表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ゆめまち日記  作者: 三ツ木 紘
1/20

始まりはいつも雨

 自分達の学校は派手な催し物が好きらしく、入学式に様々な有名人を呼んでいる事でネット上では密かに話題になっている。それが目的でこの学校に来る人がいる程なのだから凄い事なのだろう。


 ところが自分のような芸能に関してあまり興味のない人間にとってはさほど面白い行事でもない。自分がこの学校に来たのは家から近いことと大学の進学率がいいからに他ならない。


 その他の事に関して興味が持てないのだ。


 そんなことはさておき四月四日――つまり今日、入学式があるのだった。


 家から近いという理由だけでこの高校を選んだ事からも中学時代の知り合いが大勢いるものだと思っていたがそうでもないらしい。


 自分の予想でしかないが、ここよりも都会の高校に受験したのだろう。

 個人的にはここはそれほど田舎というわけではないと自負しているが間違いなく都会とは言えない。小学生の頃は裏山に鬼が出るとか墓地で人魂を見たとかそういう作り話が流行っていたということを考えると田舎なのかもしれないが……。


 綺麗にアイロン掛けされた制服を身に纏って家を出る。外はまだ朝霧が残っており、太陽の光が反射して赫々と輝いていた。


 入学式と名の付くものは何回か経験してきたが、いずれも雨の日だった。これからの高校生活は何か縁起の良い事があるかも知れないと考えながら使い慣れた自転車に跨る。


 古くなったアスファルトを自転車で走った時のガタガタした感じもずっと昔から慣れたものだった。いくつかの細い道を抜け、広い道路に出る。この付近に駅があるためか学生や会社員がたくさんいる。

 彼らは駅に向かっているようだが、自転車はその流れに逆らって進む。ある程度進むと人だかりも少なくなる。


 大きな道路もやがては終わりがあるもので突き当りには川が見える。そこを左に曲がり少し走ると川と並走するような形で学校の壁が見えてきた。

 都会の学校よりもはるかに大きいであろう学校の壁を並走しながら門まで自転車を走らせた。


 田舎の学校ということで土地も広くとれるのだろう、駐輪場も割と広い。特に指定の場所があるわけではないらしく、手頃な場所に自転車を止め、入学式の会場だという学校の会館へ向かう。


 受験の時に一度来たとは言えやはり広い。会館と書かれていてもどの建物がその会館を指しているのかいまいちピンと来なかった。


 どこに会館があるのかがわからなければ折角早く来た意味がなくなってしまう。誰かいないものかと周りを見渡す。

 とはいっても時間が早いせいか、もしくは場所が悪いのか誰も見当たらない。


 誰かを探そうととりあえず目の前にある建物の扉(おそらく体育館であろうが)を静かに開ける。どうやら鍵は掛かっていなかったらしく少し軋みながら開く。


 やはりそこは体育館のようだった。

 

 極々一般的な作りで多少古い以外はどこにでもありそうなものだった。場所が場所だけにさすがに人はいないかと思いながら引き返そうとした時どこからか声が聞こえる。


 体育館では声が響いて音の発生源が特定しにくい。


 よく耳を澄ませて聞いてみるとどうやら奥にある舞台の方から声は聞こえてくるようだった。始めは暗くて何も見えなかったが目を凝らしてよく見てみるとどうやら人がいるようだ。


