時回り 空回り
最初というのは誰しも遠慮するせいなのかは知らないがどこか互いによそよそしい。
しかし、時間というものはそういったぎこちない関係を強くしたり崩したりしてしまう力を持つ。
自分も初めのころはいろいろな人達に話しかけられたりしたが、人間というものは一度それなりの繋がりを持つとその繋がりを持ち続ける事を好むらしい。
そして、そのようにして一度作られた繋がりというのはなかなか消えないものである。
入学式からおよそ二週間。
始めは授業や学校にも新鮮さを感じていたが、人間の適応力は素晴らしいらしく二週間も経てば新しい生活サイクルに慣れてしまった。
学校でも俗にいうグループというものもいくつもできており、昼食や遊びに行くときもそのグループで集まってどこかに行くようだった。それは自分も小学生の頃から見たことのある光景だった。
「おーい。時枝。聞いているかい?」
声を掛けられその方向を見る。
「あ……悪い。よそ見していた」
軽く返す。
「なんか最近ぼーっとしていることが多い気がするけど大丈夫か?」
「ああ、大丈夫だ」
花山は少し不満そうな表情を浮かべている。多分、構ってくれないことに対して不満に思っているのだろう。
すると、周りを見渡した後に少し不敵な笑みを浮かべ自分に話しかけてくる。
「時枝はいつもあの人達を見ているよね。何か気になる子でもいるのかな?」
花山にしては珍しく煽りながら話してくる。
「そういうのじゃない」
強く否定する。
「そこが逆に怪しい」
笑いながら揶揄ってくる。
これ以上否定したら本当に怪しまれかねないと言葉を返すことをあきらめながら小さく溜息をつく。
もっとも、花山もなかなかに鋭い。花山が思っているような気になる子と言うのはいないが、今自分が見ていたグループに対して興味を持っているのは事実だ。
彼らのグループは男子五人女子三人で構成されている。そんなに多くの同じ人間とずっといるのはあまりいい記憶がないのだ。
彼らがどういう風にして生活し続けていくのかというのは少し気になっている。
これはあくまで一個人の考えでしかないのだが、あまり大勢で集まりすぎると互いに気を使いすぎて逆に居辛くなる。
普段楽しく生活しているときはそうでもないのだが、ふとした瞬間に周りとの温度差を感じてしまうのだ。
それだったら最初から少人数の方が互いに気が楽だろうと思っている。
もっとも少人数でのデメリットもあるのだが………。
流石の花山も自分がそんなことを考えているとは思いもしないだろう。だが、それで構わない。人にはパーソナルスペースというものがあり、何人も踏み込んではいけない領域というものは存在するものだ。
「そうだ。部活は何に入るか決めたかい?」
「部活……? 俺は入るつもりはないが……」
少し驚いたような表情をしている。
「それは少しもったいないと思うよ。せっかくの高校生なんだしさ。勉学以外にも楽しみや趣味を見つけないと。時枝は何か趣味はあるかい?」
「趣味か……」
少し言葉に詰まる。
別に自分は趣味も特技もない寂しい人間というわけではない。しかし、果たしてそれを人に胸を張って言えるものかと聞かれると何とも言えなかった。
「趣味の一つでも持ってないと大人になったら大変だよ。せっかくだし何か部活に入らないか?」
「……そうだな。また、考えとく」
「そうしてくれ。そうだ………………」
なかなかに花山の話は長い。出会ったときからよく話しかけてきたが、ある程度仲良くなって気を許す間柄になってくるとよりその長さを実感した。
自分的には向こうから話しかけてくれる方がありがたいので助かっているが……。
花山の話を聞き流しながらまた教室を眺める。ちょうど花山と教室の後ろのところで昼食を摂っているために教室全体がよく見渡せるのだ。
すると扉を開け入ってくる人が一人。東雲である。今では眼鏡姿がデフォルトのようになっていて、女優の星野志乃の面影は一切感じさせない。
もちろん星野志乃がどういう人物かは知らないが、周りの人間が騒がないということはそういうことなのだろう。
あの時以来ほとんど話らしい話はしていない。ここまで何も話さないでいるとあの時の出来事は本当にあったことなのかなどと疑ってしまうほどだった。
東雲は食堂にでも行っていたのだろうかなどと思いながら見ていると自身の席に座って弁当と思しきものをかばんに仕舞っているようだった。
