ショッピングモール
「なっちゃん!なっちゃん!」
果たして私の前を歩いてる、いや、ほとんど走ってる25才の男は、本当に25才なのだろうか。いや、そもそも人間なのかも怪しい。尻尾が見える。思いっきり振ってる、そんな尻尾。
「すごいよ!見て!!」
「分かった分かった、今行くから待って」
どうってことはない普通の大型ショッピングモールに来ただけなのだが、海晴は視界に入るもの全部に目を輝かせる。
若干の戸惑いはあるが、物凄く楽しそうにしている海晴を見るとコッチまでなんだか嬉しくなった。
「とはいえ、少し落ちついて」
「はい…」
少し落ち着かせると耳が垂れさがって見える。ついでに尻尾も。
「まじでカイちゃんみたいだね」
「カイちゃん?」
ふと、久しぶりにその存在を思い出した。あんなに悲しくて堪らなかったのに、思い出すことも無く元気に過ごしている。薄情なヤツってカイちゃんに言われるかもしれないが、完全に忘れていた訳ではない。覚えてはいる。忘れるわけなんかない。だけどあんなに大泣きすることはなくなった、それだけ。それはきっと海晴がその悲しみを埋めてくれたから乗り越えられたのだろう。
「カイちゃんってのはね」
海晴にカイちゃんの話をしても悲しくなかった。むしろもっとカイちゃんとの話を聞いて欲しくてどんどん話した。海晴もたくさん聞いてくれた。やっぱり海晴は話を聞くのが上手い。
「ねぇ、なっちゃん、あれなに?」
海晴が指を差したのは所謂クレープ屋さんだった。
「ん?クレープ?」
「クレープって何?」
「え!?」
驚いた。いや、でもスイーツに興味無ければ知らないものか?高校生の時なんて皆放課後にクレープを食べて帰るものだと思っていたのだが、男子は違うらしい。
食べる?と聞くと目がまた輝いた。
「クレープとか高校生ぶりだ…」
「うまぁ」
目の前でクレープにかじりつく海晴が本当に犬にしか見えなくなってきた。ただ、だいぶ甘かったのか海晴は2口くらいしか食べなかった。
「なっちゃんが美味しそうに食べてたらおれは満足だよ」
なんてカッコいいこと言ってた。さすがに男性が恋愛対象ではないとはいえそのセリフにちょっと照れる。
「ん、食べ終わったし次行こうか」
「そうだね」
と言う海晴はショッピングモールの吹き抜けの上の方を眺めている。
「海晴?」
「あ、ごめん、上なんか賑やかだなって思って」
「あぁ、上にゲームセンターあるから」
「げーむ…?せんたー?なにそれ?」
「ゲームセンターも知らない!?高校生の時何してたの!?」
私の驚愕ぶりに海晴はちょっと気まずそうに
「おれ、高校行ってないんだよね。ずっと働いてた」
と言った。その顔はまた悲しいような寂しいような複雑な顔をしていた。
「…よし!」
私は勢い良く立ち上がって海晴の腕を掴む。頭の上にはてなマークが浮かぶ海晴は見ててちょっと愉快だ。内緒だけど。
「海晴、今日はめっちゃ楽しもう」
まだワタワタとしている海晴を無理矢理引っ張ってゲームセンターに連れてった。UFOキャッチャーにレースゲーム、シューティングゲームもホッケーも、私が見たことないゲームまで、楽しそうな物は全部やった。
ゲームセンターの隣に駄菓子屋さんがあったから駄菓子もたくさん買った。
「こんなにいっぱい…」
「これが大人買いってヤツ?」
お気に入りの駄菓子を口に含む。懐かしい味がした。
