9.つぐみさんとのお付き合い宣言
「あの方には私のCDを送りましょう」
残りの命が短くなっていることを恐れてつぐみさんを閉じ込めようとした相手にもつぐみさんは優しかった。
「死ぬのが怖いという気持ちは分かりますから」
お母さんが亡くなってからつぐみさんは様々な気持ちを抱えて来たのだろう。
つぐみさんとお付き合いをするにあたって、私はしておかなければいけないことがあった。リングのある結婚式場ではないが、旭さんに報告をしてそれなりのことは覚悟しなければいけない。
旭さんにとっては可愛いかけがえのない天使の娘さんと、私のような36歳のオッサンがお付き合いをするなんて、旭さんにとっては許せないことだろう。
書類仕事はできるようになったので片手で車を運転して仕事終わりにバーの駐車場に車を停める。入口近くで待っている小柄な影が、絡まれているのに腹の底がカッと熱くなる気がした。
「お嬢ちゃん、未成年だろ? こんなところにいて良いのか?」
「今日行くところがないんじゃないのぉ? 俺たちとおいでよ」
腕を取られそうになって小柄な影、つぐみさんは必死に抵抗している。
「ひとを待っているんです! 放っておいてください」
「待ってるひとって女性?」
「それなら、二人纏めてでも良いよ?」
二人纏めてとはどういうことなのだろう。
大股で近寄ってつぐみさんに絡む男性の片方の手を後ろ手に捩じり上げる。
「ひぎっ!?」
「その方から離れてください。その方は私の大事な女性です」
宣言して男性をアスファルトの上に放り捨てると、「ひ、ひぃ!」と恐怖の声を上げながら二人とも逃げていく。『雷帝』と噂される私の姿が余程恐ろしかったようだ。
つぐみさんにも怖い顔を見せてしまったと取り繕うとすると、つぐみさんは頬を染めて私のジャケットの袖を摘まんだ。
「真珠さん……嬉しい」
「つぐみさん?」
「大事な女性って言ってくれました」
私といるときには袖を摘まんでいることの多いつぐみさん。思い切って手を伸ばして華奢な指を絡めて手を繋ぐと、一瞬驚いたように黒い目を見開いてから、花が咲き零れるように微笑む。
「真珠さん……」
笑顔のためならば旭さんに一発や二発殴られても平気な気がする私は現金なのだろう。
心の底でずっと手に入れたいと思っていた。そんな浅ましい感情を表に出せばつぐみさんは私から離れて行ってしまう。そう思っていたから、浅ましい感情には蓋をした。
それが解放された今、私はつぐみさんの前で理性を保っていられるか危うい。
「真ちゃん、話って?」
重い木の扉を押し開けて、クラシックな作りの一番奥にピアノのあるバーの中に入ると、カウンターで旭さんはソフトドリンクを飲みながら待っていた。ソフトドリンクのはずなのにプラスチックフレームの後ろの目は完全に据わっている気がする。
「アタシ、つぐちゃんとお付き合いをすることになったの」
隠してはいけない。
誤魔化すことはつぐみさんに対しても、旭さんに対しても誠実ではない態度になってしまう。はっきりと宣言すると旭さんが立ち上がった。
振り上げた拳がどすんっと左肩の傷の上を明確に狙って振り下ろされる。
「んんんーーーー!」
物凄く痛い。
これは傷が開いたかもしれないが、旭さんの腕力で私を傷めつけるには弱っている部分を狙うしかなかったのだろう。座り込みかけた私を繋いだ手を引いてつぐみさんが立たせてくれる。
「お父さん、私が好きになったの! 真珠さんは心が女性なのに、私のことを受け入れてくれたのよ!」
んん?
心が女性?
