表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ソライロのセカイ  作者: 空波
第一章「黎明なき序曲」
4/31

第2話 「極夜の鼓動」

荒れ果てた大通りを後に、わたしとシキは瓦礫に埋もれた狭い路地へと足を踏み入れた。極夜の世界、Voidfall後の廃墟都市で、見通しの利かない闇はいつも通り。ランプの淡い光が路面の汚泥を照らし、細い埃が舞う。背後では高架道路の残骸が沈黙し、先程わたしが殺した無法者の死体が、遠く闇に溶けていった。


 シキはすぐ後ろを歩く。互いにどこまで信用できるのか分からないが、今のところ衝突する理由はない。わたしはセツナを腰元に収め、周囲を警戒する。シキは四本の刀を背負い、いつでも抜刀できる状態で緊張を保っている。


「この先はどうする?」シキが小声で尋ねる。

「とりあえず、危険が少ない場所へ抜けたい。」とわたしは淡々と答える。

「危険が少ない場所なんて、この世界にあるのかしら。」シキは自嘲気味に笑う。


 正論だ。どこへ行っても無法者や飢えた生存者、崩れそうな建物、どこから飛んでくるか分からない弾丸、見えない狙撃手、あるいは狂気に浸った殺人鬼が潜んでいる。情報は乏しく、どの方向へ進めばいいのかも定かではない。

 けれど、立ち止まれば腐臭と死が忍び寄るだけ。何かを求めるなら、動くしかない。


 わたしは考えを巡らせる。

 姉ラトナを喪った後、意味もなく旅を続けているが、少しずつでもこの世界の裏側を知る必要があるかもしれない。シキは天界を目指すと言った。天界なんて存在するのか? 実在を確かめるには、何か手掛かりが必要だ。通信インフラや古い記録を漁れれば、Voidfall以前の世界が残したデータから何か得られるかもしれない。


「通信設備や旧時代の端末が残っているエリアに行きたい。」とわたしは言う。

「通信設備?」シキは目を瞬かせる。「どうして?」

「天界とやらがあるなら、何らかの信号や痕跡が残っているかもしれない。あるいはこの世界がどうして極夜になったか、Voidfallの真相を探る情報が残っているかもしれない。」


 シキはわずかに考え込む表情になる。「確かに、情報がなさすぎるわね。たとえ天界へ行く道があったとしても、何も知らずに突き進むのは危険すぎる。」

「そういうこと。」わたしは首肯する。表面的には冷淡だが、実際、暗中模索の状況を打開するには、何らかの情報源が必要だ。


 路地を抜けると、広めの交差点跡に出る。かつては信号機があったのだろうが、今は倒れたポールが地面に突き刺さり、配線が垂れ下がっている。周囲のビルは中層程度で、半壊して壁が剥がれ、骨組みが剥き出しだ。

 そんな中、一つの廃ビルが目を引いた。外壁に「Cytech Systems」と消えかけのロゴが残っている。技術系の企業ビルだったのだろうか。古いサーバーや端末があるかもしれない。

 だが、無暗に突っ込むのは危険だ。罠や潜伏者、腐った床、何でもありうる。


「行くの?」シキが先に気づいたようだ。視線がビルに注がれている。

「試してみる価値はある。もし無人で、何か残っていれば儲け物。」

 シキは慎重に頷く。「じゃあ気をつけましょう。」


 わたしたちはビルの正面に回り込む。自動ドアだったらしい開口部はガラスが割れて内部がむき出しだ。ロビーらしき空間は暗く、床に書類やプラスチック片が散乱し、棚が倒れ、天井にはぶら下がった配線が垂れている。

 ランプの光で足元を確認し、ゆっくりと歩みを進める。空気は湿り、カビ臭い。人の気配はしないが、油断はできない。


「上の階にサーバールームがあるかも。」シキが耳打ちする。

「階段はどこだろう。」わたしは周囲を見回す。看板は剥がれ落ち、受付カウンターは崩れて奥に溝がある。慎重に歩いていると、背後で小さな音がした。

 思わずセツナに手をかけ、振り向く。シキも二刀の柄に指をかける。

「……今、音がしたわよね?」シキが緊張して声を潜める。


 沈黙。ランプの揺れた光がコンクリの壁に奇妙な影を映す。

 わたしは音がした場所、入口付近を目を凝らして探る。ネズミや小動物ならいいが、敵対者なら対処しなければ。だが、そこには人影はない。ただ瓦礫の下で小さな破片がずり落ちた跡があるだけ。

「気のせいかもしれない。」わたしは慎重に言う。

「でも、念のため急ごう。」シキは同意し、足早に室内を横断する。


 カウンター裏手に階段らしき昇降口を見つけた。鉄製の扉は外され、内部は真っ暗なコンクリ階段が上へと続いている。崩れた箇所はなさそうだが、どの階で崩落しているか分からない。

