4.つぐちゃんとの生活
つぐちゃんが私の家にいます。
怪我の件に関して旭さんも責任を感じていて、つぐちゃんが私のお世話をするために家に泊り込むことに賛成していた。
36歳の独身男の家に18歳の可愛いお嬢さんを泊まり込ませるなんて、旭さん、そこは止めるところでしょう!?
私の内心のツッコミも虚しく、つぐちゃんは荷物を纏めて私の家にやって来ていた。
年季の入った洋館がつぐちゃんのいる場所だけ明るくなったように感じる。冷蔵庫を覗いて、リフォームしたキッチンでつぐちゃんがエプロンを着けて立っている。持参したエプロンは白くてフリルが付いていていかにも可愛らしい。長い黒髪は三つ編みにしているのがまた可愛い。
つぐちゃんの存在自体が可愛いのにこんな可愛いものを着て、可愛い髪形をして、私を惑わせようという企みだろうか。そんなことは絶対ないのに訝しんでしまうくらいつぐちゃんの存在は私の家にそぐわなかった。
「簡単なものしか作れませんが……」
「気にしなくて良いわよぉ? アタシが作ろうか?」
「いいえ! 五百蔵さんは休んでいてください!」
きっぱりと言われてソファに座らされてしまった。
対面キッチンなのでつぐちゃんが奮闘している様子がよく見える。寸胴鍋にお湯を沸かしているのはパスタを茹でるつもりなのだろうか。紅茶くらいは淹れようかと立ち上がると、つぐちゃんの目が私を睨む。
「安静にしていてください!」
「紅茶くらいよくなぁい?」
「私が淹れます」
結果としてつぐちゃんの仕事を増やしてしまった。
芽キャベツとベーコンの春のパスタを作ってくれたつぐちゃんは、ポットで茶葉から紅茶を淹れてくれた。紅茶にミルクを入れて飲みながら、つぐちゃんお手製のパスタをいただく。
「麺の茹で具合も完璧ね。つぐちゃん、いいお嫁さんになるわぁ」
「お嫁さん……?」
私の言葉につぐちゃんのほっぺたが紅潮して目を伏せるのに、私は慌ててしまった。
「こういうの、セクハラなのかしら!? ごめんなさいねぇ、アタシったら」
「五百蔵さんも、良いお嫁さんになると思います」
ぼそっと答えられて、私は頭の上にクエスチョンマークが出てしまった。
そうなのか、つぐちゃんの中ではオネエ言葉で話す私は女性の括りに入っているのか。それならば躊躇いなく私の家に泊り込むと言ったのも理解できる。
もしかすると旭さんの中でも私はオネエ言葉なので女性の括りなのかもしれない。
性自認は男性だし、オネエ言葉で喋るのもそうでなければ堅苦しい敬語しか使えない自分を厭うて、自分から抜け出したい一心でやっていることなのだが、周囲からはそんな風に見えているか。言い訳をしたかったが、「私は男ですから、つぐみさんに身の危険があるかもしれません」なんて純真な可愛いつぐちゃんを前にして言えるはずがない。
何よりつぐちゃんは下心を抱いて良いような相手ではなかった。
幼い頃から歌が上手で癒しと治癒の能力を持っていて、歌手としてやってきたつぐちゃん。私が助けに行ったときのような男性の下心に触れる機会も多かっただろう。
ずっと誰にも言わずにそれを我慢してきて、病気のお母さんと若干頼りにならない言葉足らずなお父さんを支えてきたつぐちゃんに、これ以上心労となるものを与えたくなかった。私の傍でくらいは寛いで明るい顔を見せて欲しかった。
芽キャベツとベーコンのパスタを食べ終わると、食器を片付けてつぐちゃんが袖捲りをした。
「お風呂、お手伝いしますね!」
「ダメー! それだけは、ダメよぉ!」
お母さんの看病で慣れているのかもしれないが、つぐちゃんのお母さんと私は性別も体格も全く違うのだ。180センチの男性のお風呂を手伝うなんて、150センチくらいしかない小柄なつぐちゃんがやっていいことではない。
36歳の男性のお風呂を手伝うなんて軽々しく口にしてはいけない。
「怪我人なんですから、甘えてください」
「そういう問題じゃないのよぉ! つぐちゃん、アタシ、男なのよ?」
「五百蔵さんは紳士ですから。大丈夫です、私、できます!」
気合を入れないで欲しいし、私を完全に信頼しないで欲しい。
裸を見られるのも恥ずかしいし、裸の私とつぐちゃんが一緒にいて何か起こらないとも限らないのだ。
「着替えだけでも手伝います」
妥協してもらって、上半身だけ服を脱ぐのを手伝ってもらったが、18歳の愛らしい女の子が私のジャケットを脱がせて、ベストを脱がせて、シャツのボタンを一つ一つ外して行く様子に、背徳感を覚えずにはいられなかった。
私はこんなことをさせてしまっていいのだろうか。
「責任……ダメっ! 責任取るとか、そういう問題じゃない!」
バスルームで一人になってから包帯の巻かれた左肩が濡れないように気を付けながら体を洗って流す。右手は自由に動くのだが、流すときにどう考えても髪の毛が洗えないことに気付いて、私は愕然としてしまった。
私が片手でシャワーヘッドを持って、髪を流すとすれば、髪を梳く手が足りないし、間違いなく包帯を濡らして傷口も濡らしてしまうだろう。
迷いに迷った末に、私は小声でつぐちゃんを呼んでみた。
