第八話「罠」
ソレは飢えていた。普段ならば人里になど降りてこないのだが、ここしばらく山の気脈が乱れているせいか、食べ物を確保することが難しくなっていた。それゆえに仕方がなく人里に降りてあの赤い果実を奪うしかなかったのである......いや......人間たちが作るあれが殊の外旨かったというのもあったのだが......
ソレは俊敏であった。ここ数日誰にも見つかることなく仕事をやってのけるくらいには彼の山で鍛えた脚力はあののほほんとした人間どもの感覚では捉えることが出来ないほどの速さで動くことが出来た。
ソレは賢かった。人里に降りてきた瞬間すぐにより隙の多い生き物が区別できた。どうやらあれは自分たちの感覚で言うとメスらしい。顔も平らで毛づやも悪く自分の感性で言えばまったく欲情を覚えないのだが、とにかくオスと見受ける奴らよりも動きも遅く、仕事がしやすいことを、彼の山での狩人の本能が知らせていた。
今日もいつもと同じように仕事を済ませるだけ。ソレは傍目には分かりづらいがほくそ笑んでいた。山と比べてなんと仕事のしやすいことか。長の言いつけなど守らず、もっと早く来ればいいとさへ思っていた。
温泉の近くまで来たソレの眼はいつものように二人の獲物が湯船につかっているのを捉えていた。一人は柔らかい黒髪を湯船に垂らし、肩付近まで布で覆いゆっくりとお湯につかっていた。ときおり口から漏れ出る吐息が色っぽく、清涼な月と対照的に映り、同じ種族が見たらたいそう蠱惑的に見えたであろう。
もう一人は黒髪よりも少し大柄であった。淡いブロンドの髪がお湯を弾いて、まるでガラス球を散りばめたようにきらめいていた。上気する頬は外で裸になることの恥じらいであろうか、うっすらと紅くなり、白い湯気で一層目立っていて愛らしく感じさせた。
しかし、ソレにとってそんなものはどうでもいいことであった。彼の目的は一つ、傍らにある赤い実を甘く味付けしたものであった。人里で偶然あれを手にしてから、ソレはすっかりその味の虜になってしまっていた。
ソレはいつものように仕事をすることにした。まず目的のものと反対側で微かに気配を発する。すると「誰!?」(妙に声が低いような気がしたが)と二人は恐る恐る近づいてきた。あとは簡単である。普通の人間では捉えられない速さで逆側に回り込み目的のブツを回収するだけ。
いつものように音もなく果実を盗ろうとした瞬間であった。二人がバッとこちらを向いた。気付かれたと思った。しかし逃げればいいだけである。鈍間な人間どもは追いつくことはできない。
しかし、実際に動作に移すことはできなかった。ソレの目の前に飛び込んできたものはあまりにも衝撃的なものであったからだ。ソレはあまりのことに腰を抜かしてしまった。
「ガッハッハッ!! 見つけたぜぇ!!」
その二人は女装をしたジャックとケビンであった......
☆☆☆
あまりにも醜悪な光景であった。盛り上がる僧帽筋。お湯にきらめく上腕筋。よく鍛えられた大腿筋。そして夜風にたなびく金黒のロングヘア―と股間のイチモツ。
ソレはあまりのことに動けずにいた。ナンダコレハ......今目の前で見ているものがソレにはわからなかった。しかし彼の本能が告げていた。カカワッテハイケナイ......