 何のために声を出しているのか、なぜこんなところにいるかなど少々疑問はあったがとにかく人がいるのは丁度よかった。


 近づいていくとその声の主の姿が少しずつ鮮明になってくる。どうやらここの制服を着た女の子らしい。遠目から見てもその容姿がかなり良いことはよくわかった。

 長い髪は背にかかる程であり、掛けている眼鏡によるものなのか知的そうな印象を受ける。その姿を見ながら彼女に近づく。


 こちらがその容姿をしっかり認識できる段階に近づいて初めて向こうも気付いたらしかった。


 彼女はあからさまに動揺しているようだった。


「あ、貴方は誰ですか?」


 御淑やかそうな印象を裏切る声量に少し驚く。強張った表情を見るに豪く警戒されているようにみえた。


「えっと、自分は時枝(ときえだ)(かける)っていうんだが……。……すまん。何かの練習中だったんだよな?」


 彼女は自分の腰が引けている様子を見てか少し申し訳なさそうに言う。


「すみません。大きな声を出してしまって……。その……この発声練習にはあまり気にしないでください。いつも発表前とかにやっているんです」

「今日は何かの発表を?」

「はい。実はこの学校で入学式があって、そこでちょっと舞台に上がらせてもらうんです。そのために練習を」

「へー、すごいな。生徒代表みたいなものか」

「そうですね。今年からここに入学してきました」

「じゃあ、同じだな」

「そうなんですね。もう同い年の方とお会い出来るなんて」


 まるで珍しいものでも見るかのように見つめられる。同年代の人なんてそこら辺に沢山居るだろうに……。あんまり見られると気恥ずかしい。


「ところでなんですけど、どうしてこんなところに入ってきたんですか?」


 それを言われ今の今まで忘れていたここに入ってきた理由を思い出す。


「ああそうだ、聞きたいことがあるんだが、この学校の会館ってどこにあるか知ってるか?場所がわからないんだ」

「ああ、それでしたら校舎の隣にある屋根がドーム状になっている赤い屋根の建物ですよ」

「そうか。ありがとう」

「どういたしまして」

 そうだ、と続けて

「自己紹介、まだでしたね。私、東雲(しののめ)美咲(みさき)って言います」


 彼女はにっこりと笑う。体育館の窓から入る朝日が彼女を明るく照らし出した、ように見えた。


「そうか……。練習の邪魔をしちゃ悪いしそろそろ行くよ」

「はい。また後で」

 彼女がそう言い終える前に体育館を後にした 。





 まだ入学式にまで時間があるのにもかかわらず、会館の入り口には想像よりも多くの人が来ているようだった。


 しかし、おそらくは有名人を一目見ようと集まった一般の人達が大半だろう。有名な人を拝むためにこんな朝早くからご苦労様です、と思いながら彼らの横を素通りし館内に入る。


 館内には生徒分以上のパイプ椅子が並んでいた。たぶん保護者やその親戚のために用意されているのだろうが、外の景色を見るに毎年あのように何にも関係のない人が見学しに来るのだろう。


 そんなことを思いながら一番最前列に座る。外の人達とは異なり館内の学生の数は少ない。


「ったく。姉貴の奴、早く行かないと損するぞーってたたき起こす必要なかったじゃないのか」

 姉の事を恨めしく思いながら溜息をつく。


 自分が早く家を出たのはもちろん遅刻しないというのもあるが、姉の美波(みなみ)が叩き起こしたのが一番の原因だった。


 どうしてそんなに早く起きなければならないのかを聞いた所、姉曰く、芸能音痴のあんたには今からでも芸能の世界を知るべきだ。だから今日は学校に一番乗りをして良い席を取って来い! と朝ご飯を食べている最中熱弁された。

 それをはいはいと聞き流しながら促されるままに準備しているとこんな時間になったのだった。


 姉が自分に早く行かせるのには何か裏があるというのは薄々感づいてはいた。その勘は当たっていて、家を出ていく時に、このカメラで写真よろしくね、と笑顔で渡された。


 弟という立場から考えると姉というのは圧倒的な権力を持っている存在だ。故に反論する余地もないまま姉の希望を押し付けられたのだった。

 肖像権とかは大丈夫なのかと聞いた所、特に問題ないらしい。


 おそらくは自分の子供の入学式の写真を撮りたいという親に対する許可なのだと思うが、姉はそんなことなどお構いなしのようだ。


 このあたりで察してほしいのだが姉は芸能オタクである。色んなバラエティー番組や音楽番組、ドラマ、映画、アニメなどを見続けてはそれを録画しデータとして保存している程だ。しかし、単なるインドア派のオタク系女子大生かと思えば、他の部活の助っ人に呼ばれて活躍する程運動神経も兼ね備えている。