 階段をそっと上がり、二階フロアへ出ると、オフィスらしい空間が広がっていた。倒れたデスク、砕けたモニター、散乱するキーボード、あらゆるものが無秩序に散らばっている。人骨のようなものはないが、血痕らしきシミが床に残る。誰かがここで争ったのだろう。


「サーバールームはもっと上かも。」わたしはそう判断する。大規模オフィスビルなら、高層階や地下に重要設備を置くことが多い。

「地下は水没してる可能性があるわ。」シキが嘆息する。「上へ行こう。」


 しかし、四階あたりへ向かおうと、さらに階段を上がっていると、不意に人の気配を感じた。今度は確実だ。息を殺すわたしとシキ。

 階段踊り場で物陰に隠れると、上の階から微かな足音が降りてくる。コツ…コツ…とゆっくりしたペース。敵対者かもしれない。油断できない。


「来る。」わたしは囁く。シキは頷き、刀を半ば抜く。わたしはセツナに手を添える。暗闇の中、ランプの明かりを背中に隠し、待ち伏せの姿勢をとる。

 数秒後、階段を下りてくる影が現れた。フードを被り、ライフルのような長物を担いでいる。体格は小柄で、服装は緑と赤のパッチワークを思わせる奇妙な配色。少女のような雰囲気を感じるが、判断は難しい。


「……誰かいるの?」その人物は幼い声音で問いかけた。

 わたしとシキは息を詰める。

 彼女は恐る恐る階段を下り、こちらに近づいてくる。ライフルは今のところ構えてはいないが、警戒している。わたしたちが出て行けば即座に撃つかもしれない。


「もし出てくるなら、撃たないであげる……嘘じゃないよ?」その声は不安げだが、どこか軽い調子も混ざっている。


 わたしはシキと目を合わせ、黙って合図する。仕方ない、正面から対話するしかない。ランプを前に出し、コツコツと足音を立てて廊下へ半身を晒す。セツナは未抜刀だが、いつでも対応できるよう身構える。

 シキも数歩後ろで身構えている。


「やっぱりいた!」少女の声が弾む。

 ランプの光に照らされたその人物は、緑と赤を基調としたフード付きのジャケットを着ていた。小柄で、幼い雰囲気が残る顔立ち。ライフルは古い型のスナイパーライフルのようだが、抱え方が不慣れに見える。

「あなたは?」わたしは低く問う。


「わたしは……ジャズ、って呼ばれてる。」少女は軽く笑おうとするが、震えているのが分かる。「襲う気はないわ。あなたたちは?」

「サフィアとシキ。」シキが名乗る。わたしは頷くに留める。


「こんな場所で何をしてるの?」ジャズは不安げな様子。「わたしは電池か何か使えるものを探してたの。通信端末を起動したくて……」

 通信端末、わたしたちと同じ思考だ。情報が欲しい、そう考えているのか。


「わたしたちも同じような理由でここへ来た。」シキが答える。「情報を得るため、端末を探している。」

「そっか……なら、一緒に探さない?」ジャズは弱々しく提案する。「このビル、結構広いし、一人だと怖くて……」


 わたしはジャズを疑いの目で見る。いきなり仲間になりたいなんて、信用できるのか? しかし、彼女は小柄で弱々しく、ライフルを持ってはいるが手馴れていない雰囲気だ。むしろこうした施設で襲われないように武装しているだけかもしれない。


「ジャズ、あなたはなぜ情報が必要なの?」わたしは問いかける。

「わたし……記憶が曖昧なの。コールドスリープから目覚めた後、両親もいなくて、何も分からない状態で旅をしてる。どこに行けばいいのか、何をすればいいのか知りたくて、手掛かりを探してるの。」


 コールドスリープ……Voidfall発生前に自分を保存し、後に目覚めた生存者だろうか。金持ちの家庭だったのかもしれない。そんな贅沢な手段を使える者は限られている。

 ジャズは心底不安そうな目をしている。欺瞞か、真実か、見極めるのは難しい。


「サフィア、どうする?」シキが小声で尋ねる。

 わたしは少し考え、ジャズの手元を観察する。ライフルは古く、整備されていない。弾薬も少ないかもしれない。彼女が本気で攻撃する気なら、もっと奇襲するだろう。

「一緒に行こう。」わたしは短く答える。情報不足の現状、人数が増えれば探索が楽になる。


「ありがとう!」ジャズは安堵した様子で微笑む。わたしとシキは気を緩めず、階段をさらに上へ。

 五階へ到達すると、廊下の突き当たりに重厚な扉が見えた。扉には「Data Server Room」と掠れたステッカーが貼られている。

「ここかも!」ジャズが声を弾ませる。


 わたしたちは扉の前で足を止める。鍵は壊れているが、扉が固着しているのか開かない。ジャズが潤滑スプレーを吹き、シキがバールでこじ開ける。ギギッという金属摩擦音が響き、わずかな隙間が生まれる。


「気をつけて。」わたしが警告する。

 3人で慎重に力を加えると、扉が徐々に開いた。中は狭い室内にラックやサーバーらしき機器が並んでいる。ほとんどが埃まみれで、ケーブルが絡み合い、一部は焼け焦げている。