普段から人と話す様子がない東雲が外のクラスの人と仲良くなって弁当を一緒に食べているのだろうか。
人と話すことが苦手と言っていた東雲が果たしてそんなことができるのかは聊か疑問ではあるが、変に人を模索するのは良くないと考えることをやめる。
「…………………………というわけだ。なかなかいいと思わないか?」
「ああ、確かにいいな」
内容は詳しくは聞いてないが何やら部活の話をしているようだった。
まだ続いていたのかと相変わらずの話の長さに一種の尊敬の念すら浮かぶ。
「なあ花山。あの人ってどういう印象だ?」
部活の話題を変えるために座席に座って本を読む東雲を指さす。
「えっと、あの人は……東雲さんだね。んー、なんというかよくわからないね。あえて言うとすればよくわからないということが印象的というべきかな」
「そうか」
「彼女と知り合いかい?」
「少し違うが……まあ似たようなものだ」
「彼女にも知り合いがいたんだね。彼女が誰かと話しているのを見たことなくてさ。クラスの噂だけど話しかけても碌な返事が返ってこないらしいよ」
「そうか……」
東雲がクラスからそう言った印象を受けているとは全く思わなかった。
あくまで想像できる範囲でだが、自分が星野志乃であることを隠そうとして、混乱し結局何も話せないということになっているのだろう。
偶然とは言え知り合いになった自分とでさえ、自身のことを話そうとすると慌てていたのだ。数人で集まって彼女自身のことを聞かれると彼女はまともに言葉を返せるはずがないだろう。
「そうか、ありがとう」
弁当箱のふたを閉め、ふぅと軽く息を吐く。。
「悪い。少し席を外す」
花山の返事を待たずに席を立った。
——翌日。
午前の授業の終了の鐘が鳴る。
「今日は昼飯どうする?」
「ああ、すまない。今日は今から行かなきゃいけないところがあってな」
「そうか。わかったよ」
軽く返事を返すと花山は別の友達のところへ声を掛けに行った。
それを横目に時が来るのを待つ。そう待たないうちに東雲は手に何かを持ち教室から出ていった。
自分もまるでトイレに行くかのようにふらっと教室を出る。
教室を出ると東雲が階段を下りていくのが目に入った。その姿を追うために階段の上から東雲の様子を探る。
どうやら一階まで降りて行ったようだった。
そこから先の動向はわからなかったが、ここまで来ればおおよその予想は付く。
階段を降りていき中庭に続く扉を開けた。
中庭にはいくつかの植物が植えられており花壇などには色々な花が植えられていた。
周りを建物におおわれたその植物の森は何とも言えない不思議な空間だった。
今ある悩みや苦悩をすべて捨て去ってここで昼寝でもしたいものだ。そんな思考が頭によぎったが頭の隅に追いやる。
中庭の奥に入ると花壇のすぐそばに置かれているベンチに座っている人物が見えた。
「ここはいいところだな」
近付きながらそういうとベンチに座っていた人――東雲は驚きながらこちらを向く。
「時枝さん?! どうしてここにいるのですか?」
「それを聞きたいのはこっちだよ」
東雲は答えることなく黙ってしまう。一瞬沈黙が流れたが、その時東雲はベンチの真ん中からベンチの端に寄る。
言葉はなかったが隣にどうぞという意味なのだろう。
前例があるとはいえ女子の隣に座ると考えると少し躊躇ったが、折角場所を開けてくれたのだからという葛藤が頭の中で起こる。
結局後者が微妙に勝ち、ベンチの端に座る。
二人の間にある実際の距離が今の二人の心の距離なのだろう、なんてどこかの小説の一文のようなセリフが一瞬よぎる。
そんな雑念を振り払う意味でも東雲に声を掛ける。
「これはクラスで聞いた噂なんだが東雲に話しかけても返事が返ってこないってさ。別にその人を嫌っているわけではないんだろ? どうして返事を返さないんだ?」
ちらりと東雲を見る。何かを話そうとしているようだが言葉がまとまっていないのか言葉を発してはいなかった。
東雲を待っている間、この中庭の植物たちを見る。花壇や低木などが見られ綺麗に整備されている。
芝も一部剥げている所は見られるが、しっかり手入れされており、それなりに手間暇が掛かっているはずだ。
花宮高校にここまで出来るほどの資金はないはずだが、花山に聞いた所によると学校の整備士の趣味らしい。
公私混同とはこの事だが、それでみんなが幸せになるのならそれでいいのではないかとも考える。
