第二話「家族」
守護士とは、長年に及ぶ大陸の騒乱を目の当たりにした、ネンティアン公国のトーマス三世によって「大陸のすべての人の守り手であれ」の理念のもとに設立された非政府組織のことである。主な活動内容は地域住民の支援・魔獣退治・要人の護送など多岐に渡り、悪意のある人間によっては「金を払えば何でもしてくれる便利屋」と揶揄するものいる。
しかし実態は、政治への非介入や専守防衛などその活動に制限も多く、危険も多いため、成り手が少ないのが実情であった。
また守護士には四つの階級が設定されており、上から黄金級・白銀級・青銅級・黒鉄級と呼ばれ、階級に応じたランクの任務しか受けられないことになっていた。
そして本日、その守護士に新しい一員が加わった。ケビンは守護士の象徴である騎士の兜をあしらったバッチを夕日に掲げながら、誇らしそうに帰路を歩いていた。明日から本格的に任務に就ける。そう思うと胸の高まりを抑えることが出来なかった。
その姿をフィルとジャックは後ろから眺めていた。そしておもむろにフィルはジャックに、ケビンに聞こえないような声で話しかけた。
「それでジャックはこれからどうするんだ? お前も守護士になって二年経つのに全く任務に就かなかったのはケビンを待っていたからであろう?」
「ん? ああケビンに付いていくさ。青銅級に上がるには大都市の支援者たちから支持をもらわなきゃいかんしな。俺はあまり興味ないけどケビンは上を目指すんだろう」
実はジャックも二年前に守護士の資格を手に入れていた。しかし、ケビンも守護士を目指すことを知ってランクを上げることはせずケビンが資格を手に入れるのを待っていた......結局彼も父も過保護なのである。
フィルは肩をすくめて言った。
「そうか。まあ頑張るといい。旅は男を何倍にも大きくしてくれるからな」
「へっ! 言われなくても。ところでターナーさんはどうしたんだ?」
「ん? ああそういえばお前らに言伝を頼まれているよ。まあ夕食の場で話すさ」
そう話をしていると、いつの間にか三人は目的地についていた。三人の目の前にあったのは素朴な木造の家であった。家の大きさは精々五人が住める程度であろう。二階建てで屋根には煙突があり、中で誰かが炊事をしているのか、そこから白い煙が立ち上り、玄関の戸にはリースが飾られていて優しい印象を与えた。家を囲むように杭が立てられており、庭には数種類の野菜が植えられていて、休日の家族の過ごし方が目に浮かぶようであった。
本来フィルの数々の功績を考えれば大きな屋敷に住むこともできるのだが、そこは生粋の武人であった。
「衣食住さえ十全にあるのならば、過度なものはむしろ堕落を招く」と言ってこのような質素な家に住み続けているのだ。しかも、近隣には村や街もなく、時折ジャックやケビンが歩いて三日ほどかかるウェルカの街まで生活必需品を買い出しに行かなければいけないほどであった。
しかし、口にこそ出さないがケビンもジャックもそのような父が好ましく誇りであるとさえ思っていた。
ケビンが足取りも軽く家の扉を開けて中に入ろうとしたその時であった。突如として扉が開き、中から大きな塊が飛び出てきて、ケビンに激突した。あまりの速度にケビンはその物体を受け止め切ることが出来ず、体を九の字に曲げていた。
ケビンは崩れ落ちそうになる脚をなんとか踏みとどまらせて、口を引きつらせながらその物体に話しかけた。
「た......ただい......ま。......エ......マ」
どうやらケビンにぶつかってきたのは少女であるようであった。エマと呼ばれた少女は(今にも崩れ落ちそうな)ケビンを力いっぱい抱きしめて、そして満面の笑みでケビンに話しかけた。
「お帰りなさい! ケビンお兄ちゃん!」
ケビンのことを「兄」と呼んだのは快活そうな少女であった。齢はケビンより一つ下くらいであろう。フィルやジャックと同じ燃えるような赤毛をショートカットにし、短パンから覗く健康的な脚は彼女が普段、家にいることを好まないであろうことを想像させた。そして動きやすそうな服とは対照的に、可愛らしいうさぎの刺繍を誂えたエプロンが彼女のまだ幼い魅力を引き立たせていた。
