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**注意**
堕胎・中絶・強姦に言及する/を思わせる描写があります。
誰もいない病院の中を、引きずられていく。いつもならすれ違うはずの看護師さんやドクター、他の代理母たちはどこへ行ったのか――考えるのも、怖い。彼らの運命は、もうすぐ私のものになるかもしれないから。しかも、私だけじゃなく、お腹の胎児と、口うるさいけどちょっと可愛い「神の子」も巻き込んでしまうことになるから。身体の中に他の命を預かるってこと――私は、今までちゃんと分かってなかった!
「どこに、連れてくのよ……!」
黙ってられなくて何度も聞くけど、テロリストはもちろん一度だって答えてくれない。足を踏ん張ろうとしても、両腕を抱えられて荷物みたいに運ばれるだけ。どうやら病院の奥に向かってるようなのが、不気味で仕方なかった。子宮を売ったビッチを見せしめに殺すっていうのでもなく、誘拐して身代金を取ろうっていうのでもなく。
『怪物から助けてやる』
こいつらはさっきそう言った。私のお腹の子――遺伝子を完璧に調整された完璧な赤ちゃん、それに人類の叡智の結晶とやらの「神の子」を捕まえて失礼な。助ける……助けるって、一体どういうこと?
「着いたぞ」
短い言葉と共に、ドアが開く音がする。ここが、テロリストの目的地? 恐る恐る顔を上げて――そして、身体からすっと血の気が引いた。
無理やりドアを潜らされると、部屋の中央にあったのは――分娩台。私は当分縁のないはずのモノ。出産の時を思い浮かべるのはそりゃ怖かったけど、こんな状況で見るとは思ってもなかった。私を引きずってきた奴らはここで何をする気なのか、何かを拭き取ったような跡は――部屋に満ちるこの厭な臭いは、何!?
「お前を待ってる間にも、何人か助けてやったんだ」
脚を広げさせる、分娩台の形。何をされるかと思うと、怖くて崩れ落ちそうになる……けど、腕をしっかりと拘束されてるから完全にテロリストに身体を委ねることになってしまう。助ける。これを、助けるって言うのか、こいつらは!
「こんなに育ってるのよ!? 中絶なんて……!」
バカなことやった娘たちの最終手段で、騒いでいるとこを色々見てきた。だから、私も多少は知っている。どういうことをするのか。胎児を子宮から掻き出すとか。大きくなっちゃったら途中までは普通の出産と同じやり方になるとか。それに、今の私の状況は、中絶するには遅すぎるってことも。
中絶というよりは、無理やり産ませてから殺すことになるはず。準備ができていないあそこをこじ開けて、赤ちゃんを引きずり出して――想像するだけで子宮が引きつって痛い。このショックで出てきちゃうんじゃないかと思うくらい。
手足に力が入らないところを引きずられて、分娩台に据えられる。信じられないけど、私を抑えつける男の目は、励ますように笑ってた。
「ここは設備も整ってるし、資格はないが医者もいる。安心しろ」
「できるかバカ!」
闇医者の施術で子宮とあそこを壊されるなんて冗談じゃない! いや、それだけじゃない、赤ちゃんを殺してしまおうってことを、どうして笑いながら誇らしげに口にできるの!?
――マリア、落ち着いて。刺激しないで……!
あんたは落ち着きすぎだ! あんたも殺されるとこなんだよ!? ぐっちゃぐちゃにされて掻き出されるんだよ!?
――私のせいで、ごめん……。
あんたが悪いなんて、そんな訳あるか。どう考えてもテロリストの方が悪いに決まってる。赤ちゃんを無理やり、なんて……見殺しにすることもちらっと考えてた私が言えることじゃないけど、頭おかしいよ!
――巻き込んでごめん。何もできなくてごめん。でも、マリア、おとなしくしていれば君だけでも……。
子供のくせに悟ったようなこと言って! 怯えてるのが分からないとでも思ってるの!? 何が神の子よ、子供らしく震えてなさいよ! 自己犠牲精神なんてクソくらえ!
――おとなしくしてるから。母体へのダメージが少しでも小さいように……。
何、もう殺される気になってるのよ! そんなんで命だけ助かっても嬉しいもんか!