ようやく今まで口を閉ざしていた東雲が口を開く。
「私、今までは大人の方と話すことが多くて、同年代の子とはあまりお話しする機会が少なかったですし、会話の内容も社交辞令としての会話しか殆どした事がありませんでした。
そのせいか自分から話すにはどう話せばいいのかがわからなくって」
「でも、クラスの女子が何人か話しかけに行ったって聞いたが」
「はい、話しかけてもらったのですけど……」
そう言って言葉をつぐむ。
「上手く話せなかったと」
「……はい」
その言葉を最後に少しの沈黙が流れる。
何か話を繋ごうと考えるがその後に続けることのできる言葉が思いつかない。
「あの……」
「どうした?」
「時枝さんはいろんな人と仲がいいですよね、特に花山さんとか」
そんなことはない。そう思ったが何も言わないでおこう。
「まあ、花山とは仲がいい……かな」
「どうしたら時枝さんのように人と仲良くできるのですか?」
そう言われ悩む。
どうやって仲良くなるのかと急に言われてもよくわからなかった。
花山と仲良くなった時はどうやったか考える。確かあの時は花山から話しかけられたはずだ。
じゃあ他の人は? ……考えてはみたが意識していたわけでもないためよく覚えていない。
「あの……。時枝さん。無理はしないでください」
心配そうに顔を覗かせてくる。人に心配されるほど変な表情をしていただろうか。
「いや、大丈夫だ」
「すみません、何回も時枝さんに頼ってしまって」
東雲は少し俯いた。なんだか自分が悪いような気分になり目を背ける。
「いや、いいんだ。気にしないでくれ」
「……ありがとうございます」
小さく呟くように礼を言う。
何か気の利いた言葉はないだろうかと思案するが何も出てこない。
気まずい空気にとりあえず頭に浮かんだ言葉をややぶっきら棒に突きつける。
「今すぐ何か言えるわけじゃないが……。何か共通の趣味とか仕事とかの話をしてみたらいい……んじゃないか」
そそくさとベンチから立ち上がる。
「……わかりました。ありがとうございます」
それっぽいことを言ったが、それが出来ていれば東雲も苦労しないだろう。しかし、今はこの場にいることがつらかった。
中庭を出てすぐ時計を見る。どうやら三十分近く話していたようだ。いや、ほとんど沈黙の時間だっただろうが……。
これでは昼飯を食べる時間はないなと思いながら階段を上っていると、二階まで上がったときに後ろから声を掛けられる。
「おやおや、時枝が女子と中庭で二人とは……。何をしていたのかな?」
今までしていた東雲と話していたことを指摘され驚く。声から声の主が誰なのかは予想がついた。
できる限り動揺を隠すように振舞う。どこまで隠せているかはわからないのだが。
「見ていたのか」
「ああ、あれはうちのクラスの東雲さん……だったかな?」
じっと花山を見る。若干揶揄っている様子もあるが、基本的には真面目に聞いているようだった。
「……そうだよ。それで、何が目的だ?」
「ひどいね。別に目的なんて何もないよ。ただ、少し気になったのさ。あまり人に関心を持たない時枝が自分の時間を割いてまで人のために動いたっていうことに」
花山は人をよく見ている。
確かに花山の言うように自分は人にあまり興味を示さない。かと言って人間関係を疎かにしているわけではないので、しばらく一緒に過ごしていたからといってわかるものではないと自分では思っている。
「よく見ているな、花山は」
「それはどうも」
「ただ単純なことだ。いずれしなければいけない事なら大事になる前に解決する方が楽だろ?」
「ふーん。なるほどね。ところで内容は聞いていいのかな?」
「どうだろうな。それは俺にはわからない。自分の事ではないからな」
「そうか。まあ、何か困ったら相談してくれよ。時枝もそんなに人と話すのは得意じゃないんだろ? 特に女子とはさ」
少し不敵な笑みを浮かべたまま花山は行ってしまう。あの様子だと話していた内容を察しているのだろう。
相変わらず察しがいい。
この観察力と面倒見の良さが花山に友達が多い理由だろう。それ故に少し恐ろしさも感じるが……。
何がともあれ自分に出来ることは限られている。それでも、できる範囲で協力してやろうという気はあった。
自分自身人の事情に足を突っ込むのは嫌いだが、苦しんでいる人をほっとけるほど薄情ではない。それに今回の問題に対応しうる宛もある。
