一歩
「来週ですか?」
「そ、来週の火曜日の飛行機」
今日は水曜日。いつもながら急なんだよなぁ、なんて思いながら特に予定もないので先輩の言葉に「大丈夫です」と言いながら頷く。
「あ」
「ん?」
「いえ、同居人に言わないとって思って」
今までは1人で生活していたから勝手に海外に行って勝手に帰って来ていたが、海晴が居る以上そんなことは出来ない。仮にもあの家の持ち主は自分なのだ。
「同居人!?いつの間に!?」
先輩の目が飛び出しそうなほど見開いた。失敗したかもしれない。余計なことを口滑らせた。
「どういう経緯なの?」
先輩が声をひそめて聞いてくる。きっと彼氏と勘違いされている。もう先輩の顔に「面白そう!興味津々!」と書いてあるのがありありと分かる。
「先輩が想像してるような人じゃないですよ」
「そんなこと言ってぇ!」
そんな関係になりたいのは先輩ですよと口が滑りそうになるのをグッと堪えた。そう思われている事なんて先輩は知る由もない。
「まぁいいや、来週じっくり聞くから」
よろしく〜と先輩は自分のデスクに戻っていった。
私が海晴を家に受け入れた理由。それは絶対に恋愛に発展しないと自信があったから。
自覚したのは小学生の時。周りに居る女の子が誰々くんがカッコいいと言っているのが理解できなかった。共感出来なかった。異性との恋バナに付いていけなかった。その時はまだ自分が恋愛をしたことがないから分からないのだと思っていた。
異性である男子をカッコいいと思ったり、手が触れあって心臓が動いたりとか。
でも、一番仲の良かった女の子が笑顔で話し掛けてくれた時、私の心臓は大きく動いた。直感で好きだと思った。そのあとはどうしたらいいのか分からなかったから何もしなかったけど、そのあとももっと笑顔が見たいと思う相手はいつも女の子だった。
これがマイノリティであることに気が付いたのは中学の時。思わず友達に口を滑らせたのだ。女の子が好きだと。そうしたら、女の子からは自分が私の性的対象であることに恐怖を抱いて皆私を避けるようになった。男の子からは、シンプルに「理解できないヤツ」という目で見られた。
昔は今ほど同性愛に理解がなかった。この中学での出来事がどれほど私の心に傷を付けたか。「自分は周りと同じ人間じゃない」そう思って苦しんだ。苦しんだ結果「普通の人」になろうと努力した。男の人と付き合ってみたりもした。男性アイドルを応援してみたりした。
でもやっぱり上手くいかなかった。
どこかで自分に嘘を付いている感覚。どこかで相手を騙している感覚。
結局、大人になった今自分の気持ちを隠して生活するのが一番いい所に落ち着いた。誰にも話していない。家族にも。
だから実家にも帰らない。どうせ帰ったところで、結婚だの子供だのの話をされるだけ。
でも、海晴には?
ふと脳裏をよぎる、海晴のフラットさ。彼ならきっとすんなり私を受け入れてくれるだろう。
「へぇ、そうなの?」
きっとそれだけしか言わない。
言ってみようかと思ったがそれまで。それで散々失敗をしてきた私は心がストップを掛けた。
聞かれてもいないなら言わなくていい。そういう関係性だ。
「ただいま」
「おかえり~、手洗いなよ~」
相変わらず母親みたいなことを言う。でもどこか嫌じゃない。
誰かが家に居て帰ると家に明かりがついているのは、こんなにも幸せなことだったのかと遠いどこかに捨ててきた気持ちを海晴は思い出させてくれた。
「今日の夜ごはん何?」
「今日はねぇ、チキンのホイル焼きだよ」
…こいつは何でこんなに女子力が高いんだ。女として負けてる気がする。
「海晴って何でそんなに家事出来んの?」
「え?」
私だって一通りの家事は出来る。伊達に1人暮らししていない。でも、他の人の家に行ってすぐに家事が出来るかと聞かれたら無理だ。絶対しばらく戸惑う。
なのに、こいつは物の場所を教えただけでどの家事もサラッとこなしてる。
「あ~、おれ片親でやらなきゃだったんだよね」
「え?」
今度は私が聞き返す番だ。
そりゃそうか。親が居なきゃ海晴は生まれないんだから当然の事なのだが何故か頭からその事実が抜け落ちていた。
「親…居たんだ…」
「そりゃ居たよ」
海晴の顔に笑顔が咲く。でもどこかちょっと悲しそうで、今どこで何をしているのか、なんで片親になったのか、いくつくらいの人なのか、なんで過去形なのか、聞けなかった。
こういった類の話は難しい。私みたいに何も問題がない人間からしたらなんてことない話かもしれないが、海晴みたいに片親の場合、多くがその話は地雷だったりする。
現に海晴はそこから先の話をしない。
片親だったり、家族関係になにか問題があっても、本人が気にしていない時は自分から続きを話してくれる。話そうとしないのであれば無理に聞き出す必要はない。
私は、残りの夜ごはんをかき込んだ。今日の食事も私1人だけだった。
「あ、来週からアメリカ行ってくる」
食後のデザートの海晴お手製アイスをほおばってるときに思い出した。
「あめりか…?なんで?」
海晴の頭の上にはてながたくさん浮かぶ。
「お仕事~、狙う物とか量とかによると思うけど1週間以内には帰ってくると思うよ」
「え、その間おれこの家に1人!?」
「え、うん」
そりゃそうだろう。海晴は別の家にでも帰るつもりだったのだろうか?
