第9話 逃げる男
父の墓前で手を合わせる。
あれから、もう六年も経ってしまったのか。
「命日を忘れてないとは感心だな」
「今年はちょっと危なかったですよ。こうやって、少しずつ忘れていくんですかね……、伯父さん」
「それは悪いことじゃない。『忘却』は人が長年生きていく上で必要な、神から与えられた本能だ。いつまでもこだわってないで、もっと自由に生きなさい。お前のお父さんも、きっとそれを望んでる」
「こだわってなんてないですよ。伯父さんは、相変わらず心配性ですね」
見透かしたような伯父の助言。
世話になりっぱなしの伯父から見れば、すべてお見通しなのかもしれない。
見抜かれないように注意を払っていても、さしずめ俺は親の目を盗んだつもりになっている子供か。
「それよりも、お前はフラフラしているくせに、どうやって稼いでるんだ? 危ない橋を渡ってるんじゃあるまいな」
「やだな、地道にコツコツが俺のモットーですよ」
「嘘をつくな。最近は和子さんの容態も思わしくなくて、保険外の薬を多用してるらしいじゃないか。その金は、一体どうしてるんだ?」
母のこともお見通しか。
こちらの件でも世話になり通しだから、隠しようはないのだが。
かといって、裏カジノで一発当てましたとか、病院の院長から巻き上げましたなんて話せるはずもない。
「アルバイトで地道に稼いでます。効率のいいバイトもあるんですよ」
「なあ、和真君。悪いことは言わない。真面目にひとところに落ち着いて、お父さんのことも余計な詮索をするのは、いい加減に――」
「あ、ちょっと電話みたいです。すいません」
タイミング良く鳴った電話に感謝。
詰め寄る伯父を制し、仕方ないという素振りで電話に出る。
だが電話に出ることばかりに意識が向いていたせいで、相手の確認を怠った。
『か、川上です。先日は父の件で、ありがとうございました。あ、あの……それで、もしよければ……』
「どうした? 用件なら手短に頼むよ」
『は、はい! 今日、お時間があるようなら……え、映画でも一緒に見に行きませんか?』
突然の映画の誘いとは、虚を突かれた。この間の礼のつもりだろうか。
まったく唯子の行動は、思いもよらない。
返答を迷っていると、目を細めながら口元を緩める伯父と目が合う。
「あー、悪いんだけど今立て込んでるんで、またの機会にしてもらえるかな」
『そうでしたか……。お忙しいときにお邪魔して、すみませんでした』
電話は切れ、軽く一息つく。
だが今度は間髪入れずに、伯父から声がかかる。
またしても、何やら見透かしたかのような口ぶり。
「遠慮などせずに、ゆっくりと話してくれて構わなかったのに。ひょっとして、恋人かね? 私にも紹介してくれると、大変ありがたいんだがね」
「いやいや、そんなんじゃないですって。ただの知り合いですから」
「その割には慌てているようだし、顔も心なしか赤いぞ?」
縁を取り持ちたがる伯父は、まるで仲人。
定職に就いて、家庭を持って、安定した生活を営む。そういった世で言う幸せを、伯父は希望しているのだろう。
だが自分の中の好奇心が満たされない内は、そんな生活はクソ食らえだ。
「――その手には乗りませんよ、伯父さん」
あざみ台で途中下車。
待ち合わせ場所は、駅前ロータリー中央の時計塔。
向こうはまだ気づいていないようだが、遠目にも確認できる唯子の姿。
いつもより心なしか華やかな服装のせいか、表情も明るく見える。
電話の切り際の後味が悪く感じて、帰りに電話を掛け直したらこのありさま。
唯子の積極的な押しに負けて、映画に付き合う破目になってしまった。
何をやっているんだか……。自分らしくもない。
ロータリーの中央部は、ちょっとした公園風になっている。
そこへ渡る信号待ちをしていると、不意に横から肩を掴まれた。
「ちょ、ちょっと君は……。ひょっとして、鳴海沢さんじゃないか?」
「そうだけど、あんたは誰だ?」
「やっぱりそうか! こうして再会を果たせたなんて、神のお導きかもしれない。時間は取らせないから、まずは話を聞いてくれ」
宗教の勧誘か?
その割には俺の名前を知っているなんて、一体何者?
