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行きたくない

 私の仕事は宝石商。とはいっても先輩たちみたいに顧客がいて、売りさばいて、とかじゃない。まだまだ新人のぺーぺー。

 実際に最近まで先輩の後ろをちょこちょことついて回っていたのだ。なのに、急に先日

「1人でミャンマーに行ってルビー仕入れてきて」

 そう言われたのだ。海外への買い付けは先輩と一緒に行ったことがあったのでなんの問題も無かった。ただ、1人は不安でしかない。

 宝石の交渉方法も、良い物の見極めも出来る自信がなかったのだ。

 案の定、人工石を高額で買ってしまった。いや、正しくは買わされた。発展途上国ゆえに英語が通じなかったのだ。いくらこれは偽物、買わないと言っても相手にしてくれない。長時間拘束され、分からないミャンマー語をずっと話され、限界だった。

 一昨日、日本に帰って来てからもずっと気持ちは落ち込んだままだった。なんて使えない後輩なのだろう。先輩はあんなに教えてくれて、良くしてくれていたのに。教えてもらったことをなにも生かせず、偽物を買って帰ってきた後輩をどう思うのだろう。

 幸いなことに日本に帰って来てからまだ先輩には会っていない。昨日、先輩は休みだったのだ。だけど、今日は居る。

 そんなに逃げたくても報告はしなくちゃ行けないし、怒られなくちゃいけない。

 そもそも、まだなんにも分かって居ない、この業界に足を踏み入れて1年しか経っていない人間を何故海外に1人送り込んだのか。いまだに会社の意図が分からずに居た。

 もしかして、入る会社を間違えたのかもしれない。いや、もっと根本的な所。入る業界を間違えたのかもしれない。

 電車の中でそんなことを思いながら泣きそうになった。私は人生をどれほど間違えれば気が済むのだろうか。

 一昨日からずっとこんなテンションだ。楽しい仕事だったはずなのにひとつのミスで死にたくなってる。逃げたくなってる。

 私の悪い癖。絶対生きにくくなってる完璧主義。「まあいっか」くらいの気持ちで生きていた方が絶対生きやすいのは分かってる。分かっちゃいるが、人間はそんな簡単に性格を変えられない。

 毎日が苦しい。呼吸の仕方を忘れる。完璧じゃない自分に価値がない、そうとまで思う。

「おはようございます」

 足取りは重いまま会社に到着して、自分のデスクに着席する。

 幸いにもまだ先輩は来ていない。このまま休みだったりしないかな。急にお腹痛くなったりしないかな。電車遅延したりしないかな。もういっそのこと私がミャンマー行ったこと忘れてたりしないかな。あぁ、やっぱり会社休めば良かった。緊張のせいで吐きそうだ。

「おはよーございます」

 私の願いも虚しく、私が到着したすぐ後に先輩が会社に到着した。

 顔が上げられない。心臓が口から飛び出そうだ。さっさと終わってくれ。そう願うしかなかった。あぁ、透明人間になりたい。

「早峰さん、おはよう」

「おはようございます…」

 蚊の鳴く声とはこのくらいなのだろう、そう思うくらい小さい声で挨拶を返した。

「始業早々に小会議室で大丈夫?」

「はい…」

 あぁ、そこで処刑されるのだ。明日から来なくて良いよなんて言われるのだろうか。もう泣きそうだ。


「さて、成果を聞かせて?」

 8人くらいが入れそうな会議室。私の対面に座るのは、指導係の山下加奈子さん。髪をひとつにまとめてきっちりしているように見える。でも蓋を開けるとすごく優しくて質問したら分かるまで教えてくれる。

 社会人になってそこまでしてくれる先輩はあまりいないんじゃないかなと自分の中の勝手なイメージがあったのをいい意味で崩してくれた。

 この人の期待を裏切る行為を私はしてしまったのだ。消えたい。言葉が上手く紡げない。逃げ出したい。心臓が口から飛び出しそうだ。そんなことはあり得ないのだが、代わりに目から涙が溢れそうだ。

「あ、あの…」

 何とか絞りだした声は情けなく振るえて、湿り気を含んでる。先輩の顔が見られない。

 先輩は私が話すのをじっと待っている。見つめられてるのが分かる。視線が刺さっている。もう何もかもが苦しい。さっさと終わらせてしまおう。

「あ、あの…じん」

「うん」

「人工石…を…」

「うん」

「この値段で…」

 そういって私は手に持っていた自分が仕入れてきた石と領収所を先輩の前に置いた。その時の手は相変わらず情けなく震えている。

「仕入れて…来て…しまいました…」

 言い切った。報告はこれで終わり。あとはお叱りを受けるだけ。減給?弁償?しばらく無給になる?クビ…??最悪な結果しか頭に浮かばない。

 先輩は石をじっと見つめて、領収書をじっと見つめてを3回ほど繰り返した。

 そして、石を私の前に戻した。

「これが何で人工石だと思った?」

「え?」

 一発目にお叱りが飛んで来ると思っていた私には予想外の言葉で思わず顔を上げた。

 目に入った先輩の顔に怒りは無さそうに見えた。それだけでなく私の答えを促すように優しく首を傾げている。

「あ、えっと、まずカットが左右対称な事が気になって、疑い初めて、ルーペで、確認した所、曲線が見つかって、気泡が、見つからなかったので、ほとんど確定で、偽物かと…」