 そんな姉の頼みは面倒だという思いがあったのだが、断って機嫌を損なわれても困るのでとりあえず表面上は快く引き受けたのだった。





 どれくらい時間が経っただろうか。


 どうやら本を読みながら寝てしまっていたらしい。


 周りを見渡してみると来た時よりもはるかに人が増えていた。自分の周りも荷物を置いて席を取っている人がいたり、知り合い同士なのか楽しそうに談笑している姿も見られた。


「やあ、おはよう。君も朝早くからご苦労だね」


 後ろから声をかけられ振り返る。そこには今までに見たことのない男子生徒が自分の座っている椅子の背もたれに寄りかかりながら話しかけていた。


 爽やかそうな笑みを浮かべており、いかにも人受けは良さそうだ。少し跳ねて見える髪は癖毛なのか寝癖なのかは鑑別しにくい。


「おはよう。……ええっと……今までに会ったことあったか?」

「いや、初めましてだね」


 きっぱりと言い切る。初対面でいきなり話しかけてきた人は初めてだ。正直どういう話をしたらいいのかが全く分からない。しかし、向こうはこちらのことを気にするでもなく話し始める。


「君も志乃ちゃんを見るために早く来た人かい?」

「志乃ちゃん……?」


 一瞬何のことを言っているのか全く分からなかったが、逆にわからないことは何を指しているかは理解していた。


「ああ、今日来るはずの有名人か。いや、それとは全く関係ないな」

「そうなのか」


 これは予想外といった表情でこちらを見ている。


「てっきり一番前にいるものだから熱狂的なファンなのかと思っていたよ」

「ファン……ね……。むしろその志乃ちゃんっていうのが誰か知りたいくらいだよ」

「えっ、君は志乃ちゃんを知らないのかい!」

「あ、ああ……」


 この男子生徒はたぶん本気で驚いているのだろうというのは肌で伝わってくる。しかし、ここまで驚くほどの有名人だったのだろうか。もし、そこまでの有名人だったら自分が拒否していても姉貴が入れ知恵しただろうに………。


「驚いたよ。志乃ちゃんを全く知らない人が一番の特等席に座っているなんてね。とんだ笑い話だ。……もしかして誰かに頼まれたのかい? 写真を撮ってきてくれ、とか」


 こいつ、かなり鋭い。


「まあ、似たようなものだ」

「頼まれごととは言えそんなに早く来るとは。そうだ名前教えてもらっていいかな」

「自分は時枝翔だ」

「時枝翔か。よろしく。僕は花山(かやま)晴頼(はるより)っていうんだ」

「花山ね」

「本当はこんなに早く来るつもりはなかったんだけど、実は僕も頼まれた口でね。似たような境遇の人に出会えてよかったよ」


 花山の言葉を借りるなら、“志乃ちゃん”に興味があるわけではない二人が体育館の中央を陣取ってしまっているのだから、多少申し訳なさがある。

 だが、そんなことを気にしている間もなく会場が少しずつ暗くなっていく。それはもうすぐ式が始まる事を示していた。


「もうすぐ始まるみたいだね」


 後ろから花山の声が聞こえる。

 会場全体が暗くなった時に壇上の照明が一気につく。さながら今からサーカスでも始まるかのようだった。

 

 もっとも、照らされた場所に現れたのは華やかな衣装に身を包んだピエロではなく、スーツを着た男性だが……。





 その男性はマイクの前に立ち入学式の挨拶を始めた。入学式の挨拶はよくある典型的な挨拶文だった。


 こういう式になるといつも感じることだが、大人の世界っていうのはつくづく面倒くさい。この長文も結局のところ『入学おめでとうございます』の一言を言うための付属品に過ぎない。そんな風に思いながら聞き飛ばしていく。


 姉から聞いた限りではこの高校の入学式は面白いと聞いていたのだが、その予兆は感じない。入学式が始まってからカメラを片手に持っているがそろそろ重たく感じていた。


 高校というものに対し夢を、あるいは希望を感じている者はこの入学式から希望に胸を膨らませているだろうが、そうではない単なる過程としてしか認識していない自分にとってはありがたい話も無用の長物だ。

 聞き流しているうちに、一部を除いて多くの人が待ち望んだ瞬間が訪れたようだった。


「……では、本日の特別ゲストに登場して頂きます。星野(ほしの)志乃(しの)さんです」


 司会がそういうと今まで静まり返っていた会場が一気に盛り上がる。今までは通夜のように静まり返っていたのに、今ではまるでお祭りの喧噪のど真ん中にいる気分だ。


 その声に答えるかのように一人の女の子が出てくる。屈託のなさそうな笑顔を浮かべて会場に向かって手を振りながら壇上の上を歩いていく。彼女が出てくると会場がよりヒートアップしたようで留まる所を知らない。


