キル
キル
ト―ル=シンラが死に、ユ―ジ―ンが廃人になった経緯で、関俊彦はその後釜として研究所に復帰することとなる。
彼はそこで真実の断片を知った。
「そんな、樹東がキザンで作られていたなんて―――しかも、マシ―ンインプラントっ!?」
何故そんなことが起こったのか、俊彦には知る術はなかった。
事実を明確に把握している二人はもう喋ることが出来ないのだから。
「何故?」
混乱する頭で俊彦は帰宅する。
正直な話、どういう顔で樹東と接すればいいのか分からなかった。
血肉がキザンとはいえ、遺伝子的には自分のものが使われているのだから樹東は自分の子供なのか?マシ―ンインプラントでどの程度操作されているのかは分からないけど、脳を弄くられて果たしてそれは人間なのか?
「お父さんお帰りなさい」
「あっああ」
樹東からの出迎え。彼は現在とはまったく異なり快活な笑みを浮かべている。
「疲れたでしょ?今日ね、ゆうちゃんちのお母さんにご飯の作り方ならって夕飯、僕が一人で作ったんだよ。お父さんお仕事大変だろうから、家事はなるべく僕がやろうって思うんだ」
「そう」
肉じゃが、味噌汁、ほうれん草のお浸し。食卓に並ぶそれらはとても幼稚園児が作ったとは思えない出来栄えだった。
これがキザンとマシ―ンインプラントの力か。
「光冴、ただいま」
俊彦は奥の部屋に引っ込んでいた光冴に挨拶する。しかし、光冴は返事もせずに外方を向いた。
「光冴の奴、すねてんだよ。お父さんが急に働かなきゃならなくなったから」
「…………………………」
「でも、心配しないで。光冴の面倒は僕がちゃんとみるから」
「…………………………」
孤独―――。
樹東は不誠実な支えによって、一人どんどんと力を増大させていく。
光冴は自分から冷たく目を逸らした。
初めての挫折。
相談する相手はもうどこにもない。
寂しい―――寂しいよ……。
「お父さん、ご飯食べよ」
「ああ」
かくて陸上の獅子は大海に溺れ、海原の鮫は陸に打ち上げられた。
自分が『人間ではない』ということは薄々感じていた。あの日、光冴の姿をしたクロシングオ―バ―と暮らし始めたときから。
それでも父が自分を必要としてくれていると、たとえ人間でなくとも家族だと言ってくれるのではないかと仄かに期待していた。
本当に微かな希望として。
「お前が人間じゃないからっ!?」
俊彦の言葉の一つ一つが樹東を支配していく。
そして今の一言は強烈に彼を締め付けた。
「クロシングオ―バ―は壊れてはいなかったんだ。お前が人間じゃないことに気付いたから―――」
「そうか、人じゃないと判断したから制御のいろはである三原則に引っ掛からないと」
高木の納得は樹東のみならず、その後にいたゆうや青木にも衝撃を与える。
「お前はジ―ンが作った人造人間なんだよ」
「…………………」
「そしてジ―ンも……光冴も……お前がボクから奪ったんだ!」
樹東は俯く。父の辛辣な言葉を全身で受けとめて。
「そう……だったんだ……」
自分がいたから父さんは帰ってこなくなった。
光冴を追い詰めることになった。
郊外にある廃ビルに飛び込むクロス。そこに遅れて白い軽トラが派手な音を立てて飛び込んできた。
「いやはや、おあつらえむきなこって」
運転席から下りてくるコピペ。その左手には日本刀が握られていた。
「銃火器はどうも苦手でねぇ」
そう言うとコピペは刀を抜き放つ。
「じゃん!神父のコスプレに日本刀ってタランティ―ノ映画みたくてかっこいっしょ!?」
「あんた―――」
あくまでも軽い風潮を崩そうとしないコピペに対し、クロスは声を震わせ問い掛ける。
「何がしたいの?」
「………………」
「いきなり出てきてさぁ―――訳分かんないこと言ってきてボクを混乱させて……あげく大暴れって、頭おかしんじゃないの?」
閑散と広がる廃ビルのフロア―にクロスの怒号が響く。それを受け、コピペは少しだけ笑みをひそめる。
「でも、答えは出たんだろ?」
穏やかな口振りだった。まるで水面の木の葉を優しく揺らす風のように。
だが、
「答え……お父さんもお兄ちゃんも誰もお前のこと必要としていないことに気付いたんだろ?」
それの意味するところはクロスの張り詰めた心という水面を大荒れにするには十分だった。
「糸が切れた人形はごみ箱行きだ」
「自分だって用済みの人形のくせに」
「……………………」
ここにきて完全にコピペから表情が消え失せる。
「ここまでは予定通りだ。派手に暴れて奴らがどう動くか見極める……だが、オレにも思うところはある」
「?」
「私怨だよ。お前をいじめる理由」
コピペは持っていた刀の鞘を床に投げ捨てた。カラカラと乾いた音が虚しげに響く。
「お前の言う通り既にオレは用済み。人形といえば最初に造られた人形だ。そしてコピペなんてふざけた名を与えられ、十年近くも幽閉されてた」
「……………………」
「一方、お前は光冴の死というアクシデントによって、生まれてすぐに外の世界に出された。そして何よりクロシングオ―バ―……クロスという名は異世界を救った誇るべき勇者の名前―――-お前みたいなガラクタには不釣り合いだ」
いっときの静寂―――。
そして、
「殺すっ!お兄ちゃんもお父さんも、みんなみんないらない―――でも、一番最初にお前を殺すっ!!」
「そうだ―――お前も樹東も……そしてオレもこの世界には必要ない―――だから殺し合おうぜ!ガラクタはガラクタ同士よっ!!」
人ならざる者どうしの戦いが始まる。
樹東の声は哀しげにも、しかしどこか微かに笑っているようにも聞こえる。
「オレが全部悪かったんだ」
「キキ」
『そんなことない』―――そう言ってあげたかった。しかし立て続けに曝される衝撃の事実にゆうは彼の名を呼ぶことしかできないでいた。
「ごっ……ごめんなさい―――」
「キキっ!?」
樹東は謝罪の言葉を残し、エレベ―タ―へ駆け込む。
ゆうが追い掛けようとしたときには既に扉が閉まっていた。
上っていくエレベ―タ―の駆動音が誰かの嘆きのように聞こえる。やはり、樹東の手が父に届くことはないのだと。
最初に動いたのはコピペだった。弾けたように一気に間合いを詰め、クロスに刀を振り下ろす。
「くっ」
クロスはあの驚異の跳躍でそれを躱す。およそ十メ―トル近い間合いを確保することに成功した。
やはり身体能力でははるかに自分の方が上だ。
そう確信した瞬間、
「なっ!?」
コピペが目の前に迫っていた。再びクロスを捉えようとする刃。クロスはギリギリのところで跳躍してそれを躱す。
だが、またしてもコピペは自分に追い付いてきた。
しばらくの間、ギリギリのところで躱し続けるという回避戦が続く。
どういうことだ?