まるで活劇のワンシーンのような二人の姿を見ながら、フィルはジャックに耳打ちした。
「おい......ジャック......あれは......」
「ああ......致命傷だ......」
「不憫な......」
立っているのもやっとなケビンを見て二人は嘆息した。それもそのはずである。ケビンは朝から守護士になるための数々の試練を打ち破ったのだ。その上で最後に強烈なタックルを急所に食らった。既にケビンは限界であるはずなのに、それでもケビンは立ち続けていた。ひとえに可愛い妹を思う気持ちからである。ジャックは助け船を出すことにした。
「エマ? 俺らにもお帰りのハグはしてくれないのか?」
「いや! くさい!」
「「臭くないよ!!」」
父子の声が重なった。弟を助けようとしたら大事故である。昔は父、兄弟分け隔てなく接してくれたのだが、今ではケビンにしか懐かなくなってしまった。どうやらエマの好みはやせ型の男性であるらしく、フィルやジャックのような筋肉質の男はいつしか嫌悪感の対象となってしまっていた。
父子がさめざめと泣いていると、奥からもう一人女性が手を拭きながら出てきた。長い黒髪を後ろで束ねたきりりとした顔立ちの美女である。瞳の色はエマそっくりの美しい森林を思わせるようなエメラルドグリーンで、深い優しさを感じさせた。そして紅い口には煙草をくわえ、そこから立ち昇る紫煙が彼女の大人の魅力を引き立たせていた。
そして美女は扉の前にたまる一同を見渡し最後にケビンに目を合わせて問いかけた。
「おかえり。ケビン。試験はどうだったんだい?」
「ただいま。母さん。もちろん、合格したよ」
「合格するのは当たり前じゃないか。あたしの息子なんだ。問題はあのアホにちゃんと一発食らわせたのかってことさ」
「もちろん! 一撃だけだけどね」
「いや大したもんじゃないか。あれでも一応黄金級守護士だからね。かますのは簡単じゃなかったはずだ。よくやったよ」
「あ~マリアンヌ? アホというのはもしかしてワタシのこと?」
フィルが(これ以上ないくらい)低姿勢で質問すると、マリアンヌと呼ばれた女性(どうやらケビンたちの母親らしい)はギロリとフィルを睨みつけて言った。
「当たり前だろ? 自分の息子をこんなになるまで痛めつけやがって、アン?」
自分の妻からの恫喝を受けて歴戦の勇士であるフィルはすくみ上った。このうちでは圧倒的にマリアンヌが絶対権力者なのである。フィルはしどろもどろになりながら弁明した。
「し......しかしな? マリアンヌ。守護士の仕事というのは危険も多いしな? やはり手加減は出来んというか......ターナーだって露骨にそんなことすればばれてしまうだろうしな?」
「そんなことはわかってるんだよ? だけどよぉ......無駄に痛めつけることはないんじゃねえのか? あんたなら無傷で済ますこともできたんじゃないのか?」
「いや......それは.......その......」
なおもにらみつけるマリアンヌに対して、ケビンはフィルをかばうように言った。
「いや、母さん。これでいいんだ。試験に受かったとはいえ、自分はまだ親父の足元にも及ばないことが分かったんだ。いつか必ず親父のことをぼこぼこにして見せるから母さんたちは応援しててくれ」
そういうケビンを見て、マリアンヌは一瞬だけ目が潤んだ。大きくなった我が子の成長を強く感じたからだ。(言われたフィルは冷や汗を流していたが......)
マリアンヌは表情を悟られぬように明後日の方向を向くと、一同に向けて言い放った。
「ほら、さっさと手を洗ってきな。今日はエマと二人で御馳走を作ったんだ。冷める前に食べちまおう。そう言うとそそくさと家に入っていった。
それを見たエマとケビンはお互いに悪戯っぽく笑いながら、ジャックはしょんぼりしている父を慰めながら家に入っていった。