ため息を深く吐きながら頭を抱えた海晴がジトッとした目でこちらを見てくる。
「な、なに…?」
「なっちゃんさぁ…」
ゆらりと揺れながら海晴が立ち上がる。顔は見えない。なに…?
「不用心すぎる!」
私のことを指さしながら、鼓膜が破れそうなほどの大声で言われる。
「おれがいうのは違うとは思ってるけど!あまりにも警戒心がなさすぎ!おれがもしここにあるもの盗んで居なくなったらどうするの!」
私は部屋の中を見回した。そしてアメリカに持っていく物も頭の中で思い浮かべる。
「別に、盗られて困るものないし」
うん、貴重品とかは持っていくし無くなって困るものはない。それに盗られたらまた買えばいい。
そこまで伝えると海晴はまた頭を抱えなおした。
「それに、海晴はそんなことするような人間じゃないでしょ?」
1週間近く一緒に住んで分かった。この人はとんでもなく優しい、そして律儀。貸したお金は次の日には返された。そのあともちゃんと家賃の計算、食費の計算、そのほか諸々。海晴はきっちりしていた。むしろ、私が忘れているような経費も海晴が計算してくれた。
元々勤めていた会社にも連絡が取れて、来週からまた働き始めるらしい。家探しも開始したらしい。
こんなにきっちりした人が盗み?ないない。
「私なりに海晴を見て、ちゃんと考えた上で、この家を海晴に任せるよ」
「…そんなこと言われたら期待に答えるしかないじゃん…」
そう言ってくれると思っていた。「もぉ~~」とまた頭を抱えている。賑やかな人だ。
「そういえば、なっちゃんって何の仕事してるの?」
お互いのテリトリーに踏み込まないようにしていたら、お互いの事を何も知らないまま1週間が過ぎていたらしい。「宝石商が一番近いかな?」と伝えると、「ホウセキショウって何?」と斜め上の回答が返ってきた。
「簡単に言うと、海外から宝石を仕入れて処理を行なってからジュエリーショップに卸す仕事かな?」
「え、じゃあ宝石を買ってるの?」
「まぁ、そういうことになるかなぁ」
そういえば今度のアメリカで何を買い付けにいくのかは聞かされなかったな。明日にでも先輩に聞いてみよう。
「アメリカで買うってことは…なっちゃん英語喋れるの!?」
「まぁ、ビジネスで困らない程度には」
海晴の目がどんどん開かれていく。そして、ふにゃふにゃの笑顔で「なっちゃんはすごいね、何でも出来るんだ」と言った。
「何でもなんか出来ないよ。もっとすごい人はいくらでもいるし、私なんてまだまだ何も出来ないよ」
海晴の方がよっぽど何でも出来る。少しその器用さを分けて欲しいくらいだ。私は頭が固いから机にかじりついて勉強するしか出来ない。
海晴はきっと逆。何でも感覚で覚えちゃう、天才肌気質。私が喉から手が出るほど欲しかったもの。
「でも、なっちゃん…」
「だからと言って燻ってるつもりもないよ。もっとすごい人がいるなら私だって努力次第でどうにでも出来るはず」
今までの人生だってそうしてきた。ずっと上を見続けるのはしんどいけど、でも上を見ていないと死にそうだった。
そうした結果、自分に自信なんか何もないのに妙に向上心だけが強い変なヤツが完成してしまった。
「…なっちゃんはすごいね」
「そう?そんなことないよ」
得たものも、もちろんあるんだろうけど失ったもののほうが断然多い。自分の事に夢中になり過ぎて人間関係を疎かにした結果が、現在誰も近寄ってこない、家族も離れていった悲しき孤独成人だ。これじゃきっと幸せになんかなれない。もうとっくの昔に諦めているからいいのだが。
