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モツレル




   ガラクタのエチュ―ド

         (クロスの見た悪夢)



 青い空  アスファルトに浮かぶ逃げ水

 蝉の鳴き声  幼い光冴の脚のアップ

主婦A>聞きました?関さんところの奥さんのこと

主婦B>ええ。旦那さんも忙しいみたいで、ほとんど子供たちだけで生活してるらしいでしょ?

 団地の煽り  入り口階段

主婦B>でも、お兄ちゃんがすごくしっかりしてるから。柊沢さんとこの奥さんに自分から料理の作り方、訊きに行ったんですって

主婦A>へぇ、そう。すごいわねぇ

 錆の浮いた鉄の扉  光冴の手が映り込み扉を開ける

光冴>お父さん?

 俊彦の笑顔のアップ

樹東>どうして(エコ―)

 古びた洗面所  篭から垂れたタオル 

 物が置かれた使われないヘルスメ―タ―

染みだらけの足拭き  広角レンズを使用したような圧迫された閉鎖空間

樹東>ん?

 浴槽に凭れ掛かっていた樹東  

光冴>どうしてお父さんは帰ってこないの?

 樹東の無言  ジョボジョボジョボ(浴槽に溜まる水音)

光冴>教えてよ(語気強め・押さえた感じ)

 樹東天井に目を向ける  俯瞰からの浴室  湯気がかる画

樹東>お父さんはオレたちを捨てたんだ!?

 バシャ(何かが浴槽に投げ込まれる・音だけ)  暗転 

俊彦>違う!

 ラボ  クロスの脚のアップ(裸足)

俊彦>ボクが欲しかったのはこんなんじゃない……

 ガシャ(何かが割れる・音だけ)  床にガラスの破片が散らばる

俊彦>アイツのせいだ!アイツのっ!? 

 クロスの真っ白い脚がガラスの破片を踏む  滲む血

女1>誰のせいなの?

俊彦>樹東がっ!あの化物が、ボクからキミも光冴も奪ったんだ!? 

 台所  幼い樹東、踏み台に乗り拙い手つきで懸命に包丁を扱う

光冴>お兄ちゃん(嬉しそうに)

俊彦>お前のせいだ!!お前が母さんを廃人にしてボクから光冴を奪った!

 樹東、包丁を持ったまま振り返る  捌かれた魚のアップ 

 包丁と樹東の手は魚の血で血塗れ

樹東>どうしてボクを見てくれないの

 踏み台を下り俊彦に躙り寄る樹東

樹東>どうして光冴だけなの(虚ろな目で)

 振り上がる包丁

光冴・クロス>止めて!(ステレオで)

 グシュ  赤

女2>あんたが悪いのよ。あの兄妹ばっかりに構うから、私を見てくれないから!?

 白衣の女が白衣の子供らしき人物にナイフを突き立てる(ワンカット挿入)

 光冴(クロス?)の顔アップ  瞳孔が開いていく

樹東>ギャアアアアアアアアアアア 

 (後・イメ―ジの洪水、セリフ被りぎみ)

樹東>お前は光冴だ!

俊彦>もうすぐだよ、ジ―ン

ゆう>なにやってるの 

樹東(子供)>お兄ちゃんがついてるから平気だろ?

青木>光冴はどうしたっ!? 

俊彦>百点とったのか?偉い、偉い!

子供>へっブラコン野郎なんか恐くねぇ!

俊彦>光冴として接してあげなさい

樹東(子供)>買物なんてオレが行くのに

樹東>もうすぐ終わるからいい

青木>樹東の奴はなんでも出来るからな

ゆう(幼く)>キキくんすご―い

コピペ>せいぜい争えよ、運命に

青木>光冴にそっくりなロボット作ってる

ゆう>光冴は、そんな作り物で誤魔化せるような安っぽいものだったの

樹東>オレの心を埋めてくれるのは光冴だけだ!たとえそれが人形だとしてもな

 台所で血塗れになりへたり込む樹東  その頭を抱えるゆう 

 二人を見下す俊彦

俊彦>全部お前のせいだ!? 独り占めしようとするから!!