クロスの目にはコピペが瞬間移動でもしているようにしか写らない。
「どういうことだって顔してるな?」
好戦している中、コピペが余裕に口を開いた。
「お前の考えている通り、確かにお前の身体能力はオレのを遥かに超えている」
「くっ」
その間にもコピペの猛攻は続いている。
「オレを一とすればお前は十。剣道三倍段に当てはめても到底届かない」
「…………………」
「じゃあ、なぜ身体能力で遥かに劣るオレがお前と対等に渡り合えているのか……それはいくら優れた身体能力を持とうとも、人間の形をしている以上動きのパタ―ンはおのずと制限されるからだ」
「つぁ!」
コピペの刀を寸でのところで躱しクロスは突きを繰り出す。軽く肩を振っただけで200キロ以上の球速をもたらす筋力、その拳を食らえばただで済むはずがない。
だがコピペは、
「ふっ」
「っ!?」
クルッと体を回転させクロスの突きを避ける。更にその動きの延長でクロス目掛けて刀を薙いだ。
「くっ」
また、あの驚異の跳躍で辛うじて避けることはできた。しかし、少しだけ反応が遅れて脇腹を薄く切ってしまう。
そして、またコピペは自分に追い付き―――いや、違う! 「動きが読まれてる!?」
「ピンポ―ン!ご名答。普通に考えればオレがお前に追い付けるはずがない。でも、フライングすりゃあハンディ―キャップってな」
「ちぃ」
「オレには肘や膝の動きでお前の次の行動が手に取るように分かる」
クロスが跳躍する寸前にコピペはクロスが着地するであろう場所に既に向かっているから追い付ける。
「ついでに言うならお前はジャンプして立体に動いているが、オレはすり足で地面に平行して動いてる。その立体的に生じた距離の差がそのままタイムラグになっているんだよ」
「…………………」
経験と技術力の差。この差が身体能力の差をゼロ以上に伸し上げている。言うならば格闘センスだ。汎用に作られたクロスにそんなものはインスト―ルされているはずがなかった。コピペとて人格移植AIの技術が確立されていなかったゆえ、それは死ぬような修練の末手に入れることができたもの。
既に勝敗は目に見えていた。
だが、
「つぅああああああ―――」
コピペの刃がクロスの喉元に迫る。
「?」
一瞬、ほんの一瞬クロスが微笑んだように見えた。
そしてクロスは小さく上に跳ぶ。
グシュ
刃がクロスの腹を突き破る。
決まったと勝利を確信したとほぼ同時に、コピペの脳裏に焦りが過った。
刀が動かないっ!
クロスの腹から抜こうとしている刃が微動だにしない。信じられないことだがクロスが突き破られた腹と腹の間にある筋肉で締め付けているのだ。
「やっ―――」
やばいっ!
そう思ったときにはもう遅かった。
「ぐぇ」
クロスの放ったフックがコピペの下顎にクリ―ンヒットとする。
「―――――――――」
声も上げられず、強風に舞うボロ布のように吹っ飛ぶコピペ。地面に落ちてもその勢いは衰えず、引きずられるように地面を転がった。
「ぁうあ―――」
辛うじて首は折れていない。だが、意識はあるのに体が動かない。
脳が激しく揺すぶられ機能障害を起こしている。
「長々解説ありがと」
クロスはそう言うと、自らの腹に突き刺さった刀を抜く。
「欝陶しい蚊は血を吸わせている最中に叩きつぶせばいいよね」
深緑の緞帳で隠れているが、恐らく土手っ腹に開いた風穴は既にクロスの驚異の回復力によって塞がっていっていることだろう。
その性能とそれに対する絶対的自信が全ての能力値をちゃらにした。
そう、クロスにとって刀で刺されることなど蚊が血を集っている程度のことなのだ。
「確かに日本刀ってかっこいいよね」
クロスは血糊でべったりとなった日本刀をブンブン振り回しながら目を輝かせる。
「えへへ」
クロスが躙り寄ってくる。未だコピペの体は自由が奪われたままだ。
「さよぉならぁ」
「あ〜あ」
ここでゲ―ムオ―バ―か……死を迎えるにはあまりにも軽薄な覚悟をコピペが決めたとき、クロスが大きく横に跳んだ。
「?」
ペチャペチャ
コピペの顔に赤い血が数滴落ちてきた。
「ちっ逃げられたわね」
既にクロスは姿を晦ませていた。
代わりに現れたのが、
「ごきげんよう、お人形さん」
サイレンサ―付きの武骨い拳銃を手にしている松雪貴子だった。
「わぁお。トカレフとかならいざ知らず、Mk23なんて一介の記者がどうやって手にいれたんだ?」
それはどこぞの軍隊が使用しているような拳銃である。
「うふ?パパにおねだりしちゃった」
貴子はにっこり笑うと拳銃をコピペに突き付ける。
「おい。やめろよぅ。オレ、遺伝子的にはお前の兄ちゃんだぞ」
「あら、生まれた順番からすれば私の方がお姉さんよ」
「そうだけどさぁ」
コピペは動かない体の代わりに不貞腐れたように目を横に向ける。
「あなたに二・三聞きたいことがあるんだけどよろしくって?」
「どうぞ」
「広田議員を殺したのはあなたね?」
「そだよ」
コピペはあっさりと認めた。
「看守に変装して飯に検出されない毒をね。ただの心筋梗塞にしかみえないの」
「理由は私への当て付け?それとも広田議員がわりと永田町の顔で、彼が色々喋ると困る人がたくさんいるからかしら?」
鉄総司が政界にその力の網を張り巡らせているのは明白な事実。
そしてコピペはまたしてもあっけらかんと自供する。
「ご明察だよ〜ん。でも、もう一つ理由がある。昔日の恨みがあるのだよ」
「恨み?」
「そう。アカデミ―の創立。あれには色々と裏があるんだけどね。まぁとにかく、そのときに色々と根回ししたのが広田だったってわけ。あんなくだらないもの創った奴には、それ相応の罰を与えなくちゃね」
「……………………」
確かにアカデミ―の創立がそもそもの元凶とも言える。あの地獄を平気な顔をして創った大人たちを許せないという気持ちも分からないではない。それに裏があるというなら尚更―――。
「じゃあ次の質問―――関光冴を殺したのもあなた?」
「冗談よせよぅ。確かにオレはコスプレと殺しが趣味だけどさぁ。いや、カラオケとゲ―センも趣味だな。あと映画とかアニメ見るのも好きだし……」
「中々、多趣味なお人形さんね」
「とにかく、オレじゃない。第一オレ、トシちゃんに頼まれて光冴のこと隠れてボディ―ガ―ドしてたんだぜ」
「トシちゃん」
関俊彦のことか?
