第11話 口説く男
車で二十分ほど揺られると、そこは最早のどかな田園風景。
点在する民家の中でも、ひと際広い庭の家に車は滑り込んだ。
そしてその、由緒のありそうな屋敷の中へと招き入れられる。
「おう、お客さんだぞ」
「おかえり、早かったわね」
出迎えたのは、見覚えのある顔。
あの時は煌びやかなドレスに身を包んでいたが、今は部屋着姿で華やかさはない。
だが、そのスタイルと美しい顔立ちは、充分に男の目を惹きつける。
かつて裏カジノで派手に振舞っていたその女は、俺に指を突きつけ、呟いた。
「あっ……。幸一、まさかこの人……」
「吉沢啓太っス! いや、お姉さんなら啓太でいいっス。今日はお招きに預かり、光栄っス。今後ともよろしく」
横から突如飛び出したかと思うと、すかさず手を握り締めている。さすがホスト。
女に対する積極性は、賞賛に値する。もちろん、見習うつもりは毛頭ないが。
「ちょっと……あんたじゃないわよ。幸一、これはなんなのよ……」
「店でも何度か声を掛けたのに、水臭いじゃないっスか。きっと、これも神のお導き。そして運命。これを機に、仲良くなりましょう」
「彼女は大山 麗子、俺の妻だ。だから、口説かないでくれないか。君を仲間には誘ったが、それ以上の関係にするつもりはない」
なるほど、夫婦だったのか。
どうりでカジノでのベットの時、囮役として息がぴったりだったわけだ。
「だとさ。残念だったな。啓太」
「てめえ、ざっけんな。『啓太』呼びを許したのは、このお姉さまだけだ。てめえには許可しちゃいねえぞ。それにな、人妻がどうした。障害にはならねえ……いや、むしろ燃えるってもんだぜ」
握りこぶしに力を込める啓太。
全員から冷ややかな目を向けられているというのに、全く動じていない。
この図々しさも賞賛に値する。もちろんこれも、見習うつもりは毛頭ないが。
「お前は本当に、最低のクズだな……」
案内されたのは、畳敷きの客間。十二畳はある。
この家の造り、間違いなく名家だろう。
さらに中央には、一枚板で作られたと思われる、味のある座卓。
そこに差し出されたのは、『御招待状』と書かれた一通の手紙。
【御招待状】
大山鳴動の二世の諸君、ごきげんよう。
私の店もおかげさまで、間もなく開店一周年。それに合わせ、ささやかながら記念パーティーを開催することとなった。ついてはその余興に、皆さんにもぜひご参加いただきたい。
同封した写真の大山君、石動君、そして鳴海沢君の三名は、必ず揃って来店していただけるようお願いする。一名でも欠員があった場合、こちらでお預かりしている石動君のお父上の身の保証は出来かねるので、そのつもりで。
当日は十年前を懐かしんで、ポーカー勝負としゃれこもうではないか。
対戦はもちろんあの日と同じく、鳴海沢君とサシの勝負だ。代理は不可とする。
そしてルールは店内準拠。しかし、余興ならではの特殊ルールを追加させてもらう。詳細は、当日のお楽しみだ。
くれぐれも、警察には内緒で頼む。それでは健闘を祈る。
「これはもはや、『招待状』という名の脅迫状だな……」
「こいつを受け取ったものの、捜す当てもなくて、途方に暮れていたんだ。いくら君は仲間じゃないと電話をしても、ちっとも取り合ってくれなくてね。そんなときに君との再会だ。これはもう、神のお導きとしか言いようがないだろ」
同封されていた写真は、粗い画質の裏カジノの店内風景。
防犯カメラの映像をプリントしたものだろう。
そして対戦相手として、確かに俺が指名されている。
「念のため言っておくが、俺はまだ協力するとは決めてないからな。リスクには見合ったリターンがなけりゃ、やってられない」
「正直言うと、君にはリスクしかないと思う。それでもお義父さんを助ける手段は、パーティーに参加する以外に考えつかないんだ。頼む」
再度、土下座を始める幸一。もうこれで三度目か。
そこへ麗子も並び、二人揃って畳に擦りつけるように頭を下げる。
それを見て、口を挟んだのは啓太。
「助けてやれよ、ケチ臭えな。麗子さんにまで土下座させるなんて、おめえは人間のクズだな」
「お前にだけは言われたくないな。それより……今の話からすると、捕まったディーラーの石動さんていうのは、麗子さんの親父さんなのか?」
「はい、あたしの父なんです。父を助けるために、鳴海沢さんを危険な目に遭わせるなんて、本当に申し訳ないと思ってます。でも……でも、お願い。父を助けて!」