 ジャズがランプを掲げ、サーバーの端末らしきものを指さす。「ここ、電力がないと無理だけど、バッテリーパックとか予備電源がないか探そう。」


 わたしとシキは机やラックを探る。ケーブルが破損し、データディスクらしき円盤は砕けている。だが、棚の奥に金属ケースを発見した。小型ポータブルバッテリーかもしれない。

「これ、使える?」シキがケースを取り出す。ジャズが目を輝かせ、ケースを開くと、小型バッテリーが数本転がっていた。


「やった! まだ使えるかわからないけど、試してみる価値はある。」ジャズが一番状態の良さそうなバッテリーを取り出し、サーバー側面のポートらしき穴に繋ぐ。

 しかし、何も起きない。通電しないか、あるいは機器が完全に死んでいるのか。


「だめか……」ジャズが肩を落とす。「他になんかないかな。」

 わたしは壁際の端末に注目する。小型の端末が埋め込まれているようだ。画面は割れているが、下部にUSBポートらしき口がある。そこにバッテリーを挿すと、微かな緑色のランプが点滅した。


「動いた!」シキが驚く。

 端末は数秒間ノイズを発した後、かろうじて文字化けしたメニューらしきものを表示した。ほとんど解読不可能だが、断片的に“天界(Heaven)”を示唆する単語はないか、検索できればいいのに。


「この端末、何かログを残してないかな。」ジャズが焦りつつボタンを押し込む。

 ふと、雑音混じりの音声が一瞬流れた。女性の声で、「…void…fall…exter……global…」と聞こえる。Voidfall関連のメッセージだろうか? これでは何も分からない。


「だめだ、情報が壊れてる。」ジャズが落胆する。

 わたしは唇を引き結ぶ。こんなところに残るデータが簡単に有益な手掛かりになるとは思っていなかったが、何も得られないとなると厳しい。


「他の場所を探そう。」シキが落ち着いた声で提案する。「こんなビル一つじゃ足りない。どこかに、まだ機能する機器や、闇市に詳しい人間、あるいはVoidfall前後の記録を持つ生存者がいるかも。」

「そうね……」ジャズは渋々同意する。


 部屋を後にしようとした時、不意に床下から響くような衝撃音が聞こえた。全員が身を強張らせる。誰かが下の階を歩いているのか? さっきは気のせいではなかったかもしれない。

「急いで出よう。」わたしは即断する。ここで下手に交戦してバッテリーや物資を失うのはまずい。


 3人で階段へ戻り、物音がしないタイミングを見計らい、一気に下へ駆け下りる。足音が響くが、相手も警戒しているのか、遭遇はしない。

 一階ロビーへ戻り、割れたガラス扉から外へ飛び出す。闇夜の風が包み、都市の廃墟が再び視界に広がった。

 ほっと息をついたジャズが、ライフルを抱え直し、少し笑みを浮かべる。「無事でよかった。」


「収穫は微妙だったけどね。」シキが肩をすくめる。

「でも、こうやって端末やバッテリーを探せば、いつか何か見つかるかもしれないわ。」ジャズは前向きな調子で言う。

 わたしは黙って周囲を見回す。遠くでぼんやりとした火花が散るような光が見える。それは崩れた配電盤がまだスパークしているのかもしれない。


「サフィア、次はどこへ?」シキが尋ねる。

「このまま東へ向かおう。確かこの都市には、かつて大規模なメイン通信センターがあったという噂を聞いたことがある。」

「噂?」ジャズが眉を上げる。

「Voidfall後、取引所で耳にした程度。でも、この方向に進む以外、手はない。」わたしは淡々と告げる。


 シキとジャズはわずかに顔を見合わせ、やがて頷く。3人は即席の集団となり、闇の路地を歩き始める。

 わたしは内心で、姉人格ラトナの声を待つが、彼女は沈黙している。魂が冷えきったこの身体で、わたしは何を求めているのか。正直、自分でも分からない。だが、歩むしかない。

 天界という幻想、Voidfallの謎、姉を失った痛み、ジャズの失われた記憶、シキの家族喪失。それぞれが空虚を埋めるために前進する。


 極夜の底で、足音が三つ、瓦礫を踏み締めている。ライフルを抱えたジャズは、コールドスリープ前の記憶を思い出そうと懸命になり、シキは天界への扉を探し、わたしは姉への未練と虚無を抱えたまま、セツナを握る。


 こうして、3人は東へと足を進める。何もないかもしれないが、何かあるかもしれない。

 闇夜の廃墟は静かだが、その静寂の裏で、確かに極夜の鼓動が響いている気がした。何者かが遠くから見ているのか、天界の天使が祈りを捧げているのか――わたしには分からない。


 ただ、足音だけが確かな音を刻む。わずかな手掛かりを掴むまで、この破れた世界を歩き続けるしかない。

 極夜の鼓動が、わたしたちの胸元で、ひっそりと息づいている。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