そのあとはウィンドウショッピングに移行。基本不要な物は買わない、だったのだが海晴の服があまりにも少なくて、これから夏になるにつれて困るから、ということで買い物も少しだけした。
ショッピングモールを歩き回って疲れたので少しの休憩。先に席に座ってコーヒーを飲みながら海晴が会計終了まで待つ。
「なっちゃん、楽しいね」
トレーを持って私の前に腰かけた海晴が開口一番に伝えてきた。
「そう?良かった」
「なっちゃんは?楽しい?」
「楽しいよ。高校生になった気分で」
「そっかぁ、良かった」
ニコニコと海晴が買ってきたコーヒーに口を付ける。
周囲は土曜日の影響なのか子供連れが多く、あちこちで子供の声がする。
「土曜日だから子供多いね」
「ん、そうだね」
海晴は隣に座った家族連れを眺めていた。お母さんが1人で2人の子供を見ている。子供の1人はもう立っておしゃべりも出来るみたいだけど、もう1人はまだまだ目が離せないくらいの子だった。
まるで他人事のように大変だなぁと眺める。いや、実際に他人事なのだが。自分には一生訪れない幸せの形。自分には一生分からない母親の大変さ。
視線の先のお母さんは1人のおしゃべりを聞きながら1人が泣きそうなのをあやしている。
「ねぇ、ままぁ。聞いてる?」
「聞いてる聞いてる、ちょっと待ってね」
とうとう本格的に泣き出してしまった子供を抱きかかえるお母さん。聞いて欲しかっただろう子供はつまらなさそうに口を突き出している。
視線を海晴に戻せば、海晴は紙ナプキンを使ってなにか折っている。
「海晴?」
私の呼びかけには応じず折り続ける。私も思わず海晴の手に注目してしまう。
「よし」
出来上がったのは鶴だった。
海晴はいま折った鶴を手の平に載せてつまらなそうにしている子供の前に差し出した。
「良ければ一緒に折らない?」
その子は顔をパッとあげて海晴を見つめる。けど、何も言わない。照れが出始めるお年頃、というやつか。
母親が「すみません!」と言うが海晴は「大丈夫ですよ」とお母さんを制して、また新しく折り紙を始めた。その子供も私も見入ってしまう。
折り方的に今度は鶴じゃない。
「じゃん」
そう言って出来たのは風船だった。
「なにこれ?」
「風船だよ。ほら、こうやって空気を入れて」
海晴が作った風船を膨らませて子供に向けて投げた。子供の顔がキラキラと輝いて風船をキャッチする。もっとやって!と海晴に持っていく。
「じゃあ一緒に作る?」
「うん!」
みるみるうちに海晴は隣の子供と仲良くなってしまった。私もお母さんもポカンとしている。まさか、海晴がこんなに子供の扱いが上手いとは。
更に海晴はどんどん折り紙を作る。その手から生み出される折り紙のレパートリーの多さにまた驚いた。子供もまるで神様でも見るかのようにどんどんと顔に輝きに満ち溢れる。
どれくらい時間が経ったのか分からないくらい、その家族と折り紙を楽しんだ。
カフェの机が完成した折り紙で埋まるころに家族のお父さんがやってきて、お別れすることになった。
私たちが見えなくなるまで子供は元気いっぱい手を振っていたし、お母さんは頭を下げていた。
家族が見えなくなってから、海晴に話しかける。
「すごいね」
「ん?何が?」
「折り紙、というか海晴の子供の扱い?」
あぁと海晴は妙に納得したように上を見上げた。
「小さい子好きだし、それに妹と弟いたからね」
「へぇ」
海晴の家族はどこにいるの?いま、何をしているの?どうして今一緒にいないの?