校舎の階段をもう一階上がり普段自分の教室へ向かう方向と逆の方向へと足を進める。
同じ建物の中、しかも同じ階であるのに普段通らない場所というだけで少し雰囲気が違う。自分達の教室がある一から四組側は教室前でも割と静かで大人しいイメージが強い。
一方で反対側の五から八組側はやや騒がしい。廊下を歩いていても教室から漏れる声が聞こえている。
おそらく自分達の教室側が静かであるのは、特進コースである一、二組があるからだろう。騒ぐ人数が減れば必然的に静かな印象が生まれる。
目的地である一年五組の札がかけられていることを確認してから教室を少し覗く。
一通り見渡してみた。
本来ならそこに知っている顔が一人いるらしいのだが、どうやら今はいないらしい。それを確認し身を引こうと扉を閉めたのと同じタイミングで後ろから声を掛けられる。
「ねえ、君」
突然後ろから声をかけられ、すぐに振り返る。そこには一人の男子生徒がこっちを見ている。背の小さい大人しそうな子だ。
「自分のことか?」
自分に指差すと彼は頷く。
「僕達の教室に何の用?」
「人を探しているんだ。最も今はいないみたいだけどな」
「そう。いなかったのなら僕が伝えといてあげようか?」
「それは助かる」
「ところで誰を探しているの?」
「海老根凛っていう人を探しているんだ。頼みがあるから放課後残っておいてくれって伝えといて欲しい」
一瞬彼は顔を顰める。
「海老根さんに……ね。わかったよ」
何か苦手意識でもあるのかなと思ったが引き受けてくれたのでこれ以上は追及しない。
「そうか、ありがとう」
「ところで君は凛さんとはどういった関係の人?」
少し悩む。
関係といわれても特別仲がいいわけではない。寧ろ個人的に苦手な部類だ。
単純に自分の姉と海老根の姉が親友同士でその流れで知り合いというだけである。
もし、本当に仲がいいのなら海老根がこの学校に来ていることを知ったのが三日前なんてこともなかっただろう。
「関係……か。まあ、小中学校が一緒の幼馴染ってやつだな」
「そうだったのか。君の名前……聞いていい?」
「自分は時枝だ」
「わかった。それじゃあ伝えとくよ」
頼むと言って自分の教室へと戻る。
放課後。授業が終わり、教室を出ようとするとクラスの女子に止められる。
「ねえ、時枝君。今日…掃除だよね?」
その女子は三本持っている箒の内一本取って渡してくる。もはや返事をする間も与えてくれない。
それを渡し終えると箒を二本持って、おそらくはもう一人の掃除の班のメンバーに渡しに行ったのだろう。
掃除当番であることを伝える方法としては少し押し付けがましいものを感じる。
余り気分のいいものではなかったが、掃除のことは完全に忘れていた以上彼女を咎めることは出来ない。
前もって確認しておかなかった自分のミスに悔みながら、心の中で海老根に済まないと謝るのだった。
掃除があらかた終わった後、二人いる女子の一人が
「確か今日ってゴミ袋をゴミ捨て場に持っていく日だったよね?」
皆に聞こえるようにだろうか、少し大きめの声で話す。
「そうだったっけ?」
もう一人の女子がそう返す。
「確かそうだよ」
よく覚えているなと思いながら塵取りでごみを集め、ゴミ袋に入れる。
「ねえ、杉山君、時枝君じゃんけんで決めよう」
女子二人組は自分と杉山を呼ぶ。
掃除は決められたことだからするのは構わないが、ゴミ捨て場まで行きたくない。まして今日は用事が有るのだ。
しかし、行きたくないのはみんなそうであり、自分の都合ばかり言うことは出来ない。
結局何も言えないまま流れに任せ、じゃんけんに参加するのであった。
「じゃあ、よろしくね。」
軽い調子でごみ袋という置き土産を残し女子二人は帰ってしまう。
そこには溜まったゴミ袋が二つ並んでいる。どちらもそこそこ詰まっており、どうしたら一週間ほどでこれほどのゴミが出るのかが不思議になる。
一つずつ片手で持つ。
見た目こそ割と入っているがゴミの中身は丸められたプリント類が多いのか見たよりは重くない。その様子を見て心配してくれたのか、杉山が声をかけてきた。
「時枝、一人で大丈夫か?」
「問題ない」
「そうか。なんか悪いな。部活が無ければ手伝ってあげたいんだが、練習開始時間がもうギリギリで……」
焦りっているのはよく伝わる。
「気にするな」
一言残し鞄を肩にかけ、体育館裏のゴミ捨て場まで運ぶ。
