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二歩

「遅い」

 海晴に伝えていた1週間を倍に伸ばして家に到着すると鬼の形相の海晴が仁王立ちしている。思わずその前に正座してしまう。これは日本人の性なのかもしれない。

「いや、ごめん。本当に1週間くらいだと思ったんだよ」

「おれが犯罪者だったらどうす…」

「いや、それはない」

 食い気味の否定に海晴の顔がまた引き攣る。

「そうやって!すぐ人を!信用しない!」

 おお、正座で怒られると迫力が段違いだ、なんて的外れな事を考えた。そしてちゃんと修正したい。

「違うよ、誰でも彼でも信じるわけじゃないよ。海晴だから信じたんだよ」

「そうだとしても!」

 火に油を注いだみたいだ。これは長くなりそう。私の足が限界を迎える前になんとかしなければ。何と言っても日本人の癖に正座に慣れてない。というより、正座に慣れてる日本人なんてこの現代にどれくらい存在してるのだろうか。

 なんて余計なことを考えながら、海晴の私を心配する言葉を浴びつつどうにか海晴の気を逸らせないか考えた。

 そうだ!

 あれの存在を思い出した私はカバンの中から箱を取り出して海晴の前に出す。

「海晴、海晴」

「なに!?おれまだ怒ってる!」

「これ、あのお土産」

 突然の事で海晴の口が止まる。これは作戦成功かもしれない。

「違ったらアレなんだけど、たぶん海晴のお母さんが付けてたのってペリドットだったのかなって思って」

「これ…」

 海晴は指輪を見つめたまま固まっている。作戦はとりあえず成功…?指をゆっくり指輪に這わせて撫でている。その顔は嬉しそうだけど、どこかやっぱり悲しそう。

「海晴?」

「たぶん、これだった」

 変わらずに指輪を撫でながら、海晴が小さな声でつぶやく。

「これ、高かったんじゃないの?」

 ふと我に返ったように海晴の瞳が私を捉える。貰いものだからと言っても「こんな高級な物もらえないよ」と箱ごと私の手に乗せ返してきた。

「私、海晴のために選んだから、海晴にもらってくれないと意味なくなっちゃう。意味ないなら捨てちゃう」

 と箱を持ってゴミ箱に入れようとすると、海晴が慌てて「じゃあ、もらう!そんな勿体ない事しないで!」と箱を奪いとりに来た。

「分かればよろしい」

 と言うと海晴がちょっと笑いながら、「なっちゃん、ありがとう」と言った。

 その様子を見た私は、海晴の機嫌が少し良くなった事を感じ取った。お土産作戦成功!心の中でガッツポーズした。お風呂にでも入ろうと腰を浮かせた瞬間に海晴がキッと睨んでくる。

「なっちゃん、指輪本当にありがとう」

「でもおれはまだ怒ってるからね。そこに座りなさい」

 どうやら作戦は失敗だったみたいだ。

「そもそもお土産で機嫌をとろうなんて、どこぞの奥さんに怒られてる旦那じゃないんだから」

 いい?なっちゃんは警戒心が無さすぎなの。もっと警戒心持って。こんな道端で出会っただけの…

 と海晴の小言が続く中、やっぱり海晴の中の普通は世間と合致している事に気が付いた。

 心のどこかで、海晴なら世間をフラットに見ていてマイノリティをマイノリティとしてではなくひとつの意見として見てくれているのではないか、そう期待していた。

 勝手に期待して、勝手に裏切られた気分になっている。何を落ち込んでいるんだろうか。 随分と自分勝手な考えを持っていた事にまた落ち込む。

 さっきまでちょこっと心が晴れていたのに、また、他人からのたった一言でどんぞこまで落ちている。他人の言葉に左右され過ぎる自分にまた嫌気がさす。

 ここ、どこだっけ。

 心に黒いものが広がり過ぎて視界さえもあやふやになって、何も分からなくなる。消えたい。死にたい。何も、考えたくない。何もかも嫌だ。全部無くなっちゃえばいいのに。

「なっちゃん?」

 遠くで海晴が私を呼ぶ声がする。もう何も考えたくなかった。何でこんなにすべてに落ち込んでいるのか、原因も思い出せない。どうやって這い上がるのかも思い出せない。

「なっちゃん!」

 ガッと海晴が私の両頬をその手に包んで顔を上げさせられる。それが海晴なのはなんとなく分かったけど、どこに海晴がいて今どんな顔しているのか分からなくなっていた。

 こんなにも心が落ち込むのは久しぶりで、どうしたらいいのか分からな過ぎて自分が怖くなる。

 どうすればいい?怖い。海晴、どこ?

