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ソライロのセカイ  作者: 空波
第一章「黎明なき序曲」
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第3話 「朽ちた標の向こうへ」

東へ進むと決めたわたしたちは、ジャズ、シキ、そしてわたしサフィアの三人で、薄暗い廃墟の通りを歩いていた。極夜の世界は常に漆黒の闇を湛え、わずかなランプの光が瓦礫に影を落としている。周囲は静かで、風が低く唸る。遠くで鉄骨が軋む音が、不規則な間隔で響く。


 誰もが慎重だった。わたしたちは先ほど寄ったビルで有力な情報を得られず、かろうじて小型バッテリーを発掘した程度だ。だが、それをどう使うかはまだ分からない。この世界にまだ生き残る通信施設や端末があるのか、それも定かではない。


 ジャズはライフルを両腕で抱え、時折落ち着かない様子で周囲を見回す。彼女は記憶を失い、コールドスリープ後に目覚めた少女。やや幼さが残るが、この環境で生き延びているだけで相応の覚悟があるはずだ。

 シキはその奇抜な髪色を闇に揺らしながら、背中の四刀を微調整する。彼女は天界に興味を持ち、何かを確かめたいという内的衝動に突き動かされている。わたしは姉を失った痛みと虚無を抱え、ただ事態を前進させるために歩く。


 「……静かね。」シキが低く言う。

 「ええ、逆に嫌な感じがするわ。」ジャズが同意する。

 わたしは口を閉ざしたまま、足元を確認する。コンクリはひび割れ、倒れた街灯が横たわっている。かつてこのあたりは商業施設や住宅街があったのかもしれない。今は地図もなく、ただ拠り所のない道が広がるだけ。


 数十分歩くと、崩れた高速道路の基礎らしきものが見えてきた。コンクリートの支柱が斜めに折れ、その上に錆びた鉄骨が絡まっている。大きな破損があり、広い空間が生まれた一角に、かすかな光が瞬いた。

 わたしは足を止め、手で合図する。シキとジャズが警戒態勢に入る。光は人間由来のものかもしれない。誰かがランプや焚き火を使っているのか?


 ゆっくり近づくと、瓦礫で囲まれた小さな広場があり、そこには数人の人影がうずくまっているのが見えた。ランプの光が漂う。粗末なテントらしきもの、崩れた車体を利用したバリケード。

 「集落? 闇市?」ジャズが小声でつぶやく。

 「かもしれない。」シキが慎重に答える。


 わたしは顎で示し、合図してから廃材の陰に隠れ、様子をうかがう。3人の人影が確認できる。全員ボロボロの服装で、武器はあるのか判別しづらい。彼らは何かを焼くような仕草をしている。食糧を確保しているのかもしれない。

 少し離れた場所には、鉄製の標識が倒れている。かつて何かを示していた立て札らしく、薄ぼんやりと文字が残っている。「…LAN… COMM… CENT…」断片的だが、何となく「COM(Communication)」や「CENT(Center)」を思わせる文字が並んでいる気がした。


 「あれ、コミュニケーションセンターって単語じゃない?」シキが目を凝らす。

 ジャズはささやくように言う。「もしそうなら、やっぱりこの辺りには通信設備があったんだわ。」


 情報を得るには人との接触が避けられないだろう。闇市的な集落や小規模な取引所があれば、噂でもいいから聞き出せるかもしれない。しかし、迂闊な接触は危険だ。彼らが敵対的なら、わたしたちは不利になる。


 わたしはセツナに手をかけ、意を決して一歩踏み出す。

 「待って!」ジャズが小声で止める。「どうやって交渉するの?」

 「とりあえず、撃たないことを示して話しかける。」シキが肩をすくめる。「それしかないわ。」


 わたしは両手を上げ、武器をすぐに抜かない意思を示しながら、物陰からゆっくり出る。シキとジャズは少し後方でフォローできる位置にいる。

 「そこにいるのは誰?」わたしが低く呼びかける。


 3人組は驚いて立ち上がり、一人が錆びた金属棒のような即席武器を構えた。

 「何だ、お前たち!」そのうちの一人、痩せた男が警戒する。

 「取引は望まない、ただ情報が欲しい。」わたしは落ち着いた声で答える。


 男たちは顔を見合わせる。闇市の守衛や行商人であれば、情報を売買するのが日常かもしれないが、彼らはそんな洗練された雰囲気ではない。むしろ、飢えた生存者の集まりに見える。