教室からゴミ捨て場までは割と距離があり、何もない状態で歩いていくのにも結構時間がかかる。
ゴミを両手に抱えている分余計に歩きにくいが、それでも今出せる最大限のスピードで歩いていく。
なんとかゴミ捨て場でゴミ袋を放り込んだ後、急いで一年五組の教室へと向かう。
時間は授業終了から考えると結構時間が経っている。もしかしたらもう帰ってしまっているかもしれない。そう思いながらもまだ待ってくれている可能性にかける。
少し息を切らしながら一年五組の教室前にたどり着く。まだ、電気は付いている。つまり、まだ誰かがいるということだ。
息を整え教室の扉を開け、教室を覗く。
一見誰もいないように見えたが、どうやら一番前の最も窓側の席に一人突っ伏している人がいるようだった。
教室の扉は前後にあり、後ろの扉から見ているためそれが誰かはわからない。
教室に入り、ゆっくりと近づく。近づけば嫌でもわかる。海老根であった。寝ているのか? と思い近づき顔を見る。
目が合った。
寝ていると思っていた人と目が合うというのはなかなかシュールな気分で、驚きの声をあげる。
「お、起きていたのか」
自分の焦った表情を見て海老根の口角は上がっていき
「翔の驚いた顔久しぶりに見た!」
と嬉しそうに笑う。
大分待たせてしまっているはずだが、その割には怒っており様子はなく、ホッとする。
「どちらかというとホラーだがな」
「どちらでもいいよ。翔が驚いていたから」
「はいはい」
「それにしても久しぶりね。何カ月ぶりかな?」
確かに海老根に会うのは久しぶりな気がする。
かれこれ半年くらいだろうか。
互いに高校受験も控えていたし、中学の時はクラスも異なったために意識しなければ会う事もなかった。
「半年ぶりくらいじゃないか?」
「そうね。それくらいかしら」
過去の自分との記憶を辿っているようだった。
昔から変わらずの短めのポニーテールで、彼女の快活さを表すように肌は微かに小麦色だ。
「というか私、翔にここの高校に通っているって伝えたっけ?」
「いや、聞いてない。俺も知ったのはごく最近だ。晩御飯中に姉貴が言っていたんだ」
「ああ、翔姉! 翔姉にも久しく会ってないなあ」
「姉貴の方は海老根姉と今でも時々会っているらしいけどな。そこから聞いたんだと」
「そうなんだ。いいなぁ」
この、いいなぁと言うのは何に対してだろう。ふと思う。
「そうだ、ところで頼みって何?」
相変わらず落ち着きないようで話の話題がころころ変わる。言及しようかとも思ったが頼んでいる以上幼馴染とは言え強くは言えない。
「凛にお願いしたいことっていうのは、自分のクラスに一人、人と話すのが極端に苦手な奴がいて、そいつと友達になってやって欲しいんだ。もしくは友達の作り方を教えてあげて欲しいんだ」
静かに聞いていた海老根は静かに頷く。そして何か可哀想なものを見るかのようにこちらを見る。
「そう……それって翔のこと?」
どうしてそうなった。
確かに人に比べて友達の数は少ないだろうが、人に頼まなければいけないほど人に飢えてはいない。
「いや、断じて自分じゃない」
「そうなのね。さすがの翔もまだそこまで落ちぶれてはいないってことね」
落ちる、落ちないの問題ではないのだが……。
言いたいことはまだいくつかあったが、それを堪え本題へ戻す。
「その子、家庭環境の関係で今までほとんど同年代の人と話したことがないんだ。それで、同年代の人と話すにはどうすればいいのかがよくわからないらしい。
その相談を自分が受けることとなったんだが、改めて友達の作り方といわれてもピンと来なくてな」
海老根の顔を見るとあからさまに驚いた顔をしている。
「翔」
「はい?」
「熱でもあるんじゃないの?」
「どうして?」
「だって、私の知っている翔は出来るだけ面倒な人間関係は作らない人間だったでしょ! それがどう道を間違えて人の相談を受けるようになるのよ!」
「そうは言われてもな。俺もやる気はなかったが、約束があってだな」
「へえ。翔をそこまでさせるなんてどんな奴よ?」
「東雲美咲っていうんだが……」
「えらく女の子っぽい名前の男子生徒ね」
少し怒っているようにも見える。
「いや、男子じゃない」
「へ?」
「いや、女子生徒……なんだが」
多分これほど驚いている顔を自分は今まで見たことがあるだろうか? いや、たぶんないだろう。
驚きすぎているせいなのか口はぽかんとしているのに声は全くと言っていいほど出ていない。
