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代理母だろうと、お腹にいるのが遺伝子改良措置マシマシのエリートなお子様だろうと。妊娠の経過は普通――普通って何だろうね――の人と変わらない。ので、私も定期的に検診を受けることになっている。
ホルツバウアー家の運転手は、意外にも人造皮膚の質感ものっぺりとしたアンドロイドだった。そりゃ高級品なんだろうし顔の造作も美形といって良いものなんだけど。どこか焦点が合っていないガラスの瞳孔は、やっぱり不気味だ。
人間の運転手を雇えないなんてことはなさそうなのに、何か主義でもあるのかしら?
「最近色々あるでしょう。機械の方が信用できるかと思って」
私が内心で首を傾げているのが分かったのだろうか。イーファ・ホルツバウアー女史がほんの少し気まずそうに説明してくれた。色々、が何を指すのか――言われてみれば、当たり前のことだった。
第七天での裕福な暮らしは、人類と地球への貢献と引き換え、ってことになっている。でも、中には資源や特権の独占だと思う連中もいるらしい。私がここへ来てからの数ヵ月でも、料理人とか清掃人とか――運転手とか。そんな職として採用された奴が実はテロリストでした、って事件が時々ニュースを騒がせている。貧富やら階級による嫉妬や憎悪も、人類はとうとう卒業できなかったんだ。
「なるほど、それもそうですね」
「あなたのことが大切だからなの。気を悪くしないでね」
私じゃなくてお子様ですよね? 私はただの外付け子宮に過ぎないんだから。でも、私自身の存在、私という人間を忘れないでくれてるのは多分素敵なことだ。
「もちろん。お気遣いありがとうございます」
何といってもアンドロイドの運転は安心安全。その点からしても、女史の判断は妥当なものなんだろう。
検診にはもう何度も行った。女史と一緒の時もあったし、旦那様のアロイス氏――例によって拝みたくなるような美形だった――と一緒の時も、夫妻の両方との時もあったけど、今日は私ひとりだけ。外付け子宮を一人でうろつかせるのは、代理母の人権を考慮して、ということらしい。
旦那様によるセクハラとか、奥様による嫉妬とか。第七天に住む方々にそんなことがあるなんて信じがたいんだけど、怪しい民間療法を強要されて胎児が危険な時、とか。そんな場合は相談・告発できる機会ができるように、何だって。私たちというかお子様たちのためなんだろうなって気はするけど、何にせよ建前に突っ込むのは無粋ってもの。
私の場合は相談するようなこともなくて、本当に恵まれた職場で本当に良かった!
ということで、主治医のドクター・ニシャールとも既に顔なじみだ。ふたりきりでも、とりあえず間を持たせて会話ができるくらいには。
「今回も順調だね」
「良かったです」
「マリア。君は――その、初めてのことだから、身体の変化には気をつけて。恥ずかしがらずに何でも相談してほしい」
ドクターの褐色の肌がほんのり赤く染まって、とても言いづらそうにするから、私は思わず笑ってしまう。彼が言いたいのは、私が妊娠出産はおろかセックスもしたことがないってこと。だから心配なんだってこと。
でも、私の子宮に受精卵を注入したのはこの先生なんだよ? 大股広げたところを見といてこの純情ぶりって、何か可愛く思えちゃう。多分まだ三十前くらい? 若いとお医者さんでもこんな感じなの?
「未経験での採用なんて、よくあることじゃありません?」
「そういうことではなくて……」
冗談めかして流してみると、ドクターは表情を真剣なものに改めた。
「この仕事をしていると君のような女性をよく見る。せっかくの健康な身体を他人の子供のために差し出すなんて。現代とはいえ第七天とはいえ、危険は皆無ではないのに。……おかしいとは思わないか? まるで搾取のような――」
溜息混じりのお説教めいた言葉に、私の笑みは深まるばかり。この人、感じが良いと思ってたけど、面倒な人でもあったみたい。その程度のこと、私が考えなかったとでも思うの? 誰も他に説得しようとしなかったとでも?
