渡米
「で?」
「でって何ですか?」
「すっとぼけちゃって〜。同居人って何!?」
飛行機に乗って飛び立ってから先輩がワクワクした顔で問いかけてくる。逃げられない所を狙ったな、この人。
「ちょっとトイレ…」
「飛び立つ前にいってたの見たわよ」
「飛行機怖いんで寝ます」
「いつも座ってると寝れないって1時間くらいしか寝てないの知ってるわよ」
「CAさんに用事が…」
「飛び立って2分で?」
もう言い訳は思いつかない。
「諦めなさい」
先輩は勝ち誇った顔をしている。畜生、この人可愛い。
「…先輩が思ってるような人じゃないですよ、本当にただの同居人です」
「でも異性なんでしょ?なにかあるかもしれないじゃない!」
私と海晴が?あり得ない。ないないと首を横に振る。
「え~、早峰さんはそうかもしれないけどお相手さんがどうかは分からないじゃん」
頭を打たれた。
確かに。自分は同性愛者だから、海晴を「ない」に分類しているが、海晴は私を「あり」に分類している可能性はある。自分の性的指向のほうがマイノリティなのだから。
そう考えると中々に酷い事をしている。一度体でも捧げた方がいいかもしれない。
ソレを想像して気持ち悪くなった。この時に嫌でも自分が同性しか愛せない事をありありと突きつけられる。
「ね、どんな人なの?」
先輩は変わらずにキラキラした顔でこちらを見る。その瞬間心がズキズキと痛む。
なぜ、自分の好きな人に勘違いをされて、好きでもない男の話をしなくてはいけないのだろうか。
いや、好きでもないは語弊がある。ちゃんと好きではある。でもそれは先輩が期待をしているような「好き」ではない。
その先輩の期待している「好き」を私が先輩に向けているとは脳裏もよぎらないのだろう。
まず大前提で先輩の中で自分は「ない」に分類されているのが苦しい。そしてどう頑張っても「あり」に分類される未来がない。
慣れた心の痛み。いつも通りにそれとなくやり過ごせば良いだけ。
「…捨て犬みたいな人?」
心の痛みをごまかすみたいに海晴の事を考えて結果出た答えがそれだった。先輩の頭にはてなが浮かんでいるのが見える。
私と海晴の出会いを簡潔に先輩に説明するとこれでもかと目が開かれる。
「怪しさ満点過ぎでしょ!なんで家に入れちゃったの!?」
「なんで…なんでですかね?」
きっとこの答えは自分の中にある。でも認めちゃいけない部分だから分からない振りをする。
「一目ぼれなんじゃないの~」
先輩の顔がにやにやしている。確かに海晴は一般的に見たらイケメンと呼ばれる分類にいるのだろう。だけど、私は海晴の顔に何か感情を抱く事はない。
「ないですよ」
半笑いで先輩からの攻撃を躱す。
まともに食らってたら泣き出しかねない。ズキズキと悲鳴をあげる心臓を必死に隠した。スタートラインにも立たせてもらえない。
自分が海晴を好きになれれば、この苦しさからも解放されるのだろうか。
自分が海晴を好きになれれば、この不幸から逃げられるのだろうか。
自分が海晴を好きになれれば、海晴の悲しそうな顔を晴らしてあげられるのだろうか。
自分が海晴を好きになれれば……全部、全部上手くいくのだろうか。
全部の答えは、否だ。絶対に不可能。そもそも、前提をクリアすることが不可能なのだから、全部が不可能なのだ。結局やっぱり自分は同性しか、今は先輩のことしか愛することしか出来ない。
かといってこの心内を先輩に打ち明ける日が来るのか。その答えも否だ。もう、自分のする恋愛に自信がなくなった。それに先輩に自分の気持ちを打ち明けた所で結果は見えている。そんな勝てない勝負をするほど自分は強くない。
中学の時に嫌というほど思い知った。自分はマイノリティなんだって。下手にカミングアウトして自爆するくらいなら諦めた方がいい。
元々気分が落ち込んでいたのに、自分の中学時代を思い出して更に心に黒いものが広がっていくのを感じた。一度黒い中に落ちてしまうと中々這い上がってこれないのが自分の悪い所、というのは自覚しているが這い上がれないものはしかたない。飛行機に乗っている間中ずっと、自分を殺したくてたまらなくなっていた。