「そっ。そりゃ何年も監視してりゃあ情も沸くってもんだろ?それがさ、あのときたまたまダチの子供預かってて、ちょっと目を離した隙に殺られたんだ。こっちもまじムカついてんの」
「…………………」
どこまで信用していいものか。
本当の嘘つきはほとんど嘘をつかない。真実をちらばめてその中に嘘を潜ませるのだ。
さて、この場合どうなのだろうか?見極める手段は今のところない。
「じゃあ最後の質問―――あなた、先生の死の真相を知ってるの?」
「おっ確信だな?それがあんたの求めてる真実か」
「……………………」
そう、それが私の求めている獲物。この数年間、霧を払っても払っても届くことのなかった。
そもそも、ト―ル=シンラという人間が生きていたという記録自体が存在しない。彼の死は書類上なかったことなのだ。しかし彼は確かに存在していたし、彼の遺した功績は現代科学の基礎として伝説になっている。
―――謎……。まるで世界中がグルになってト―ル=シンラを神秘の産物に仕立てているような。
「半々だな。知っていることと知らないことがある」
「あなたが私に伝えたいことだけでいい。教えて」
「謙虚だね……。まぁ知ってること自体それほど多くないんだ。たた一つ言えることは、ある大きな組織とそれを後から糸引いている大きな流れが存在しているということ」
「まさかっ!?」
貴子はハッとなる。
「そう、その組織の名は〃アシミレイト・ハラ―ル〃―――あなたの後ろ盾だよ、お姉ちゃん」
「くぅ」
貴子は頭を抱える。
それが事実とすれば自分はとんでもないピエロだ。仇とも知らずにそれに加担していたのだから。
「ふふ」
貴子は薄笑いを浮かべてコピペに背を向ける。
「これからどうすんの?」
「とりあえず、今住んでるところを引き払うわね」
とにかく今は身を隠すのが最優先だ。自分が真実に癒着したと奴らに気付かれる前に。
「お兄さまによろしく言っといて。あなたの妹は最後の最後まで愚かを貫き通しますってね」
「ういっス」
貴子は振り返らずに去っていった。
〃素敵な人だよね〃
「そうだな」
どこからともなく声がした。そして少女がコピペの横に現れる。
まるで透明人間がその効果を切らしてしまったかのような出現のしかた。
「大丈夫?」
少女は心底心配そうにコピペに訊ねた。
「うんにゃ、ダメ。頭揺れすぎたせいでインプラちゃん(※マシ―ンインプラント)エラ―っちゃってる」
「ごめんね。ヒ―リングは使えないんだ」
「いいっていいって、しばらくしたらもどるから。それより嬢ちゃんお母さんは?」
「気絶してたからちゃっかりはぐれてきちゃった」
「げっ」
コピペは絶句する。
「もしかして、オレのせい?てっきりもう病院から離れてると思ったんだけど」
「大丈夫だよ。ホント気絶しただけだもん」
「そっか。すまんね。こっちは見ての通りダメだ。奴があんな化物とは―――囮にすらなれんかったよ」
トホホと嘆くコピペ。そして少女は目を瞑る。
「模倣されし翼……大蛇のしっぽが仄かに笑う」
「なっ!?デコイに引っ掛かったのか?」
「たぶん―――だけど、それがどこまで行くかは運しだいだよ。とりあえずお疲れさま」
ぺこりと頭を下げる少女。
「ああ。だが問題はクロシングオ―バ―の方だ。嬢ちゃん、悪いが後は頼む」
「法師さまは?」
「あ〜ダメダメ。あの人、オレに大智くん預けてあっちにいっちゃったんだ。なんかトラブルらしい」
「大智くんは?」
「オレも忙しくなったから、上条さんとこに預けてきた。つぅわけで、アレを止められるのは後、嬢ちゃんしか残ってないの」
「そう」
少女は耳に掛かった細くてしっとりとした髪をかきあげる。
「でも、その結論は早いかもしれないよ」
「?」
「役者は他にもいるから」
少女は笑う。
カ―テンコ―ルの訪れにはまだまだ早いのだと。
ゆうは項垂れエレベ―タ―の扉に縋り付いた。
「―――キキ……」
樹東がクロシングオ―バ―同様、人造人間だった。
それは確かに驚きの事実だ。
でもよくよく思えばそうだろうなと思う。彼の完璧さはやはり人間のそれにしてはできすぎていたから。
問題なのはそれを知った今でも自分が彼のことを好きだということ。彼の横にいて、彼の支えになってあげたいと切に願っているということだ。
「あいつのせいだ―――」
俊彦のぼやき。彼は焦点のあわない目を明後日の方に向けていた。
「あいつがボクの家族をメチャクチャにしたんだ」
「あんた―――」
ゆうはエレベ―タ―の扉に触れていたその手を堅く握り締める。
そして声を震わせ叫んだ。
「あんたいい加減にしなさいよっ!?」
「っ!?」
先日、俊彦に会ったときゆうはとても太刀打ちできる相手ではないと思った。どんな手段を使っても自分の我侭を貫き通そうとする人間ほど手に負えないものはない。
だが違う―――この男はそれほど自らに忠実なわけでも、まして何かを得ることに覚悟を賭しているわけでもない。
子供ですらない。
何も見えていない―――見ようとしていないただの瞽だ。
「家族をメチャクチャにされたですって?ざけんじゃないわ!家族なんて一体全体、どこにあったってのよ!?」
「っ!?」
「あんた何か勘違いしてんじゃないの?父親がいて母親がいて子供ができたから、ハイっ家族になりましたって……んなわけないでしょっ!?家族ってのは、その一員が自覚し認め合い、思いやるという最低限の努力を怠らなかった人たちに生まれた絆が『家族』という結晶になっていくんでしょ?」
「…………………」
「それすらできないなら、たとえ血が繋がってても『家族』になんてなれないし、その絆さえあればたとえ血が繋がらなくても、相手が人間でなくても『家族』になるんでしょ。それすら分からず父親になったあんたに、キキのこととやかく言う資格なんてあるわけないじゃない!?」
「…………………」
惚けたように固まる俊彦。そんな彼に背を向けたままエレベ―タ―が下りてくるのを待ち続けるゆう。
樹東を追うために。
「あの、ちょっといいですか?」
青木が口を開いた。
「オレ、光冴くんのダチです。よく相談とかのってました」
「光冴の……」
俊彦は光冴という名に反応し、顔を上げて青木を見上げる。
「光冴くんよく言ってました。『お兄ちゃんがいるからお父さんが帰ってこなくなったんだ』って。だからあなたの言ってることも、オレには少し分かります。実際、樹東の光冴に対する接し方は異常でしたから。でも、じゃあなんで樹東は光冴にあんな風になってしまったんですかね」
「それは……そうプログラムされて―――」
「ほんとにそうですかね?」
「えっ?」
「あいつが人造人間で、光冴を守るようにプログラムされていた。ほんとにそう思いますか?」
青木は俊彦に真っすぐと疑問を投げる。
「だって―――そうだろ?」
「オレはそうは思わない。もし、ほんとにそれが事実として、オレが樹東の立場なら、あんたのこと殴って引きずってでも家に連れ戻した」
「っ!?」
「それが光冴のためにできる一番のことだから。親が子供のもとに戻らない、それは一番子供にとって悲しいことだから。それが分からないほど樹東はバカじゃない。なのに奴はなぜそれをしなかったのか」
「…………………」
俊彦の眼がピクリと大きくなる。
「いや、できなかったんだ」
