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1滴目


「あなたにふさわしい男になる。それまでどうか待っていてください。 ─── と、そう告げてから、明日でもう10年だ……。やはり、10年は長すぎるだろうか?」


『当たり前だろうがボケ』


「だが、俺は今でも、姫にふさわしい人間になれたとはいえない。自分でもわかっているのだ。俺は陰気だ。性格は暗く、顔も暗く、眼つきも暗い」


『顔は暗くねーだろ! お前、顔だけはいいんだから自信持てよ! その他は全部暗いけどな!』


「あぁ、泉の精霊よ、本当にそこにいるというなら、教えてくれないか。俺はどうしたらいいと思う……?」


『さっさとプロポーズしろやボケェ!!! 姫さんが10年も待ってんだぞ! 可哀想だと思わねえのかお前は!?』



俺は、噴水である。

まちがっても泉の精霊なんかではない。噴水だ。それに精霊なんてご立派なもんでもない。あえて呼ぶなら噴水の生霊といったところだろうか。


つーか、よく見ろ。ここに泉なんかあるかよ。この王宮の中庭の片隅にあるのは、長い歳月ですっかり老朽化が進み、今にも止まりそうな噴水だけだ。溢れる水が美しいアーチを描いたのは大昔の話、今はほぼ枯れている。水を循環させるための核である魔石が、もう限界に近いのだ。


俺は、俺の噴水生に満足している。女王に魔石の修復を提案されたこともあったが、断った。無理に延命したいとは思わない。このまま穏やかに、噴水としての生を全うしたい。


─── だというのに、この公爵家のガキは、いつになったら俺の最後の心残りを解消してくれるんだ!?


俺の前に設置されたベンチに座って、この世の終わりのような顔でうなだれているのは、この国の公爵家当主だ。25歳という年齢は、俺にとってはガキだが、人間の物差しでいえば、十分に大人だろう。つまり、この国の次期女王であり、唯一のお姫様に結婚を申し込むには、何も問題のない年頃だ。


しかし、このガキは、姫さんに待っていてほしいと告げてからもう10年になろうとしているのに、まだプロポーズする勇気を持てないでいるらしい。俺に人間の肉体があったら、ケツを蹴り飛ばしているところだね。マジでお前ふざけんなよ。


「泉の精霊よ、あなたはきっと、俺のことを情けない男だと呆れ果てているだろうな」


『泉の精霊じゃねえけど、呆れ果ててはいるな』


「10年かけても“朗らかな笑み”一つ作れない男だと」


『そこじゃねえよ! もっとほかに気にするところがあるだろ!』


「姫の夫候補に選ばれるために、俺なりに地盤は築いてきたつもりだ。だが、この陰気な性格ばかりはどうにもならなかった」


いや、だから、お前さあ……。


そりゃ、俺だって、ある程度の事情を知ってはいるさ。


こいつ自身や、姫さんや、唯一俺が見える女王なんかが、ときどきここへやってきて、話しかけてくるからな。こいつと姫さんは、『愛の泉の精霊』なんていう、女王の作ったこっぱずかしい噂を信じているだけだけど。何度もいうけど、俺、噴水な? 泉じゃねーから。泉っていうのは天然物だろうが。どうやったらこの古ぼけた人工物の噴水と見間違えられるんだよ。


まあ、そんな噴水の俺だって、こいつの事情は、多少は知っている。


たとえば、10年前のあの頃、こいつの家は、公爵家でありながら没落寸前だったことだとか。たとえば、こいつには、母親のちがう兄が三人いるってことだとか。


たとえば27年前、先々代の公爵家当主は、ドラッグで遊ぶようなクソなパーティーの末に命を落とした息子の嫁と、死にはしなかったクソな息子と、その三人の子供たちと、公爵家の行く末を大層嘆いて、病床の身だったくせに息子の後妻を勝手に決めたことだとか。