人間とは少し単純なもので、アメリカに到着して太陽の光を浴びると少しは気分が回復した。とはいっても5%くらいのテンションだったものが15%程度になったくらい。大差ない。
「そういえば、今回あんまり買う気ないっていってましたけど、何狙いなんですか?」
大抵、海外にいくときは急を要する物でない限り、大きな展示会等がある時にいくことが多い。今回アメリカでそういった物が開催されているという話は聞いていない。
「よくぞ聞いてくれました!」
先輩はニコニコの笑顔でこちらを振り返りながら言った。その笑顔にまた心臓が音を立てたのは聞かなかったことにする。
「今回狙ってるのは~、すなわち!!」
先輩はかなり上機嫌なのか今にも踊り出しそうだ。
「レッドベリル!!」
小躍りの先輩を眺めているといきなりビシッっと指さされた。思わずビックリする。
「…え?レッドベリルですか?」
アメリカ、ユタ州の限られた鉱山でしか発見されず、更に現代ではもうその鉱山のほとんどが閉山してしまっている。ダイヤモンドよりも高価で取引される。
「え!?レッドベリル!?なんでですか!?」
脳内の辞典を開いて驚愕する。ほとんど手に入ることのない代物、という認識をしている。
「お得意さんがね、どうしてもレッドベリルが欲しいらしいんだ」
聞く所によると幼い頃に一度だけ旅行中にレッドベリルを見て、心を奪われたらしい。名前を幼いながらに書きとめて、大人になったら買おう、と必死にお金を溜めていたらしい。
「今はもう70才くらいの方なんだけどね、何年掛かってもいいから欲しいんだって」
「はぁ…」
すごい人もいるものだ。たった一度しか見てないのに心奪われてそれをひたすらに追いかけている。自分にはないキラキラした情熱を感じてちょっとテンションが下がる。
「だから、先輩はよくアメリカに行ってるんですか?」
「そうだね、あんな熱弁されちゃぁねぇ。何とかしてあげたいって思うもんよ」
ことあるごとにアメリカに行っていたのも、先輩に渡米仕事が集まるのもそれがキッカケらしい。
「ん?ユタ州ってことは乗り継ぎですか?」
「そうだよ。探すのに3日、帰りにトルマリンも見て帰りたいからカルフォルニアにも寄るよ」
私は心から海晴に謝った。
ごめん、事前に聞かなかった私が悪い。1週間で帰れそうにないや。
ユタ州に着いてから丸3日、探し回った結果の成果はゼロ。先輩もかなり長期間探し回っているらしいがタイミングが合わなかったり見つけられていないのだ。3日だけで見つかるわけない。
「やっぱりないかぁ」
「でも有益そうな情報は手に入りましたね」
「あ~、あれね」
そう、ここ最近ユタ州の中でレッドベリルを取引している人がいる、という情報を得たのだ。
とはいえその情報が本当かどうかも分からない。そこで取引されているレッドベリルが本物かどうかも分からない。どんな人が取引しているかも分からない。
ほとんど何の情報もないような状況で、それだけを頼りに探し回るのは骨が折れる。この3日間でできる限り探して見たが、それ以上の情報は何も得られなかった。
「偽物な気がするんだよなぁ」
先輩が青空を仰ぎながらつぶやく。先輩の嗅覚は鋭い。そんな人が偽物っぽいと言っているのだ。きっとそうなのだろう。
でも、喉元を流れる先輩の汗が、たった数%の望みを必死に追いかけているのが伝わる。
そんな先輩をカッコいいと思った。たった1人の叶うかも分からない、本当に小さな願いをこんなにも大切にしているのだ。そんな所が好きだった。
この人なら、世界の中で小さい、本当に小さい自分の存在さえも大切にしてくれるんじゃないか、そんな小さな望み。
「ごめんね!見つかりもしない物探しに付き合わせて」
手に持っていたアイスコーヒーをズズッと飲み干して小さく笑った。その顔がなんだか海晴が家族の話をする時の顔に重なって見えた。
悲しいだけじゃない、複雑な感情の重なり。