ゆう>それの、何が悪いのよ(息交じり)

樹東>………………

 放心状態の樹東のアップ

ゆう>人間、誰だって

俊彦>人間じゃ―――人間じゃないくせに

ゆう>へっ?

 樹東の右目だけがピクリと大きくなる 



クロス>お兄ちゃん、人間じゃないんだ(嘲るように)






   モツレル



 朝起きて、ご飯を食べたらすることがないことに気が付いたゆうの足は、自然と樹東のもとへ向かっていた。

「まだ、早かったかな?」

 インタ―フォンを鳴らしても返事が返ってこない。まだ二人とも寝ているのか?

「バカみたい」

 そう呟いて、ゆうは扉に背を向ける。引き替えそうと階段を下りようとすると、

「青木?」

 四階と三階の間の踊り場に青木が息を切らして立っていた。

「お前んちに行ったらここに向かったって」

「何か……よう?」

 青木は見上げていた視線を下に落とす。古びたアスファルトの階段に決意を後押しする何かがあるとでもいうのだろうか?

「あれからずっと考えた。アレはオレの思い過しで、光冴はただ事故のせいでたとえば記憶喪失になってるだけじゃないのかとか―――そんなこと……考えた。いろんな―――可能性必死で探した」

「………………」

 ゆうはぎゅっと拳を握る。少しでも気を抜けば自責の念で押し潰されてしまいそうだ。

「答えてくれ―――柊沢―――」

「………………」

「答えろよっ!?」

 団地の狭い階段に、青木の悲痛なる問い掛けがこだまする。

「光冴は死んだ」

 渇き切った喉に空気が擦れる。

「光冴は私のせいで死んだ。私が―――私が樹東を取ったから―――光冴、ショックで走っていって―――それで……」

「ああああああああああああああ」

 青木は頭を抱えしゃがみこむ。

 自分のせいだ―――あのとき、光冴にあんなこと言ったから。

 なにがどう原因になっているかなど、この世は―――特に人の心は複雑すぎてひも解くことなどできない。

 それでも他人は、返らぬ答えに恐れを抱き罪の意識に埋没する。

「どうしてっ!どうして光冴じゃねんだ!?」

「…………………」

「どうして―――なんで……お前らあんな仲よかったじゃんか!お前が樹東見てたことは知ってたよ。でも、なんで樹東なんだ!?あいつはお前のことなんか―――」

「知ってるわよっ!?―――そんなこと……。それでも私はキキが―――」

 その背中に呼び掛けても、彼がこちらを振り向いてくれることはない。

 彼は優しい。でも、その優しさは常に私を通り過ぎ―――。

 彼の頑なな眼差しに心惹かれる。ただ、その瞳に私は写ることなく―――。

 彼は一つの使命を背負って生きている。それは光冴を―――家族を護ること。それ以外のことは全て些細なこと。

 そう、私のことも。

 どうしてこんな奴好きになったんだろう。分からない。

 分からないけど―――彼が私の前から消えることは考えられない。

 だから私は―――。

「どうしようもないの」

「光冴は……蔑ろにして―――光冴はどうなんだよ!?」

「光冴が死んで―――供養してやらなきゃいけない―――こんなの間違ってるってことくらい分かってるけど―――キキがアレに縋り付く姿見たら私―――光冴のことを虐げてもキキのことを―――」

「……………………」

 アレがあまりにも光冴に似ているから混乱する。だけどアレはたしかに光冴じゃなく、性質的に似ても似つかないのに、それでもみんなアレに縋り付きたくなってしまう。それはまるでパンドラの匣の中に入っていた最後の希望。そして、地獄の亡者に垂らされた蜘蛛の糸の如く。