涙ながらに懇願する麗子。
だが、生きて帰れる保証すらない。
そして、女の涙一つで命を捨てられるほど、俺はお人好しじゃない。ホイホイと安請け合いなど、できるものか。
「この、男『吉沢啓太』。俺が必ず、麗子さんのお父様を助けます。だからもう、泣くのは止めるっス。あなたに涙は似合わない」
そういって、再び手を握り締める啓太。何かにつけて、身体に触れる。
その自然さは賞賛に……いや、やめておこう。
世のホストというのは、これが当たり前なのか? と、そんな気になってしまう。
「大山さん、念のために確認するけど、本当に啓太を仲間にするつもりか? 金に目がくらんで、ここまで付いてきたような奴だぞ。絶対、裏切るに決まってる」
「お金?」
「いやいや、吉沢さんは大事な戦力です。何しろ、お義父さんが捕まって、内部情報を得る手段がなくなってしまってたんで」
首を傾げる麗子の声に、割って入る幸一。
少々の違和感を覚えたが、それよりも気になることがある。
「そういうことなら仕方ないか。それよりこの手紙には、俺の親父が小池谷のポーカーの相手をしたって書いてあるけど、それは本当なのか?」
「そりゃもうすごい腕前だったって、父が言ってたわ。小池谷を、けちょんけちょんに叩きのめしたんだって。それ以上はいくら聞いても、教えてくれなかったけどね」
ギャンブルなんて、一切やらないと思っていた父がポーカー。
しかも、すごい腕前ときた。
【大山鳴動】の話に首を突っ込んで以来、俺の知っている父親像からは、考えも及ばない姿が垣間見える。
幸一の父親は意識不明。そして麗子の父親は誘拐。
もっと詳しい話を聞きたければ、小池谷の手から救い出すしか方法はなさそうだ。
それに、父と同じく小池谷の対戦相手としてポーカーのテーブルに着けば、何か見えてくるものがあるだろうか……。
「そもそもポーカー勝負とあるが、トランプ遊びをしましょうって意味じゃないよな? ルールは店内準拠って書いてあるけど?」
「オーソドックスなクローズドポーカー。一回チェンジで、賭け金の上限は百万円。だが当事者同士の話し合いで、上限は自由に設定できるのがあの店の基本ルールだ」
「特殊ルールってやつが明らかにならないことには、何をもって勝ち負けと呼ぶかはハッキリしないか……。間違いなく言えるのは、小池谷がわざわざ招いてポーカー勝負に持ち込む以上、ほぼ絶対的な勝算があるってことだろうな」
そもそも対戦相手が俺というだけで、圧倒的に不利だ。
一般的なポーカーのルールぐらいは知っている。だが、トランプ遊びでもポーカーなんてすることはないから、圧倒的に経験不足だ。
ポーカーで真剣勝負なんて、映画やドラマの世界。
役の強弱すら怪しいというのに、勝負になるんだろうか。
だがもちろん、勝算がないわけじゃない。それは俺の能力。
相手と目を合わせられれば、多分手の内は読める。だから役で負けていればフォールド(降り)すればいいし、勝っていればレイズ(賭け金の吊り上げ)すればいい。
駆け引きだって、それなりの経験はあるつもりだ。
「小池谷は勝算があるかもしれないが、こっちにだって策がないわけじゃない。それはこいつだ――」
幸一が取り出したのは、一組のトランプ。
よく見ると、例の裏カジノの店名が入っている。独特なデザインだ。
「――あの店で使われる専用カードを、密かに入手した。こいつを使って、イカサマをやる。すり替えだ」
「待った、待った。俺にはそんな技術はないし、そこまで手先は器用な方じゃないぞ。それが勝つための秘策なんて、無謀もいいところだろ」
「心配しなくても、まだ二週間ある。僕がみっちり叩き込むから大丈夫だ。それに、コツさえ覚えてしまえば、それほど難しくはないよ」
正気か?
本当にカードのすり替え技術が、たった二週間で習得できるのか?
そしてそれを、こんな大舞台で使えと?
不安しか浮かばない。
だが参加に関しては、既に腹は決まっている。
目の前に、かつて父の通った道が示された。
リスクばかりの危険な橋。
だがそこには、俺にとって最高の報酬である『父の情報』が間違いなくあるはず。
そんなチャンスが与えられたのだから、これを渡らない手はない。
(親父……。必ずこの橋を無事渡り切って、最高の報酬をいただいて帰るぜ)