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大見得切ったところで、死ぬのは嫌だし痛いのは怖い。だから私はお腹を抱えてぎゅっと固く目を瞑ってた。銃弾が身体だか頭に突き刺さるのはどんな感じなんだろうって思いながら。
銃声――でも、痛みは来なかった。代わりに、どろっと熱い何かが頭から降り注ぐ。とても嫌な、生臭い液体。これは、何なの? 怖い。気持ち悪い。
思わず、顔を上げて目を開けようとするんだけど――
「動くな! 目を閉じてろ!」
え? この声って……?
「頭を下げて!」
鋭い声、それに何発もの銃声に脅されるように、また縮こまる。
「貴様、何者だ!」
「もう突入だと!?」
そうすると頼れるのは聴覚だけ。部屋に響く怒号は、多分テロリストのもの。不測の事態に焦ってる? それに、銃弾が肉に刺さる鈍い音と、悲鳴や呻き声。銃撃戦を、こんな特等席で見られる(聞ける)なんて!
自分に弾が当たるかも、って考えより、周りで殺し合いが起きてるってことの方が怖かった。
下層でも銃声を遠くに聞いたことはある。でも、こんな人が死んでいく音を身近に聞いたことはなかった。か細くなっていく息遣いに、血だまりに膝をつくぬちゃりという音。赤ちゃんを殺そうとしたテロリストも、死に際には母親を呼ぶなんて。
でも、そんな悲鳴や嘆声の中に、最初の声は入っていない。あんな強い口調、聞いたことないけど、あれは――
――マリア……。
いや、それよりも赤ちゃんだ。それに、不安そうな神の……ううん、私の子のか弱い声。……大丈夫。何が起きてるか分からないけど……最後まで、あんたのことは諦めない。流れ弾になんか、当たらないように守ってあげる。
血の――多分――臭いに吐きそうだけど。自分自身も胎児のように身体を丸めてお腹を庇う私の姿は、もしかしたら聖母って呼ばれても良いんじゃないかって。ほんのちょっと、ちょっとだけ、自惚れた。
そんな格好で、どれだけ時間が経っただろう。
「マリア、もう大丈夫だ。胎児は――無事か?」
「ドクター……」
お腹をしっかりと抱えすぎてすっかり強ばってしまった私の腕を取って。血糊で固まったようになってた目蓋を優しく開かせてくれたのは――やっぱりというか、ドクター・ニシャールだった。
「……仲間割れ?」
白衣を血で赤黒く染めて、手には銃さえ持っているドクターの姿はいつもの穏やかな様子とはまるで違ってた。それで混乱した私は、ついそんなことを言ってしまう。
「バカなことを」
ですよねー。お花畑な人ではあるけど、人殺しの強盗どもよりは遥かにマシ、って思ったばかりだ。助けてくれた訳だし……テロリスト扱いされたんじゃ、ドクターも怒って当然だ。緊張を和らげるため、にしてはタチの悪すぎる冗談だった。
「ごめんなさい。……ありがとうございます」
「いや。間に合って、良かった」
私が生意気な態度を取らないで素直に頭を下げたのは初めてだったかもしれない。だからなのか、元々本気で怒った訳じゃないのか。ドクターはあっさりと頷いてくれた。
「銃、使えたんですか」
変なことを言っちゃったのは、ドクターがあまりに慣れた手つきで銃を持ってたからだ。テロリストから奪ったのか、どう見ても正規の代物じゃない、色んなパーツ?を寄せ集めて作ったようなの。そんなのをあっさり扱えるから、ぱっと見じゃ堅気の人間に見えなかった。
「ああ……昔の経験があるから」
私の視線に気づいたのか、ドクターは肩を竦めた。
「……第七天の医者には荒事はできないと思って油断したんだろうな」
「……ふうん」
それだけで、何となく色んなことが分かる。ドクターのお花畑も、理由なく言い出した訳じゃないってこと。他の医者とか看護師さんとかも、どこかに閉じ込められててその監視を破って、駆けつけてくれたんだろうな、ってこと。
「動けそうか?早く手当を」
「うん……いや、ダメ。待って」
ドクターの腕がすごいのか、テロリストどもがそれどころじゃなかったのか。私の身体は無傷だった。全身が強ばってバキバキ言いそうなだけで。それを無理やり動かして、立ち上がると――嫌でも目に入るのは、室内の惨状。