 あらかた手を振り終えたのだろうか、壇上に設置されているマイクを手に取る。


 有名人の力というのは凄いらしくマイクを手に取っただけで会場が徐々に静かになっていく。もしこれが単なる一般人、例えば自分だったら果たしてこれほど早く静寂が戻ってくるだろうか、いや戻ることはないだろう。たぶん学校の先生だったとしてもここまで早くはないだろう。


 その力にただただ感心する。


「皆さん、入学おめでとうございます」

 そう切り出して挨拶が始まった。


「桜のつぼみが少しずつ膨らみ始め、日を追うごとに春の暖かさが感じられる季節となって参りました。本日はお忙しい中、ご来賓の皆様を始め、多くの保護者の皆様のご臨席を賜り入学式が挙行されますことを心よりお喜び申し上げます。………………………………」


 どこか聞いたことのある文言だった。


 もちろんこう言った挨拶には定型文というものがあるのは知っているがそう何度も聞くものではない。それを承知の上で最近聞いたことがある気がした。





「では、以上を持ちまして第百二回、花宮高校の入学式を終わります」


 司会の発言の後に大きな拍手が起こる。

 この拍手だけを聞いていると今年の入学式も成功だったようだ。有名人が来て祝辞を述べるというだけというのは個人的には物足りないのではと思ってしまうが、その手の人達からすると満足に至る内容だったようだ。


 会場はパッと明るくなる。


「新入生の皆さんは誘導に従って校舎の方へ向かってください」

 先程の司会者がマイク越しに叫ぶ。


「よし、じゃあ行こうか」

 席から立ち上がっている花山が鞄を持ちながら声を掛けてくる。


「そうだな」

 一言返し立ち上がる。


 新入生は一つしかない入り口から出ていく必要があるようで、暫くしてようやく会館を出る。密集した人の中で額には薄っすら汗が浮かぶ。

「この人数は多いな」

「そうだね。大体三百人位いるらしいから」


 あの一つの空間にそれだけの人数がいたということに唖然とする。


「そう言えば時枝のクラスはどこなの?」

「クラス……? ああ、合格通知書と一緒に送られてきたやつか」

「そうそう」

「確か三組って書かれていたはずだが」


 花山は驚いた顔をする。


「へえ、そんなこともあるんだね。僕も三組なんだよ」


 初めて話した人間が同じクラスになるという些細な偶然に喜んでいるようだ。


「じゃあ、このまま教室まで行こうか」


 花山はまるで仲間を見つけた勇者のように勇んで教室に行こうとする。折角その気になっている花山にお供したい所ではあったがその勇者様にとっても自分にとっても悲報がある。


「悪いが先に行ってくれ」

「どうして……」

「カメラを建物の中に忘れた」


 花山は苦い顔をする。これがどういうことを意味しているのかが分かっているのだろう。頑張れよと一言残した彼を見送り、全員が会館から掃けるのを待つ。そうでもしないと一方通行と化した出入り口は通れそうになかった。





 ようやく人も掃けてきた頃に会館に入る。


 一番先頭の列の自分の座っていた席に向かう。数分もかからないうちに椅子の下に収められた一台のカメラを見つける。


 電源を入れて中のデータを確認する。そこにはスポーツ選手と思しき人物と姉貴の写ったツーショット写真が表示される。

 どこでこんな写真を撮って貰ったんだか、と思いながらもこのカメラが自分の持ってきたものであると確信する。

 それと同時に写真を撮り忘れていたという現実も突き付けられる。


 カメラを回収しても怒られる事には違いなさそうだが、失くしてしまうよりはよっぽど良い。


「ふぅ、良かった」


 しっかり回収できたことに安堵しつつ、力のない溜息を零す。


 ここからさっさと出て教室に向かおうとすると背後から声が聞こえてきた。そちらを向くと、壇上の出入り口となっている扉が開き誰かが出てこようとしていた。


「では、私は教室に向かいますね」

「ええ、くれぐれも気を付けてね、志乃ちゃん」

「今はその名前はダメですよ」

「ふふ、そうね」


 志乃ちゃんと言われた人を見る。そこに立っているのは今朝に見た女子高生――東雲美咲だった。一連の会話を耳にしてこの状況に居ることが決して良くない状況であるのはなんとなく察しが付く。


