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ソライロのセカイ  作者: 空波
第一章「黎明なき序曲」
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第1話 「青の刃、赤の視線」

すべてが終わったのは9年前。ヴォイドフォール(Voidfall)と呼ばれる謎の現象が人類をほぼ根絶やしにし、世界は静寂と闇夜に覆われた。それ以来、地上には太陽が昇らない。極夜が続くこの廃墟の都市では、昼も夜も区別がない。ただ永遠の暗黒が横たわるだけだ。


 わたし、サフィアは、その闇の中に立っている。

 周囲には崩れ落ちたビル、ひしゃげた鉄骨、剥がれ落ちたアスファルト。かつて巨大な商業エリアだったらしいが、今は冷たい風が吹き抜け、死臭と錆びた金属の匂いが染み付いている。無数の瓦礫が路面を埋め、走る車も、歩く人も、もういない。


 わたしはフード付きの黒いコートを身にまとい、口元を布で覆っている。視線は硬く、微かな光源として携えているポータブルランプの淡い明かりだけが、路面を辛うじて照らしている。

 右手には一振りのナイフ――「セツナ」。刃は青く、闇夜の中で妖しい光を帯びる。この刃は、とても鋭利で、ふつうの人間が扱うよりはるかに冷静に振るえるのがわたしだ。生まれつき左利きなのに、なぜかこの刃を使うときは右手で扱う。理屈はない。ただ自然とそうなった。


 足元には、二人の男の死体が転がっている。彼らは先刻、わたしに襲いかかってきた。小さな物資袋を奪おうと、わたしを弱そうな少女と思ったのだろう。しかし、一瞬でセツナが喉を裂き、心臓を貫いた。悲鳴を上げる間もなく、男たちは絶命した。


「……」

 感慨はない。わたしは彼らのポケットを探り、役に立ちそうな小銭やツールを回収する。金銭価値は昔ほどないが、それでも闇市で取引する際、多少の交換材料にはなる。人を殺すことに罪悪感は感じない。この世界では「殺らなければ殺される」が鉄則だ。わたしはそれに順応している。


 風が吹き、遠くでコンクリ片が転がる音がする。神も悪魔も、ここでは等しく沈黙している。ときどき噂で、「天使が世界を奪った」とか、「天界が何かをした」という話を耳にするが、真偽は不明だ。わたしには興味もない。空は見えないし、太陽もない。光なき世界で、ただ生き延びるしかないのだから。


 姉がいた。ラトナ・ストリーム。わたしは妹で、姉がいた頃の記憶は断片的だが、確かに彼女はいた。そしてVoidfallで姉は死んだ。ある日を境に、わたしは姉を失った悲しみと絶望を抱え、感情を閉ざした。それ以来、胸の中に「もう一人の姉」が住み着いているような感覚がある。姉の人格がわたしの中に宿っている気がしてならない。赤い瞳を象徴するその人格は、わたしとは正反対に饒舌で、わたしを嘲笑い、ときに励ますような奇妙な存在。もちろん実在しない幻影だろうが、わたしはそれを「ラトナ」と呼び続けている。


「サフィア、血が飛び散ってるわよ。」

 心中で姉人格がくすくす笑う。その声はわたし以外には聞こえない。

 わたしは答えずに、セツナの刃を布で拭う。血を残しておくと匂いで敵を引き寄せかねない。器用な手つきで刃を磨き、鞘に収める。その所作は無感情だ。


 瓦礫の山を降り、わたしは廃ビルの外へ出る。黒いコートを翻し、夜の路地へ足を踏み出す。足音は硬く、遠くまで響くかもしれない。だが、この周辺に隠れる生存者は少ないだろう。ほとんどが食糧や水源を求めて移動しているはずだ。


 しばらく進むと、古い高架道路の残骸が視界に入る。巨大なコンクリ柱が折れ、路面は裂け、かつての看板が斜めに突き刺さっている。わたしはそこで微かな違和感を覚えた。何かが潜んでいる。足音は聴こえないが、感覚が警鐘を鳴らす。


 セツナに手をかけ、注意深く角を曲がる。すると、そこにひっそりと身を潜めている人影があった。長い髪が闇の中で揺れ、その色が奇妙な混色――桃、青、秋色、水色のグラデーションに見える。こんな髪色は普通じゃない。彼女は十代後半くらいか。表情は緊張に満ち、背には四本の刀が奇妙なバランスで収まっている。