「うがぁぁぁぁぁぁ」

「キキっ!?」

 扉の向こうから樹東の苦痛に歪んだ絶叫とガシャンと何かが倒れる音が聞こえてきた。

「キキっ!どうしたの?」

 ゆうが扉を叩いて返事を求めるが返事が帰ってくることはない。

「何かあったの!?」

 下でクロスを監視していた貴子と高木が騒ぎに駆け上がって来てゆうに訊ねる。

「キキが―――友達の叫び声が聞こえてきて」

「鍵は?」

「開いてない」

「退いてください。ボクが開けます」

 意外にも高木がそういって前に出た。そして彼は懐から細長い針金を二本取り出す。

「高木くんあんた……」

 よもや高木にそんなスキルがあったのかと唖然となる貴子。

「昔取った杵柄です」

「昔取った杵柄ってスパイ大作戦でもやってたの?」

「いえ、チャ―リ―の依頼で天使を少々」

「…………………」

 などとわけの分からないやり取りをしているうちに、高木は数秒とかからずに鍵を開けてみせた。

「キキっ!?」

 高木を押し退けるようにして玄関の扉を開けると、ゆうと青木は我先にと家の中に駆け込む。

「なっ!?」

 短い廊下を抜け台所まででたところで二人は目の前で繰り広げられている光景に固まった。

「うぐっ」

 クロスが仰向けに横たわる樹東の上に伸し掛り、左手で樹東の首を締めている。更に掲げられた右手には包丁が握られている。

「あぐっ」

 そして振り下ろされそうになっているクロスの右手を樹東が必死の抵抗で阻止しているところだった。

「退いてっ!」

 遅れて来た貴子は叫ぶと床に転がっていた椅子を手に取りクロス目掛けて振りかぶる。椅子はクロスの側頭部にヒットし、クロスは横に吹っ飛んで壁に激突した。

「……………………」

 ぐったりとなって壁に沿って倒れこむクロスを確認し、同じく意識を朦朧とさせている樹東に目をやる貴子。

 樹東の右腕に切傷があり、そこから血が流れ出ていた。貴子は冷蔵庫にかけてあったタオルを取り急いで止血する。

「高木くんこの子運んで。私はコッチを運ぶから」

 そう言って貴子は昏倒したクロスを一瞥する。

「救急車は?」

「こっからなら車の方が早いわ」

 おまけにここから一番近い病院はシンラ研究所の真ん前にある。

 もっともその病院もクロガネ経営のモノではあるが。


  


 私立クロガネ総合病院前。

「つきましたよ」

 コピペは軽トラの助手席に乗っていた母娘に言った。彼女らはここへ来る途中の大通りでタクシ―が拾えず困っていたのを、通り掛かったコピペが行き先が同じだからと乗せてきたのだ。

「本当にありがとうございました神父さま」

 母親は軽トラから下りると丁寧にコピペにお辞儀する。

「いいっていいって。あっそれとオレのは神父じゃなくてただのコスプレだから」

「ふふ」

 母親は冗談だと思い小さく微笑む。

「お兄ちゃん」

 娘の方が口を開く。少女はまだ低学年程度の背丈だがずいぶん大人びた雰囲気を漂わせている。というより顔が恐ろしく整っているのだ。

「気をつけてね」

「んっ?ああ」

 儀礼的な別れのあいさつをすませて母娘は病院の入り口へと去っていく。それを一頻り見送ってからコピペも軽トラから下りた。

「よいしょっと」

 軽快に荷台へ飛び乗り、コピペは積み荷に被せていたシ―トを外す。

 その様子を見るものがあればぎょっとなったことだろう。

 今日も朝から燦々と降り注ぐ太陽に反射して黒々と重厚な光を放つ物体の数々。コピペはそのうちの一つ、RPG‐7(ロケット推進式榴弾)を手に取り首を傾げる。

「はてさてうふ〜!?計画通りに壊れてくれるのかねぇ、クロスくんは」         口調はおどけているがその目付きは鋭く、コピペは病院の真向いにあるシンラ研究所をじっと見据えた。