と、声とのやり取りに気を取られている間にも、私の身体は分娩台に固定されてしまう。医者役なのか――テロリストの一人が、視線で私を撫で回す。
「代理母なんぞ自然の摂理に反する。まして人間が神を造れるはずがない。――お前も、実験動物じゃなくて自分自身の子供を育てるんだ」
「なっ……!」
私の胸や、脚の間に注がれる目つきで分かってしまう。私の子ってことはヤることヤってできる子ってことで。それには相手が必要であって。こういう目つきは、どういう女に対して投げられるものか。
代理母から胎児を引きずり出して、代わりにテロリストの子供を仕込む、って!? そうやって、仲間を増やそうとでも言うの!?
おぞましさ気持ち悪さ。それに何より、脳の神経が灼き切れるんじゃないかってほどの怒りが、私の口を動かしていた。
「……何、無料で人の子宮を使おうとしてるのよ! 労働には対価がいるのが常識でしょう!?」
私が自分の子宮を売り物にするのは、私の選択。第七天の人たちも、品定めした上で対価を提案してくれた。そして私はそれに乗った。倫理的にはともかく、これは歴とした契約だ。でも、こいつらは勝手に私の子宮を盗もうとしてる! しかもそれが良いことみたいな顔をして!
「結局、金か! 売女め!」
「痛……っ」
口答えがよほど気に入らなかったらしい。頭がもげるんじゃないかってくらい、こっぴどく頬を殴られちゃった。泥棒に泥棒って言っただけなのに、理不尽!
「人殺しよりの強盗よりはマシでしょ……!」
でも、殴られたくらいで私の怒りは収まらなかった。
今の世界は間違っている。
ドクターや胎児の言うことが、今こそはっきりと感じられた。命を弄ぶ実験をする第七天もおかしいけど、それを正すための行動がコレだっていうなら、コレを正義だと思ってるなら、狂ってるとしか言い様がない。これならお花畑な理想論の方が幾らかマシだ。
――マリア、そんなこと言ってる場合じゃない……!
そうね、もっと時間を掛けて考えるべきことだった。でも、こうなったら仕方ないじゃない。私は、手足のついた子宮じゃなくて、人間なんだ。赤ちゃんを殺そうっていう外道に良いようにされるなんてイヤだ! それに……あんたを見捨てて助かるのも。
あんた、ホルツバウアーさんたちの子じゃないって思ってるんでしょう? パパもママもいないなんて可哀想。……なら、前にあんたも言ってたけど、私があんたのママなんじゃない?
――そう。マリアだったから私はこんな考え方になった。だからこそ、君には死んで欲しくない!
ありがと。でも、私の気持ちも分かってよ。自分で自分をモノ扱いするのは良いけど、他人にされるのは我慢できない。あいつらが私に何しようとしてるか、あんたには本当の意味では分からないでしょ? 女にとって、どれだけひどいことなのか。
――だけど!
それにほら、テロリストの方でももう許してくれないみたい。
精神感応でのやり取りの間は、私はぼうっとしてるように見えただろう。一方、テロリストどももずっと怒鳴り続けてたみたいで――無視されて、頭にきてるみたい。
「選べ。死ぬか、堕胎するか。他の女もこれで黙った。女が強がってもその程度だ」
私を睨む、燃えるように怒った目と、真っ黒な銃口。……でも、何て安い脅しだろう!
なるほどね。他の娘だって誰も赤ちゃんを死なせたくはなかったんだ。仕事とかお金とか関係ない、それが自然な感情だもの。銃で脅しておいてその程度、なんて笑わせる。……あれ、私、本当に笑ってる? おかしいな、もうすぐ殺されるってとこなのに全然怖くないんだけど。
「バーカ」
言い放ったのは、私自身に向けたことでもある。ほんと、私がこんなバカな死に方をするなんて。助かる道もあるのに、他人を見捨てられなくて殺されるなんて。
――マリア、止めて。今からでも謝って。言葉だけでも、見た目だけでも……!
子供に泣きそうな声をさせちゃってるのも、すっごく辛くはあるんだけど。
でも、違う道なんて選べない。赤ちゃんには私しかいないのに、どうして見捨てられるっての? それに、少なくとも「神の子」は私の子供だ。造られた魂だとしても、私を母さんだなんて呼んで話し掛けてきた子。私を通して世界を知った子。それが私の子供じゃないなら何なのよ。
「この子を殺すなら私ごとにしなさい。あんたたちの精子なんかまっぴらよ」
「……望み通りに」
忌々しげな舌打ち。屈しなかったのを誇らしく思うのは、きっと自己満足なんだろうけど。でも、笑みを絶やさずにいられる。
引き金を引く指の動きが、ひどくゆっくりと見えた。そして。
乾いた銃声が響いた。