「まさか―――」
「樹東はあんたに逆らう力がなかったんだ」
「なるほど―――」
高木が呟いた。そして、俊彦の後にあるユ―ジ―ンのカタチをした人形に目をやる。
「彼女は自分の代わりに夫の手助けをするよう樹東くんに施していたのか」
「そんなバカなっ!?」
俊彦は雷に射たれ弾かれたように立ち上がる。
「そんな―――」
「もっと言えばあいつが光冴を自分の手のひらに隠してたのは、あんたに自分だけを見てもらおうと必死だったんじゃないのか?」
「違うっ!?違う違う違うっ!?」
「光冴が言ってたんだっ!『お兄ちゃん、自分でお父さんに頼みきらないからいつもボクをだしに使う』って。あいつはそうやってあんたを得るのに光冴を利用してたんだ」
「そんな……」
両手で頭を抱える俊彦。
『お父さん、もっと頻繁に帰れないの?光冴が可哀相だ』
確かに樹東が俊彦に意見をするとき、たいてい『光冴が〜だ』と付けていた。それは光冴のためにという代弁を隠れ蓑に、自分の欲望を代弁させていたのだ。
「あんたがあいつから目を逸らしたからこうなったんだ」
「…………………」
エレベ―タ―が下りてきて扉が開く。ゆうが乗り込み、そして青木も続いた。
「早く気付けよ。でないと、あんたは最初から最後までひとりぼっちだ」
エレベ―タ―は扉を閉め上昇し始める。
ゆうが青木の背中に問う。
「青木、あんたはあのダメ親父の味方?」
「……………………」
いっときの沈黙。
そして、
「このまま終わるなんて、光冴は望んでないだろうが」
地上へ。
『〈軍師〉のハッキング止まりません』
「まさに最悪の事態か―――」
二人が研究所に顔を出すと先よりも数段激しい喧騒が散らばっていた。
『少なくとも米・ロ・仏・中の主要軍事施設を同時に侵入』
「くっ」
下唇を噛む山本。そんな彼に樹東の行方を訊ねるのは気が引けたが、他にどうしようもない。
「山本さん―――キキ……樹東くんは?」
「ああ、キミか―――すまない、気付かなかった。こちらも見ての通り手いっぱいでね。彼が廊下を走っていく気配は感じたんだが」
ゆうにはよく事態を飲み込めなかったが大変なことが起きていることだけは分かった。
「わかりました」
「とにかく手分けして探そう」
ゆうと青木は樹東を探すべくその場から離れた。
『まさか〈軍師〉にこれほどのスペックがあったとは』
オペレ―タ―の一人が驚愕と呟く。
たった一つのコンピュ―タ―が世界中の、しかも最高峰のプロテクトを保有しているであろう軍事施設に侵入できるなど誰が想像するか。
しかし、山本は当然だと言う。
「グリッドコンピュ―ィングだ」
『えっ?』
グリッドコンピュ―ィングとは複数のコンピュ―タ―をネットワ―クで繋げ、仮想的な大規模コンピュ―タ―を構築して高速演算処理を実現するシステムのことである。家庭にあるパソコンを普段からその能力をフル活用している人間など殆どいない。企業のコンピュ―タ―にしても深夜はほぼ活動していないわけで、それらの持て余された部分を繋げ一つの演算処理に使用すれば或いはス―パ―コンピュ―タ―以上の能力を生み出すことが可能だと考えられているのだ。
「恐らく〈軍師〉は生まれてこの方、手当たり次第、世界中のコンピュ―タ―をグリッドコンピュ―ティングしている。誰にも気付かれないようステルスして」
『………………………』
つまり世界中のコンピュ―タ―と名の付くものは文字通り〈軍師〉の兵と化している。
誰にも気付かない透明な最強の軍隊か。
「そう……〃蝿の王〃の横暴が表向き許されているのは〈軍師〉の存在があったからだからな」
鉄総司は七年前にコレと同じことをやったことがある。
世界中の権力者を跪かせるために。
ただ、今回は脅しだけではすまないのだろう。
「クロシングオ―バ―……」
愛されなかった子供が取る行動は二つに一つ。自傷か他者を傷つけるかのどちらか。
「或いはその両方か」
〃嘆きの王〃が掴んだ蜘の頂―――。
人間という虫けらを蹴散らそうと触手をのばす。
たとえそれが自らを滅ぼそうとも。
オ―ガンズX―――地中深いその場所で眠る人形を見上げ高木は言う。
「綺麗な人ですね、奥さん」
「…………………」
幾分かの間をおき俊彦は頷いた。
「―――ああ……ボクにはもったいないくらいに―――それなのにボクは彼女を守ってあげられなかった……」
俊彦は誰とでもなく懺悔するように茫然と語る。
「何がいけなかったのか知りたくて、こんなもの作ろうとしたけど―――的外れもいいとこだ―――結局、何をどう守ればいいのか全然分からない……ボクはどうしたらいい―――」
俊彦は頭を抱えた。
ずっと欲しいものがあった。
それは生まれてすぐに失ったもの。
家族。
自信があった。
不可能なことなんてなにもない。世界は自分を存在させるためにあって、欲望を満たす材料はそこら中に転がっている。人もモノも全部自分が満足するためのただのパ―ツ。後はそれを組み立てればいい。簡単なことだ。
なんの疑いもせずそう信じ切っていた。
そして手に入れた。
家族。
賢く、美しく、そして優しい申し分のない妻。目の中に入れても痛くないほど可愛い自分に似た子供たち。
自分は勝ったのだ。
あの公園で楽しくサッカ―をしていたあいつらに―――。なんの苦労もなく家族を持っていたあいつらに―――。
あいつらにこんなに素晴らしい家族が作れるものかっ!?
でも、守れなかった。
それどころか全部偽りだった。
全てが崩れていく。
今までスラスラ解けていた方程式が、ある日突然解けなくなってしまったような―――。
わけが分からない。
自分はどうやって家族を作った?どうやって生きてきた?どうやって欲しいものを手に入れたらいい?
どうやって?
どうやって?
「心はカタチが見えないものだから答えは簡単にでない」
「えっ?」
高木は静かに言った。
「死んだ母が言ってました―――楽しかったときの思い出。そこにきっとヒントがある……」
「……………………」
「僕にはよく分からないけど。でも、もし思い出を共有できる人がいるならまた違うのかもしれない」
自分にはいませんけど、そう続けられた。
一際高いビルの屋上。
クロスは纏った深緑の緞帳を風に靡かせ突っ立っていた。
「白鳥はかなしからずや―――」
青空がどこまでも続く道の群れを包み込んでいる。
でもその中に自分はいない気がした。
「もうすぐみんなまっかっか……」
すでにその弄くられた脳髄には、眼下に広がる人間の町がごみと写っていた。
ごみを始末する箒はこの世界にいくらでも存在する。
そう、原子力という名の……。
「うん?……歌―――?」
突如、クロスの耳に―――いや、頭の中に直接歌が響きだした。
「お兄ちゃん?」
自分の声にも似ている。だが、それは紛れもなく樹東の声であった。
「この歌―――」
聞き覚えのある歌。
ひどく懐かしい。
「どうして―――」
こんな昔の子守歌を―――。
〃愛してるっていうけれど―――〃
『米・ロの核危機軽減センタ―完全に沈黙』
『〈軍師〉核自動報復システムに以前侵入していきます』
「…………………」
オペレ―タ―の悲痛の叫びに山本は堅く目を閉じる。
『山本さんっ このままでは核戦争がっ!!』
「…………………」
戦争?違うっ!