 「情報? 俺たちに何を求める?」男は唇を歪める。「食料なら出せねえぞ。俺たちだってギリギリなんだ。」


 わたしは首を振る。「食糧じゃない。昔、ここにあった通信センターについて何か知らない?」

 「通信センター? …はは、そんなもん、ずっと前に荒らされたって話だ。どこが正確な場所かも分からねえよ。俺たちは最近ここに流れ着いただけさ。」


 徒労か。しかし、無駄足だったとしても、何か他に知っていることはないだろうか。

 「噂でもいい。何か聞いたことは?」シキが前に出る。彼女は両手を上げて無害をアピールしている。ジャズは後ろで緊張したまま。


 痩せた男は苛立ちと警戒が入り混じった顔をする。二人の仲間も、互いに目配せしている。彼らが何を企んでいるか分からない。

 「噂ねえ…」男は考え込む。「昔、この辺りにはメインフレームがあったらしいが、Voidfall後に天使がどうとか言う連中がこぞって探し回って、結局なんも残らなかったって聞いたな。あとは…そうだ、北の方に行けば、まだ使える電波塔が半分倒れたまま残ってるって噂がある。」


 北か。また方向が違うが、あらゆる方向を探す必要があるかもしれない。

 「電波塔か。」わたしは短く繰り返す。ジャズとシキはわずかに目を光らせる。


 「確かな話じゃねえよ?」男はニヤリと笑う。「で、あんたらは何をくれるんだ? 情報をやったんだ、タダってわけにゃいかねえ。」

 やはり、何らかの対価を求めている。食糧はわたしたちも乏しいが、ほんの少しの乾燥食料や、ジャズが拾った雑貨程度なら出せる。ここで揉めるより、情報料として安いものだ。


 シキが視線で合図してきた。わたしは小さく頷き、ポケットから固いビスケット状の乾燥糧食を一枚差し出す。

 男は目を丸くする。「まじかよ、まだ食えるもん持ってんのか。」

 「これでいい? もう少しはあるけど、無闇にはやれない。」わたしは静かに言う。


 男は乾燥糧食を奪うように取り、仲間と分け合おうとする。しかし、そのとき、一人の仲間が怪しい笑みを浮かべた。

 「なあ、こんなとこでこの女たちを逃がすことないんじゃねえか。もっと奪えよ。」

 背筋が凍る。わずかな気の緩みで、彼らはより多くの物資を狙う気か。


 わたしはセツナに手をかける。シキも微かに重心を低くし、ジャズはライフルを抱え直す。3対3、だが相手は栄養状態が悪そうで、武器も即席だ。わたしたちが圧倒的有利だろう。


 「やめときな。」わたしは冷たく言う。「わたしたちは戦闘に慣れてる。」

 男たちは一瞬ひるんだが、乾燥糧食の匂いに惹かれたのか、一人が石片を投げつけてきた。わたしは身を引いて避ける。

 「チッ、強がりやがって。」もう一人が吠える。


 戦うしかないか。わたしはセツナを抜き、素早く前進する。シキも二刀を引き抜き、ジャズは即座に一歩下がり狙撃態勢…といっても、狭い場所でライフルが役立つかは微妙だ。

 男たちは狂乱に身を任せて突っ込んでくるが、わたしたちは冷静だ。セツナが一人の腕を斬り、シキが刀の柄で別の男の首を打ち据える。短い悲鳴、血の匂い、そしてあっさりと終わる攻防。


 3人組は倒れ、あるいは怯えて後退する。深追いは必要ない。

 「逃げろ!」最後に残った男が仲間を引きずり、闇の奥へ逃げていく。ランプが揺れ、そこにあったテントらしきものも放棄された。

 ジャズが息を吐く。「また戦い……悲しいわね。」


 「これがこの世界の常識だ。」わたしはセツナの血を拭う。無為な争いだったが、少なくとも電波塔の噂は手に入れた。

 シキが周囲を見渡す。「逃げた方向を追う必要はないわね。きっと別の巣に戻るだけ。ここにはもう用はない。」


 わたしは倒れた標識の文字を再び確かめる。錆と汚泥で読みにくいが、「…PLANET COMM… CENTER…」と読めなくもない。「PLANET COMMUNICATION CENTER」か? もしそんな施設があったのなら、Voidfall以前は壮大なネットワークを築いていたのだろう。