そもそも自分の恋愛対象を自覚した時から「一般的な幸せ」を手に入れることは諦めないといけなかった。しょうがない。中学生の時に好きだった子に言われた言葉が耳に反芻して心臓が痛くなった。
「なっちゃんは…」
「ん?」
海晴はじっと私の目を見つめた後にちょっと笑って「何でもない」と言った。気になる話の切り方をされたが海晴は「お風呂行ってくる〜」と言って洗面所に消えてしまった。きっと大した事なかったのだろう。ちょっと気になるけど。
ベッドに潜り込んでからいつもの本に手を伸ばす。この時間は小説じゃなくてお気に入りの鉱石の辞典を開くようにしている。
「それ、いつも読んでるよね」
私のベッドと川の字で来客用の布団を引いて下で寝ている海晴が、上半身を軽く持ち上げながら話しかけてくる。
「うん、商売の関係上知識があるに越したことはないからね」
「勉強熱心だ」
海晴の方を見るとニコニコしながらこちらを見ている。きっと本心。
「ね、その本おれも読んでいい?」
「いいけど、新しいの買ってこようか?」
何度も読み直したせいで表表紙の所々が擦れて印刷が禿げている。本の中身もたくさんの付箋と書き込みでボロボロ。誰かに読ませられる状態じゃない。
「ううん、なっちゃんの努力が見たいからそのままでいい」
いつの間にか海晴は布団の上で胡坐を掻いて読む気満々。
仕方なく私はその状態の本を海晴に差し出した。
海晴はそのまま辞典を読み始めた。まだ寝るには少し早い時間で、することもないので仰向けで誰かから連絡が来るわけでもない携帯を見た。1ヶ月で数回程度しか開くことのないSNSを開いてみる。
大学時代に友達に言われて渋々始めたSNS。誰とどこに行った、彼氏と何した、など私には興味がない。第三者に「楽しそう」「幸せそう」そう認定してもらわないと実感できない人達の集まり。そう思ってる。
そんな事しなくても私は幸せだと思っている半面、どこか寂しさがある自分に目をつむる。
きっと認めてしまえば楽になるんだろうけど、認め方も忘れてしまったし、誰に認めて貰うのかも忘れた。
結局嫌な気持ちになってSNSを閉じた。やっぱり私には向いてないらしい。
海晴の方をちらりと見るとこっちを凝視している。
「な、なに?」
「ねぇ、なっちゃん。なっちゃんなら分かるかもしれない」
若干期待が籠ったキラキラの瞳をこちらに向ける。
「何が?」
「緑の宝石ってある?」
何を急に言い出すのかと思えば、そんなことだった。
「緑?たくさんあるよ。エメラルドとか。ガーネットにも緑があったな。サファイアにもあるよ」
「ん~、なんか薄い色で、緑と言えば緑なんだけど、みたいな」
「プレナイトかな?」
「ううん、そんな名前じゃなかった。何かもっとポップな感じ」
ポップな名前の緑の石…?
頭の中にはてなマークが浮かんでは消える。
「なんで緑の石?」
思った疑問を素直にぶつけると海晴はちょっと悲しそうな顔をしながら
「お母さんがその石の指輪を大切に付けてたんだよね」
「指輪か…指輪に加工なら、どの石でもやりやすいからなぁ」
考えても思いつかない。きっとど忘れしている。自分の中にもなにかそんな石あった気がする、と引っ掛かっている。
「思い出したら教えるよ」
「ありがと、なっちゃん」
海晴の親の話が気になったけど何も言わなかった。さっきといい今といい、親の話をすると海晴の顔が少し曇る。
単に悲しいだけじゃない。なにかもっと複雑な感情、そんな気がする。