これは世界の落日だ。
決して明日を向かえることのない。
〃愛のカタチを知ってる人はいない〃
カンカンと日光が降り注ぐ校庭。その角で一人、的に向かって投球練習しつづける影。
「っ!」
放たれたボ―ルは激しく的を波立たせる。
「黒田くん」
「ん?ああ、なんだお前か―――」
いつの間にか背後に立っていた制服の少女に一瞥くれて、黒田は再び練習を再開する。
「ナイスストライク」
「ボ―ルだよ今のは―――」
元気に声を掛けてくる少女に、黒田はぶっきらぼうに答えた。
「お前さ、マネ―ジャ―だからってこんな日まで付き合う必要ないぞ」
「いいじゃんべつに、好きで来てるんだし」
「………………」
刹那の沈黙。
「物好きな奴」
そう言って黒田は転がったボ―ルを拾い始めた。少女もそれを手伝う。
「ねぇ部員集めの方はどう?」
「全然ダメ」
篭にボ―ルを放りながら答える黒田。
「この時期に入部するくらいなら、もうとっくに入ってるんだろ」
「そっか」
少女は少しだけ明るさを顰めた。そんな彼女を横目で見て黒田は立ち上がり背伸びをする。
「でも、まぁまだ猶予はあるし―――色々あたってみるさ」
「そだね。私も中学の後輩とかあたってみるから、最後までがんばろ」
「ん……」
黒田は少女に背を向けたまま鼻を啜った。
〃信じようっていうけれど―――〃
「うげぇ全然わかんねぇ」
樹東のクラスメ―トの宮下は弱音を吐いてテ―ブルに突っ伏す。
ファミリ―レストランで友達数人と夏休みの宿題をやっていた。
「やっぱ樹東、呼ぶべきだって」
「とかなんとかいって、樹東の写すつもりだろ、てめぇ」
「へへへ……」
友人の指摘に苦笑いを浮かべる宮下。
「てか、あいつ―――こないだの何だったんだろうな?」
「青木とかいったっけ?」
「『人造人間』って、あいつぜってぇキメてるって」
「言えてるぅ」
げらげらと笑う宮下たち。
「でもさ、樹東は気になるよな」
「まぁあいつがああいうボケかたするときは大抵、自分追い詰めてるときだし。心配っちゃあ心配だな」
「しっかしさぁ『鼻血は落ちにくいんだよ』って、あいつ誤魔化すの下手すぎじゃね」
「役者としては大根だな」
『樹東の欠点見付けたり』とみんなでわいわい騒ぐ。
そして、
「明日にでもみんなであいつん家押し掛けようぜ」
「おっ賛成ぇ!」
「とかいって宿題写したいだけだろうが、宮下は」
「えっへっへっ」
やっぱり宮下は苦笑いを浮かべるのであった。
〃でも、心弱いから伝えきれないね〃
「お母さん、最近ゆうの奴元気ないなぁ」
リビングで新聞を読んでいた柊沢修司は台所に立っている妻・香代子に言った。
「そうですね」
香代子は食器を洗っていた手を止め、ため息混じりに修司に応じる。
「なにかあったんでしょうか?」
「う〜む、まぁ生きてりゃ色々あるもんだからな」
修司は新聞を畳みながらのんきに悟ったことを言った。
そんな夫に香代子は一瞬呆れた顔をしたかと思うと、今度は名案を思いついたと口にする。
「そうだ。今度、久しぶりに樹東くんたちを夕食に招待するってのはどうでしょう?」
「おおっそれいいな!なんだったら休み取ってみんなでキャンプに行くってのどうだ?」
「まぁすてき」
修司の提案に明るくなる香代子。
「大自然の中、釣りしたり、花火したり―――そういやぁ昔は光冴くんとよくキャッチボ―ルしたっけなぁ」
「ふふ、樹東くんはその間私の手伝いをよくしてくれて―――」
夫婦は思い出に胸をときめかせ、未来に希望をのせる。
〃だけどあなたがいつも―――〃
綾取りの糸が切れる。
そして俊彦は妻のカタチをした人形を見上げて呟いた。
「〃心、弱いから伝えきれないね〃……」
いつか歌った子守歌―――泣いた顔も愛しいけれど、自分を見上げて笑ってくれる彼らに胸を熱くしたあの日々。
「なんだ……分かってたんじゃないか―――」
始めから答えはそこにあった。
でも、目を瞑ってたから―――そのことにも気付けなかったから―――。
バカみたいな話だけれども……。
〃キラキラ笑うことができたなら―――〃
「はぁはぁ……」
肩で息をするゆう。
青木と手分けして樹東を探しているが見つからない。家に戻っているのではないかと思い走って行ってみたがいなかった。しかたがないので、辺りを探しながら再び研究所の前まで戻ってきた。
「……キキ―――」
いったいどこ行ったのよ―――。
『愛してるっていうけれど―――』
「っ!?」
微かに歌が聞こえてきた。
『愛のカタチを知ってる人はいない』
「キキっ!?」
樹東が研究所の屋上の縁に立って歌っている。
『信じようっていうけれど、でも心弱いから伝えきれないね』
それは大昔の流行歌。樹東がときどき―――本当にときどきではあるのだけど、一人鼻歌を歌っているのを聞いたことがある。
『だけどあなたがいつも―――』
綺麗な歌。人の芯を震わせるような声。
『キラキラ笑うことができたなら―――』
「…………………」
だけど聞き惚れている場合ではない。
恐らくこれはレクイエム。
『それがきっと―――』
ゆうは駆け出す。自らの魂を鎮める歌のもとへと。
〃それがきっと愛〃
「ら・ら・ら・ら〜ら―――」
屋上の扉が開かれる。
ゆうは静かに鼻歌を歌う樹東の背後に歩み寄っていった。
「ら・ら・ら・ら〜ら〜ら・ら〜……オレ、小さいころは光冴より泣き虫でさ、オレがベソかくたんびに父さんがニコニコしながらこの歌歌ってくれた」
樹東はゆうに背を向けたまま空を仰ぐ。
「好きだったぁ……」
「キキ……」
「父さんがオレのこと嫌ってるの知ってたから、父さんを困らせないようにオレも父さんを嫌ってるフリをし続けた―――つらかった」
「…………………」
大好きな相手が自分を嫌っているから相手を困らせないように気を使って自分も嫌っているフリをする―――そんな壮絶な愛のカタチがこの世に存在するなんて……。
「でも、それも今日で終わり」
「―――キキ……」
『私じゃダメ?』―――その問い掛けがゆうの喉元まで出掛かっていた。でも言えない。樹東はそういう風に作られていないから―――-言うだけ困らせるだけだから。
「お兄ちゃん」
「っ!?」
ゆうの背後から声が聞こえてきた。慌てて振り向くとクロスがそこに立っていた。樹東もゆっくりと振り返る。