血の海ってさあ、修辞的表現じゃなかったんだね。壁で区切られた部屋の中だからかもしれないけど、数ミリとはいえ確実に血が溜まってる。ところどころにある白っぽいのは脳みそで、黒っぽいのは……内臓? そのほか飛び出た眼球とか骨の断面とか。悪臭も、我に返ってみればそれなりに。私自身、血とか脳漿とかを頭から浴びてるし。
生理的な気持ち悪さと、自分も転がってる死体の中にいたかも、っていう恐怖。それを免れた安堵。確かに無事なお腹の重さ、胎児の存在感。
「うえ、えええええええ」
状況を改めて認識するや否や、私は思いっきり吐いていた。朝食にいただいた、天然物の肉や卵や野菜、赤ちゃんのために選び抜かれた高価な材料と豊富な栄養がでろでろになって血糊に混ざる。ああ、もったいない。
「……まずは、身体を洗おうね」
ドクターの優しさと寛容さは本当に驚くべきものだった。何しろ、ゲロ吐きかけられても怒らないでいてくれたんだからね。……いや、ほんとごめんなさい。
シャワーのお湯が――テロリストの血や内臓やその他色々身体の一部だけじゃなく――疲れも緊張も洗い流してくれた。
「生き返る……」
ドクターが連れてきてくれたのは、病院のスタッフが夜勤だかの時に使うのであろうスペース。今はもちろん誰もいなくて、私は心ゆくまでシャワールームを独占することができた。ドクターに殴られたとこも手当してもらって、赤ちゃんも大丈夫って保証してもらって。それでも、本人に直接聞かないと落ち着かなかった。
「……あんたは、大丈夫……?」
――うん。マリアのお陰だね。
私は何もしてないけどね。助かったのはドクターのお陰。あと、運が良かったからだ。
――でも、マリアが諦めないでくれたから。
とくん、と。胎動から読み取るなら、感謝や愛しさ、気恥かしさってとこだろうか。私の胸にも自然に同じ感情が湧くのが不思議だった。……私も、あんたじゃがいなかったから諦めてたかもね。
「――入っても良いか? テロリストと間違われる前に他の人質と合流しよう」
ドクターに扉の外から声を掛けられて、私は慌てて身体にタオルを巻きつけた。着てきた服は血まみれだから、看護師さんのためなのか、着替えも揃っていて良かった。
そういえば、建物の外が騒がしいような気もする。微かなサイレンの音に、大勢の人が行き来する気配が、この病院を取り囲むようにざわめいている。
シャワー室から出てみると、ドクターもいつもの白衣に着替えてた。やっぱり替えは沢山置いてあるってことなのかしら。
「軍隊か何か、来てる? あいつら、通信とかは抑えてたんじゃないの?」
「ああ。だが、代理母たちが戻らなければそれぞれの家庭が不審に思う。そちらからの通報だろう」
多分、胎児の遺伝上のご両親は代理母が逃げる方を心配してたんだろうな。安全なはずの病院で……こんなことになるなんて、思ってもないはずだ。身体と心に傷を負った女の子たち、生まれる前に潰されちゃった赤ちゃん、それに子供を奪われた夫婦……どれもとても悲しいことだけど――私が真っ先に考えたのは、別のことだった。
これでまた、監視の目が厳しくなる。
自殺騒ぎに加えて、テロの標的になるって実証されちゃった。私がホルツバウアー夫妻だったら、もう子宮を一人でうろつかせたりなんかしない。家に閉じ込めて、金庫に入れた宝石みたいに守るだろう。私はそれで安全かもしれないけど、子供たちはどうなる!?
せっかく銃弾から守ったのに、胎児の魂は容量の大きな「神の子」の魂に圧迫されて消えちゃう。それに、「神の子」の方は――意識しか持たない私の可哀想で可愛い子は、人殺しになっちゃう。そんなこと、させてたまるもんか。
ドクターの浅黒い肌が、白衣に映えてた。このまま帰ったら、この人とも多分もう会えない。助けるためとはいえ、躊躇わず銃を持って人を殺したのを、雇い主たちは重く考えるだろうから。それからこの人の出自のことも。私だってほんの一瞬、ちらりとだけどドクターが手引きしたのを疑った。第七天の人たちはどう考えるか――答えは、わかりきっている。
外は軍が来ている。もう、時間は無駄にできない。
「ドクター、お願い……ううん、取引があるの」
――マリア、今ここで話すの!?
あの子の声が驚いている。うん、今しかないもん。周囲に人がいなくて、混乱している、今は絶好のチャンス。ドクターと話させてあげるって言ってたもんね、約束を守ってあげる。
私はドクターを見上げると、ぺろりと唇を舐めてから、切り出した。
「地獄に神様をあげる。だから、子供たちを守って!」