 出来る限り足を忍ばせて会館を出ようとする。だが、この広い会館のど真ん中を歩く自分は例え音を忍ばせようと目立つ。


「そこにいるのは誰?」


 自分の存在に気付いたのだろう。恐らくマネージャーだと思われる人はまるで不審者を見たかのように(傍から見たら不審者だっただろうが)、やや怒鳴り気味の声で呼ぶ。


 声を掛けられても振り向きもせず、足も止めない。寧ろ歩を早めて会館を後にするのだった。





 校舎の中は窓が多く光が入ってきやすい。今日のように晴れ渡った日は非常に気持ちのいい日差しが入ってくるのは容易に想像ができた。階段から見える中庭も一面緑であり、あの緑の上で日向ぼっこをしたらどれほど気持ちのいいことだろうか。


 各階の階段前にはその階の見取り図がある。


 それによると、一階は主に来賓客用の部屋や多目的室、会議室などが中心となっている。二階は職員室など。そして三階は一年生の教室がメインだ。四階は二年生。五階は三年生となっているらしい。


 自分の教室を見つけ中に入る。


 会館を出たのが最後なので当然と言えば当然だが、教室には殆どの生徒が着席しており、席が前後左右の者同士で話しをしている者、読書をする者など様々だ。


 その中で花山がこちらに向き直り、軽く手をひらひらさせる。それに同じように手を振り返し、空いている机に貼られている出席番号と名前の紙を見る。


 出席番号十八番 時枝 翔。


 窓側から三つ目の最後列。どうやらこの場所が自分の座席らしい。


 場所としては申し分ない。教室全体が見渡せて、かつ教師からも注目されにくい位置取りだ。


 別に、内職が出来るから、とか授業中に寝る事が出来るから、というわけではなく、目立たないことが重要なのだ。


 時計は十時三十分を指した頃、最後の生徒が入って来る。


 何気なく目をやる。それは東雲だった。さっと目を逸らし、手元のオリエンテーションのしおりをしげしげと見つめる。特に何か声を掛けられるわけではなく、自身の机に着席する。


 もしかすると身バレしていないのだろうか。


 確かに見られはしたが向こうから見れば自分は背を向けていたわけで、間近で見たわけじゃあるまいし三百人近くいる生徒の中から自分だと断定するのは難しいだろう。


 彼女が部屋に入ってからそう時間がかからずに教師が入って来る。ホームルームの時間が始まった。





 入学式初日の学内活動時間はさして長くない。精々一時間程度だろうか。


 翌日以降の細かな内容や授業カリキュラムなどの説明が主だ。それ以降の時間は各々親睦を深めようとする者、帰宅しようとする者など様々だ。誰かと率先して仲良くなろうということはしない自分はもちろん後者だ。


 プリント類を鞄にしまい込みそそくさと教室を出ようとする。


「時枝は帰るのかい?」


 別の新たな友達と談笑していた花山が声を掛けてくる。花山に返事として手を小さく上げて返した。


 この学校はかなり広い。

 この教室のような一般的な学校設備のある進学棟、技術室や音楽室などの特別教室が主にある専門棟、運動部室が集められた部室棟、特別なときに使用する特別会館、体育館くらいが大きな建物だろうか。