「なるほどねぇ......猿型の魔獣マンキーか~道理で動きが俊敏で器用なはずだぜぇ! なあケビン!」
話を振られたもう一人の男は目が虚ろだった。いつの間にか隠し持っていた剣を抜き放ち、美しい黒髪をぬめりと垂らしてマンキーを見やっていた。
「殺さなきゃ......早く殺さなきゃ......オヨメニイケナクナッチャウ......」
「ヒィッ!?」
「落ち着けケビン! お前が行くのは婿だ!」
ジャックは些か見当違いの突っ込みをし、マンキーはまるで人間のように小さく悲鳴を上げた。早くここから離れなければいけないのに動けない。まるで金縛りにでもあっているかのようだ。
「さ~て、マンキーちゃん♡ 今そっち行くからねぇ」
「ヒィッ! ヒギィィィッ! フギィィッィッ!!」
腰のものとブロンドヘアーを振りながら拳をぽきぽき鳴らせて近づいてくる怪物が一人。やや遠くから剣を構えて猿が逃げようとするのを防ごうとする狂戦士が一人。マンキー半狂乱。顔は涙目になり、腰は抜かせども手足を必死に動かして逃げようと必死だった。
「ヒァッッ!!? グヒィィィッッツ!? ヒギャァァァ!!」
いくら獣と言えど女装の変態二人に追い詰められ、あまりにも哀れな姿となっていた。後ずさりをしながら涙目でその場から離れる方法を模索していた。
そうして騒いでいる間に旅館の中から何事かと従業員や客が見に来ていた。彼らは二人の(特にジャックの)あんまりな姿に嗚咽を漏らしたものまでいたが、大捕り物の最中である。固唾を飲んで見守っていた。
しかし、その中にマンキーは一筋の光明を見出した。群衆から少し外れてこちらを見ているメスがいる。そこから逃げ出せる可能性は大いに高かった。マンキーは残った気力を全て振り絞ってその女性に突撃した。
「しまった! 危ない!」
ジャックは叫んだが遅かった。マンキーの手はその女性......リンに届きそうであった。リンは急な事態に動くことが出来ず、ジャックもケビンも追いすがったが間に合わないと感じたその時であった。
「うおおおおおおっっっ!!」
ドムがいつもとは打って代わって俊敏な動きで横からマンキーにタックルしたのだ。マンキーとドムは一緒にもんどりうって転げ一人と一匹仲良く温泉の縁石に頭をぶつけて目から星を出して気絶してしまった。
ケビンとジャックは急いでドムの所に駆け寄ったが、命に別状はなさそうであった。そしてあまりに意外な決着にその場は騒然としていた。
☆☆☆
その騒ぎを近くの崖上から見つめる二人の男の姿があった。ただならぬ雰囲気を醸し出していたうちの一人が口を開いた。
「まさか、猿とはな......」
「ええ、話を聞いたときは同志を見つけたものだと思ったのですが、中々うまくいかないものですね......ですが......」
「うむ、まさかこのような所で逸材を見つけるとはな」
二人の視線の先にはケビンとジャックがいた。泣いてドムにすがるリンを引きはがし、急いで手当をしようとしている所だったが、不意に二人とも悪寒を感じたのかぶるっと体をふるわせた。
「ふっ......この距離で我らの視線に気づくかよ」
「必要な事ですよ? 闇に生きるものとして、常にセンサーは機能していなければいけません」
「確かに......な......奴らの次の目的地は?」
「おそらく、ウェルカの街でしょう。守護士のエンブレムをしていますからね」
「ほう? あの街にはたしか......」
「はい、彼がすでに」
「ならば奴に判断させよう......我らの同志となりえるのかを......な......」
「ふふっ、楽しみですね。仲間が増えるのは常に喜ばしいことです」
「俺は今の方針にはあまり賛成ではないがな......純度が下がる」
「まあまあ、我らの悲願のためには数も必要ですよ? 最近この地でもギルドの動きが活発になってきましたしね......」
「ふんっ」
気に入らんとばかりに一人が鼻息で文句を言った。そしてもう片方がなだめつつ二人は踵を返して、闇の中に消えて行った。一瞬、月明かりで二人の姿が見えた。一人は全身黒タイツで、今一人はSとMプレイで使われそうな拘束具のような恰好をしていた......それを見たものは夜目の利く獣と鳥だけであった。