 クロガネ総合病院・外科病棟待合ロビ―。

「よかったね、大したことなくて」

 治療を終えソファ―で休憩している樹東にゆうが言葉をかけた。出血の割に傷は浅く縫う必要もない程度だったらしい。

「何があった?」

 青木が詰問する。その横には高木も付き添っていた。

「分からない」

 呆然とした表情で樹東は首を横に振る。その声は首を締められた後遺症からか多少擦れていた。

「オレが朝飯作ってたら光冴が起きてきて、突然オレの持っていた包丁を奪ってきて」

 それから揉み合いの末、首を締められてあの状態に至った。腕の傷はそのときのものだという。

「…………………」

 あのクロスの表情、アレは明らかに常軌を逸していた。そもそも人造人間は人間を襲えないように制御されているはずである。

「壊れたか」

 そう呟いた高木を樹東が見上げる。他の二人も彼を睨み付けた。

「あっごめ―――」

「あうっあえっ―――」

 樹東の表情が嗚咽で歪んでいく。

「うわあぁぁぁぁぁぁ」

「キキ……」

 樹東は子供のように泣きじゃくる。ゆうがそんな彼の頭を抱えた。

「………………」

 続かない平穏。まるで呪いのようだ。



 シンラ研究所。

『インプラントチェッカ―、オ―ルグリ―ン表示』

『プログラム・誤差0・001パ―セント』

『〈軍師〉の解答、肯定』

 飛びかう、プログラマ―やオペレ―タ―の報告。

「何故だ―――なんでだ……」

 研究室の真ん中に設置されたデスクに腰を下ろしている俊彦は激しくボ―ルペンをノックしながら呟いた。そんな彼の横に立っている山本が声を掛ける。

「やはり制御及びその他のシステムに異状は見受けられません」

「じゃあなんで―――なんでだよっ!?」

 俊彦は立ち上がり山本の白衣の衿を掴み掛かる。

 なんの異状もないのにクロスが樹東を襲った。目的達成間近にきてのこの事態。

 焦燥を押さえることなど到底不可能であった。

「よく分からないもの無理して使うからよ」

 浴びせられる冷たい言葉。声のした入り口付近に目をやると貴子が立っていた。

「連れてきてやったんだから見学ぐらいは許してくださいね」

「…………………」

 俊彦は虚ろな目付きで貴子を見つめる。

「どうするつもりですか?」

「…………………」

「なんにせよ、アレがあなたの優秀なご子息を襲ったのは事実ですからね」

「―――優秀……そうかっ!?」

 俊彦は何かの事実に気が付き目を剥く。

「そういうことか。クロスは壊れているわけじゃないっ!だって―――」

 ヴィィィィ

 突如鳴り響き始める警報が俊彦の言葉を遮る。

「何事だ!?」

 山本が近くにいたオペレ―タ―の一人に訊ねる。

『〈軍師〉がハッキングされています』

「なんだとっ!?」

 ス―パ―コンピュ―タ―〈軍師〉―――このシンラ研究会を縁の下から支えている頭脳であり、恐らくこの世でもっとも優秀なコンピュ―タ―の一つであろう。

「馬鹿な―――〈軍師〉はあらゆる情況を想定して、如何なる自体でも外部からの侵入はできないように設計されているはずだっ!!」

 山本の怒号にも似た疑問にオペレ―タ―の一人が答える。

『いえっ外部からではありません。研究所内―――この部屋からのハッキングですっ!!』

「この部屋だと」

 この室内にある〈軍師〉以外のコンピュ―タ―といえば―――。

「っ!?」

 室内にいるものは一斉に同じ方向に目を向けた。

「クロシングオ―バ―」

 ソレが眠っているAU(人工子宮)へと。

「そんなはずない―――」

 俊彦は声を震わせ囁く。

「そんなわけないじゃないか。確かにクロスの体にはマシ―ンインプラントが施されている。でも、そんなもの〈軍師〉のそれに比べたら些細なものだ。とてもそのプロテクトを突破できるはずがない」

