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 私は両親の顔を知らない。首も据わらない赤ん坊の時に教会の裏口に捨てられて、それっきり。他の子たちと違って会いたいとも思わないし愛情――みたいなもの――を抱いている訳でもない。どうせロクな奴らじゃなかったんだろうから。


 ただ、親に感謝していることが二つある。


 一つは、私を五体満足に産んでくれたこと。手足の指はきっちり十本ずつで、関節が欠けてるなんてこともない。肌に変な染みもないし髪も生えてるし、五感も内臓もいたって健康。貧民街(スラム)じゃ水も空気も食べ物も汚れきってるっていうのに、よく負けないで頑張ったもんだと思う。顔の造りも悪くないしね。肌の色も白いし、髪も目も淡い色だし。ほんと、遺伝子操作してないにしては上々の見た目と身体をくれたって訳だ。


 それから、私を教会に捨ててくれたこと。お陰で最低限の読み書きやら礼儀作法は教わることができた。長いスカートやつまらない白いシャツのお陰で、悪い虫がつくこともなかった。……そりゃ、同じ環境で育った()でも、遊び好きで男について家出したビッチもいたけどね。まあ、そういう馬鹿は放っとくとして。とにかく、()()これまで清く正しく生きることができた。


 そうそう、名前も得をしたことのひとつ。マリア。聖母様にちなんだ名前を、シスターたちは私にくれた。いかにもお固くて真面目そうで、気に入っている。子供を捨てるような親に任せてたら、どんなおかしな名前をつけられてたか分かったもんじゃない。


 それも全て、この日のために。――今日は、私の人生を左右するかもしれない()()の面接があるんだ。




 アパートを出る前、小さな鏡で確認した私の姿は完璧だった。髪はハーフアップにして。巻くと気が強そうに見えちゃうからゆるく流して。服装は、もちろんスーツ。でもかっちりしすぎにはしないで、シャツにはフリル、スカートもタイトなのじゃなくてフレアがかっているもの。化粧(メイク)も派手すぎず、ルージュはピンクで。

 要するに清潔感があって感じが良くて、にこやかだけどそんなに賢そうじゃない女、に仕上げるってこと。女らしさと可愛げが大事だから。


「――行ってきます」


 鏡の自分に微笑んでから家を出たのが、何時間か前のこと。私は生まれて初めて第七天(アラボト)に足を踏み入れている。主と大天使のおわす至高の天国、なんて。教会育ちの私には笑っちゃうような大げさな命名(ネーミング)だけど。そう名乗ってもおかしくないくらい綺麗で整備された区画、ってことだ。


 初めて見る()()の町並みは、それはもう溜息を吐きたくなるようなものだった。だってまず空気が美味しいし。思い切り深呼吸しても口の中がザラザラしないの!

 どこまでも続くかに見える白い真っ直ぐな道に、街路樹の緑が映えて。造りものじゃない天然の木がこんなに並んでるなんて、何て贅沢! 塵一つゴミ一つ落ちていないし、ショーウィンドウを飾るのも目を疑うような額の商品ばかり。

 街行く人たちも、俳優かモデルかって思うような美形だけ。ううん、天国にいるからには天使とでも言った方が良いのかな。遺伝子改良によって生まれながらに美貌と頭脳に恵まれた人たち。うん、やっぱり並の人間と一緒にしたら良くなさそう。さぞや責任あるご立派な仕事をして、沢山稼いでるんだろうと思う。


 そう、もちろん、天国(ここ)に住むのにはとんでもないお金が掛かる。だから、精一杯正装をしたつもりの私でも場違いなんだろう、天使サマたちからはちらちらと視線を投げられてる。若くて()から来た女、ってことで面接に来たって分かるからかな? 好奇だけじゃなくて、汚いモノでも見るような……ヤな感じ。うーん、そんな変な仕事だとは思わないんだけど。


 ま、面接に呼ばれたってことは雇い主(仮)は私――っていうか条件の合う女の子――を求めてるってことでしょ。なら外野を気にしても仕方ないよね。さっさと面接場所に向かうに限る!




 と、いう訳で。さほど苦労もなく見つけ出した指定の場所は、いかにも第七天って感じの豪邸だった。だって通りの標示とかすごい分かりやすかったし。標識もちゃんと出てたし。どこに誰が住んでるか隠さなくて良いってすごいなあ。私なんて誰かにつけられてないか女の一人暮らしだってバレやしないか毎朝毎晩コソコソしてるってのに。


 いやいや、ひがんじゃダメだ。そんな生活から抜け出すために応募したんじゃない。後ろ向きな気持ちなんて見せちゃいけない。あくまで朗らかに、にこやかに。時間も、ちょうど約束の五分前。几帳面なところ、アピールしなくちゃ。


 ぱし、と軽く頬を叩いて気合を入れて。私はチャイムに手を伸ばした。……今時輪っかを加えたライオンのデザインってどういう趣味なんだろ。古典的、懐古趣味……というか成金? って言うのも何だけど。うん、でもきっと良いお品、なんだよね?