しばらく待っていると声がようやく戻ってきたようで、混乱しているのであろう頭の状況を一つ一つ整理しながら言葉を発しているのを感じる。
「えっと……。とにかく整理していくわね。
まず、翔の頼みっていうのが私に、その、東雲さんの友達になってあげて欲しいということと友達の作り方を教えてあげて欲しいということね」
額には冷や汗だろうか、それが浮かんでおり言葉がとぎれとぎれとなっている。とにかくかなり動揺しているのが窺えた。
「まあそうなる。というか大丈夫か?」
「ええ、大丈夫。翔が私以外の女子と話したことがあるというところに驚いただけ」
心外である。
「まずはその頼み自体は問題ないわ。
でも、一つ。他のクラスの私が友達になっても結局クラスの中では孤立してしまうんじゃない?」
「まずは誰か友達が出来たなら上手く他の友達も出来るのではって思ったんだが……」
「確かにそうかもしれない。
けれどそれじゃあその子のためにならないんじゃないの? 今は良くてもこれから大人になっていく中でそれじゃあだめだと思う」
確かにそうかもしれない。
もともと頼りになるというのは知っていたがここまで大人な考えが出来るとは思っていなかった。
自分の知っている海老根はもっとお転婆な女の子だったはずだ。
身近にいた人の成長に少し感慨深いものを感じる。
「じゃあどうしたらいい?」
「教えてあげてもいいけど……」
少し悩んだ素振りを見せる。が、それはまやかしである事は長い付き合いでわかる。
自分に何かしら仕掛けようとして、その内容を考えているのだろう。
そして、その内容が思いついたのか手をポンと打つ。
「そうだ、この答えは自分で考えてきてもらおう」
「えっ……。教えてくれてもいいじゃないか?」
指を横に振る。
「だって今日放課後残っといてって伝言もらったはいいけど、何分待たせたと思っているのよ」
「それは……ごめん。掃除とかいろいろあって気付いたらこんな時間に……」
割と心の底から謝る。
「そういうわけで、ここから先は自分で考えてみて。もし出来たなら力になってあげる」
少し意地悪そうに笑い、席から立ち上がる。
「帰るよ」
海老根はそういうと自分の手をつかみ引っ張る。
「いいよ。自分で歩ける」
「まあ照れちゃって。いくら私が可愛いからってそんなに照れなくてもいいのよ?」
「照れているわけじゃない」
「ならこのままでもオッケーよね」
言われるままに手を引かれるのだった。
海老根の斜め後ろから海老根を見る。
昔から知っているせいかそこまで意識したことはなかったが確かに改めて見るとかわいいのかもしれない。というよりは社交的で明るい分ためにそう感じさせるのだろう。
手を引かれていると昔のことが蘇る。
昔から今と同じように、外で走り回るタイプじゃなかった自分は部屋に引きこもることも多かった。
その時もよく海老根に今のように引っ張られ、遊びに付き合わされていたものだ。
「凛。もういいよ。流石に恥ずかしい」
先陣を切って歩く海老根に逆らうようにして立ち止まる。
放課後ということでそれほど通行人がいるわけではないが、部活をしている人達からの視線は感じる気がする。
もちろん気のせいだろうが。
「……しょうがないなぁ、わかった。でもここまで来たんだから一緒に帰ろうね」
「一緒に帰りたくなくても家が近所なんだから一緒になるだろ」
「それもそうか」
ご満悦という表情で歩き出す。昔から変わらないなと感じながら、置いて行かれないように歩き出す。
結局、帰りも懐かしい昔ばなしがメインとなってしまった。
それはそれで楽しかったので問題は無いのだが、やはり一番頼りにしていた海老根に自分で考えなさいと言われてしまった以上ほかに頼れる人となると……花山くらいなのだろうか。
無計画すぎたかなと少し後悔を抱えながら帰宅するのだった。
——翌日。
自称ではあるが、自分は朝には弱くはない方だと思っている。
実際に今まで遅刻をしたこともないし、学校にギリギリに駆け込むなんてこともしたことはない。
もちろん今日もその点は正常運転でバッチリ八時過ぎには学校には着いていた。
しかし、今日はいつもと違うことがあった。
「おはよう、時枝」
「ああ、花山か。おはよう」
「おやまぁ、今日は目に見えて瞼が重そうだね。深夜にずっとゲームでもしていたのかい?」
「いや、少し考え事を」