喉まで出かかった言葉をグッと飲み込んだ。
きっとこれは海晴の「私に受け入れて欲しい事」なんだろうっていうのは薄々気が付いている。
だから聞かない。聞くのは今じゃない。
「なっちゃん、これなっちゃん好きそう」
海晴が指さしたショッピングモールの案内板を見て見ると「大宝石展!」と大きく書かれたポスターが目に入る。よくよく見ると宝石とは書いてあるが主に鉱物が置いてあるみたいだ。ポスターに載っている鉱物の写真はどれも興味があるものばかりだった。
「行ってみようよ」
海晴が半笑いになりながら私の手首を掴んだ。
「なんで笑ってんの」
「いや?ポスター見た瞬間目がキラキラして子供みたいだったから、行きたいんだなぁって思って」
「なにそれ、海晴だってさっきまで犬のしっぽが見えるくらい楽しんでたじゃん」
「おれは犬じゃないよ」
「なら、私だって子供じゃありませぇん」
「なっちゃんは子供だよ」
「海晴はワンコだよ」
「じゃあ、犬と子供のコンビだ」
「凸凹過ぎじゃない?」
「良いじゃん、癒される物同士で。可愛いよ」
少し前の私たちだったら考えられないくらいくだらない会話。他人だから踏み込まないようにしていたのがバカみたいだ。それくらい海晴との会話はテンポが良くて心地いい。海晴の表情を見てもきっと同じことを思っている。なんとなく分かるようになってきた。
到着した会場はフロアのひと区画を使っていて、そこまで広いものではなかった。でも展示してある物はどれも状態が良いものばかりだった。
「うわぁ、これならルーペでも持って来れば良かった」
「なっちゃん、この宝石?なぁに?」
「うわぁ、フローライトだ!やっぱり綺麗だなぁ」
「ふろー…らいと?」
「そう!本来の石の色は無色なんだけど石の中の不純物によって色が変わるの。トルマリンに次いでいろいろな色があるって言われてて、同じ石はないんだよ。へき開性があるから綺麗な正八面体が出来上がるの。割れやすいけど、色が綺麗だったりするからジュエリーにもよく使われて…」
ハッと言葉を止めた。こんなことを言っても理解してもらえない事を思い出した。
「ん?続きは?」
だけど、海晴の顔を見て更に思い出した。聞いてもらえるだけで嬉しい。話をするだけで楽しい。そんな当たり前の事。
「ジュエリーでも人気が高いけど、鉱物でもすごく人気があるの。コロコロしてて可愛いでしょ?」
「確かに綺麗だし可愛いね」
こっちは?と海晴が次の鉱物を差す。その石について私は話す。海晴が聞く。また次の石を海晴が指さす。
それをひたすらに繰り返した。
海晴が私の喋った石のことを覚えてないかもしれない。右から左に聞き流しているだけかもしれない。それでも、頷きながら聞いてくれることが嬉しくてたまらなかった。
「この鉱石が最後みたいだね」
海晴がきょろきょろとあたりを見回して私に言う。そしてじっと待っている。
これだけで海晴が右から左に流し聞きしているわけではない、というのが分かる。現にここで私が話す前まで海晴は鉱石のことを「宝石」と言っていたのが、ちゃんと「鉱石」と言うようになっている。それだけで充分だった。
「これ…」
嬉しくなって束の間、また嬉しくなった。目の前にある鉱石。この鉱石が私はどの鉱石よりも好きなのだ。
「チタナイトだ…」
「ちたないと?」
「これ、色が深いからクロムが含まれてるんだ。クロムが含まれてると価値が高くなるの。ファイアは弱くなるけど、これもすごく綺麗。ダイヤモンドにも匹敵するファイアって言われてるんだけど、なんて言ったって硬度がダイヤモンドに比べてすごく低くて、チタナイトを磨くのは至難の技って言われてて、チタナイト…あ、宝石名はスフェーンって言うんだけどね。スフェーンを磨けたら一人前って言われるくらい難しくて。その硬度の低さゆえにジュエリーではあんまり見かけないんだけど、あまりにもファイアが綺麗だし、多色性で虹色になるからすごく人気の高い宝石なんだよ」
ガラスの中で鎮座するチタナイトを食い入るように見つめながらここまでを一気に話す。自分の好きな鉱物を前に大興奮で、時折海晴の腕を叩きながら熱弁する。