「バカで能力もないんだから搾取されるのは仕方ないです。でも私はちょっとだけ賢いから搾取のされ方をよく選んだってだけ。膣を売るよりは子宮のレンタルの方がマシじゃないですか?」
「マリア……しかし、他にもっと真っ当な――リスクの少ない仕事が」
「ないですって」
ドクターの憐れむような口調と目つきが急に気に障って――私は声を尖らせていた。
「身体ひとつでできるにしては、すっごく割の良い仕事ですよ、コレ。子宮さえまともならできるんだから。私は、自分に付加価値つけて競争力を高めただけです。
――私たちにできる努力なんて、これくらいですから」
かつての知り合いの娘たちが、私の脳裏に次々と現れては消える。
シェリー、あんたは綺麗だったわ。女優になれるかもって自惚れるのも分かるくらいに。でも、第七天に来てみて分かったけど、遺伝子操作によって造られた美貌に比べたら、あんたの顔なんて子供が作った出来の悪い人形程度に過ぎなかった。だから、声を掛けられたからって舞い上がっちゃいけなかったのよ。そんなの、気持ち良く売春をさせるためのおべっかだったの。
私が最後に見たあんたの顔ときたら、ひどいもんだったじゃない。そりゃ、あちこち殴られて腫れたり凹んだりしてたし、腐り始めてたってのもあるけど。疲れと薬でボロボロで――不気味で、化け物みたいだった。あんたとは喧嘩もよくしたけど……でも、あんな死に方がお似合いだったとは思わない。
それからアニタ。あんたのことは尊敬してたわ。成人してからも教会に残って、子供に読み書きを教えたり炊き出しに参加したり、慈善活動に精を出してた――まるで聖女様。皆にも慕われてたし、姉さんみたいに思ってた。
でも、お金をあげるのはやりすぎだったんじゃない? 支払いが、とか食べてなくて、とか。そりゃ誰だって哀れっぽい声を出すわよ。そうすればもらえるんだから。でも、はした金を渡したところでそいつらはまたしばらくしたら来るだけじゃない。あんただって余裕がある訳じゃないのに。だからそのうち金蔓にしか見られなくなって。もうないって言っても聞いてもらえやしなくて。あんたのことだから、あんたを犯して殺した男も赦してるのかもしれないけど。あんたはそれで救われたの?
他にも夢を見すぎ、優しすぎのバカが沢山いた。そいつらがバカをやったりバカを見るのを見聞きして――私は思い知ったんだ。成功できる人間なんて、運と才能の両方に恵まれたほんの一握りだけ。それさえ下層の者を絶望させないための宣伝なんじゃ、って思えるくらい。だから、地に足のついた生き方をしなきゃ。自分にできることできないこと、身の丈を知って手の届く未来をしっかり掴むんだ。
「私は私で精一杯。他人にどう思われても良い。私さえ良い暮らしができれば良いんです」
だから子宮を貸し出すくらい何でもない。それが私の持ってる中で一番価値のある資産だから。そういう分析ができないヤツ、女性の尊厳とか言っちゃって割り切ることができないヤツは、好きに生きれば良い。私はそいつらの邪魔をしない。
睨むようにドクターを見る。すると、あちらも私を真っ直ぐに見返してきた。黒い目に吸い込まれそう――と思うのは、挑発するようなことを言ったのに、彼の目はひどく凪いでいたからだ。
「――僕は最下層出身だ。だから、君の言いたいことは、分かる」
地獄。その一言に、私は身体をぴくりと震わせた。その名を聞くだけでも、嫌悪と恐怖と不快を感じる、そういう場所だ。地球はかつてと変わらず陸と海とで繋がっているのに、人間の住処は第七天を頂点に確かな階層に分かれている。落ちるのは容易いけれど登るのはとても難しい……というか、ほぼ不可能な、深い深い、穴。それが今の人類社会の構造。
この人が、そのどん底から這い上がってきたって?
私が言葉を失うなんて不覚だと思う。面接の時だって上手くやった私なのに。でも、ドクター・ニシャールの告白はそれくらい意外で、こちらの不意を突くものだった。
その隙に、というか。彼は目と同じくらいに静かな口調で私に告げた。
「でも、その上で今の世界は間違っていると思う」
その後は私もドクターも無言だった。二人とも言い過ぎに気付いたってことなんだろう。
アンドロイドの運転手で良かったと痛感したのは帰り道でのことだった。私がどんな顔をしていても何も言わない気の利いたヤツだから。お陰で、帰宅してホルツバウアー女史にレポートを提出する頃には大分ちゃんとした顔に戻れてたと思う。
それでも、自室に入るなり私はベッドに倒れ込んだ。もちろん、お腹を潰してしまうことがないようにゆっくりと、ってことだけど。
今日は、少し喋りすぎた。まったく私らしくない。ドクターを困らせてしまったし、イヤなことも思い出しちゃった。外出したのは大した時間でも距離でもなかったけど、疲れちゃった。こういう時はさっさと寝るに限る。
――どう思われても良い……他人はどうでも良い……本当に? マリア、本当にそれで良いと思っている……? それならどうして泣いているの? マリア……母さん……?
だから何か聞こえるような気がするのも疲れのせいだ。疲れてるから、まだ起きてるのに夢を見ちゃってるんだろう。きっとそうだ。
空耳なんてまともに相手しちゃいけない。そう思って、私は固く目を瞑った。