その後妻 ─── つまりこいつの母親は、有能で働き者で立派な人柄で、公爵家の立て直しに奔走したが、家の中での立場は苦しいものだったことだとか。

そして、こいつが8歳のときに、風邪をこじらせてあっけなく亡くなってしまったこと。さらに数日後には、後ろ盾だった先々代も死にやがったことだとかだ。


家の中で邪魔者扱いされていた後妻の息子が、どんな境遇で育ってきたかは知らない。

母親を亡くし、一人残されたこいつが、家の中でどんな目に合ってきたか、それも知らない。


こいつは、俺の前で、そのことに関して嘆いたことは一度もなかったからだ。


……噴水()の前は、ちびすけだった頃のこいつと姫さんの遊び場だった。


こいつの母親が亡くなって半年後に、女王はこいつを姫さんの『友達』に抜擢した。姫さんが望んだらいつでも王宮へ呼べるお友達だ。

女王はその理由については、いつものように、気まぐれだとしか説明しなかったから、おちびの姫さんがどのくらい察していたかはわからない。ただ、姫さんは毎日のようにこいつと遊びたがり、家庭教師からの授業もこいつと一緒に受けたがった。やがて、自然な成り行きのように、王宮にはこいつの部屋が用意されて、公爵家に帰る必要もなくなった。


二人はよく、俺の前で遊んでいた。二匹の子犬がじゃれているようだった。


だけど、10年前、二人が15歳だったときだ。

こいつは公爵家に戻ると決めたのだ。

あのまま実家と縁を切って、王宮で官吏になることもできただろう。次期女王の補佐官にだってなれたはずだ。だけどこいつは、それでは足りないと考えていた。姫さんの夫候補に選ばれるには、公爵家当主の肩書が必要だと。そして、その場合、公爵家はもちろん、没落寸前ではなく、相応の力を有していないと意味がないのだ。


10年。姫さんを待たせたと考えると長すぎる時間だが、しかしこいつは、クソな父親と兄たちを引きずり降ろして、当主の椅子に座り、公爵家を立て直して、権力と財力と、かつての栄光を取り戻した。その上で親戚から優秀な人間を父親の養子として迎えて、二歳年下のその男を次代として育成して、周囲も有能な人材でガチガチに固めて、自分自身はいつでも次期女王陛下である姫殿下のもとへ婿入りできます! という姿勢を打ち出した。その長い長い闘いの日々を思えば、たった10年でよくここまで……といえなくもない。いや、うん、よくやったよ、お前は。その点に関しては本当によく頑張った。


そうとも、俺だって厳しいばかりの噴水じゃない。お前がここでプロポーズをキメるなら、噴水がひび割れんばかりに大きな拍手を送ってやるところなんだ。


「やはり今の俺では、あの天の輝きのように美しい姫にはふさわしくないだろう……。俺は必要とあらば手を汚すことに一切のためらいを持たない、性根の歪んだ男だ……。こんな根暗な男ではふさわしくない……」


『お前の最大の問題は根暗さじゃなくて、その卑屈さと、すぐ悲観的になるところだよ!』


「この陰気で陰険な性格を補えるだけの美点が必要だ……。公爵家当主になったところで、それがなんだというのか。所詮俺は、領地の金回りをよくしただけの男。そうとも、金を稼ぐしか能のない無能だ……」


『無能っていわねーだろそれ!? 金を稼げるなら充分じゃん!? 本物の無能さんに怒られるぞお前!』


「やはり姫の夫にふさわしい男になるには……、政治的手腕を持っていることを示すのが一番ではないか……。たとえばそう、俺が宰相の地位を得たなら、そのときには……!」


『バカかッお前は!!! 何年かかるんだよ!? ねえ、あと何年待たせる気なのよ!? 俺も思わず裏声が出ちゃう! あっ、まさかこいつ、現宰相のことも蹴落とす気か!? やッ、やめろ、あのハゲはあれでも超有能、やる気のない女王に代わって国政を支えてる大事なハゲだぞ! 敬意を持て! 敵対しようとするな!』


「そうだ、やはり公爵家当主などより、宰相のほうが響きがいい……! 姫殿下を支える宰相、これぞまさしく、この陰気さを補える美点だ……!」


『馬鹿! 本当に馬鹿!! 姫さんの選んだ男がアホすぎて涙が出ちゃう!!!』




全三話予定です。

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