いている。扉には「AUTH PERSONNEL ONLY」と薄い文字が残っている。軍事施設や特殊区画への入り口かもしれない。
「軍管理のシェルターの噂があったわね。」ジャズが緊張した声で言う。「ここは当時の関係区画かも。」
わたしは頷く。GWNコンプレックスの地下には軍が関わった通信中枢やバックアップサーバーがあると噂された。ここはその入り口なのかもしれない。
「用心して進むわよ。」わたしは低く言う。
扉を慎重に押し開けると、内部は広めの空間に出た。そこは天井がやや高く、崩れたラックや機材が散乱し、中央に円形のプラットフォームのようなものがある。何か回転する装置だったのか、あるいは昇降機の残骸かもしれない。
「あれ……人?」シキが息を呑む。ランプの光が、部屋の隅に人影を照らし出す。
そこには死体が転がっていた。朽ち果てた服と白骨化した腕。鉄パイプを握りしめたまま、崩れるように横たわっている。Voidfall後にここへ来て死んだのか、それとももっと後年、探索に来た生存者が罠か何かで倒れたのだろうか。
ジャズは顔を背け、「ひどい……」とつぶやく。
わたしは死体に近づき、足元で微かに金属片を拾う。錆びた弾丸ケースのようだ。銃撃戦があったのかもしれない。他にも散らばる残骸には、昔の端末部品やケーブルが転がっているが、ほとんどが壊れている。
シキがラックの後ろを調べ、「通路が続いてるわ。こっちも行き止まりじゃないみたい。」と報告する。
ジャズがそっと後ろを振り返り、「帰り道を覚えてる?」と弱々しく聞く。
わたしは冷静に答える。「マンホールを登れば戻れる。ただ、あの狭い通路と罠を再度抜ける必要がある。」
戻るのは一苦労だ。ここまで来たなら、先へ進むのが得策だろう。
「行こう。」わたしは短く告げ、シキが見つけた方向へ進む。
ラックとコンクリの間をすり抜けると、新たな通路が現れた。先ほどより広く、天井には何か円形のファンがあるが、動いていない。冷たい空気が重く滞留している。
足元に注意して進むと、通路の脇に古いパネルが崩れ、下にはケーブル束とコントロールユニットらしき箱が見える。それは腐食していて通電は望めないが、Voidfall前に高度な通信設備が存在した痕跡を示している。
「本当に通信中枢っぽいわね。」シキが小声で言う。「もし奥にサーバールームやバックアップデータが残ってれば……」
ジャズは希望を込めて問う。「それで何かが分かるかな? たとえばVoidfall前に天界へのアクセス計画があったとか、原因が記録されているとか……」
わたしは目を細める。「何もなければ、また別の場所を探すまで。今は一歩ずつ確かめるしかない。」
あくまで無謀な探索だが、ここに来るまでの行程を考えれば、進むしかない。
数分進むと、突き当たりに大きな扉がある。丸いハンドルが付いていて、回転させて開けるタイプの密閉扉らしい。防水・防爆用の隔壁なのだろうか。錆が混ざって固そうだが、バールを使えば何とか開くかもしれない。
シキとわたしでハンドルに力を込める。ギギギッ……と軋む音がして、ハンドルがわずかに回転した。強靭なロックが外れたのか、扉が少し隙間を開く。
ジャズがランプを差し入れようとしたその時、不意に後方で気配を感じた。
「来た……」わたしは小声で警告する。
シキは刀を半分抜き、ジャズはライフルを構える。後ろの通路から微かな足音。しかも複数だ。わたしたちの後をつけてきた連中がいるのか、それともここに潜んでいたものが気づいたのか。
闇の中から低い笑い声が響く。「面白い、まさかここまで来るとはな。」
人の声だ。男だろうか、落ち着いた声質で、奇妙な抑揚を含んでいる。足音がさらに近づく。1人だけでなく、数人いるようだ。
「誰だ!」わたしは鋭く問う。扉を半開きにしたまま身を翻し、セツナの柄に手をかける。
シキとジャズも即座に防御態勢を取る。ランプの光で見ると、通路奥に4人ほどの人影が立っている。皆、武装しているようで、反射した金属光が武器を示唆する。
先頭の男は長身で、頭に奇妙な革製のヘルメットをかぶり、チェーンを首から下げている。そのチェーンには小さな金属板が無数にぶら下がり、歩くたびにチャラチャラと音を立てる。
