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代理母の一人が自殺したってニュースは、第七天の方々を相当ナーバスにさせてるようだった。私の雇い主、ホルツバウアー夫妻もご多分に漏れず。
これまではちょっとした散歩や買い物で外出できてたのに、最近ではそれも許されなくて、私は屋内でゴロゴロするばかり。妊娠中は太る訳にはいかないからカロリー計算がちょっと面倒だったりもする。
胎児への読み聞かせ――もうあの子にはいらないと思うんだけどね――とか、最新機器での芸術鑑賞とか。とりあえず時間を持て余すってことはない点だけは助かってる感じ。
という訳で、検診は本当に久しぶりの外出の機会だった。あのカウンセリングの時以来。つまり、またドクター・ニシャールと会って気まずい思いをするか、妙な勧誘だか脅迫だか懇願だかを受けるってこと。
だから、外の空気を吸ったからって私の気持ちは晴れやかさとは程遠い。例によってアンドロイドの運転手を気にする必要はないから、思いっきり不機嫌な表情で後部座席に座ってる。
――マリア、もやもやするのは自分でも答えが出てるからでしょ? イーファたちは信用できない、胎児は助けなきゃ、って。
頭の中では相変わらず神の子様が何か言ってるし。最近おとなしいと思ってたけど、外出するからかドクターに会えるからか、ちょっとはしゃいでいるみたい。まったく人の気も知らないで。……というか、精神感応である程度分かってる上で空気読まないんだからタチが悪い。
人類の指導者となるべく、種々のデータをあらかじめ詰め込まれた「神の子」――その大容量の魂によって、本来の肉体の持ち主である胎児、ホルツバウアー・ジュニアの魂は圧迫されてじきに消えてしまう運命だとか。それが本当なら、実の親に実験体にされて殺されちゃう赤ちゃんは確かに可哀想だ。
でも、だからって神の声の言いなりに第七天から逃げるのは、私にとって可哀想な話になると思う。契約に反して雇い主の子供を誘拐した犯罪者。追われる身になるし、当然お金だってもらえない。赤ちゃんの命は大事だけど、私の人生だって大事なはずだ。
――そこは……私も手伝うし……生活も、逃げるのも。ドクターだって手引きしてそれきりってことはない、はず……。
ふん、自分で稼いだこともないお子様の癖に。私は施しが欲しいんじゃないのよ。自分の身体で真っ当に稼いで真っ当に暮らしたいってのに、どうして変なことに巻き込もうとするんだか。
不貞腐れて車窓から外を眺めれば、流れていく街並みは美しく整えられた「楽園」――でも、前ほど魅力的に思えないのは、我が子を弄り回す研究者がたむろしていると知ったから? それともテロのニュースなんかを聞いたから? それも、私が標的に、とか言われたから? って――
そういえば、なんで私が狙われるの? 好き好んで代理母に手を上げる女が一種の売女って言われるのは知ってるけどさあ。この前のドクターの言い方だとお腹の子が特別だからってことみたい。どうしてテロリストどもがそんなことを――っていうか、そもそもドクターもどうやって知ったんだろ。
――多分、情報を流している奴がいるんだと思う。
あら、流石は神の子。何でもお見通しって訳?
――色んな研究成果を詰め込まれるでしょ? 誰がやったかもインプットされるでしょ? そうすると人間関係も見えてくるから。嫉妬や足の引っ張り合いも、色々あるみたい。
つまりは、私の雇い主夫妻の研究成果を台無しにしてやろう、ってことでテロリストの生贄に差し出した、ってとこかしら。はあ、知れば知るほど天国とは程遠いのね、ここ……。
――嫌になった? やっぱり逃げる?
……途端に声が弾むのが忌々しいわあ。どうかな、結局お金と安全って大事だし。次はおかしな研究をやってる人と関わらなければ――
「お嬢様、到着いたしました」
と、もう病院か。アンドロイドにお嬢様、なんて言われるのも落ち着かないなあ。私が扱いに相応しい存在だからじゃなくて、お腹の赤ちゃんへの敬意なんだよねえ。今は良くても、ずっと勘違いせずにいられるかどうか、正直言って自信ない。
そしてお子様は相変わらずうるさい。
――ね、マリア。今日はドクターと話させて。君が通訳してよ。もう少し詳しく聞いて――
ヤだよ。お花畑二人の仲介なんて。あれ、でもドクターが用があるのはこの子――胎児に宿ったとかいう、神の子の人造魂だけ、だよね。じゃあこの子をどっかにダウンロードさせて、私はただの赤ちゃんを産んで、ってすればウィンウィンになるのかな? ホルツバウアー夫妻は、実験失敗でがっかりするかもだけど。でも、私は実験を知らないってことになってるから、責められることもないはずだし……。
――そう! それは良い考え!