「いえ―――」

 山本が青い顔をして首を振る。

「あなたは元々医学部出身でご存じないかも知れませんが、〈軍師〉の中枢には生体部品として〈キザン〉が使用されているんです」

「なんだとっ!?」

「〈キザン〉はブラックボックスの固まりです。或いはテレパシ―のようにクロスに同調現象を起こしたのかもしれない」

「…………………」

 室内が警報音のみに支配された。そしてオペレ―タ―が告げる。

『〈軍師〉のコントロ―ル、完全にハッカ―に掌握されました。こちらからのアクセス、受け付けません』

 警報音が鳴り止む。恐らくこの施設の全てを統べることの可能な〈軍師〉が止めたのだろう。

「……………………」

 静寂―――それは前奏曲が始まる前の張り詰めた劇場の空気。破滅のアリアか、嚇怒のレクイエムか……いずれにせよ不穏が訪れる前触れであることは誰しもが感じていた。

『これは……〈軍師〉がクロシングオ―バ―のマシ―ンインプラントの制御プログラムを書き替えています』

 クロスに施されたロボット三原則に基づく制御が消されていく。

 〃人を襲わない〃

 〃命令に忠実〃

 〃自分を守る〃

 科学という力で紡がれた封印の呪縛が解き放たれる。

「やはりかそうきたか」

 山本の吐息混じりの囁き。

 〈軍師〉を落とされた時点で、この場にいる人間になす術はない。

『AU解放されます』

 ウィ―ンという機動音とともに人工子宮の扉が前のめりに開いていく。

「……………………」

 ドロドロとした液体が研究室の床に広がっていった。

 フロントが完全に解放されるとソレはゆっくりと目を開く。

 そして全身に繋がれたコ―ドをブチブチと無理遣りに引き千切って前進し始めた。

「クロス」

 俊彦が絶望に溺れているかのようにその名を呟いた。

「お……兄ちゃん―――」

 制御システムという殻を自ら破り今まさに誕生した。

 人類の英知が作り出した―――いや、人々の愚痴が産み落とした怪物。

 〃嘆きの王〃―――その名はクロシングオ―バ―……。



「あっちいのぅ」

 軽トラの荷台に寝転んで日光浴(というよりほとんど人間バ―ベキュ―)をしていたコピペは太陽にその恨みを零した。

「ん?」

 首に一筋汗を掻く。

 汗など別に珍しくない。蒸し風呂のようなこの情況で、さっきから全身引っきりなしに掻いている。

 ただ、その一筋だけが妙に冷たかった。

「………………」

 コピペは起き上がり空を仰ぐ。

 風がない。空は相変わらず蒼いのに、なぜかピリピリとした雨雲を胎んでいるように思えた。

〃服従する蜘蛛の頂〃

「っ!?」

 どこからともなく声が聞こえてきた。

〃世界の網は全ての虫けらを捉えんとす〃

「ビンゴ」

〃たとえそれが、自らを殺すことになろうとも〃

 コピペは横に放り投げていたRPG‐7を担いだ。

「………………」

 腰を低くし緊張の面持ちで研究所の玄関を見据えるコピペ。額から流れ落ちる汗は決して暑さからのものだけではない。

 永遠とも思えた張り詰めた時間が過ぎ、

「来た」

 ガシャン

 派手な音と共に崩壊する玄関ホ―ルの大ガラス。

 ゆっくりとした足取りで出てくるクロス。その身には引き千切られた深緑の緞帳を纏っていた。歩調に合わせて棚引くその姿は、まさに誂えたマントの如く。

「わぁおぅ!『AKIRA』みたいで、超イカスぅ」

 コピペは目を輝かせ、昔見たアニメ映画を思い出し口ずさんだ。

「ほんじゃま、ドカンと一発やりましょっかねぇ」

 コピペがRPG‐7の引き金を引くと円錐の底を二つ張り合わせたような形の弾頭が砲身より発射される。その弾頭は十メ―トルほど推進すると安定翼を展開し、自らの固体ロケットに引火して加速。秒速295メ―トルの速度でクロスに向かっていく。