誰のことだろう。
痛みで頭が回らなくなっているので、つぐみさんの言葉に突っ込むことができない。
「つぐちゃんが真ちゃんのこと好きなのは、気付いてた」
「ずっとずっと好きだったの。私の初恋で、私の唯一のひとなのよ」
痛みが治まるまで深呼吸をしている間に親子の話は進んでいた。
「つぐちゃんを奪われるのはつらいけど……真ちゃんなら」
「お父さん?」
「つぐちゃんをよろしくお願いします」
父親として一発殴っておかなければ気は済まなかったようだが、旭さんはきちんとつぐみさんの気持ちを分かってくれていた。頭を下げる旭さんに私もつぐみさんと手を繋いだまま頭を下げる。
「アタシの全てを以て幸せにするわ」
「絶対に幸せにして。泣かせないで、大事にして」
泣かせないことは無理かもしれないけれど、泣かせるにしても悲しみではなく喜びで泣かせたい。それくらい私にとってつぐみさんがかけがえのない存在になっていることに気付く。
「つぐみさん、一生傍にいてください」
「はい、真珠さん」
旭さんの前でつぐみさんに愛を請えば、つぐみさんは目を潤ませて微笑んで答えてくれた。
書類仕事だけで定時に帰れるようになった私は、つぐみさんの荷物を洋館に運んでいた。春は旅立ちの季節だが思い切りよく旭さんはつぐみさんを送り出し、つぐみさんは私の洋館に暮らしてくれるように決まったのだ。
「元々大学に入学したら一人暮らしをしようと思っていたんです。父のことが心配で家を出られなかったんですが……」
旭さんも一人になったら自分のことをするようになるかもしれない。つぐみさんは思い切って家を出ることで旭さんに自由を与えたかったのだと言う。
「母が亡くなってから、父は生きる気力もなくて……。自分で生きていくか、良い相手を見つけるか、どちらにせよ、私がいたら父は動き出せないと思うんです」
これは娘からの愛の鞭だった。
「それに、真珠さんと暮らしたかったですし」
頬を染めて言ってくれるのも嬉しい。
つぐみさんのために部屋を開けて、庭のサンルームも開放することにした。長年使われていなかったサンルームは業者の手も入れて掃除と補修をして、もうすぐ使えるようになるはずだ。
庭の薔薇も剪定してもらって、つぐみさんが快適に暮らすために洋館全体を整えた。
私一人が暮らしていたときには庭も荒れ放題、洋館も一部しか使っておらず埃を被って蜘蛛の巣が張った部屋がたくさんあった。つぐみさんと一緒に一つ一つ掃除をして、空気を通して行くと洋館が蘇る気がする。
埃を被っていた階段も磨けば飴色の艶が出た。
「こんな素敵なところに住んでいたんですね」
「素敵ではなかったですよ」
自分が使う部分以外は放置して埃被っていた洋館を、つぐみさんは「素敵」だと言ってくれるが、そうではないことを私は知っている。
「つぐみさんが来てくださったから、整えようと思ったのです」
つぐみさんの存在だけがこの洋館で圧倒的に光りを放っていた。輝かしい愛らしいそこにいるだけで心が明るくなる存在。
「つぐみさんにずっと笑っていて欲しい。つぐみさんに幸せになって欲しい。そう思っていたのです」
私がつぐみさんを幸せにするという選択肢は、そこにはなかった。誰か私の知らない相手がつぐみさんを迎えに来て連れ去ってしまう。取り残された私は一人でつぐみさんの幸せを願いながら余生を過ごす。私の未来などそんなものだと思っていたのに、つぐみさんは私のことを選んでくれた。
「私がつぐみさんを笑わせたい。幸せにしたい。今はそう思っています。つぐみさん、私の傍にいてください」
何度でも私は請うだろう。
一度手に入れてしまった幸福を手放せるはずがない。
「はい。あの、真珠さん」
「なんでしょう?」
「真珠さんは女性の喋り方が普通ではないのですか?」
つぐみさんから告白を受けた日から、私は包み隠さず素の私を晒していた。敬語で堅苦しい私をつぐみさんが受け入れられないのならばそれまでだと考えてはいたが、つぐみさんを手放したくない気持ちが強すぎて、この腕の中に閉じ込めてしまいたい衝動すらある。