 もう、しどろもどろな所では済まされない位、口が上手く回ってくれない。ここまで分かっていてなぜ偽物を買ったのか。自分で自分に嫌気が差す。自分の失態を確認してまた顔が上げられない。

「どうしてそれなのに買ったの?」

 あぁ、来た。もう何を言っても言い訳にしかならない。

 そういえば私はこの失態を謝っただろうか。まずするべき事は質問の回答でもなんでもなくて謝罪じゃないだろうか。

 そう思ったら私は席を立ち上がってテーブルに頭をぶつけるくらい下げた。

「あ、あの!申し訳ありませんでした!!!」

 全身が震える。ミャンマーで今回の石を買わされた時並みに怖い。

「え?」

「偽物と分かっていたのにも関わらず、この石を高額で買い付けてしまって…」

 更に思い出したことがある。この石は客に頼まれた物なのだ。うちの大切な顧客。うちを贔屓にしてくださってる方からの注文。

 それなのに私は…

「あははははは!!!」

 会議室に先輩の豪快な笑い声が響く。え?

「待って、ごめんごめん。それで震えてたの?」

 あ〜お腹痛いと先輩が笑い転げている。何がなんだか…

「今回1人で行かせたのは海外市場の怖さを体験してもらうため。それと市場がいまどんな状態なのかを見てもらうって言うのがメインで、ちゃんと正しく買い付けしてくる必要なかったよ」

「え?」

 今の私にはきょとんが一番正しい効果音だろう。いまだに先輩からの言葉が呑み込めない。

「まぁ、あとちゃんと1人で買い付けできるか、順番というかそういうのがちゃんと出来るのか、っていう試験的な?そんな感じだよ」

「え?でも顧客様がいるって…」

「ミャンマー産のルビーなんて在庫にいくらでもあるよ~」

 相変わらず先輩はケラケラと笑っている。

「まぁ、でもミャンマーで相当怖い思いをしてきたみたいだね。聞かせて?」

 私はイマイチ掴めずに居たが聞かせて?と言われてしまったので答えるしかない。体の震えは止まってくれたし、恐怖は無くなったが、今度は混乱が脳内を占めている。

 ミャンマーでの出来事を出来るだけ詳細に説明した。

「あ~、英語が通じなかったかぁ。というか悪徳商法だね。発展途上国によくあるやり口。気を付けてもどうしようもないこともよくあるし、早々に経験出来たってことでよかったよ」

 先輩は1人で、うんうん、と頷いている。

「あ、あの…」

 私はいまだに混乱中。

「うん?」

「社長とかに怒られないんですか?」

 もはや純粋な疑問だった。偽物をとんでもない金額で買ってきたのだ。私が人生で見たことない位の桁数だった。

 私が聞くと先輩はまた笑い出した。

「怒らないよ!そもそも社長が、行かせて失敗して来い!って言ったんだから」

「え?」

「むしろ、悪徳商法まがいな事されてこの金額で収まったなら、よくやった!って言われる位だよ」

「…え?」

 もう何がなんだかよくわからなかった。分かったのは社長にも先輩にも騙されたってこと。そしてここまでおびえる必要がなかったってこと。

「この業界はね、失敗してなんぼなの。価値を見誤る事も悪徳商法に引っ掛かることも、いくつも失敗して学んで行くの。なんて言ったって石の価値は売る人が決めるからね。こういう人は騙してくる、こういう人はもう少し言ったら安くしてくれる、そういった嗅覚を持つことがすごく大事。その嗅覚は失敗からどんどん強化されていくのよ」

「…嗅覚…」

「そう、うちの社長はそういうのをちゃんと本人が感じないと意味がないって考える人だから今回1人で行かせたの。ま!うちの会社の新人の通過儀礼みたいなもんよ!」

 私なんてねぇ、買ってこいって言われた石は間違えるわ、高額で買ってくるわ、帰りの飛行機間違えるわで散々だったんだよ〜なんてまたケラケラと笑っている。

「その点、早峰さんは言われた石ちゃんと買ってきてるし、偽物って分かってるし、ちゃんと帰ってきてるし、すごいよ!」

「はぁ…」

 何も実感が湧かない。ただ、全身から力が抜けた。あんなに落ち込んでいたのは何だったのか。テーブルに顔を突っ伏した。

 先輩は「よしよし、よく頑張った〜」と言ってくれる。不覚にも心が高鳴ったのを心の奥底に閉じ込めた。

 そこからはミャンマーに行く前と同じ業務。時折先輩方がやってきて「初めてのおつかい優秀だったらしいじゃん!?」と声を掛けてくれる。先輩方は自分の「初めてのおつかい」について語ってくれたがどれもこれもすごい話だらけだった。そう思うと自分がいかに優秀だったのか分かる。

 しまいには社長まで来て「優秀な社員が入ってくれて誇り高いよ」とまで言われた。まさかこんなことになるとは。今朝の自分に聞かせてあげたい。

「おつかれさまでした」

「お疲れ~」

 行きとは正反対に足取り軽く、さらには定時に帰ることが出来た。


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