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オムライス

 けたたましいアラームの音と一緒にバイブレーションの音も聞こえて最悪の朝になった。ほとんど毎朝の事だけど。のそりという効果音が合いそうなほどゆっくり上体を起こした。

「…行きたくない」

 口から漏れ出たのは心の底からの本音。どんな顔をして会社に行けばいいのだろう。昨日会社でとんでもないミスをした。それについて今日言及される。こっぴどく怒られるのが目に見えているのに「行きたい」と思う人はきっとこの世の中どこを探しても見つからないだろう。

「起きたの。おはよ」

「え!?」

 二度寝でもしようと半分くらい決めて枕を見つめていたのにいきなり声が聞こえる。誰!?と思ってその方向を見て瞬時に思い出す。

「え~、もうおれのこと忘れちゃったの?」

「いや、覚えてる、ます…」

 昨日から家にいることになった海晴の存在を寝ぼけていた頭は排除していたらしいが、ちゃんと思い出したことは褒めたいと思う。

「勝手にキッチン借りちゃったよ?」

「え?」

「朝ごはん!作ったから食べて」

 頭がようやく覚醒してくれば確かにキッチンが稼働した気配が少しだけ感じられる。普段、まったく稼働させずせいぜいお湯を沸かすかレンジでチンをするしか使わなかったのに。

「というか、冷蔵庫の中何にもなかったんだけど、どうやって生活してたの?」

「えっと、コンビニ…?」

 世の中には便利な物がたくさんあるのだ。お金ですべては解決出来る。

 海晴が盛大にため息を付く。そしてズカズカと私に近づいて来て腕を掴んだ。

「ほら、さっさと起きて!ご飯食べて!仕事行くんでしょ?」

「んあ~、行きたくないよ~」

「それはみんな一緒!はい、顔洗って!」

 いつの間に彼は私のお母さんになったのだろうか。それに昨日知り合ったばかりなのに自分がかなり甘えている事にも驚いている。

 寝起きでイマイチ頭が働いていない、というだけじゃない。きっと彼の天性の物。見た目はヒモみたいで、犬みたいなのに、お母さんみたいな包容力にのんびりした喋り方。すべてが甘えたくなる。

 洗面所で身支度を整え部屋に戻るとひとつしかないローテーブルに白米とお味噌汁、生卵というシンプルな朝ごはんが並ぶ。作ってくれたのは有り難いがあまり朝は食べる方じゃない。食べきれるだろうか。

「…いただきます」

「ど~ぞ~」

 キッチンで洗い物をしている海晴にも聞こえるようにいただきますをして、とりあえず軽めのお味噌汁からいただく。これはストックしてあったはず。いつ買ったのか覚えてないけど。

 海外に飛ぶことが多いせいなのかお味噌汁を飲むと安心する。その時にいつも自分って日本人なんだなぁと実感する。

 今もじんわりと寝起きの体にお味噌汁が染みわたる。日本人だぁ。

「どう?おいしい?」

 洗い物を終わらせたであろう海晴がローテーブルの向かい側に座る。私は答えるより先に白米にも手を付ける。

「うまぁい…」

 朝ごはんなんていつぶりに食べただろうか。いつもギリギリまで寝てコーヒーだけを飲んで飛び出す、そんな生活を送っていた。よく考えればなんて不摂生。

 今日は海晴が起こしてくれたおかげで朝ごはんを食べる余裕が生まれた。

 私が人に作ってもらった朝ごはんを堪能していると、さっきまでニコニコしていた海晴が申し訳なさそうに切り出した。

「必ず返すから少しお金おいて行ってくれない?銀行まで行かなきゃなんだけどさ、この周辺にないよね?」

「あぁ、隣駅になっちゃうね。いいよ」

 私は財布の中からお札を数枚抜いてテーブルに置いた。

 海晴は私が置いたお札をじっと眺めていて、手に取ろうとしない。

「どうしたの?」

「いや、なんか昨日から思ってたけど、なっちゃんのこと心配になっちゃう」

 私は首を傾げた。とはいえ自分でも心配される理由は分かっている。それでも首を傾げた。もう、諦めてるのだ、何もかも。自分で気が付いてそれを認めてしまったら、本当に何もかも投げ出してしまう気がするから、首を傾げる。

「自分で言うのもあれだけど、おれ昨日知り合ったばっかだよ?」

「知ってるよ?」

「…もうちょっと警戒心とか…」

「別にいつ死んでも良いからいいの」

 私の言葉を聞いて海晴が止まった。良くないことを言った、そう直感で思った。いつもは隠すのになぜか海晴の前だとポロポロと本音が漏れる。これも彼の天性のものだろう。

「…そっかぁ、そう思う時もあるよね」

 海晴の言葉に顔を上げると優しい顔をしていた。

「でもさ、こんなに優しいなっちゃんはもう少し生きて欲しいっておれは思うよ」

 今度は私が固まる番だった。

「…なにそれ、昨日知り合ったばっかだよ」

 私は海晴の顔から目をそらして、必死に白米を口に入れた。涙が零れそうになるのを抑えるように。

 言われたことなんかなかった。

「死なないで」と言われたことはあった。でも、「死なないで」は私の中でこの世の中に縛り付ける首輪のように自分を苦しめた。「死にたい」と思うことはそんなに悪い事だろうか。そんなに「死」は悲しい物だろうか。

 自分がなにをやりたいのか、どうしたいのか。毎日呼吸するので精一杯で毎日苦しいのであれば死んでしまった方が楽、そう思うことはそんなにいけない事だろうか。逃げるのはそんなにダメなことだろうか。

 毎日そう思っていた。

「もう少し生きて欲しい」

 「死なないで欲しい」の言い方を変えただけのこの言葉は私の心に刺さった棘を少しだけ溶かしてくれた。

 海晴は私が泣きそうなのを察知したのかそれ以上はなにも言わなかった。世の中の女性は海晴みたいな人を好きになったら幸せになるだろうな。

「ごちそうさまでした」

「ん、置いといていいよ~」

「でも」

「い〜の!仕事行っといで!」

 いつの間にか持ったカバンを押し付けられ玄関に送り出される。

「昨日くらいの時間に帰る?」

「たぶん?」

 どうせ今日も残業だ。そう思った時に自分のしでかしたことがまた脳裏をよぎる。

「何食べたい?」

「え?」

「夜ごはん、作って待ってるよ」

 海晴の顔があまりにも優しくてまた思考回路が止まる。一時停止している私を不思議に思ったのか海人が首を傾げる。

「あ、えっと」

「なっちゃんって変なところで止まるよね」

 この人はきっと分かって会話を止めているのではなく、分からなくて会話を止めているのだろう。でも、私にはそれが心地良かった。嫌いな人は嫌いだろうけど。

「オムライスが食べたい」

 なんとなく思いついたのがオムライスだった。卵に包まれたケチャップライス。母親が良く作ってくれていたオムライスを思い出した。

 久しく実家にも帰っていない。

 今度は海晴が固まった。目を開いて、口をきゅっと閉じたまま動かない。

「海晴?」

「あ、おけ。オムライスね!楽しみにしてて」

 声を掛けると海晴はいつも通りに動き出した。そして、ほら、行っといで、と背中を押されて追い出されるように家を出た。ここまで来てしまったらもう会社に行くしか方法は無い。海晴が変だったのが脳裏に焼き付いて離れないがそんなこと言っていられない

。私は歩を進めることにした。


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