第9話 取り立てる男
「――約束の通り、一千万円です。ご確認ください」
座卓に積まれた、一千万円。帯封付きの、綺麗に揃えられた札束だ。
それを、おあずけを命令された犬のように、よだれを垂らしそうな視線で凝視していた父親。
解禁の言葉に即座に反応して、両手で抱きかかえるように手元に手繰り寄せる。
そして一束ずつ、その全てが一万円札であることを確かめていく。
「おう、間違いないみたいだな。確かにいただいたぜ」
「そちらの娘さんの養子縁組も無事済みましたし、誓約書の内容はすべて履行されたということで、俺は帰らせてもらいますよ」
終始機嫌良く、笑顔で玄関まで見送る父親。
そして、恨めしい表情で睨みつける母親。
対照的な二人に見送られて、隣家を後にする。
その足で、隣の自分の部屋へ。
部屋に戻ったことを悟られないように、慎重にドアを閉める。
一息入れてから啓太に電話。もちろん、薄い壁越しに聞こえることがないよう、コッソリと小声で。
後はじっと待つだけ。大金を手にした父親が、すぐにでも外出しないかだけが気掛かりだ。
――ドンドンドンドンドン!
だがそれも、余計な心配だった。
ドアをぶち破りそうな勢いの、隣家へのノック。さっそく、啓太のお出ましだ。
気が逸っている啓太が、そんなにもたもたするはずがない。
むしろ、タイミングが良すぎて心配になるほど。
「おら! 早く開けろや!」
「なんだ? てめえ!」
「集金だよ、集金。借金をとっとと返しやがれってんだ」
「てめえなんぞに、借金した覚えはねえぞ」
大声でやり合う二人の声は、耳をそばだてる必要もなく、室内まで筒抜けだ。
凄む啓太に、張り合う父親。いつ殴り合いになってもおかしくない雰囲気。
「こいつに見覚えがねえとは言わせねえぞ。どうなんだ?」
「チッ。借金取りかよ……。とんでもねえチンピラよこしやがって」
「あん? なんか言ったか? コラ」
「こ、こんなところで騒がれると迷惑ですから、中で……」
周囲を気にする母親の提案で、話の続きは室内へと持ち越し。
こんなときだけは、薄い壁が役に立つ。
壁越しに耳をそばだててみると、見事なまでに筒抜けだ。
「こいつを持って、とっとと帰りやがれ。借用書を置いていくのを忘れんなよ」
「確かに五百万だな。でも、こいつは慰謝料だ。早いところ、借金の五百万を返しやがれってんだよ」
「なにをふざけたこと言ってやがんだ! 借りたのは利息込みで五百万だろ。ちゃんと返したじゃねえか。お前の目は節穴かよ!」
早くも啓太に吹き込んだ、入れ知恵の実践が始まった。
もちろん違法な取り立て。こういう仕事は、啓太の方がきっと上手くやるはず。
シナリオを書いた我ながら、この先の展開が楽しみで仕方がない。
――ドゴッ! バシッ!
目の前の壁が大きな音を立てると共に、軽くひと揺れ。思わずのけぞる。
どうやら壁に、どちらかが叩きつけられた様子。
成り行きに注目する。
「こ、この野郎! 何しやがる」
「まだそんな、偉そうな口を叩く余裕があんのか。とことんわからせてやるしか……ねえみてえだな!」
――ゴツッ!
どうやら、叩きのめしたのは啓太の方。
喧嘩には自信があると言っていただけのことはある。そして計画上、そうでなくては困る。
どうやら啓太は容赦なく、父親を痛めつけているらしい。
「やめてください! お願いします。この人が何をしたっていうんですか!」
「ふざけた口の利き方しやがったから、教育してやってんだよ。俺の教育に口出すんじゃねえ」
「こ、こんなことして、許されると思ってんのか……」
「まだ足りねえみてえだな。従順な返事ができるまで終わらねえから、覚悟しろ」
再び始まる、終わりの見えない暴力。
音しか聞こえてはこないが、父親のうめき声といい、母親のわななき声といい、なかなかに凄惨そうだ。
五分ぐらい続いたところで、隣が静かになる。そして、啓太の声が聞こえてきた。
「どうだ? まだ続けて欲しいか?」
「も、もう……許してください。たす、助けてください……」
どれだけ痛めつけたら、あの父親からそんな言葉が引き出せるのか。
やはり、啓太が適任。俺には無理だったかもしれない。
「だったら早えとこ、借金の五百万を出しやがれ」
「そ、そんな……。五百万なら、さっき払ったじゃないですか……」
「だからそれは慰謝料として受け取ったって言っただろ? てめえの耳こそ、節穴みてえだな」
「慰謝料って……。俺があんたに、一体何をしたっていうんだ……」
ここまでは、シナリオ通りに事は運んでいる。
銀行での一件といい、啓太には役者の才能がありそうだ。
「俺にじゃねえ、娘にだよ。同じ目に遭わせてやりゃあ、気付くかと思ったがよ。どうやら、自覚してねえらしいな。やっぱり、熱湯もぶっかけねえと気付かねえか。おう! あんた、お湯沸かしてくれや」
「そ、そんな証拠がどこに……」
「ほらよ、診断書だ。写真もあるぜ。正式に民事裁判起こしたら、五百万じゃ済まねえだろうなあ。ついでにあんたは、めでたくムショ暮らしだ」
「…………」
静まり返る隣室。
どうやら啓太は見事に、力だけじゃなくて、言葉でもねじ伏せたようだ。
「おい! 黙ってちゃわかんねえぞ! 払うのか、払わねえのか。これ以上ごねるなら、慰謝料自体を一千万に釣り上げてやったっていいんだぞ!」
「わ、わかりました……。払いますから、もう許してください」
「手間取らせやがって。とっとと出しゃあ、痛い目に遭わずに済んだのによ」
しばらく後に、隣室のドアが開く音。
そして上機嫌で、口笛を吹きながら帰っていく啓太。
どうやら見事に一千万円を、シナリオ通りに取り立てたようだ。
啓太は道を誤ったのかもしれない。俳優でも目指していたらあるいは……。
(――俺も、脚本家でも目指してみるかな……)