 オリエンテーションで言っていたのはこれくらいだろう。


 他にも小さな建物はあるようだがそこまでいちいち覚えていられない。後は、旧校舎もあるようだが、まあ立ち寄ることはないだろう。


 進学棟一階、中庭が見える付近で肩をポンポンと叩かれる。


「あの、時枝……さん?」


 入学式初日で、まだ教室に誰がいるかも把握していないであろう状況で声を掛ける人物などほとんどいない。

 心当たりがあるのが二人。そのうちの一人は教室にいるだろうし残りは一人しかいない。それを知ったうえであえて知らない振りをする。


「えっと、どちら様?」


 振り向くと予想通り東雲が立っている。少し話しにくそうにしながらもじもじしている。


「話がないなら家に帰りたいんだが」


 そう言うと彼女は慌て始める。

 そして次に周りを見渡す。何をしているのかが全く理解できなかった。


 そうして何かを見つけたのだろうか。そこに向かって走り出す。しかし、そのとき東雲は自分の手も引っ張っていく。まさか走り出すとは思わず一瞬こけそうになる。


「おわっ」


 その声に反応してか東雲は足を止め「大丈夫ですか?」と後ろを振り返る。


 しかし、それがいけなかった。今度は自分の動き出した体はすぐには止まれない。そのまま東雲を押し倒す形で倒れ込んでしまった。


 間一髪で手が出たおかげで体の接触は免れたが、まるで自分が東雲に襲いかかったかのような形となっており、傍から見れば割とまずい状態であることは容易に想像できた。

 入学初日から生徒指導室に呼び出されるのは勘弁だ。


「悪い」


 すぐに東雲の上から体をのける。東雲もすぐに立ちあがり砂を払い落とす。


「すみません。私も急に手をつかんで走ったりしてしまって」


 決して自分が何かを能動的に行ったわけではないがどうしても申し訳ない気持ちになる。


「ごめん」

 小さくつぶやく。


「こちらこそ急にごめんなさい。……あの、少しお話いいですか?」


 何の事かは大凡察しが付く。無言で頷き、先導されるまま中庭のベンチの方へ向かった 。





 彼女は自分をベンチに座らせ、自身も腰掛けるなり「本当に申し訳ありません」と唐突に言い放った。

 頷く事もせず、そっぽを向くわけでもなくただ無言で聞く。


「……実は私、あまり人と話すのが得意ではなくて……。それで慌ててしまってあんなことに。だから時枝さんは何も悪くありません」


 口が達者な人間ならばうまく返すことが出来ただろう。

 しかし、自分もそれほど口が達者というわけではない。むしろ苦手な方だ。それでも東雲を傷付けないように精一杯頭を使って言葉を探し出す。


「自分はあれくらいのことじゃ気にしない」


 どこか打ったのだろうか、目に涙を浮かべているように見える。女の人が涙を浮かべている所などほとんど見たことがない。

 困惑しながらも偶々ブレザーのポケットに入ったハンカチを取り出し無言で手渡す。


「はい、ありがとうございます」


 涙を拭きながら言う。そしてそれを彼女のポケットにしまい込む。


 自分のハンカチはどこに持っていかれるのだろうか。

 ハンカチの処遇は後程聞くとしてまずはこの気まずい状況を打破しに行く。


「どうして自分に話しかけてきたんだ?」


 そう言うと東雲はハッとした様子で再び周りを見渡す。自分も辺りを見渡してみる。今のところ周りには人はいないようだった。東雲もそれが分かったのか口を開き始めた。


「実は時枝さんにお願いがあってきました。時枝さんはお気づきでしょうが、私、東雲美咲は星野志乃という女優です。今朝言っていた発表会というのは今日の特別ゲストとしての出演でした……。