「ここは俺たちの狩場だ。」男は嘲るような笑いを浮かべ、「よくここまで潜り込んだな。罠をくぐり抜けるとはなかなかの手際だ。だが、ここから先は通さん。」
殺し屋だ。噂にあった、GWNコンプレックスを死地にした張本人かもしれない。
シキは震える声で問う。「あなたたちは何者?」
男はチェーンを鳴らし、「俺か? ‘コレクター’とでも呼ぶがいい。ここに来る愚か者から物資や命を回収している。使える機械部品は俺の宝物だ。お前たちはその餌食となる。」
ジャズが息を呑む。「ひどい……」
わたしは歯を食いしばる。やはり、こういう輩が潜んでいたか。情報を求める者たちを待ち伏せし、殺しては略奪するプロか。数で負けているなら、交渉は難しい。
「通してくれないなら、戦うしかない。」わたしは低く宣言する。
‘コレクター’は愉快そうに笑う。「勇敢だな。だが、勝てると思うか? 噂に聞くと、お前たちは若い娘3人のようだな。雑魚を斬った程度でここまで来れたのは運が良かっただけ。」
シキが刀を全開に抜く。「言ってくれるわね。やってみなきゃ分からない。」
ジャズはライフルの構えを調整し、「わたし……わたしだって、簡単にはやられない。」
わたしは心中でラトナの人格が微かに揺れる気配を感じる。戦いだ。姉を失った痛みは殺意で上塗りされ、冷たい刃となる。
「行くわよ。」わたしは合図する。
3人で一斉に動く。わたしとシキが前へ出て、ジャズは後方から援護だ。狭い通路でライフルは扱いにくいが、一発でも当たれば有利になる。
敵4人のうち、前衛が二人短いスピアのような武器で突撃してくる。わたしはセツナを抜き、右手で鋭い軌道を描き、最初の男の首元を狙う。相手は驚き、素早く避けるが、その隙にシキが二刀で水平斬りを放つ。首までは届かないが肩を浅く切り裂いた。
「ぐあっ!」敵が叫ぶ。
後方の‘コレクター’が笑い声を上げ、「やるな。だが、どうかな?」と手を振る。後列の一人が火炎瓶らしきものを投擲してくる!
「危ない!」ジャズが叫ぶ。わたしは咄嗟に体を低くし、シキも伏せる。火炎瓶は通路脇の壁に当たり、ベチャリと燃料が散って小さな炎が上がる。狭い場所で火が出れば酸欠を引き起こし、逃げ場がなくなる。
ジャズが焦って狙いを定め、ライフルで後列の投擲者を撃つ。しかし照準がぶれて弾は壁に当たる。金属片が跳ね、火花が飛ぶ。
敵は一瞬ひるんだが、‘コレクター’は冷静だ。「いいねえ、エネルギッシュだ。だけど、この狭さじゃ長物は扱いにくいだろ。」
わたしはセツナを握り直し、深呼吸する。ここで足止めされれば、火炎で撤退を強いられるかもしれない。一気に押し通る必要がある。
「シキ、左側へ。ジャズ、カバーを頼む。」わたしは短く指示を出す。
シキは了解し、左壁を沿うように前進。敵が注意をシキに向ける間、わたしは正面突破を試みる。セツナは右手で、低く構えたまま敵の懐に飛び込む。
正面の男がスピアを突くが、わたしは一瞬身を捻り、刃をその腕に当てて弾く。青い刃が筋肉を裂き、血が飛ぶ。悲鳴が上がると同時に、シキが二刀で横合いからもう一人を牽制し、ジャズがもう一発ライフルを撃つ。今度は敵後列の一人の足元に当たり、転倒させることに成功する。
状況が傾きかけたのを感じた‘コレクター’は、舌打ちして後退する。「ちっ、噂と違って手強いな。撤収するぞ!」
彼は仲間を見捨てて後ろへ走る。二人は重傷を負い、動きが鈍い。もう二人は後を追おうとするが、その間にわたしとシキが追撃できる。
だが、深追いは危険かもしれない。罠があるかもしれないし、ここで消耗しては本来の目的を果たせない。
「逃がして。」わたしはシキに目で伝える。シキは渋々頷き、ジャズも息を荒げながら、「危ないから追わないほうがいい…」と同意する。
敵は闇に紛れて撤退した。足音が遠ざかり、火炎瓶の火は小規模で、すぐに壁に染み込んだ可燃物が尽きて鎮火する。
わたしはセツナの血を拭い、「大丈夫?」と二人に確認する。
シキは軽い擦り傷程度で済んだ。「平気。あなたは?」
「問題ない。」わたしは首を振る。
ジャズは少し震えているが、怪我はない。「ごめん、当たらなかった。でも追い払えたから良かったよね?」