「なっちゃん、ゆっくりでいいからおれの事見て?」

 海晴のゆるい話し方が私の耳を撫でる。それがどこか心地よくて、黒いものが広がる心の中で、唯一白い部分を見つけた気がする。

 何とかそれに縋りたい。こんな自分が嫌いだ。助けて欲しい。

「…もっと」

「ん?」

「もっと話して、海晴」

 もっと知りたい、もっと声が聞きたい、もっと見ていたい、もっと、もっと。

 そうしたら自分がここから這い上がれる気がした。確証はまったくもって無いけど、それでも、もっと海晴を感じていたかった。

 海晴の息を飲む音が聞こえてきた。頬から伝わる海晴の体温が心地いい。

 視界がぼやけながら、海晴が少し笑ったのが見えた。いや、正確にそうだったのかは分からないけど。

「なっちゃん、おれねぇあの時会えたのがなっちゃんで良かったなぁって思うんだ?」

「あの時、なっちゃんに会えてなかったら今頃凍え死んでたと思う」

「それは肉体的な話だけじゃなくて、心もね」

「おれね、あの夜全部失ったんだ」

「本当に全部」

「いまは、まだ心が落ち着かないから言えないけど、いつかなっちゃんには知ってもらいたい」

「きっとなっちゃんなら受け入れてくれると思う」

「これはおれの勝手な期待だから、気にしなくて良いんだけど」

 海晴の言葉にどんどん自分が戻っているのを感じた。そして私の頬に雫が垂れたのをキッカケに完全に意識が戻った。私の頬に落ちてきた雫は海晴の涙だった。

「海晴」

「ん?」

「泣かないで?」

 海晴が泣いている、そう思ったら私の体は勝手に、海晴の頬に手を伸ばしていた。海晴はその手をギュッと握った。

 あんなに嫌だった男の人に触れられるのが海晴は嫌じゃない。

 滴り落ちる涙をぬぐうこともせず海晴が泣いているのを、ただ守りたいと思った。

「海晴のタイミングで、海晴が私に話したいって思ったタイミングで私に話して?」

 海晴が握っている私の手にすり寄る。これはきっと「分かった」の証拠。

「きっと私も話すから」

 違う。きっとこれは私が話したいだけ。話して全部を海晴に受け入れて欲しい、そう思っているだけ。これはきっと私のわがまま。

 だけど、海晴も同じ事を思ってる。そう考えただけで心が少しだけ軽くなった気がした。案外、似たもの同士なのかもしれない。


「なっちゃん、この宝石のこと教えて」

 日本に帰って来てから少し経った頃、寝る前に海晴に言われた。

 あの後なんとなく気まずい空気の中、普通にお風呂に入って寝た。次の朝も気まずいかな?と思っていたが、なんのことはなくいつも通りに海晴に叩き起こされた。いつも通り朝ごはんが美味しかった。

 海晴のおかげで特に気まずさを引きずることもなく時間が過ぎた。

「そういえば言ってなかったね」

 海晴はあの日以来ずっとペリドットの指輪をはめている。

「ペリドットはね、実は隕石で宇宙から来た石なんだよ。それを多くの人が研究して今のペリドットがあるの。マグマから出来る場合もあるけど、私は宇宙から来たって話の方が好きかな」

 海晴の指に収まるペリドットがキラキラと反射して綺麗だ。

「それと、大体の宝石は石の主成分とは別の成分の影響で色が変わるんだけど、ペリドットは石の主成分の色でこの色になってる、宝石にしてはちょっと珍しいタイプなんだよ」

 私の石のうんちくを海晴は石を撫でながら聞いている。

「海晴、この石もしかしてお父さんがお母さんに送った?」

 私がいうと海晴の大きな目がさらに大きく開かれる。

「なん、で?」

「このペリドットの石は夫婦円満の石とも言われてるからね。お母さんがつけてたならお父さんが贈り物として渡したのかなって」

 海晴は大きく開いた目のまま石に視線を戻した。そして、ゆっくりと目を元に戻しながら小さく「そっか」と呟いた。

「そうだ、海晴」

「ねぇ、なっちゃん」

 お互いをほとんど同時に呼んだ。視線が絡み合ってなんとなく笑ってしまった。ここ最近同時に話す事が多くなった気がする。

 目線で「お先にどうぞ」と言われた気がしたのでちょっと気になっていたことを言ってみた。

「上手く寝られてる?」

「え?」

 海晴の顔色が出会った時からすぐれないのがずっと気になっていた。私が居るから気を使ってしまって上手く寝られないのかとか、今でも来客用の布団だから寝にくいのかな、とか色々考えた結果、分からないから聞いてみた。