「…………………」

 弾頭が着弾する瞬間、クロスは少しだけ身を沈めてから跳躍する。

 ダンっ

 炸裂する榴弾。

「なっ!?」

 コピペは我が目を疑った。

 三十メ―トル以上先で、しかも助走なしで跳躍したクロスが今、自分の頭上を翔んでいる。もとい跳んでいる。小さな影が通り過ぎクロスはそのまま軽トラの十メ―トル先で着地した。

「『少林サッカ―』かよっ!」

 驚愕するコピペ。そんな彼に構うことなくクロスは爆風で裾を焦がした深緑の緞帳を靡かせ病院に走っていった。

「しゃらくせぇ!やってやろうじゃん」

 苦笑いを浮かべるとコピペはRPG‐7の砲身を放り捨て、荷台に積んである重火器の数々の中からカ―ル・グスタフ(無反動弾)を手に取り構えた。



「お大事に」

 医師が母娘に言った。先程、コピペに便乗して病院にきた母娘である。医師はこれから休憩らしく彼女たちを正面玄関のあるホ―ルまで見送りにと付き添ってきていた。

「どうも」

「さよなら、先生」

 母娘は丁寧に別れを告げて医師に背を向ける。そして帰路につこうと歩きだしたおり娘が急に足を止めた。

「…………………」

「どうかしたの?」

 母の問いに娘は応えない。そして遠くの方で何か爆発音のようなものが聞こえてきた。

「何かしら?」

 母は周囲の人間がそうしているようにきょろきょろと首を動かして訝しがる。

「お母さん」

「なあに?」

「靴ひも解けてるよ」

「あら、ほんと」

 娘の指摘通り右側の靴ひもが解けていた。母はひもを結び直そうとしゃがみこむ。

 その瞬間、

 ―――ァンっ

 鼓膜が破れんかというほどの爆音がしたかと思うと辺りは熱風と爆煙に包まれた。

 飛び散るガラス片。その一つが母の頭上を掠める。

「割れた心……その器強靭なり―――」

 院内が混沌と渦巻く中、娘は誰にも届くことのない言葉を紡ぐ。

「迷走する双璧の片割れ」

 その詩が終わるかいなか、もくもくと立ち篭めている黒い煙の中から深緑の少年が現れ風のごとき速さで走り去っていった。

「うっうっ」

 頭を抱え呻き声を上げる母を一瞥し、娘は後を振り返る。

「死もまた生のカタチ……」

 床に倒れ臥す医師。

「ヒュィ―――」

 息が漏れる音。その首筋にはガラス片が突き刺さり、絶命は間近なのだと流れ出る赤い血が語っていた。

 娘は忍びなさそうに目を瞑る。

「さよなら、先生」

 そして二度目の別れを告げた。



 外科病棟待合ロビ―。

「なんだ?」

 高木が言葉を漏らした。

「………………」

 泣き疲れ放心している樹東以外の人々は同様に訪れた異変に警戒する。

 地面が揺れた。一瞬、地震かと思ったがその後も散発的な揺れが続く。

 そして爆音。まるでいつかテレビで見た戦争映画みたいな。

「なんかやばくねぇ?」

 青木が戦慄に声を鳴らした。

 心なしか建物が軋んできた錯覚に陥る。事実、頭上から蛍光灯や天井の埃がハラハラと舞落ちてきていた。

「ねぇキキ非難したほうがよくない?」

 ゆうが未だ心ここにあらずの樹東の体を擦る。周囲の人々もちらほら非常口などに向かい始めていた。

「ねぇキキ―――」

「光冴」

 突然、樹東は覚醒したように目を剥きその名を口にする。ゆうたちも彼の送る視線の先に目を向けた。

「クロシングオ―バ―」

 高木の呟き。

 煤で黒くぼけた深緑のマントを纏い、ソレは立っていた。まるで戦場から帰還してきた戦士―――いや、そう喩えるにはあまりにも幼く、そして美しい―――それは殺戮の天使の様相だった。