「ほう……。まあ、体を壊さない程度に頑張りなよ」
「ああ」
生欠伸を堪えながら返事をする。
そう、いつもと今日で違う事というのは圧倒的な睡眠量である。
もともと奥の手にしていた海老根から自分で考えろと言われてしまい一晩中考えてはいたのだが、結局何も思い浮かばなかったのだ。
そんな状態では集中力も半減してしまう。結果、授業中の質問で間違えてしまったり、簡単な計算を間違えてしまったりと弱り目に祟り目だった。
「おいおい、らしくないな」
ようやく午前の授業も終わり、一時の休息を得た自分に話しかけるものが一人。
「あの程度の簡単な問題ならすぐに正解も出せただろうに」
「そのはずなんだが、今日は頭が回ってないみたいだ」
「そのみたいだね。もしかしたら、昼飯でも食べたら少しはましになるかもよ」
「そうあって欲しい」
切実にそう願う。
エネルギーを補給すれば確かに何とかなるのかもしれない。
母親手製の弁当を広げる。卵焼きやソーセージなど一般的なものしか入っていないがこの質素さが性に合っている。
「毎日弁当だけど自分で作っているのかい?」
売店で買ったであろうパンを頬張りながら聞いている。
「いや、母親が作っている」
「へえ、それはいいね。母さん、料理はからっきしだから羨ましい限りだよ」
花山が羨ましいなんて珍しい。どちらかというなら寧ろ自分が花山を羨みたいくらいだ。
食事もそろそろ食べ終わろうかという時に声を掛けてくる人がいた。それを見て花山も驚いているようだった。
東雲が申し訳なさそうに自分と花山の前に立っている。
「時枝さん、花山さん食事中すみません。今、大丈夫ですか?」
その声はとても強張っており、いつもの感じとは全く異なっている感じがした。
もちろんいつもの東雲を知っているわけではないためにもしかしたらこれが本当の東雲かもしれないのだが……。
「ああ、大丈夫だよ、東雲さん。どうしたの?」
驚いていたはずだが咄嗟に対応できる当たり流石花山である。
「えっと、時枝さんに言わなければいけないことが……ありまして……」
だってさという風に花山はこちらに目配せをする。花山からの意図を受け取り東雲に話しかける。
「どうしたんだ?」
少しの沈黙を感じる。
多分東雲の頭の中では言おうとしていることは決まっているのだろうがそれを言い出す最後の勇気がまだ出てないのだろう。
ようやく次の言葉を口にしたのはしばらくしてからだった。
「今日、調子が悪そうなのは、もしかして私のことで何かご迷惑をおかけしているのでしょうか? ……本当に申し訳ございません」
深々と頭を下げる。
急に謝られても言葉が思い浮かばない。返答に困っていると
「大丈夫だと思うよ」
花山がそう答える。
「東雲さんと時枝の会話に僕が入るのは野暮だけどさ、時枝は中々やる気は見せないけど、やるって決めたことはしっかりやる方だろうし東雲さんのことを考えていたせいで集中力が続かない、なんて思ってないはずだよ。そうだよね?」
ナイスフォローである。
そんな言葉がよくもまあそんなすぐに出るものだ。
「ああ、確かに今日は集中力が切れやすいがその原因に東雲が入ることはない」
東雲は相変わらず涙腺が緩い。
しかし、やはり人前では涙を流したくないのだろうか必死に堪えているのがよくわかる。
自分の前ではよく涙を流している気がするが……あれも泣きたくて泣いているわけではないのだろう。
「ありがとう……ございます」
東雲は立ち去ろうとする。時枝はそのまま見送るつもりだったのだが、その横で花山が東雲を呼び止める。
「ちょっと待って。少し話は時枝から聞いているんだけど、友達作りを時枝に手伝ってもらっているんだってね」
もちろん言った覚えはない。
花山が自分を見ていてそう感じたのだろう。その問いかけにもう一度東雲は振り返る。
「自分の相談に乗ってくれる“友達”がいるなんて僕は東雲さんが羨ましいって感じちゃうな」
花山は爽やかな笑みを浮かべる。
もう一人第三者がいて、この状況を見ているならその笑みは東雲に向けられたものと答えるだろう。
しかし、自分には東雲だけでなく、自分にも向けられているのではと感じる。
花山の言葉を改めて考える。
そう言えば自分が東雲と友達になろうとは言っていなかった。あくまで自分ではない誰かを探すことに必死になっていた。
最初の一人を探すとして、一番手っ取り早いのが自分であることに全く気が付かなかった。