海晴は腕痛いよ、とも、落ち着いて、とも言わずにただ頷きながら私の熱弁を聞いていた。
ようやく私が落ち着くと「なっちゃんは本当に鉱石が好きなんだね」とニコニコしながら言われた。
いや、このニコニコは普通のニコニコじゃない。私の直感がそう言ってる。
「……子供みたいって思ってるでしょ」
「いやいや、好きなもの前にしてテンション上がってキラキラ話してるなっちゃん見て、こ…可愛いなぁって思ってただけだよ」
「今!子供っぽいって!言おうとした!」
「ん?なっちゃんの勘違いだよ」
「絶対嘘!!」
「嘘じゃないよ。見て、この嘘偽りない目」
「嘘偽りしかない目だわ」
「え~心外だなぁ」
キッと睨みつけてもどこ吹く風。まったく相手にされない。
ほかの人に同じことを言われたら、すごく傷つく。でも海晴なら大丈夫。海晴は私の中で特別なのだ。
「そろそろ夜ごはん食べようよ」
海晴をバシバシ叩きながら抗議してたら話を逸らされた。
別に本気で怒っているわけでもないので、海晴の提案に乗った。
「上にレストラン街あるからそこ行こ」
エスカレーターで上に登りながら「何食べる?」なんて話をする。でも、こういう時の海晴は決まって同じことを言う。
「なっちゃんの食べたいもの、食べよう」
良いような悪いような。もちろん、私に気を使ってくれるのはすごく嬉しい。だけどたまには海晴のわがままだって聞きたいのが本音。だけど、海晴の優しさを無下にするのも違うと思って踏み出せずにいる。
それに、海晴の事だ。どうせ、「海晴の食べたいもの食べよう?」と言っても「おれはいいよ」とか言うのが目に見えてる。
「今日楽しかったね」
私よりずっと食べる量が少ない海晴が食後のお茶を熱そうに啜りながら言った。
「海晴が楽しめたなら良かったよ」
かき集めたチャーハンを頑張ってスプーンに乗せながら私は言った。
やっぱり海晴の料理はお店を出しても良いレベルだと思う。
「なっちゃん、おれさ」
外からちょうど夕日が差し込んで、海晴の顔をオレンジ色に染めている。私の視界には海晴しか映らない。海晴の目にも私しか映っていない。真っ直ぐに見つめられている。
「今すごく幸せだよ」
「そう?良かった」
「なっちゃんは?」
ドキリとした。上手く答えられる自信がない。だけど
「多分、幸せだと思う」
「多分かぁ」
海晴の顔がふにゃりと笑顔に変わる。私はこの顔が好きだ。
「でも、なっちゃん。思い出して?おれと出会った時、おれなっちゃんを助けるために来たんだよ」
そうだ。最初海晴は「おねーさんを助けさせて」って言ってきた。
あの時から自分は少し変わったと思う。それは良い方に。
落ち込みやすいし、ネガティブだし、根本のところが大きく変わったわけじゃないけど。あの頃より少しだけいい方向に進んでる。
それは全部
「海晴のおかげだね」
「おれは何もしてないよ。なっちゃんが小さい幸せに気が付くようになっただけだよ」
「小さい、幸せ?」
「そう、ご飯が美味しいとか、お風呂が温かいとか、仕事があるとか。そういう当たり前に転がってる幸せ。人間は欲深いから忘れちゃうけど、それは当たり前じゃなくて幸せなこと。それになっちゃんが気が付けるようになったって事だよ」
そうだ、その通り。私は小さな幸せに気が付けるようになった。でもそれは私の力なんかじゃなくて…
「だとしたら、なおさら海晴のおかげだね。海晴がそういう環境を整えて、私の余裕を産んでくれたから、私は気が付くようになった」
おかげで私の希死念慮は薄くなった。生きる希望が本当に少しだけ見つけられた気がする。
海晴がいなければ私はどうなっていたのだろうか。今少し考えるだけで最悪の結末を迎えていたことが容易に想像できる。そんな私を、海晴は助けてくれたのだ。出会った時に宣言した通り。
「私を助けてくれてありがとう、海晴」
私がそう言うと海晴は少し目を見開いた。そして、しどろもどろに「あ、うん」と俯いてしまった。
この時の私はなにかを間違えたのかもしれない。