痛っ、興奮したからって蹴らないでよ。大体、あんたのダウンロード先をどうするか、ドクターが協力できることなのかもまだ分からないじゃん。
――ごめん。でも、少しは見通しができたよね?
そう、そうかもね。キモいほど努力したお医者様と造られた神サマの会話、かあ……私、ついていけないんだろうな。それも、両方ともすごいテンション上がってそう。
それは、想像するだにめんどくさいシーンだったけど。でも、病院の受付へと向かう私の足取りは、ほんの少し軽くなった、ような気もした。
病院は、いつもより閑散としていたけど、私はあまり気にしなかった。代理母を採用している家庭は、今、最高に心配性になってる。だから、検診さえ控えさせてるってこともありそうだから。そもそも、代理母だからって自分も第七天の住人になれたみたいな顔をしているバカ女どもとは話が合わないし。雇い主の職やら自宅の設備やらを自慢し合うのは、奴隷が金の枷を自慢し合ったって話を思い出させて気持ち悪かった。顔を合わないでせいせいするくらい。
だから、私が初めておかしいと思ったのは、受付の美人さんの顔がやけに引きつってるなって思った時。
「マリア・チャーチ……ホルツバウアー家の代理母だな」
そしてその違和感も、一瞬で理解に変わる。受付さんの強ばった表情は、背後に銃を持った男が――それも複数いるから。影に紛れるように潜んでいたそいつらは、私にも銃口を向ける。顔を黒っぽい布で隠しているけど、目の周りだけ見える肌は浅黒くて第七天の住人とは思えない。つまりは、下層から忍び込んできたということ。
こちらを睨む真っ黒な銃口は、それこそ地獄へと続く穴みたい。
「何……何なのよ……」
喘ぎながら、でも私には分かってた。私の名前と、それに雇い主の名前まで知られて待ち構えてたってことは、狙いは私――の、お腹に宿ってる胎児。
『テロリストにとって、君たちは格好の標的になる』
ドクター・ニシャール、あんたってば予言者ね。それともこれってあんたが手引きしたこと? 第七天のど真ん中、厳重に警備されてるはずの病院で、銃を構えたテロリストに囲まれるなんて。
――マリア……。
あの子の声でさえ、不安げだった。そうだよね、いくら賢い神の子で、精神感応なんか使えるからって、今のあんたはただの胎児だもんね。子宮の中からじゃ手も足も出せやしない。
私が、守らなきゃ――でも、どうやって? 相手は銃を持ってるのに?
「誰か……っ!」
「声を出しても無駄だ」
だよね、分かってた。病院に入る時に誰も警告しなかったってことは、制圧済みだってこと。警察だか軍隊が来るにしても、いつになるかは分からない。
でも、だからって乱暴に腕を掴まれて黙ってる訳にはいかない。
「――どうしようってのよ!?」
精一杯の虚勢を張って睨んで見せると、覆面の下のテロリストの頬が笑った気がした。強がりを、嗤われたんだ。
「怯えるな。助けてやろうっていうんだ。お前の腹に巣食った、化け物から」
「この子は化け物なんかじゃない!」
「洗脳されてるのか。まあ、良い。連れて行け」
「どこに――っ!?」
――マリア、刺激しないで!
「神の子」の声は不安そうだった。心で繋がっている声だから、自分だけじゃなく私を心配しているのが分かる。まったく、この世間知らずに忠告されるなんて!
「化け物じゃない……」
こいつは、ただの子供なんだ。ちょっと変わってるけど、胎児と同じで生まれてさえない赤ちゃん。なのに人のことばかり考えて。この子は、神でも化け物でもない、ただの子供だ。
でも、食いしばった唇の間から漏れた呟きが顧みられるはずもなく。
私は、ただ無様に引きずられるしかなかった。
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