花山は「ごめん。それだけなんだけどね」といい残し、教室を出る。教室に残ったのは東雲と自分、と少々だった。
少し言葉を整理し東雲に話しかける。
「すまん。昨日、いろいろと考えてみたんだがあんまりいい案が出なかった……。でさ、さっきの花山の言葉になってしまうんだが………」
一旦息を飲む。
「最初の友達って別に自分でも大丈夫か?」
面と向かって友達になってくれないかというのは結構恥ずかしい。
沈黙が流れる。まるで告白でもしているかの気分だ。体中から汗が流れる。
東雲が返事をした頃には汗だくになっていた。
「私も失念していました。私のことをこんなにも考えてくださる人を友達と呼ばずなんと呼びましょうか。………時枝さん、不束者ですがよろしくお願いします」
東雲の顔は先ほどまでの緊張した表情から今は穏やかな表情へと変わっている。
それを確認したところでずっと感じていた緊張が解けようやく汗が止まる。緊張が解けたからか自然とふぅと息が漏れる。
「あー、緊張した」
「それは私のセリフですよ。ここに来るまでにどれほど悩んだことか」
一生懸命いかに精神をコントロールするのが大変だったかを説明する。
その姿はとても愛くるしく見えた。
自分と同い年だけれども、全く違う人生を歩んできた自分と東雲。
世間で十分なほど活躍してきた東雲には失礼なことなのかもしれないが、このような苦手なことがある彼女の方が自分達と同じ人間、高校生として近しい存在だなと感じていた。
少し説明に疲れたのかその場にあった椅子に腰かけ息をつく。そして窓から見える空を見上げながら言葉を漏らす。
「でもよかったです。少しは高校生らしくなれたのでしょうか」
多分誰に向けられたでもない心の声なのだろう。それが自然と漏れてしまったといった感じだろうか。
「そうだな」
しばしの沈黙が流れるのだった。
しかし、その沈黙は決して心苦しいものではなく、清々しかった。もしかしたら一つの約束を達成したことがそうさせているのかもしれない。
これもここまでアシストしてくれた海老根と花山がいたからだろう。そう考えると改めて自分にはいい友達が付いているのだと感じる。
そして、また一人、その中に入ってくるのを心の隅で感じていた。
----------
一仕事終えた後、ラウンジへと向かう。
ラウンジは五階の階段の脇のスペースに設けられており時々生徒が利用していた。
一仕事といっても少し助言する程度だが、それだけで意外と変わるものである。
どのように変わったか気になるところではあるがそこは後日、本人から確かめればいい。
「こっちこっち」と友達に呼ばれる。
先に来て席を取っておいて貰ったのだ。
「ありがとう」そう言葉を返す。
いつもこうして他のクラスの友達や自分のクラスの友達と会話をする。普段は他愛もない会話がメインだが今日は少し違うようだった。
「で、どうなったのよ。その後」
どうなったと言われてもわからない。むしろ聞きたいのはこちらである。
「んー。わからないかなぁ」
「えー。わからないってどうするのよ?」
「とにかくは経過観察かな」
「そんなことじゃあその人取られちゃうわよ?」
「取られるってそんなこと」
友達は話のネタとして楽しんでいるのだろうが、こちらもそれなりに考えて動いている。
ここであることに気付く。
「ちょっと待った。取られるって何よ」
「そんな怒らないで、凛。でも本当のことでしょ」
友達は笑いながら宥める。
「別に翔はそんなんじゃないわよ。ただの幼馴染よ、た、だ、の」
もちろん全く気にしていないわけではない。
しかし、今は何か出来るわけではなく、何より今回のことは彼自身が望んでやっていたのだ。
こちらとしては手伝ってあげたいというのが本音だった。
「それならいいけど。でも、わざわざその東雲って子に助言する必要はなかったんじゃないの? ねえ」
その友達はもう一人に振る。もう一人は読んでいた本から目を離し
「凛、強がりはダメよ」
ズバッと言い切る。
普段集まっているメンバーの中でご意見番的な存在の彼女の言葉は少し重かった。
「うぅぅ――」
少し唸った後机に並べられていたお菓子に手を出す。
「あっ、凛せこい! それ私買ってきたやつ!」
「取ったもん勝ち―!」
確かにどうなるかはこちらにはわからないが少なくとも今はこの友達と楽しみたい。それが今一番強く感じるのであった。