「よし、カリフォルニアに行ってトルマリン見て帰ろ!出来る限り珍しい物をご所望だよ!」
「珍しい…ってアバウトですね…」
「そんなもんさ!」
先輩が豪快に笑う。さっきまでも複雑な感情は見えない。
羨ましいと思う。私にはそんな気持ちの切り替え方は出来ない。今でも行きの飛行機の気分を引きずってるのだ。3日も経ったのに。やっぱり日本に帰ったら遺書を書いて居なくなろう。
カリフォルニアでは無事にバイカラーのトルマリンを見つけた。レッドベリルほどではないがこれもなかなかに希少なもの。
「ナツキ」
先輩がお店の人と話し込んでいて、とても入り込めそうな内容ではなかったので店の中をフラフラしているとさっきまで先輩と話していた人の1人が話しかけてきた。
「はい?」
「バイカラーのトルマリンを買い付けてくれたお礼にひとつ小さい物をあげるよ。まあオマケみたいなもんだ。カナコが君に選んで欲しいって」
あんまり高いものはダメだけどね、とウィンクしながら言われた。気さくな良い人だ。この間のミャンマーの時とは大違い。
オマケが貰えることは会社の人たちから聞いていた。けど実際自分が貰うことになるのは初めてだった。どのくらいの物ならいいのか相場が分からない。
とりあえず私はグルっとお店を見て回る事にした。
ここのお店は、原石の調達、ジュエリー加工、販売まで行なっている先輩お得意のお店。らしい。見た目はほとんどジュエリーショップなのだが先輩はどうやって見つけたのだろうか。不思議に思いながら見て回る。
やっぱりお店にはジュエリーしかない。正直、私はあまりジュエリーに興味はない。どちらかというと鉱物の方が好きだ。
鉱物はないかさっきの人に聞いてみようとした時に、それを見つけた。
淡い緑に光る、ペリドット。
これだ。なんで思い出せなかったんだろう。こんな定番中の定番の石。
脳裏に海晴の複雑そうに笑う顔が浮かぶ。これを見たら海晴の顔が少し晴れるかもしれない。
私は急いでさっきの人に声を掛け、良い感じの物を選んで貰った。
オマケで貰えるくらいで、ペリドットの石がついている、男性用の指輪。
本当は母親が付けていたらしいから女性用の方が良いかと思ったが、なんとなく海晴に付けて欲しいと思って男性用にしてもらった。
「それ、同居人にあげるの?」
帰りの飛行機の中で先輩に聞かれた。お店で何も言われなかったから回避出来たと思ったんだけどな。
「母親がペリドットの指輪を付けてたらしくて。あげようかなって」
「自分の分じゃなくて良かったの?」
「元々ジュエリーより鉱物の方が好きなので」
鉱物を貰うのはなんだか気が引けた。けどきっとそれ以上に私が海晴に心の底から笑顔になって欲しかったんだと思う。
「やっぱり早峰さんって優しいね」
「え?」
「普通、ただの同居人に宝石あげないよ。しかも道端で出会っただけの人」
怪しさ満点だし、と少し頬を膨らませながら言う。「私の可愛い後輩になにかしたら絶対に許さないんだから!」らしい。
「どうして早峰さんはその人に尽くしてあげるの?」
「どうして…」
私の脳に残る「おれにおねーさんを助けさせてよ」という海晴の顔。そっちが死にそうな顔してるくせに何言ってるんだろう、と今になるとそう思う。でも、どこかでそれが海晴の本当の願いだったんじゃないか、とも思う。
拾われたかったわけでもない。飼われたかったわけでもない。助けて欲しかったわけでもない。
多分、誰かを助けたかった。
それをしてどうしたかったのかは私には分からない。
「たぶん……」
私の回答に先輩は少し目を見開いた後にゆっくり微笑んだ。
「じゃあ、早峰さんにとって大切な人だね」
「…そうかもしれないです」
大切な人を縛り付けてていいんだろうか。
行きの飛行機で先輩に言われた事が脳裏にこびり付いている。
「え~、早峰さんはそうかもしれないけどお相手さんがどうかは分からないじゃん」
まったくもってその通り。海晴はどう思っているのか。そう考えるだけで胃がキリキリと痛む。その痛みのせいで飛行機で一睡も出来なかった。