2.つぐちゃんという子
つぐちゃんと出会ったのは六年近く前のこと。つぐちゃんはまだあどけない中学一年生だった。バーで酒を飲まされて潰れてしまった旭さんを送って行ったときに、つぐちゃんは深夜にも関わらず玄関先に出て来てくれた。
「父がご迷惑をおかけしました」
「旭さんの娘さんかしらぁ。簡単に玄関を開けちゃダメよぉ?」
こんな深夜に父親を送って来てくれているとはいえ、男はみんな狼、私だから良かったもののこんな可愛い女の子を見て下心を抱かないとも限らないのだ。注意するとつぐちゃんは俯いてしまった。
「父は夜の仕事ですし、母はずっと臥せっておりますので」
ごめんなさい。
つぐちゃんが悪いわけではないのに謝る姿に、妙な同情心を覚えたのはストレートの黒髪を長めに伸ばしたつぐちゃんが物凄い美少女だったというのもあるのだろう。
旭さんが話すたびに言っていた「天使」のつぐちゃん。
「謝らなくていいのよぉ。アナタも苦労してるのに、こちらこそ、ごめんなさいね」
つぐちゃんのお母さんが幼い頃から病気で臥せっていて、状態がずっと良くないことは旭さんから私も聞いていた。頭を下げたつぐちゃんが顔を上げて私を見る。長い睫毛に縁どられた大きな黒い目が私を映した。
両親は私を視界に入れず、可愛がってくれていたと思っていた祖父は私ではなく私の後ろに自分の従弟の面影を見ていた。誰の目にも真っすぐに映ることはないと思っていた私にとっては、つぐちゃんの純真な真っすぐな瞳が衝撃的だったのだ。
大きな黒い目が潤んでほろりと涙が一粒あどけない丸い頬を伝う。
「ありがとう、ございます……」
張り詰めた糸が切れるように泣き出してしまったつぐちゃんは神聖なもののように見えて、言葉で必死に慰めるが触れてはいけない気がして背中を撫でることもできなかった。
幼い頃から歌の才能があるつぐちゃんはその頃からもうCDデビューをしていて、クラシックの歌い手として名を売っていた。
つぐちゃんのお母さんが亡くなったのは、つぐちゃんが中学三年生の頃。お葬式でつぐちゃんは制服を着て事務的に挨拶をしていたが、私と目が合った瞬間黒い瞳が潤んだのが分かった。
「五百蔵さん……たくさん助けてくれたのに……」
お母さんが亡くなったのもつぐちゃんの責任ではなかったのに、つぐちゃんは私に謝るようにして泣き出してしまった。亡くなるひと月前くらいに、つぐちゃんのお母さんの誕生日で、つぐちゃんは私に相談してくれていたのだ。
「私、歌うばかりでケーキの一つも作れないんです」
不安そうに呟くのは、ケーキが作れないことだけでなくつぐちゃんのお母さんの命の灯が消えかかっているのをつぐちゃんは気付いていたからだろう。
「お母様はどんなケーキがお好きなの?」
「えーっと、ティラミスだったでしょうか」
つぐちゃんを私の家に招いて一緒にティラミスを作った。作り上げたティラミスを持って病院にお見舞いに行くつぐちゃんを送り届けたときの明るい笑顔は忘れられない。
お母さんが亡くなってからつぐちゃんは成長を止めた。
女の子だからその年頃で成長が止まる子も当然いるのだろうが、華奢な体付きに低めの背丈。少女のままで時を止めてしまったつぐちゃんに、私は気付いていなかったのだ。
「言われてみれば、つぐちゃんの歌は癒しの魔法がかかっているし、人間同士の夫婦の旭さんと叶さんの二人の間に産まれたってことに疑問を抱いてもおかしくはなかったわね」
後日、話し合いをしたという旭さんのバーに行って、ピアノの休憩の間カウンターで話していると、旭さんが聞き捨てならないことを口にした。
「つぐちゃんは幸運の青い鳥で、傍に置けば不老不死になれると言う噂が」
なんだそれ。
不老不死というのは魔法と科学が発展した現代でも成し遂げられていない。妖精種や獣人の一部、魔族などで寿命が人間よりも遥かに長い一族はいるが、決して不死ではないし、それを分け与える術などあるはずがない。
「つぐちゃんの歌で病気や怪我が治ったひとがいるから」
それを拡大解釈してつぐちゃんには不老不死をもたらす力があると噂して狙っている輩がいるのだと旭さんは話してくれた。つぐちゃんには確かに治癒や癒しの魔法のかかった歌を歌える才能があるが、不老不死など冗談ではない。
真に受けた愚かな輩につぐちゃんが狙われているのならば、守らなければいけない。
「心配ねぇ。守らなきゃ……あ、一市民を守るのは私の仕事だからねぇ?」
そう、それ以上の意味はない。
意味はないはずなのだが、つぐちゃんを見ると胸がざわつくのはなんでなのだろう。
つぐちゃんにとって私は年上のオネエ様以上の存在ではない。オネエ言葉で喋っているので同性のような気軽さでつぐちゃんは頼って来るのだろう。
何よりもつぐちゃんには頼れる相手が存在しないのだ。
旭さんはこの通り頼りになるタイプではないし、同年代の子が頼りになるかといえばそうではないだろう。
高校を卒業して、18歳になって音楽大学に通いながら歌手の活動も続けているつぐちゃんは、この街で知らないひとはいない有名な美少女だった。だからこそ心配だというのもあるのだが。
「つぐちゃんの話?」
「あ、そうだったわぁ。旭さんに助けて欲しいことがあって」
ずっとつぐちゃんの話ばかりしていたが、今回は市役所から正式に旭さんへ依頼を持ってやってきたのだった。遺跡探索の依頼だ。