「おいで、光冴……いや、クロシングオ―バ―……」
樹東はクロスに手を差し出す。それに吸い込まれるようにクロスは樹東のもとへ。
「―――お兄ちゃん……」
樹東はクロスをぎゅっと抱き寄せた。
「お兄ちゃんはボクのこと必要じゃないんでしょ?ボクのこと好きじゃないんでしょ?」
「ごめん―――分からない……」
「…………………」
「分からないんだ」
互いの心音が聞こえる。それでも自分たちは人間ではない。
心があっても―――生命に限りなく近くても……人のプログラムに従うことを宿命とされたものは道具以外のなにものでもない。
「オレは結局、光冴とお前を利用していた。父さんと自分自身を繋ぎ止めるために。でももう父さんはオレを必要としていない」
「…………………」
「オレたちは優れ過ぎているんだ。だから実質、誰の助けを必要としなくても生きていける」
「でもボクらが必要とされなければ、ボクらはゴミでしかない」
「一緒に死のう」
「…………………」
「……クロス―――お兄ちゃんが一緒に死んでやる……。だから―――」
樹東は顔を上げ、歯を食いしばり真っすぐと自分を見つめているゆうを見た。
「だから、世界を滅ぼすのはやめてくれ」
「…………………」
犠牲―――そんな言葉すらしっくりこない。
「お兄ちゃんは―――お兄ちゃんのことを愛してくれる人を―――光冴のことを友達といってくれた人を―――自分たちを見守ってくれた人を―――そして何よりお父さんを守りたいんだね」
「ああ」
樹東は堅く瞳を閉じた。
目尻が日に反射して光る。
『山本さんっ!』
「どうしたっ!?」
『〈軍師〉のコントロ―ルが回復しました』
『更にハッキングも中断されています』
「っ!?」
山本は目を剥いてその情況を確認する。
「クロシングオ―バ―……」
お前はいったい―――。
「お兄ちゃん、一緒に死のう」
「ああ」
二人は互いの首筋に手をあてがう。
「…………………」
止めなきゃ―――。
でもこの二人は世界を天秤にかけて死のうとしている。
どうやったら止められると言うのか?
「やっ―――」
やめて―――ゆうがそう言い掛けたとき、
「待ってくれっ!!」
二人を制する声が背後から聞こえてきた。
「父さん……」
現れた俊彦を目に樹東が呟く。
それに釣られるようにゆうとクロスも俊彦の方に振り向いた。
「クロシングオ―バ―……」
俊彦がコンクリ―トの床に跪く。
「……きっ―――樹東……」
両目からぽたぽたと雫が零れた。
「すまなかった」
「っ!?」
「謝ったところで償うことなんてできないけど、今は謝ることしかできないから」
「……………………」
「ボクを―――父さんを独りにしないでくれ。おいて行かないで……」
どこまでも我侭な大人。
だけれども、
「もういいよ」
クロスが呟く。
「ボクらは人間じゃないから―――好きな人が泣いてるところなんか見たくないから―――必要とされるだけで十分だ―――そうでしょ、お兄ちゃん」
太陽が西に傾く。
「ああ」
やがてすべてのものが真っ赤に染まっていく。でもそれは太陽がくれる明日を迎えるための、些細な別れの贈り物。
「ありがとう」
かくて、父より息子へ林檎が投げられた。
それは酸っぱくて甘い愛のカタチ。
〃アシミレイト・ハラ―ル〃―――-国際組織犯罪対策機構―――-通称〃アシハラ〃―――。
二十一世紀最初の年、テロによる〃大きな林檎〃襲撃に世界中が震撼した。戦争のカタチが変わったのだと誰もが否応無しに認識せざる得なかった。にもかかわらず、大国の取った行動は『正義を振りかざす』という旧世代の産物であり、結果は『大蛇の頭を潰しても尻尾が頭に成り代わる』という凄惨な有様であった。
それを見兼ねた各国の資産家や著名人が集い、独自の理念によって組織したのが民間シ―クレッドサ―ビスともいえる〃アシミレイト・ハラ―ル〃である。
その理念とは『統合と粛正』―――。
『そこに善悪はない。なぜならこれは生き残り競争であり、思想の違いにおいて同種族という言葉は成立しないのだから』と当時の設立者たちは語っている。
創立から二十年近く経った現在において、その構成員は末端まで含めると億単位にも上ると噂されている。
人が人を猜疑の目で監視する社会。
そこに渦巻く思念。
『殺られる前に殺る』―――世界中の人間が恐怖に侵され、地球という閉塞された空間の中で集団ヒステリ―に陥ってしまったかのように。
松雪貴子は路地裏で壁を背にして息を潜めていた。この行為が危機回避にそれほどの効力を生むものなのか甚だ疑問に思うのだが、何か対策を講じていないと落ち着かなくてしょうがない。
それほどまでに彼女の焦りは深刻なものだった。
表通りに黒い4WDが止まる。
「貴子さんっ!!」
呼び付けた高木が迎えにきたのだ。
貴子は素早い動きで車に乗り込んだ。
「貴子さん、何かあったんですか?」
貴子の尋常じゃない様子に高木が訊ねる。
「ええ、それが―――ん?」
助手席に座ろうとした貴子は車の後部座席に白いシ―トに包まれた大きなものが乗っていることに気が付く。
「高木くん、これっ―――きゃっ!」
高木が突然車を発進させ貴子はあわや転倒しそうになる。
「ちょっと高木くん、行き成り―――っ!?」
抗議しようとした瞬間、白いシ―トの中からニュルっと白い腕が出てきたのを目のあたりに貴子は声を失った。
「すいません、少し時間がなくて」
それはいつものお人好しな高木の謝罪。
「荷物を早く届けないと腐るかもしれないから」
「っ!?」
貴子の手が懐に伸びたそのとき、運転中の高木の左手が彼女の額に突き出された。
彼の手の平に収められているのは俗にデリンジャ―式と呼ばれる小型の拳銃。
「そう」
貴子はにやりと笑った。
恐怖心や怒りより、新しい発見に出くわしたことへの愉悦が何よりも先に出てきたのかもしれない。
「あなたもだったの」
〃アシミレイト・ハラ―ル〃と繋がりを持っていたのは貴子だけではなっかった。
「すいません」
苦しそうにそう言った高木は真っすぐと前を向いて運転を続ける。
貴子に拳銃を突き付けたまま。
「車、ミッションにしとけばよかったかしらねっ!?」
そう皮肉を口にして貴子は後部座席の白いシ―トを引き剥がす。
「っ!?」