わたしは微かな笑みで励ます。「十分よ。撃つだけで相手を警戒させたわ。」
戦闘は避けられなかったが、深追いをせず済んだ。殺し屋たちがまた来るかもしれないが、その前に目的地へ急ぐべきだ。
「あの扉を開けて、中へ行こう。」シキがハンドルを回し、扉を開けるのを手伝う。ジャズが後方を警戒し、わたしはセツナを握ったまま周囲を睨む。
重い扉が開き、広い空間が現れる。そこには無数のラックとサーバールーム風の機器が並んでいる。ほとんどが崩壊し、ケーブルが抜け、ディスプレイが砕けているが、中には比較的無傷に見えるエリアもある。ラックに貼られたプレートには「Backup Server #12」「Data Logging Unit」「Secure Node」といった文字が確認できる。
「見て、ここサーバールームだったんじゃない?」ジャズが息をのむ。
シキは目を輝かせる。「データが残っているかもしれない!」
わたしは周囲を慎重に歩き、まだ形を保ったサーバーラックを調べる。電力はないが、記憶媒体が取り出せるかもしれない。カートリッジ状のストレージを探り、埃を払う。
「ここに何か残ってる……」わたしは指先でカートリッジを抜き出す。黒い金属製で、側面にコードナンバーが刻まれている。
ジャズがランプを近づける。「これがデータストレージ? 古い世代の記憶媒体かもしれないわね。もし解析できれば、Voidfall前の記録が読み取れるかも!」
問題は解析方法だ。電力と対応端末が必要になる。外で技術屋風の男から買い取るか、闇市で交換するか……課題は山積みだが、何もないよりは希望がある。
シキがもう一つストレージを見つける。「ここにもあるわ。番号が違う。複数バックアップがあったのかな。」
「できるだけ多く持っていこう。」わたしは確認する。
周囲を調べ、何枚かストレージを確保する。うち半分は物理的破損が激しいが、奇跡的に無事なものが一つでもあれば大きな成果だ。
「出口は?」ジャズが辺りを見回す。「ここで立ち止まるわけにもいかないし、敵も戻ってくるかもしれないわ。」
シキは反対側の壁に非常用扉らしきものを発見。「あそこ、別の出口があるみたい。上へ戻る階段かも。」
もうマンホールを通って戻る必要はないかもしれない。別ルートで地上に出られれば、闇市まで戻って解析を試みることができる。
「行こう。」わたしは即断する。敵が再攻撃する前に逃げるべきだ。
3人でストレージを抱え、非常用扉を開ける。短い階段が上へ続く。湿った空気がすこし乾き始め、上方から僅かに風が流れ込んでくる。
「外へ出られるかな。」ジャズが希望を込めて言う。
わたしは先頭で階段を昇る。階段は長くない。上部で板が塞いでいるが、少し叩くとミシミシと音がする。瓦礫で塞がれた地上への出口だろう。
シキがバールで隙間をこじ開け、ジャズが慎重に瓦礫を掻き出す。数分格闘すると、冷たい外気が流れ込み、闇夜の匂いが戻ってくる。
わたしたちは地下から脱出する。薄暗い地上に顔を出すと、そこは小さな崩れた倉庫の片隅だった。周囲に人影はない。
「やった……戻れた。」ジャズが安堵の息を吐く。
シキはキョロキョロと周囲を見回し、「ここはさっきの闇市から北東に行ったあたりかな。方角的には。」
わたしは頷く。「場所は正確に分からないが、ひとまず安全そうね。闇市に戻って解析を試みるか、技術者を探すかしよう。」
敵殺し屋の襲撃を退け、データストレージを手に入れた。大きな一歩だ。
姉ラトナの幻影は心中で微かな囁きを漏らす。「よくやったじゃない、サフィア。」
わたしは無言で応える。目的にはまだ遠いが、何もなかった頃より確実に前進した。
「戻ろう。闇市なら、誰かストレージを読み取れる人がいるかもしれない。」シキが提案する。
ジャズも同意。「うん、きっと何か分かるはず。」
わたしは頷き、闇を見つめる。危険は続くが、わたしたちは諦めない。
このストレージに、Voidfall以前の真実、天界の謎、姉や世界を救う鍵が眠っているかもしれない。
こうして、3人は再び旅路へ戻る。闇夜の廃墟を抜けて、闇市へ――情報解析のための新たな挑戦が始まるのだ。