 しかし、今はただの朽ちたしるべだ。わたしは標識に軽く触れ、その硬い表面を感じる。どれほどの文明が崩れ去ったのか、考えると空虚になる。


 「北へ行ってみる?」ジャズが提案する。「さっき聞いた電波塔が本当にあるなら、そこから何か拾えるかもしれないわ。」

 シキは首を振る。「北へ行く前に、東の通信センター方面も捨てがたい。どちらが優先?」

 わたしは黙考する。どちらへ行っても確証はないが、東はメインフレームが荒らされた後で何も残っていない可能性が高い。北に電波塔が残っているなら、まだ生きた装置があるかもしれない。


 「北へ向かおう。」わたしは決断する。「電波塔の噂が本当か確かめたい。」

 ジャズは安堵のような微笑みを浮かべ、シキはわずかに肩をすくめる。「了解。」


 わたしたちは東に向けていた足を北へ修正する。この世界で方向転換は日常だ。地図もなく、伝承や噂を頼りに動いているのだから。


 北へ進むには、一度この崩れた高速道路群を回避しなければならない。地形が複雑に歪んでいる。かつて整然と組まれた都市インフラは、Voidfallで歪み、破砕され、まるで異形の迷宮を形成している。

 やがて、幾つかの倒壊した道路を避けながら北へ抜けると、開けた空間に出た。そこは車両の残骸や、雑多なスクラップが散乱する小さな谷間のような地形。金属が光を反射し、わずかに視界が利く。


 ジャズは視線を走らせ、「…あれ、何か塔みたいな影がある?」と指をさす。

 遠く、廃墟のシルエットの向こうに、折れ曲がった長大な金属構造物が浮かぶ。電波塔か電力塔か、判断は難しいが、垂れ下がったケーブルや格子状の支柱が見える。

 「あれが噂の電波塔なのかしら。」シキが細めた目で尋ねる。


 「確かめよう。」わたしは前へ進む。慎重に足場を選び、スクラップを踏まないように移動する。金属片が当たれば大きな音を立て、敵を呼び寄せるかもしれない。

 3人で息を潜めながら進むと、妙な音が聞こえてきた。カシャ…カシャ…と、金属が擦れるような音。誰かがこのあたりで何か作業している?


 物陰から覗くと、背中に奇妙な道具を背負った人物がいる。腰に古い発電機らしき箱を提げ、ヘルメットを被った生存者らしい。彼は倒れた電波塔の根元でケーブルを引っ張り、何とか通電させようと試みているようだ。

 ジャズが目を見開く。「まだ技術屋がいるの?」

 シキは唇を引き結ぶ。「接触する?」


 技術屋風の人物は一人で、武器らしきものは見えない。彼は小柄な男性で、酸素マスクのようなものを付け、必死にケーブルを繋ごうとしている。もし話が通じるなら、情報を得られるかもしれない。


 わたしは両手を上げて再び表へ出る。「そこのあなた、敵意はない。」

 男は驚いて振り向き、転倒しかける。腰の発電機が揺れ、激しい咳き込みをする。「げほっ…誰だ! こっち来るな、壊すなよ!」


 わたしは距離を保ち、「何をしてるの?」と問いかける。

 「見りゃ分かるだろ、電波塔の一部を修理してんだよ!」男は苛立った声を出す。「通電できれば、残った短波通信が拾えるかもしれない。…もっとも、大した情報が得られる保証はないがね。」


 電波塔を修理? 奇特な男だ。なぜそんなことを?

 「通信を拾いたいの?」シキが間に入る。「わたしたちも情報が欲しい。何か手伝えることはある?」


 男は不審そうにこちらを睨む。「手伝う? 何が目当てだ?」

 「わたしたちは天界とか、Voidfallの真相とか、そういった情報を探してる。通信が生きてるなら、何か拾えるかもしれないから。」わたしは正直に目的を伝える。


 男は嘲るような笑いを漏らす。「天界? そんなもの信じてるのか。ま、俺もこの状況じゃ否定できんけどな。いいか、手伝うなら、ケーブルをあの端末に繋いでくれ。発電機が動く間に、少しでも信号を拾えれば、俺が解析してやる。」


 何だか急な展開だが、藁にもすがる思いだ。わたしはシキとジャズに目で合図し、ジャズがケーブルを拾い、シキが端末らしき小箱のカバーを開く。わたしは男の発電機を見る。燃料は少なそうだ。