 彼女もまた生存者か? わたしが気配を出した途端、彼女――シキと名乗る少女は、はっと振り向いた。その眼差しは警戒心で満ちている。


「……誰?」

 低く尖った問いかけ。わたしはランプを少し高く掲げ、セツナをすぐに抜かないようにしながら答える。

「サフィア。」

「サフィア……?」


 シキは考え込むが、すぐに首を振る。わたしを知らないらしい。情報が極限まで錯綜したこの世界で、名前など大した意味はない。


「こんな場所で何を?」シキはなおも問いかける。

「旅の途中。」わたしは簡潔に言う。正直なところ、旅とは言っても明確な目的があるわけではない。姉を求めるわけでもなく、もう姉は死んでいる。何を探しているか自分でもわからない。ただ、何か「理由」や「意味」を見出せないまま彷徨っているのだ。


 シキは顔をしかめ、周囲を見回す。彼女もまた家族を失っているらしい。わずかな会話から察するに、かつて「天界」という存在を知り、そこへ行く手段を探しているとか。生存者の多くは何かの噂を頼りに動く。天界など実在するのかも不明だが、彼女には支えとなる何かが必要なのだろう。


「ここは危険だ。」わたしは淡々と伝える。「さっきも無法者を始末した。」

 シキの視線が遠くに転がる死体を捉える。彼女は目を細め、「あなたがやったの?」と低く訊く。

「そう。」短く答えると、シキは眉をひそめる。普通の少女なら悲鳴を上げるかもしれないが、この世界で驚きは薄い。むしろ、平然と人を殺すわたしへの警戒を強めたようだ。


「あなた、何者?」

「ただの生存者。問題があるなら、今ここで決着をつけてもいい。」わたしはセツナに軽く触れ、圧をかける。

 シキは息を呑んで、ほんの一瞬構える仕草を見せるが、すぐに力を抜く。


「……この廃墟を抜けるには、一人より二人のほうが安全かもしれないわ。興味はない?」

 奇妙な提案だ。誰かと組むのはリスクがあるが、情報を集めるためには仲間がいたほうがいい場合もある。わたしは彼女を信用していないが、この場で戦う意図もない。あくまで一時的な共闘なら問題ない。


「いいわ。」

 その一言で、わたしたちは脆い同盟を結ぶ。あくまで必要性からの選択であって、友情でも何でもない。

 姉人格ラトナは心中でくすくす笑う。「仲間ごっこ? サフィアらしくないわね。」

 わたしは黙って歩き出す。シキが少し距離を取りながらついてくる。


 かつて都市だった場所を抜け、さらに北へ向かうか、別の道を探すか、案はいくつかある。わたしは定住の意思はない。光なき世界で立ち止まれば、腐った運命に呑まれるだけ。

 シキもたぶん同じだろう。天界を目指すという彼女の目的はよく分からないが、家族を失った痛みが彼女を動かしているらしい。その心情はわたしに理解できなくもない。わたしも姉を失い、痛みを抱えているから。


 生き残りはみな痛みを抱え、何かを失い、何かを求めている。殺人鬼じみたわたしも、零れ落ちた記憶と感情を拾い集めるために足を動かしているのかもしれない。

 赤い瞳のラトナは心中で低く囁く。「行きなさい、サフィア。意味なんてなくても、歩けば何か変わるかもよ。」


 わたしは返事をしない。意味なんてどこにもないと思いながら、それでも刃を握り、廃墟を踏み締める。

 闇しかない世界の中で、わたしとシキは奇妙な二人旅を始めた。道中で何が待つかは分からない。無法者との血塗れの戦い、天界の噂、姉の死に対する疑問――いずれもまだ遠い闇の彼方にある。


 黒い夜風が髪を揺らす。どこからか鉄片が落ちる音がして、コンクリートの谷間に残響する。

 この世界には、確かに光はない。けれど、何かを探す者たちは、まだ動いている。わたしも、シキも。

 そして空の遥か彼方、天界の領域で祈っていた天使がいたことなど、知る由もない。


 わたしはセツナを握り直し、シキが隣を歩く足音を聞きながら、一歩ずつ闇を進む。赤と青が交錯する旅の始まり――それが今、夜の底で静かに幕を上げた。

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