「私は幼い頃からきちんとした言葉で喋ることを強要されてきました。プライベートで女性の言葉を使っていたのは、自分の喋り方が堅苦しく面白みがないと嫌いだったからです。つぐみさんも、私の喋り方がお嫌ですか?」
正直な意見を聞かせて欲しいと真剣に問いかけると、つぐみさんは小さな頭をふるふると振った。長い黒髪が頭の動きに伴ってふわふわと揺れる。
「どんな真珠さんでも、真珠さんは真珠さんです」
どんな私でも、私は私。
36年間、ずっとその言葉が欲しかった。
その言葉が欲しくて必死に足掻いてきたが、誰の一番にもなれることがない、誰の特別にもなれることはないと諦めて、恋愛もしたことがなかった。
こんなにも簡単につぐみさんは私の存在を救ってくれる。
「この洋館でたった一人、自分は孤独だと拗ねていたのです。自分を愛してくれる相手はいないと、諦めながらも、救いが欲しくてつぐみさんの歌を流して聞いていました。私はずっとつぐみさんに救われていた」
抱き締めるとつぐみさんの身体がとても小柄で細くて華奢なのが分かる。力を込め過ぎたら折れてしまいそうな体付きなのに、つぐみさんはこの身体からホール中に響く歌声を出す。
抱き締められたつぐみさんが目を閉じて、睫毛が震えているのが分かる。小さなほの赤い唇に目を引かれる。
口付けてしまって良いのだろうか。
まだ付き合ったばかりなのに、可愛いつぐみさんの唇を汚すようなことをしてしまって良いのだろうか。
腕の中のつぐみさんは柔らかく暖かく、私の理性ががらがらと崩れる音がする。
「つぐみさん……」
「はい?」
口付けても良いですか?
直接的に聞いてしまうとつぐみさんも答えられないだろうか。
まだつぐみさんは18歳。そんなことは早すぎるかもしれない。腕の中で目を閉じているつぐみさんの睫毛が震えている。愛らしすぎて口付けだけでは止まれない気がひしひしとする。
そっとつぐみさんの頬に手を添えて顔を上向ける。そのまま口付けようとしたところで、私のジャケットの裏ポケットの携帯電話が音を立てた。
弾かれたように私とつぐみさんは身体を放す。
「はい、五百蔵ですが」
邪魔をされたという悔しさと、このままなし崩しにつぐみさんを押し倒すようなことがなくて良かったという安ど感が半々で、複雑な心境のまま私は電話に出た。
今日はもう仕事も終わって市役所も閉まっている時刻である。
『課長ー! 新しい遺跡が見つかりましたー』
電話口から聞こえる安増の声に私は冷ややかに答えた。
「新しい遺跡が見つかったときの対処方法は教えたはずですが、新人研修からやり直さなければいけないのですか、あなたは?」
『封印してますよー。でも課長に知らせとかないとと思って』
情けない声で伝えてくる安増に私の声はますます低くなる。
「私が現場に出られないのを知っていて言っているのですよね?」
『課長ー! 封印の精度チェックが俺たちじゃ無理なんですー! 助けてくださいー!』
部下はきっちり育てているつもりだが、それでもできの悪い部下というものはいるのだ。安増は攻撃には秀でているが、細かい魔法の精度のチェックなどは苦手分野で、その上書類仕事も苦手なのだ。
現場でのみ役に立つはずなのに、今回の新しく見つかった遺跡では全く役に立っていない。
「つぐみさん、仕事が入りました。少し出てきます」
「私も行きます!」
「一般人が入れる現場ではないのですよ?」
言い聞かせるようにつぐみさんに伝えると、つぐみさんは凛と私を見上げた。その体が小さく縮んでいくのを私は見ていることしかできない。
小鳥の姿になったつぐみさんは私の肩に止まって誇らしげな顔をしていた。
「鳥が一匹紛れ込んでも分かりません!」
そこまでして私と一緒にいたいと思ってくれるつぐみさんの気持ちが嬉しくて、私はそれ以上何も言えなかった。
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