『魔族遺跡監理課』では遺跡の探索を行うこともある。今回の遺跡探索は、音楽に関するものだった。特定の曲と歌を鍵として、遺跡の仕掛けが動くことは調査済みなのだが、実際に遺跡で曲と歌を演奏できる人物がいない。
思い付いたのがピアノバーでピアノを弾く旭さんと歌手のつぐちゃんのことだったのだ。
「つぐちゃんはマネージャーさんを通して」
「分かったわぁ。日程が決まったらよろしくねぇ」
汗をかいたグラスに入ったサングリア風のソフトドリンクを飲み干して、私はグラスをカウンターに置いてお会計をする。今日も碌に晩御飯を食べずに飲み物と摘まみだけで終わらせてしまった。
料理をするのは嫌いではない。どちらかといえば得意な方だが、自分一人で食べるとなると広い誰もいない洋館に帰って作るのが億劫になる。
つぐちゃんのお母さんが生きていた頃に、つぐちゃんとキッチンで二人並んでティラミスを作ったのは良い思い出だ。あんなことはもう二度とないのかもしれない。
もう一度つぐちゃんと料理をしたいと思ってしまうのは、出来上がったときのつぐちゃんの明るい笑顔が忘れられないからだろう。「ありがとうございます」という言葉と共に私に向けられた表情。あれは私だけのものだった。
何かをした見返りとして向けられた笑顔だとしても、私にとっては特別だった。
「つぐみさんは私の半分の年なんですよ!」
何を考えようとしていたのか。
振り払って私は駐車場に向かった。
翌日、つぐちゃんのマネージャーさんに連絡をすると、異様な気配を察知してしまった。
『あの……つぐみちゃんは今、ディレクターさんと打ち合わせ中なんですが……その……』
はっきりと助けて欲しいと言われたわけではないが、頭を妙な噂が過る。つぐちゃんを手に入れれば不老不死になれるというあの阿保らしい噂を鵜呑みにする輩もいるのだ。
「そちらに伺わせて、打ち合わせをさせていただきます」
車を制限速度ギリギリで飛ばして辿り着いたスタジオの入口でマネージャーさんが待っていた。
「私は部屋の外に出されてしまって、つぐみちゃんだけと内密の話がしたいと言われたんです」
「分かりました。その部屋に案内してください」
廊下を歩いて連れて来られた応接室の扉を私はノックもせずに開けた。鍵がかかっていたのかもしれないが、めきょりという音と共に扉は開いたのだから、鍵はきっとかかっていなかったのだろうということにする。
「な、なんだ、お前は!」
壁際につぐちゃんを追い詰めた男が私を見て言う。縮こまって震えているつぐちゃんは私の姿を見てへなへなと床に座り込んでしまった。小さな体が床の上に座り込んだのを大股で歩み寄って私は軽々と姫抱きにした。
つぐちゃんに迫る男性からつぐちゃんを引き離すことが先決だと理解したのだ。
「い、五百蔵さぁん……」
涙声で私の胸に縋って来るつぐちゃんの指は華奢で、身体は細く、成人男性が押さえつけてしまえば全く動くこともできなかっただろう。
「市の『魔族遺跡監理課』の五百蔵真珠・ヴァレンチノと申します。この度は舞園つぐみ様に遺跡管理に関することで依頼があって参りました」
「こっちは大事な話をしていたんだ」
「18歳の女性を壁際に追い詰めるのが大事な話なのでしょうか? この件に関しましては、あなたの上司の方ともじっくり話し合わせていただきましょう」
市のお偉いさんから手を回してこのディレクターが二度とつぐちゃんの近くに来ることがないように、社会的に抹殺すべし。私の魂がそれを告げていた。
縦抱きにして片腕でつぐちゃんを支えながら、もう片方の手の平の上に私はキューブ状の魔法具を取り出した。圧縮の魔法がかけられたそれは、手の上で展開されて大きく機械のリムが張り出し、大人の背丈くらいある巨大な洋弓型のレールガンになる。つぐちゃんを抱いているので弦を引くことはできないが、その重厚な出で立ちだけで、つぐちゃんに迫っていた男性が後退る。
「ひぃっ!? な、なんなんだ!?」
「18歳の女性を壁際に追い詰めないと話ができないような輩には、武器でお話しした方が早いかと思いまして」
「市の職員が市民を脅して良いと思っているのか!?」
喚いている男性を無視してつぐちゃんを抱き上げたまま私は駐車場に停めた車まで運んだ。マネージャーさんからはつぐちゃんに市の『魔族遺跡監理課』から仕事を依頼することを承認してもらう。
「私だけではとても助けられなくて、助かりました」
マネージャーさんは成人しているが女性で、鍵のかかった部屋に入り込む方法もなければ、あの不埒なディレクターを黙らせる方法もなかったのだろう。
「助けを求めてくださって賢明でした。私でつぐみさんを守れるのでしたら、どれだけでも、なんでも致します」
仕事を頼むのだからこれくらいのことは当然だ。
ここに下心などない。涙を堪えて洟を啜っているつぐちゃんの恐怖を思えば、私のしたことなど小さなことだ。あのディレクターに関しては二度と表舞台で働けないようにしてやるつもり満々だったが。
「落ち着くまで、少し休みましょうか」
「いえ、私、できます」
車に乗り込んだつぐちゃんをカフェにでも連れて行ってお茶とケーキで落ち着かせたい気持ちはあったが、つぐちゃんからそれを断られた。仕事として引き受けた以上つぐちゃんにもプライドというものがあるのだろう。
「分かりました。よろしくお願いします」
つぐちゃんを車に乗せて、私は遺跡へとハンドルを切った。
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