 輪っかに指先が触れた瞬間、軽やかなベルの音が鳴り響いた。合成されたものと分かっていても聞き惚れてしまう柔らかなメロディー。同時に、何かすごい彫刻の扉の鍵ががちゃりと開く機械音も聞こえてくる。セキュリティシステムが連動してるのかな。やっぱり中は最新の設備が揃ってるみたい?


 まるで魔法のように、扉が開く。ここは天国だから神の御業とでも言うべきかしら。とにかく、ここの何もかもが私の住んでる世界とは違うと見せつけてくるみたい。


「――面接の人ね? 時間通り、素晴らしいわ」


 豪邸の主、私の将来の(?)雇い主の声。天の国に相応しい、上品な声。発音も、言葉遣いも、合成したアナウンサーの声みたいに完璧そのもの。

 初めて掛けられた天使の声は、まるで人間のものではないように思えた。




 そして室内に通される間に分かったのは、雇い主様が人間離れしているのは声だけじゃないってこと。背は高く、スタイルもすらりとして。整った顔立ちは彫刻のような、なんて陳腐な言い回しがぴったり来てしまうほど。完璧な金髪碧眼は、遺伝子操作によるものか、それとも絶滅危惧種のコーカソイドの血脈を後生大事に守っているお宅なのかしら? どちらにしても選ばれし者の(オーラ)がすごくて気後れしちゃう。


「どうぞ。お口にあうと良いのだけど」

「ありがとうございます、いただきます」

「マリア・チャーチさん……? 良いお名前ね」

「恐れ入ります」


 だからお茶を出されても味わうなんてできやしない。私の薄給が吹き飛ぶ額のカップやソーサーや茶葉なんだろうというのは分かりきってるし――それに、マナーも審査対象に決まってるんだから。


「そんなに硬くならないでちょうだい」


 おお、天使が微笑みかけてくださった。求人広告のデータによると、イーファ・ホルツバウアー女史。職業は――何か、研究職だっけ。頭良い人なんだ。

 金髪碧眼は、ゲルマン系の名前のイメージとも合致する。採用に際して人種的差別はしてはならないということになっているけど、名前の系統は良いヒントだったみたい。私の見た目も色素が薄い白人系。そこのところも、多分加点してくれてるはず。


「お招きしているのは書類上の条件に合った人だけなの。だから、あとは性格と相性の問題。ね、素の貴女を見せて欲しいの」


 ホルツバウアー女史の仰ることは、私の予想をある程度裏付けてくれた。何人候補がいるかは分からないけど、私は良いところにつけてるらしい。

 でも、一方で嘘を吐いている、とも思う。素の私、なんてこの人が求めているはずがない。下層出身の孤児、それなりにずる賢くて小狡いこの私の、素なんて。この人は知りたくもないし知る必要もないはず。今この場で求められているのは――多分、調子に乗らないで節度を守って振舞うこと。その程度には賢いし空気が読めるってアピールすること。


「そうですね――」


 だから私は思っていることなんてお首にも出さないで笑顔を作ると、世間話――この人と私じゃ世間が違うのにね――っぽいものに花を咲かせることにした。


 当たり障りのない――でも私にとっては緊張することこの上ない時間がしばらく過ぎた。そしてついにその時が来る。私が待ち望んでいた質問が投げかけられる時、私が切り札を見せることができる時が。


「お子さんが、いるのよね? お幾つかしら。()()した場合、保育所や学校はこちらで手配することになっているのだけど」


 かちゃ、と。私は間を持たせるためにカップをソーサーに置く。何か動作を挟まないとがっついて答えてしまいそうだったから。もっと、ゆっくり。緊張して、言いづらそうに見せかけなくちゃ。


「あの、そこなんですけど……子供について、書類には嘘を書いてしまったんです」

「え?」

「私には子供はいません」

「……どういうことかしら」


 ホルツバウアー女史の青い目が光った……気がした。嘘を咎めるものではなくて、私の真意を探るものだと思いたい。子供がいないのにこの仕事に応募する意味。下層で噂になっていることが事実なら、私はきっと採用される!


「こういうの、本当は良くないって分かってるんですけど……あの、私、処女なんです」

「…………!」


 がちゃり。音を立ててカップを置いたのは、今度はホルツバウアー女史の方だった。私よりも大きな音がしたのは、彼女の驚きを示しているのだろう。目に浮かぶのは驚き――でも、嘘に対する嫌悪はない。


「……もう少し詳しくお話を聞かせてくれるかしら?」

「はい。喜んで」


 声音もやや低く改まって、目つきも変わっている。子供を相手にしているような、どこか上から目線の優しいものから、こちらを値踏みするものへと。つまり、本気の商談をする気になったってこと。


 ああ良かった。やっぱり噂を信じて良かった。


 高価なお茶を口に運びながら、この時私は採用されることを確信した。

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