「つぐちゃーん?」
「はいっ!」
元気よく返事が来て私はびくりと飛び上がる。下半身にはバスタオルを巻いていたが、髪は洗っている途中でシャンプーが中途半端に泡立っているし、上半身は裸である。
「すぐ来たわね」
「助けが必要なときにいつでも助けられるように、バスルームの前で待機していました」
なんて良い子なんだろう。
頑なに断る私を気にせず、助けが必要になると思ってつぐちゃんはバスルームの前で待機してくれていた。腰のバスタオルがずれないように押さえながら、髪を示す。
「あれだけ大見得切っといてなんだけど、髪が洗えないのよ……」
「任せてください!」
袖を捲ったつぐちゃんがバスルームの中に入って来た。お風呂の椅子に座って前屈みになった私の髪を華奢な指が洗う。力の加減が優しくてくすぐったいような気分になってしまう。
幼い頃から両親には見放されていたので、自分のことは全部自分でやってきた。祖父も可愛がってくれていたとはいえ、上辺だけのことで私の細かな世話など焼かなかった。
「髪を洗ってもらうの、初めてかもしれないわぁ……」
「そうですか? 痒いところや洗い足りないところはないですか?」
「凄く気持ちいい」
目を閉じてうっとりとしているとつぐちゃんが髪を流してくれる。流れ落ちて行くシャンプーの泡とシャワーのお湯が下半身を覆うバスタオルに降り注いでいるのは気付いていた。
「そ、それじゃ、終わりです。出ますね」
慌てた様子でつぐちゃんがバスルームから出て行く気配に、私はしまったと胸中で呟いていた。バスタオルが濡れて張り付いて、私の股間の形が露わになってしまっている。
反応していないのが幸いだったが、それでもこんなものを見せつけられて18歳の少女が動揺しないはずはなかった。
申し訳ない思いでぎこちなくしか動かない左腕と問題なく動く右腕で身体を拭いて、下着とパジャマのズボンを履いていると、バスルームのドアがノックされた。
「着替えを手伝いますか?」
「つつつ、つぐちゃん!?」
私の下半身を見て私の性別を意識して、懲りて逃げてしまってもおかしくはないのに、つぐちゃんは私を手伝うためにまだバスルームのドアの外にいてくれた。
「パジャマは着られたわ。でも、髪を乾かすのは難しいかも」
もうこうなった以上、つぐちゃんに甘えることに躊躇いはない。
お風呂から出るとつぐちゃんはリビングのソファに私を座らせて髪を乾かしてくれた。細い指が髪を梳くのがとても心地よい。
「気持ちいいわぁ……つぐちゃん、上手ねぇ」
「母で慣れてるって言ったじゃないですか」
先ほどの気まずい空気もすっかりと消えて、つぐちゃんはいつも通りの明るさを取り戻していた。つぐちゃんの泊まる部屋を準備できなかったけれど、シーツの場所や枕カバーの場所を伝えると、つぐちゃんは自分でベッドの準備もしていた。
「寝るまで傍にいます」
「平気よぉ。痛み止めも飲んだし」
「私の歌を聞いてください」
つぐちゃんは私の部屋のアルコーブベッドの脇に座って息を吸い込み歌い出した。
実のところ私はつぐちゃんの大ファンでCDも出ているものは全部手に入れている。つぐちゃんに出会ってから、私の部屋ではいつもつぐちゃんの歌声がかかっていた。
今日は生のつぐちゃんの歌声を聞きながら眠りに落ちられる。
普段は寝つきが悪く、小さな物音でも起きてしまうのだが、その夜はぐっすり眠ってしまって、つぐちゃんが部屋から出たのにも気付かなかった。
翌朝つぐちゃんは朝ご飯を作って、お弁当まで作って、大学と仕事に出かけて行った。
「つぐちゃん、お昼くらい適当に食べるわよぉ?」
「私のお弁当、嫌ですか?」
「嬉しいけど、負担じゃない?」
つぐちゃんには学校も仕事もあるのだ。甘えてばかりではいけない。
できるだけつぐちゃんの負担になりたくないと主張する私に、つぐちゃんが微笑む。
「五百蔵さんのためにお弁当を作れるの、嬉しいんです」
そんなことを言われてしまったら、妙な期待をしてしまう。
いつかつぐちゃんが私の傍を離れて誰か違う相手と幸せになる未来を喜びつつも、私は恐れているのだ。
可愛いつぐちゃんの明るい笑顔が私以外に向けられる。つぐちゃんの大きな黒い瞳に私以外が映る日が来る。
年が倍もある男が願って良いことではないと分かっていても、私はつぐちゃんがこのままの関係で傍にいてくれる時間が少しでも長ければいいと思わずにはいられなかった。
私を見てくれるのはつぐちゃんだけ。
私という存在を認めて、頼ってくれるつぐちゃんが、私は可愛くて可愛くてたまらない。
これがつぐちゃんの思っているような同性としてのものなのか、それとも男としてのものなのか、私はまだ白黒つけたくはなかった。
それを決めてしまったら、つぐちゃんが私から離れて行ってしまうようで怖かったのだ。
五百蔵真珠・ヴァレンチノ、36歳。
自分の気持ちに名前を付けることを恐れる、子どものような私だった。
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