裸の女が横たわっていた。
しかもこれは―――。
「ユ―ジ―ン=ア―ガイア……」
貴子に彼女との面識はないが、それでもその容姿は資料などで見知っている。
これは紛れもなく関俊彦の妻・ユ―ジ―ンのカタチをしたモノだ。
「いえ、これは―――」
「関俊彦が作りたかったモノ―――そしてあなたが奪取するよう命じられた」
「本当は隙を見てクロスを手に入れるはずでした。でも、あんなことになったから―――」
貴子の冷静な問い掛けに高木は躊躇いがちに答えた。
貴子はため息を吐いて、浮かせていた腰を助手席に落とす。
「高木くん、ずっと私を監視してたの?」
「はい」
「こないだの〃アシハラ〃の指令―――広田議員の汚職をスッパ抜いたの、アレは兄さん、鉄総司の目をそちらに向かせるため?」
「はい―――でも、彼の持っている情報を手に入れたかったのも事実です」
〃アシハラ〃の構成員は警察にも検察にもいるということか。
アカデミ―創立に関わる広田議員の持つ情報を拷問にかけてでも手にしたかったか。しかし、それもコピペによる暗殺によって阻止された。
「それに、狼煙上げの意味もありました。この計画に参加した人たちに対しての」
「………………………」
『この計画』―――クロシングオ―バ―を奪取する計画―――コレに参加した人々の数はその真意を明確に把握していない者たちも含めればかなりの人数になるのであろう。それらの人々全てに『○月○日に何をしろ』などというメッセ―ジを一斉に送ってしまえば、ネット上に目を光らせている誰かに怪しまれてしまうかもしれない。その危惧を拭うために予め、『週刊誌・広田議員・汚職事件・○時間後・○○をしろ』といった暗号を潜ませた文章を各自に送っていたのだろう。
まさに狼煙上げ。
貴子のスク―プが載った週刊誌の発売日を皮切りに、この国、或いは世界中にいる〃アシミレイト・ハラ―ル〃の構成員たちが各自工作に乗り出した。
「でも、計画は見事に失敗」
「はい」
広田議員の死に動揺が生まれ計画はほんの少し遅延する。その間にコピペはクロスと接触。そしてクロスの猜疑心は頂点に達し隙を見てそれを奪取することができなくなった。
「初めから樹東くんが人造人間だと知っていたら、彼を誘拐するだけで済んだんですが」
ここまで事態が発展してしまってはそれも困難だろう。結局、クロシングオ―バ―から仕方なく作りかけのユ―ジ―ンの人形に目標が切り替わった。
「………………………」
そして、計画の修正を行なっている高木は恐らく計画の中心的存在であったと言わざる得ない。
「高木くん、もしかして―――」
貴子の声は震えていた。
こんなこと口に出すのも悍ましかったからだ。
「この計画に関光冴の死は含まれてた?」
全ては水面下で計画されていた。それが水面に顔を出したのはまさしく関光冴の死によってである。
高木は眉間に皺を寄せた。
「クロシングオ―バ―を表に引っ張り出すために」
「はい」
「あなたは最初から知ってたの?」
「……はい―――」
少し間を置いて高木は肯定した。
貴子も少し間を置き、
「高木くん、あなたが―――」
「…………………」
『僕、やっぱ広田議員のところ張っときますから』
仕事で貴子と高木が別行動をとることはあまりない。高木がごねることが多いからだ。今思えばそれも貴子を監視しなければならない立場故だと推測できる。
それなのに、あのときだけは―――。
「あなたが、関光冴をひき殺した?」
「………………………」
高木は答えない。
その代わりのように急ブレ―キで車を止めた。
貴子はそれを肯定の意と取る。
「どうしてよっ!?」
ここにきて納得できぬ不条理に、怒りと悲しみが吹き出した。
「どうして―――確かに関光冴はまったくの無関係者ではないかもしれない。それでも、彼は利害のために殺していいような人間ではなかったはずよ?何の変哲もない、ダメな家族に悩んでたただの高校生。そんな子の命奪う権利なんか誰にもないわっ!!ねぇ、そうでしょっ!?」
「はい」
高木も貴子同様、今にも泣き崩れそうに頭を垂れる。それでも彼の手からデリンジャ―が下ろされることはない。
「だったらどうしてよっ!?」
「……………………」
沈黙。
冷房の風が不快に頬撫でていた。
「キザン式人造人間―――それを強化するマシ―ンインプラントの技術がどうしても必要でした」
コピペの話を信じれば、シンラ博士の死に〃アシハラ〃が強く関与しているとのこと。となれば、彼らがそのときに人工細胞キザンを奪取していただろうことは容易に推測される。
そして待っていたのだ。
キザンの有効活用が示されそれを奪い取る今日という日を―――。
「それで無敵の軍隊でも作るつもりっ!?」
貴子の追求。
そして高木は搾り出すような声で答えた。
「必要なんです。そう……〃蝿の王〃に一矢報いるために―――」
「っ!?」
「僕の両親と妹は七年前、〃蝿の王〃に殺されたんだ」
「七年前―――」
高木の告白。
それを聞いて貴子はすぐさま事情を理解した。
七年前の事件―――裏の世界ではあまりにも有名、というよりホラ―映画が現実に起こったかのようなリアリティ―のなさと、それに反比例して襲いくる恐怖が人々の戒めにさえなった血塗られた暗黒史。
それは鉄総司がキザン式ス―パ―コンピュ―タ―〈軍師〉を以て米軍のコンピュ―タ―を悪戯にハッキングしたことから始まる。
ハッキングは数時間で止み、しかし上層部はパニックになったのはいうまでもない。
コンピュ―タ―を掌握されたことで表立って裁きを下せない米軍は、鉄総司の暗殺を実行。だが、それはものの見事に失敗、米軍の暗殺部隊は返り討ちにあった挙げ句、その報復として暗殺計画に携わった人間とその親類縁者に至までおよそ千人近い人間が数日の期間に暗殺されたのだ。
こうして鉄総司は神格化された。
人の死が集う〃蝿の王〃へと―――。
「僕、本当はチャイニ―ズアメリカンなんです。僕の父は軍人でした。たぶん、鉄総司の暗殺に関わっていたんでしょう。だから当時日本留学していた僕以外の家族はみんな殺された」
「くっ」
貴子は唇を噛む。
『僕、死して屍拾うもの無しなんですよ』―――『確かにオレはコスプレと殺しが趣味だけどさぁ』―――。
あの、デク人形がぁ!