頭に疑問符をいくつも浮かべながらサングラスを外し、俺の名を呼ぶこの男を睨みつける。
男は目を輝かせ、感激している様子。
俺はこんな男に見覚えは……。ああ、そうか……。
印象が薄くて思い出せなかったがこの男、ルーレットでベットしていた、イカサマグループの一人だ。記憶を覗き見て、やっと思い出した。
となれば、イカサマに便乗してちゃっかり大金を手にした俺に、良い印象を持っているはずがない。話とやらも、きっとろくな内容ではないだろう。
信号が青になり、道を塞いでいる自分たちの横を、怪訝そうな目を向けながら人々が横断歩道を渡っていく。
普段なら逃げも隠れもしないところだが、今は少し状況が悪い。
道の向こうを見ると、唯子がこちらに気づいたらしく、笑顔で小走りを始める。
こうなれば仕方がない、最善の手段を取るまで。
「――あっ、この野郎! 待ちやがれ」
待ち合わせ場所から遠ざかるように逃走。
逃げるのは不本意だが、唯子を人質に取られようものなら、一気に弱みになる。
そんな状況になれば、どんな理不尽な要求をされるか、わかったもんじゃない。
人ごみを縫いつつ、路地や店内も使っての逃走劇。
数日とはいえ滞在した土地勘から、着々と距離を稼いでいく。
しばらく逃げたところで振り返ると、男の姿は視認できない。当然、唯子もだ。
あっさり振り切ってしまったらしい。あっけない逃走成功。
切らした息を整え正面に向き直ると、そこにはあくびをしながらいい加減に店の前を掃く、金髪ホストの姿。
ちょうどいい、身を隠しつつ唯子に連絡を取るか。
ちょっと金を掴ませれば、こいつならなんとかなるだろう。
「追われてるんだけど、ちょっと匿ってくれないか?」
「あん? 何言ってんだてめえ。冗談じゃ――」
財布から取り出す、三枚の万券。
金髪ホストは、ひったくるように奪い取る。
「――ちっ、しょうがねえなぁ……」
面倒そうな顔をしながら、ポケットに手を突っ込む金髪ホスト。
もぞもぞとしていたが、鍵を探り当てると摘まみ上げて、目の前に突き付ける。
「そこのエレベーターで四階。四〇五号室が俺の部屋だ」
(汚い部屋だな。まあ、しばらく身を潜めるだけだし、我慢するか……)
言われた通りの部屋に入ると、出迎えたのはゴミの臭い。
ドアに鍵をかけ、落ち着いたところで、まずは唯子に電話。
あの男と接触しないように、この街から遠ざけておかなければ。
もちろん、口から出まかせ。正直に話せるはずがない。そんなことをすれば、きっと彼女なら警察に駆け込む。
『騙すことはあっても嘘はつかない』が信条だったはずなのに、唯子に対しては随分と嘘を重ねてしまったものだ。
――ドン、ドン、ドン。
ドアをノック、というよりは殴りつける音。
慌てて唯子との電話を終わらせ、玄関に向かう。
覗き窓から外を見ると、金髪ホストがドアを蹴飛ばしていた。ドアに鍵をかけたせいで入れないのだろう。
休みなく響く音にうんざりしながら、仕方なく鍵を開ける。
最低限の義務を果たして奥へ引っ込みかけると、開いたドアから聞こえてきたのは、金髪とは違う声。
「また、お会いできましたね。やはり、神のお導き。いやこれはもう、運命と言って良さそうですね」
「導いたのは神ねえ……。そりゃ、大した神様だな。まあ、貧乏神も神だしな。なあ、俺を売りやがった神様よう」
玄関に立つイカサマグループの男。
そしてさらにその後ろに、こっそりと立つ金髪ホスト。
呆れるほどの裏切り行為。どうせ金で動いたに違いないと、冷ややかに糾弾する。
だが、そんな言葉に反省の色を見せるような彼ではない。
「売ったなんて人聞き悪りいな。このお方が人探しで困ってたみてえだから、神として協力してやったまでだよ」
「三万お布施して匿ってくれって言ったのに、対象人物をご丁寧にご案内までしてくれるとは、気の利いたご利益だよ。まったく……」
「そんなはした金じゃ、部屋の参拝料にもならねえよ。お布施の額の多い方の言うことを聞く。当然の行動だろ」
どれだけ勝手な理屈だ。
だがこいつが、この程度のことをしたところで驚きはない。充分に織り込み済み。
それに、そこまで必死に逃げ回っていたわけでもない。唯子さえ巻き込まなければ無問題だ。
むしろ、ここまでしつこく追いかけてくるとは、逆にこの男に興味が湧く。
そんな男は出口を塞ぐように、玄関で突然土下座をしながら叫んだ。
「――頼む! 僕と一緒にパーティーに出席してくれ、鳴海沢さん」