 ……私は女優であることを隠して普通の高校生活を送るつもりだったのです。ですが……」


 ここまで堂々言われると、今日自分は初めてあなたを見ました、とは言えない。


「さっきの会館の時に見てしまった、と」

「早い話がそういうことです」

「それは悪いことをしたな」


 立て続けに疑問をぶつける。


「でも、どうしてそれが自分だと?」


 彼女は少し考えた後

「時枝さんの鞄についているそれです」

 と言い、自分の足元に置いている鞄を指差す。


 厳密にはそこに括りつけられた赤いお守りを指差しているのだろう。


「今朝、体育館でも鞄に同じものを付けた人に出会いました。彼は名を時枝翔と名乗りました」

「ふうん。でも、会館でちらりと見ただけなら見間違えってこともあったんじゃないか? それに体育館だって暗かったじゃないか」

「そう……ですね。確かにそれだけで見た人を時枝さんだと確信する材料にはならないですよね」


 何かを言おうとしているのを躊躇っているように見える。それを言うか言うまいか自問自答した後口を開く。


「実は、時枝さんのカメラ、なんです」

「カメラ?」

「舞台……、というか祝辞ですね。それが終わった後、舞台袖で待機していました。時枝さんがいた場所も祝辞を述べている途中から気付いていたんです。

 みんなが会館から出払った後、私も着替えに行こうとしたんですが、その時に時枝さんが座っていた場所にカメラが落ちていたんです」


 彼女はここまで言うと一旦言葉を切る。ここまで説明されればおおよその結末は予想できる。


「確かに初めは私のことを見たのが誰だかは断定できませんでした。しかし、後で職員室に届けに行こうとしたカメラがそこにはなかったんですよね」


 そこまで聞いてようやく口を開く。


「それで自分が見た犯人だと断定したわけか」

「はい……」


 あえて犯人という言葉を使ったがそのまま受け入れられてしまった。


「でもあれは仕方がありません。事故みたいなものですし」


 すぐにフォローは入った。


 今まではこちらをあまり見ることなく淡々と話していたのだが、身体ごとこちらに向く。


「ここからが本題なのです。時枝さんには私、東雲美咲が星野志乃であることは黙っていて欲しいのです」


 なるほど。そう来たか。


 壇上で見た時と会館や教室で見た時では東雲の恰好は大きく変わっているのだが、それは自身の正体を隠すためだったのだろう。


 東雲美咲の時は、背までかかるほどの黒髪に眼鏡をかけているが、星野志乃の時は、長い髪を結い上げて眼鏡もしていない。

 化粧をしているかは知らないが、それをしていると仮定しても、東雲美咲が星野志乃であると言われた上で、彼女をよく見ないとわからない程だ。


 東雲美咲と星野志乃は見た目以上に性格が大きく違うように見えるのも変装に一役買っているのだろう。

「それぐらいなら別に構わないが……。本当にそれだけか?」


 しばらく沈黙が流れる。少し時間が経ってから東雲は言葉を選ぶようにして口を開く。


「本当のお願いは……もう一つあります。東雲美咲が星野志乃である、とばれそうになった時、手助けしてもらいたいのです」

「手助け……か」


 拒絶するほど嫌なわけじゃない。だが、ここで「はい、わかりました」といってしまうと自分の高校三年間に制約が付くことになる。


 先程とは違い、悩む自分の姿を見て東雲は明らかに不安そうな顔をしているように見える。今にも泣きだしてしまうんじゃないかと勘違いさせる程だった。


 中庭から廊下を見ると教室でおしゃべりしていた人達も帰り始めた頃だ。ここで泣かれると後々噂になってしまうかもしれない。


 心の中で溜息をつく。


「仕方がない。わかったよ」


 東雲の顔がパッと明るくなったように見えた。


「ありがとうございます」

「ただし、条件はある」

「条件ですか?」

「ああ、自分は面倒事が嫌いだ。だから……」


 ちらりと東雲の方を見る。


「だから……?」


 東雲はそのあと何を言われるのか気になっているのか首を少し傾げながらこちらをじっと見ている。


「ばれないように尽力してくれ」


 自分は面倒事が嫌いだからあまり巻き込まないでくれということを言おうとしたが東雲の無垢な顔を見ると強くは言えなかった。

 もちろんそれが演技である可能性が十分にあっただろうが不思議と信じても大丈夫だと思えた。

 立ち上がって鞄を背負う。


「どうかされましたか?」

「いや、帰るだけだ」

「そうですか……。私は片付けがあるのでここでお別れですね」

「そうか。じゃあ、また月曜日に」

「はい」


 中庭から出ようとすると後ろから

「今日はありがとうございました」

 と聞こえた。


 どちらかというと原因を作ってしまった側である自分は素直にそのありがとうを受け止める事が出来ず、ちらりと東雲の方を見てすぐに目を逸らす。


 幸い距離が遠いため自分が東雲を見たことはわからなかったはずだ。たぶん東雲は時枝に聞こえていないという認識だろう。





 自宅への帰り道。

 今日のことを考えていた。自分の予定ではほんの平凡な一日として終わるはずの一日だったが、どういうわけか妙に濃い一日となってしまった。

 こんなことでは自分のまったり平凡な高校生ライフの雲行きが怪しくなってくる。


 確かに面白い事を望んだが、こういうものは自分が巻き込まれず、傍から見ているから面白いのである。このままでは自分自身がその中心に入ってしまいそうな気がした。


 もし神様が本当に要るのだとしたらなかなかに悪戯好きなのだろうと自分は思う。ふぅと小さく溜息をついた後、自転車のペダルを強く漕ぎ出した 。


お読み頂きありがとうございます^ ^


感想、評価(共に下にあります)を貰えると幸いです。


あともし宜しければブックマークをして頂けると筆者が喜びます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