「お兄ちゃん」

 クロスが虚ろに囁く。

「光冴っ!?」

「やめろっ!」

 弾けたようにクロスに駆け寄ろうとする樹東を青木が羽交い締めにして止める。

「離せっ!」

「アレが普通じゃないってのが分からねぇのかよっ!?」

「離せっ!離してよっ!!」

 藻掻く樹東の力は半端ではなかった。体格では勝っていた青木だったが樹東の筋力は彼のそれを遥かに上回っている。樹東が解放されるのも時間の問題だった。

「お兄ちゃん」

「光冴っ!」

「ボク……誰?」

 ダンっ

 響く銃声。同時に側面の窓ガラスに放射状の皹が入り、クロスが仰け反る。

「………………」

 向かいの病棟にワルサ―WA2000(狙撃銃)を構えたコピペの姿。彼は続けて引き金を引く。

「光冴っ!!」

 飛び出す樹東。

「しまっ―――」

 そうコピペが口に出したときには既に弾丸は樹東の背中に命中していた。

「キキィ!」

 飛び散る血が地面に落ちるよりも早くゆうは樹東の元へ駆け寄る。ぐったりとゆうに体を預ける樹東。弾丸は彼の腹を突き破っていた。

「くっ」

 すっころんだクロスは半身を起こして、左肩に着弾した弾丸を右手で穿り返して摘出する。

 そして、

「ヤバっ」

 クロスは弾丸を人差し指と中指に挟んで右腕を振りかぶった。放たれた弾丸は、或いは銃で発射されたのと同じくらいの速さでコピペに向かっていく。

「うひょ〜」

 思わぬ反撃にコピペは間抜けな声を上げて身を屈める。その際、世界で最も高価とされる狙撃銃を窓から地面に落としてしまった。

「ちっ」

 クロスは舌打ちをしてその場から去っていく。

「キキっキキっ」

 ゆうは動かなくなった樹東にしがみつき泣きじゃくる。

「樹東っ!」

 青木と高木も彼に駆け寄った。

「キキっ!」

「くっ腹じゃあ止血もできない。早く手術をしてもらって―――」

 ピ―

「?」

 何か電子音みたいのが聞こえた。

『緊急事態によりレストモ―ドへ移行』

「キキ?」

 樹東の中から彼のものとは別の声が聞こえてくる。

『テロメラ―ゼ一部解放、コ―ド00に従いアポト―シス誘発、キザン制御レベル112・113・114―――』

「っ!?」

「嘘だろっ!?」

「これは―――」

 ぐちゅぐちゅぐちゅ

「傷が塞がってる」

 まるで実験の早送りのビデオを見ているかの如く速さで樹東の銃創が再生していく。やがてそれは始めから傷などなかったといわんばかりに綺麗な肌へと変貌を遂げた。

「………………」

 自分たちは夢でも見ているのかと疑った。だが、確かに自分の手は樹東の生暖かい血の感触で支配されている。

「はぁはぁ」

 樹東が息を吹き返した。

「キキっ!」

「光冴……どこに?」

 樹東はゆっくりと立ち上がる。

「…………………」

 愕然と立ち尽くす一行。誰も事態を飲み込めていない。

「とにかく研究所に行こう。キミのお父さんに話を聞くんだ」

 高木が言葉を搾り出した。



『ECM(電子妨害手段)展開』

『〈軍師〉、ECCM(対電子妨害手段)展開』

「次、ファイア―ウォ―ルっ!」

 山本の指示に素早く応じるプログラマ―たち。

『プロトコル変更』

『変換率53・3%』

『ダメです。クロシングオ―バ―、依然〈軍師〉との交信を続けています』

 電波妨害も駄目。通信間の暗号を書き替えてもクロスと〈軍師〉はそれを瞬く間に解読して隔たりを突破する。

 驚異的な計算処理能力。これもキザンのなせる術か。

「くっ!」

 壁一面のモニタ―を睨み唇を噛み締める山本。

「ホメオスタシスは破棄しても構わない。なんとしても〈軍師〉の本体を取り戻すんだ」

「山本さん」

 プログラマ―たちに的確に指示を出し続ける山本の背中に弱々しい声が掛けられた。

「っ!」