高木の困ったような笑顔、そしてコピペへの確かな殺意が貴子の中に芽生える。
七年前のベルゼバブ・ジェノサイドはコピペの手によるものだ。
鉄総司の手駒はそう多くない。彼が脅しにコンピュ―タ―の掌握を選んだのがその証拠である。にも関わらず数日中に千人もの人間を殺せたのは、コピペの変身能力によってもたらされたものに違いない。
「高木くん―――」
私はハンタ―だ。真実という濃霧に包まれた獲物に標準を合わせている。
「真実は人の手に負えるものではないのかもね」
それはあまりにも強大な悲しみ。
「どうして私を抱かなかったの?」
「…………………」
それはあまりにも脆弱な欲望。
「その方が監視も先導もしやすかったはず。こんな孤独で疲れ切った女、あなたなら簡単に落とせたのに」
「僕だって……僕だって初めはそうしようと思ったさっ!!」
高木の怒鳴り声、思えば初めて聞いたかもしれない。
「あの男の妹なんか、利用するだけ利用してボロボロになったら捨ててやろうと思ってたよ。でも―――」
「…………………」
それはあまりにも醜悪な怒り。
「好きになったんだ―――どうしようもなく」
「……………………」
「あんたが悪い……あんたのせいだ……」
「真実はとことん残酷ね」
そして、あまりにも切ない愛のカタチ。
「さようなら」
ダン
「なんでだよ」
愕然のあまりコピペはその場に膝を付く。
「なんで、総ちゃん」
いつも後手に回っていた。その度に何かを失った。そして、その何倍も誰かのものを奪った。
それがやっと獲物が餌に食らい付き、先手を打つ機会が訪れるかもしれないというこのときに―――。
「なんで自殺なんかすんだよっ!?」
左手に拳銃、蟀谷に銃創―――糸を切られた人形のように力を失った体を車椅子の背もたれが辛うじて支えている。
鉄総司―――これが世界中から魔王と恐れられていた男の末路。
「『先生、ボクもういいよね』……」
机の上に置かれたくしゃくしゃの写真。シンラ博士と若かりし日の鉄総司が写った。照れくさそうに外方を向くシンラ博士の辺りは手垢で黒く変色している。
そんな写真の裏に殴り書かれたような文字のメモを見て少女が呟いた。
「総司さん―――初めからそのつもりだったのかも」
「っ!?」
「総司さんをこの世に繋ぎ止めていたのは御友人だった俊彦さんの心配だけで、ホントははやくシンラ博士のところへ行きたかったのかも」
「……………………」
コピペは項垂れる。
「なぁ?」
そして少女に訊ねる。
「今回、オレ何人殺した?」
いつになく沈んだ声で。
少女は目を瞑る。何かを手繰り寄せるような、そんな間を置き目を開いた。
「今のところ八人―――」
広田議員。そして病院で巻き添えになった人たち。
「…………………」
結局また悲しみを生んだ。
悲しみは怒りに、怒りは憎しみにときとともに変わっていく。そして憎しみは悲しみを生み出す糧となる。
「…………………」
「もう、やめる?」
しゃがみこみ沈黙するコピペに少女が優しく声を掛けた。
「やめない」
いじけた子供のようにそう呟く。
「やめられない」
尖っているのに攻撃性のない、どこか朧気な言い草で。
「だって―――」
コピペは目元を拭う。
「総ちゃんじゃない。これは最初からオレの……いや―――」
そして口調が変わった。
「わしの戦いだ」
そこには先までの落胆は一切形を顰めていた。
「……………………」
それはひどく荘重な面持ちで立ち上がる。その様子はいかにも一国を背負って断つ柱石の趣があった。
「たとえ―――」
身が破滅という悲境に陥ろうとも、その眼にはまさに王者にふさわしい英知の輝きが厳然と満ち溢れる。
「大切なものを失おうとも―――この世の全ての人間を殺すことになろうとも、必ずセンセの仇を燻り出す」
世界に静寂が忍び寄ろうとしていた。
それは夜の静けさのようでもあり、真夏の照りつける凪のようでもある。
「このわしが〃蝿の王〃だ」
魔王が哮ける。
落ち行く太陽。
明日、その恩恵を受けるものは誰もいないのだと言うように。
「〃蝿の王〃―――カナンを追われし、ペリシテの神」
少女が囁いた。
幕引きの縄に虎視眈眈と狙いを定めて。
エピロ―グ
光冴の葬儀―――その帰り道。
ゆうと青木は炎天下の中を並んで歩いていた。
「これでよかったのかしら……」
ゆうが青木というより自分に問い掛ける体で呟いた。
結局、光冴の葬儀は事情に明るいもののみの出席で行なわれ、当初の予定通りクロシングオ―バ―は光冴の戸籍で生きていくこととなった。
「知るか……」
青木は伏し目がちに言葉を吐き捨てた。その声は少し鼻に掛かっている。
葬儀の中、光冴の死に一番敏感に反応を示したのは他ならぬ青木だった。
「ふぅ」
ゆうはため息を吐く。
彼女としては少しでも青木を慰めることが出来ればと思うのだが。
「あっそうだ」
ゆうは思いついたように青木に訊ねる。
「今度、私の家族と樹東たちとでキャンプに行くんだけどあんたもいかない?」
「いかない」
速答する青木。
「そっか、ごめん」
余計なお世話だと言われているような気がしてゆうは謝罪した。
そして沈黙が続く。
真夏の太陽。そして照り返し。
暑さに翻弄されながらゆうはふと思った。
人の死に自分より悲しんでいる人間を横にすると、冷静でいる自分は或いは彼よりも残酷なのではないかと。
「光冴―――『アオちゃん、ありがと』って笑ってた―――」
青木が小さく呟く。
「嬉しかった―――ほんとうに―――嬉しくて」
「……………」
「もう、見れない」
「…………………」
ゆうは何の言葉もかけることができない。 その資格がないような気がした。
さっき青木がこっそりとポケットに光冴の遺骨を忍ばしていたのを見た。今もポケットに手を突っ込んで歩いている彼の手の中にはそれがあるのだと思うと。
「許さない」
青木の口元が歪んでいく。
その表情は怒りに満ちているようにも泣いているようにも見える。
「オレから光冴を―――あの笑顔を奪った奴を……絶対に見付けだしてこの手で八つ裂きにしてやる」
「…………………」
そしてほんの少し喜んでいるようにも見えた。
復讐―――生きがいが見つかったのだと。
その日の夜、久しぶりに関家の食卓に俊彦は座った。
俊彦の横にクロシングオ―バ―、前に樹東が座る。食事はいつものように樹東が手際よく用意した。
「…………………」
食事を開始してしばらくはクロスが話題を提供していたが、やがて沈黙が訪れる。
しばらく黙々と箸を動かしていたのだが、やがて意を決したように俊彦が口を開く。
「あっあの―――」
口吃る俊彦に、樹東とクロスは箸を置いて耳を傾けた。
「こっ今度……三人で母さんのお見舞いに行かないか?」
俊彦は怯えた子供のように緊張した面持ちで返事を待つ。
クロスは樹東次第だと彼の顔色を伺った。
そして樹東は、
「母さん―――」
優しく微笑み、
「早く元気になるといいね」
俊彦が一番心地よくなる言葉で応じた。
翌年、ユ―ジ―ン=ア―ガイアは静かに眠ったまま息を引き取ることとなる。彼女の真意を知る術はこれで永遠に閉ざされた。
関俊彦―――思えば初めからしまいまで、彼の家族は妻から与えられた人形だけだったのかもしれない。
糸の代わりに心で動く人形。
人より優れた、人の愛に飢えた新人類。
その匙加減で世界の明日のあり方も決めかねない力を持った人造人間たち。
彼はこれから死ぬまでその人形たちと家族ごっこを演じ続ける。
これが家族の―――そして愛のカタチだ。
そう自分に言い聞かせて。
終劇




