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タビーは愛を知らない。
タビーの生まれ育った貧乏な村ではみんなが生きるのに必死で、そんなことを考える暇もなかった。
ひたすら固い畑を耕して、夜になればわずかな明かりで繕い物をした。
熱い思いを抱くこともなく、ただ辛い日々を引き延ばして生き永らえるばかり。
いくら働いても暮らしは楽にはならず、退屈しのぎにおとなたちは子を成して、また暮らしは苦しくなる。
そんな繰り返しの日々に変化が訪れたのは、畑を荒らす獣が増えたことがはじまりだった。
「獣を退治しよう」
そう言いだしたのは、タビーと年の近い青年たちのうちの誰だっただろう。
おとなはみな、獣が出るなら柵を増やせ、罠を張れと守ることばかり考えていたけれど、若いタビーたちはそれでは気持ちが収まらなかった。
「せっかく育てた野菜を食われて、黙ってられるかよ」
「そうだ、守るために相手を狩れば、畑は守れるし獣の肉も手にはいる」
「こん棒を作ろう。仲間を集めよう。獣を囲って、一網打尽にしてやれ!」
そう言って盛り上がる青年たちのあいだに、女はタビーひとり。けれどタビーは、女だからと言って黙って家で待ってる気になんてなれなかった。
「あたしも行く。数は多いほうがいいでしょう」
青年たちを納得させるためにそう言ったけれど、タビーの胸の底には、大事に育てた畑を荒らす獣に一撃を加えてやりたい気持ちがあった。なによりも、自分自身の手で暮らしを守りたいきもちがあった。
かくして集まった有志による獣退治は、幸いにしてうまくいった。
事前に相談して獣の通り道に網を張り、大勢で囲って追い込んでから仕留めたおかげでけが人もなく、獣の群れをすべて捕らえた若者たちは村の人々から感謝され、手に入った獣の肉で村はいっとき潤った。
思惑通り獣に一撃を加えたタビーも「やるじゃねえか」と青年たちに称賛された。
タビーはうれしかった。称賛ももちろんうれしかったが、思った通りの動きをして獣に狙った一撃を入れられたことが、うれしかった。畑を守れたことがうれしかった。
それからタビーは、隠れてこん棒を振るようになった。
畑仕事と家事の合間に人の目を盗んでこん棒を振り回し、架空の敵を打ちのめす。
ふたたび獣が来るときに備えて、と心のなかで言い訳を用意しながらタビーはいつ来るとも知れない敵を相手に戦った。
そんな日々を送っていたあるとき、タビーの住む村に軍人たちがやってきた。その数およそ十人。
慌てたおとなたちがかしこまって出迎え話を聞いた。
いわく、このところ国のいたるところで獣が暴れているので、訓練も兼ねて退治に回っているらしい。獣害に困っていたのはタビーたちの村だけではなかった。
「この村の被害は?」
眠たげな顔をした指揮官の男にたずねられて、村長は答えた。
「先日、若いものたちがやっつけてくれまして」
その話を聞いた指揮官の男は、その若者たちに会いたいと言い、タビーたちが集められた。
村の広場に集められたタビーたちを見回して、指揮官は言った。
「うちの国はこのごろ平和だ。いいことなんだが、おかげで訓練しか知らん兵ばかりになっちまった。そのせいで獣相手に怪我するやつが何人か出ていてな。獣退治の実績があるやつらを臨時で雇いたい。もちろん、金は出す」
若者たちは顔を見合わせた。
国の中枢から遠いこの村では、軍人のことを知らないものばかりだったからだ。
とまどう青年たちを横目に、タビーは声をあげた。
「雇われて、なにをするの。あたしたちは軍人じゃない。戦えって言われても、どうしていいかわからない」
敬語もなにもない問いに指揮官は片方の眉をあげてタビーを見たが、臆することなく見つめ返すタビーに口角を上げた。
「なんでも、獣を網に追い込んで仕留めたんだろう? その追い込みの人手が欲しいんだ。追い込んだあと戦うのは、おれたち軍人の仕事だ」
それを聞いて、ほっとした顔で視線を交わし合った青年たちは、指揮官の臨時雇用を受け入れた。もちろんタビーも雇われた。
そうして近隣の村々をめぐって獣退治をするあいだ、タビーは軍人たちの動きをよく見ていた。
剣の握り方。構え方。体重の置き方。攻撃のかわし方。剣の振り方。仲間と戦うときの気の配り方。
暇さえあれば見つめるタビーの視線に気づいたのは、指揮官の男だった。
指揮官の男、コラットはある夜、川のほとりで夕食の皿を洗うタビーの横にやってきてしゃがんだ。
「なあ、お前。タビーだったか。剣を教えてやろうか」
「……農民が剣を覚えても、腹の足しにもならない」
うつむいたまま答えたタビーの後頭部を眺めて、コラットはことばを変えた。
「そうか。そうだな。じゃあ、剣を振りたいか」
「…………」
再びの質問に、タビーはだまりこんだ。けれど軍人である前に貴族として生きてきたコラットは、うつむいた彼女の意識が自分に向いていることを感じ取っていた。貴族のやり取りは往々にしてまだるっこしい。
腹のさぐり合いは好きではないが、彼女の素直な我慢は心地よかった。
「まあいいや。おじさん、指揮官で後ろにぼうっと立ってばかりじゃ体がなまっちまうからさ。若い子に相手してもらいたいんだわ」
するり、と軽い身のこなしで立ち上がったコラットがタビーに差し出したのは、木剣の柄だった。
目を見開いてコラットの顔を見あげたタビーは、いつ自分がその木剣を手にしたのか記憶になかった。
けれど、気が付けばタビーは息を乱し、地に背をつけて倒れ込み、空を見上げていた。
そのとなりに立ったコラットが、自身の木剣を肩にかついでゆるりと笑う。
「ははは、見るのと動くのとじゃ違うだろう」
疲れも見せない指揮官に、タビーはぎりりと歯をくいしばる。悔しかった。
恋を知らず、熱い思いを知らないタビーの胸に悔しさが火を灯した。
「強くなりたいか」
ぽつり、と落とされた問いにタビーはうなずいた。
「なりたい」
ぼんやりと生きていたタビーの胸の火が、そう答えていた。
無理だ、とは言わなかった。コラットはゆるりと笑いながら言った。
「なれるぞ、お前なら。根性あるからな。あきらめないやつはたいがい強くなれる」
うれしかった。
それから毎晩、タビーはコラットに剣の振り方を教わった。
日中はコラットの部下たちに交じって体を鍛えた。
「剣の腕を鍛えてどうすんだ、どうせもうすぐ村に帰るのに」
村の仲間たちは笑ったけれど、タビーはやめなかった。コラットが笑わなかったからだ。
それからしばらくして、村の仲間たちが獣退治の報酬をもらって村に帰ったとき。
タビーは、家族に別れを告げた。
育ててもらった感謝の気持ちの代わりにもらったばかりの報酬をわたして、タビーはコラットの部下になった。