 もちろん分からないなりに対策を講じてみたりした。私がアメリカに行ってる間ゆっくり寝られるのではないか、そう考えてわざと空港に一晩泊まったりしてゆっくり帰ってきたり。

 でも、その効果は見えなくてどんどん顔色が悪くなっているように見える。

「顔色ずっと悪いよ?」

「そう?おれいつもこんな感じだから多分大丈夫だと思うよ」

 それは果たして大丈夫なのか?と思いつつ本人が大丈夫と言うなら大丈夫なのかと自分を納得させた。

 というよりもやっぱり自分の事で手いっぱいなのだ。

 元々気分が落ち込むと持ち直すのに時間の掛かる人間なのに、他の人がいることでまた他の所で気を使って自分のケアに時間を割けない。

 心を常に一定にしてたいのに、別の人の介入によって乱される。自分がどんなに努力しても水の泡になっていく。隠したくても噂が1人歩きしてどんどん広まっていくように。

 過去の光景が頭に浮かんで、心がどろりと黒くなった。思い出したくない、そんな光景。

 私は頭を振って黒いのを追い出した。

「で、海晴はなぁに?」

「いや、そんなに大した事じゃないんだけど、なっちゃんってなんで今のお仕事してるんだろうって思って」

 う〜ん、と考え込んだ。理由がないわけじゃない。ただ上手く言葉に出来る自信がない。今までも理解されたことがないからきっと自分の説明が下手なんだろう。

「…石が好きなんだよね」

 頭を散々悩ませて出てきた言葉はそれだった。

 なんで好きなのかとか説明しようとしたけど上手く言葉を繋げる事が出来ず、口から出てくるのは空気だけだった。

 なんだ、自分の好きな物でさえも上手く言語化することが出来ないのか。

 脳裏をよぎる第二の自分からの言葉。ごもっとも。好きな事くらい上手に説明したい。

 でも、「理解されない」は苦しい。

 その結果が口から空気を出すだけになっているのだ。

「確かに、キラキラしてて綺麗だもんね」

 海晴は自分の指についたペリドットを眺めながら言った。

「うん、そう。でも私は鉱物が好きで…」

「こうぶつ?」

「うん」

 私は見せた方が早いと思っていつもの図鑑を海晴の前で開いた。

「こういうジュエリー加工される前の石の事。こっちの方が…」

 私はここで言葉を止めた。ジュエリーにする前が好き、女性としては珍しがられる。皆ジュエリーが好きだから。

「こっちの方が、何?」

「なっちゃんの世界を教えて」

 海晴が俯いて居た私のことを覗き込みながら言葉を続けた。その顔はすごく優しくて「大丈夫だよ」と言っているような気がした。

「こっちの方が」

「うん」

「変わらない気がして好き」

 一度口から出てしまったら堰が切れたように言葉が次から次へと出てきた。

「宝石とかジュエリーは手に渡った人によって価値が変わる。ある程度の基準はあるにしても、石そのものよりも誰が持っていたのか、誰が身に着けたのかによっても価値が左右される。そして持ってる人の価値観でも価値が変わる。例えば自分からしたらすごい人が持った宝石でも、すごい人を知らない人からしたらただの宝石になり替わる。そうなるとその宝石の価値は大きく下がる。だけど鉱石はその幅が小さい気がするんだ。それはこれからどんな人の手に渡るのか、どんなジュエリーに加工されるのか、まだ分からないから。これからどんな宝石にも、どんなジュエリーにもなれる、価値の変わらない物。だから好き。変わっていくのが常な世間で、それでも変わらない価値を持ち続けることの難しさ、今の人間に求められてるし、皆が必死になってなろうとしてるものなんじゃないかなって。そう考えると鉱物を見てると頑張ろうって思えるんだよね」

 過去一上手く説明出来た気がする。

 それは全部、目の前にいる海晴が適度に頷いて、コロコロと表情を変えながら聞こうとしてくれたから。それがなによりも話しやすくて嬉しかった。

「おれには難しいけど、この子たちが今までのなっちゃんを守ってくれてたんだね」

 海晴はちょうど開いていたチタナイトの鉱物の写真を撫でた。

 撫でるのが癖なのかもしれない、そんなことを考えた。

「そんな大切な話を話してくれてありがとう」

「むしろ聞いてくれてありがとう」

 聞いてもらう事がこんなにも嬉しい事だと思わなかった。理解されなくても、ただ聞いて受け入れてもらうだけでこんなにも心が満たされる物なんだ。今までの自分の人生になかったこと。

 もしかして、海晴と一緒に居たら本当に…

 そこまで考えて頭の中のもう一人の自分が一度思考を止めた。相変わらず私は臆病者のままらしい。

 変わらない事も大切だけど、変わらないといけない事もあるのかもしれない。


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