 「あと数分しかもたない。さっさとしろ!」男が苛立つ。


 ジャズが必死にケーブルを差し込み、シキがコネクタを固定する。わたしは発電機から伸びる配線を締め直し、男はヘルメットの下から笑い声を立てる。「よし、通電した!」


 端末にノイズ混じりの雑音が流れた。かすれた音声、無意味な信号音が飛び交い、ほとんどがガラクタだ。だが、数秒後、微かな声が聞こえたような気がした。

 「…st…ream……aw…ake…heav…n…」断片的なワードが混ざり合い、何を意味するか分からない。

 男が必死にダイヤルを回す。「チクショウ、ノイズばっかりだ。ええい、あと少し…!」


 発電機が咳き込むような音を出し、停止した。端末は沈黙。結局、明確な情報を得られなかった。

 「ダメか。」男は肩を落とす。「くそ、何度やってもまともな信号は拾えねえ。」

 わたしは唇を引き結ぶ。「今の声みたいなのは何?」


 「分からん。ただの残響信号か、昔の通信がループしてるだけかもな。」男は苛立たしげに頭をかく。「すまんね、期待に添えなくて。」


 シキが息を吐く。「仕方ないわ。ところで、あなたは何者? どうしてこんなことを?」

 男はヘルメットを叩き、「俺はただの技術屋だよ。名乗るほどの名前もない。Voidfall前は通信インフラ整備をしてたが、今はこうして各地を回って、残骸から電源やパーツを回収してる。何か有力な情報が得られれば、闇市で交換できると思ってな。」


 闇市か。この世界で情報は貴重な資源だ。

 「闇市で情報交換?」ジャズが興味を示す。「どこに行けばそういうことができるの?」


 男は鼻を鳴らす。「そう簡単に教えられるかよ。まあ、東の外れにはまだ取引が残ってる場所があると聞いたことがある。そこなら、断片的なログや記録媒体で物々交換ができるかもしれない。」


 東の外れ、再び東か。さっきは北を目指すと決めたばかりだが、やはり情勢は複雑だ。

 わたしは考え込む。北の電波塔はダメ、ここもダメとなれば、もう一度東へ戻るか。それとも、まだ北には別の手掛かりがある?


 男は苦笑する。「まあ、好きにしな。俺は燃料切れだし、これ以上粘っても無駄だ。あんたらも、あんまり変な噂に振り回されるなよ。」


 わたしは礼も言わず立ち去る。シキとジャズが後を追う。

 「どうする? また方向転換する?」ジャズが不安げな声を出す。

 シキは腕組みし、「なんだか堂々巡りね。東へ行けと言われたり、北に電波塔があると言われたり、どれも確実じゃない。」


 わたしは唇を噛む。世界は広い。手掛かりは少なく、あちこちを彷徨うしかない。この先、多少の回り道は避けられないだろう。

 「北へ少し進んで、何もなければ東へ回ろう。」とりあえず、決めた。

 「了解。」シキが短く答える。ジャズは黙ってついてくる。


 電波塔付近を後にし、再び北方向へ移動すると、地形はより荒涼としてきた。瓦礫が減り、むき出しの地表がクレーター状に抉れ、所々に水溜りがある。黒ずんだ水面には油膜が浮き、飲むことは不可能だろう。

 極夜が続く中、時間の感覚も曖昧になる。どれだけ歩いただろうか。短い休憩を挟みながら、わたしたちは足を進めるが、何の変化もない。


 結局、北へ進んでも新たな収穫はなかった。電波塔は男が使おうとした倒壊した一部だけで、通電はもう不可能らしい。他に目立った施設も見当たらない。

 シキが溜息を吐く。「無駄足だったわね。」

 ジャズはしゅんと肩を落とす。「ごめん、わたしが強く推しちゃったから。」


 「誰も悪くない。」わたしは冷静に言う。「確かな情報がない以上、試してダメなら別の手を探るしかない。」


 もう一度東へ戻る。遠回りだが仕方ない。闇市があるなら、そこで確かな情報を手に入れられるかもしれない。そう考えて、わたしたちは再び足音だけを響かせ、闇の中を戻っていく。

 姉ラトナの幻影は心中で沈黙したまま。虚無が漂い、ただ歩く。シキとジャズも口数が減り、重苦しい沈黙が続く。


 極夜の世界で、意味を探すのは容易ではない。だが、進まなければ何も起こらない。

 朽ちた標識は「PLANET COMMUNICATION CENTER」の名残を示すだけだったが、わたしたちは諦めない。東へ、闇市へ、そしていずれは天界やVoidfallの謎へと繋がる道を探す。


 闇夜の底で、足音が重なり、乾いた風が頬を刺す。

 こうして、わたしたちは再び方向転換し、朽ちた標の向こうへ、再度の旅立ちを余儀なくされるのだった。

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