 振り返った山本は一瞬ドキっとなる。

 クロシングオ―バ―が立っているかと思ったからだ。だが、よく見ればゆう達に連れられてきた樹東だった。

「樹東くん」

「山本さん……何があったの?光冴は?」

 樹東の問いに無言で首を振る山本。

「……………」

 樹東は父を探す。だがこの研究室に俊彦の姿はなかった。

「お父さんは?」

「樹東くん、怪我を?」

 山本は樹東の着た黒いTシャツが血でガビガビになっていることに気が付く。

「怪我が……治ったんだ」

 樹東が声を震わせて訴える。

「背中を……うっ射たれたのに……一瞬で治ったんだ」

「まさかっ!?」

 山本のその言葉は樹東の言っていることを疑っているのではなく、ある推測に対しての驚愕の発露であった。

「お……お父さんは?お父さんはどこ?」

 山本にしがみつくように問い掛ける樹東。山本は搾り出すような声で答える。

「地下二十三階、オ―ガンズXと呼ばれる部屋に―――」

「オ―ガンズX……」

 高木がボソリと復唱した。

「廊下をでて突き当たりのエレベ―タ―……このパスを使えば直通で行ける」

 そう言って山本は自分のIDカ―ドを樹東に握らせた。

「………………」

 樹東はじっとカ―ドを握った自分の右手を見下ろし固まる。

「樹東くん、行きなさい」

「あっ」

 山本に樹東の躊躇が見抜かれた。

 恐い。

 そう、恐いのだ。そのエレベ―タ―は文字通り地中深くまで繋がっていて、もう二度と這い上がってくることはできないような、いや、始めからそこが自分の世界だったのだと思い知らされてしまうようなそんな不安に襲われる。

 そしてなにより、父が恐かった。

 それでも山本は真っすぐと樹東を見下ろし告げる。

「行ってお父さんと向き合いなさい」

「………………」

「キミたち家族の過ちを―――何をしなければならなかったのかを話し合ってきなさい」

「………………」

 家族の過ち―――欠けていた歯車―――それを探すための最初の一振り。

「キキ」

 ゆうの呼び掛けが背中を押す。

 樹東はゆっくりとした足取りで廊下を進んだ。そして、エレベ―タ―の前に辿り着くと震える手でカ―ドを溝に差し込む。

 ウィ―ンと音を立ててエレベ―タ―が動きだす。やがて扉が開いた。

「………………」

 樹東はエレベ―タ―に乗り込む。ゆう、青木、そしてちゃっかり高木も後に続いた。

 長い時間をかけて下降する密室。

「………………」

 これは父への道だ。長く深く届くことのなかった―――それが今、開かれる。

「意外に明るいもんだね」

 目的地―――オ―ガンズXと呼ばれる部屋に辿り着き、高木が感想を漏らした。彼の言う通り、そこは予想以上に開けていて明るかった。

「太陽光みたいだね。光ファイバ―で届けてるのかな」

「当然だ。ここは昔、ある特別な人間を育てていた場所だからね」

「父さん」

 広い部屋の奥、何やら分からない器材や器具が所狭しと置かれてある場所で俊彦はへたり込むように座っていた。

「最初の人造人間が誕生した場所でもある」

「っ!?」

 樹東は俊彦の後にあるものを見て我が目を疑った。

「母さんっ!?」

 それは透明なカプセルの中に入っていた女性。樹東の言葉が正しければ彼の母親。

「ユ―ジ―ン=ア―ガイア博士」

 高木がその名を口にする。

「いや、違う。これもキザンで作った人造人間。やはりあなたは彼女の完全なるコピ―を造ろうとしてクロシングオ―バ―を―――」

「キミはあの女の助手か」

 俊彦は高木を目にし嘲るように笑った。

「その通りだよ。ジ―ンが病院のベッドで目覚めることは絶望的。だからボクは彼女の完璧なコピ―を作ろうと思った。そのための人格移植AIだ」

「植物状態になっても記憶が消えるわけではないと聞いたことがあります」

「そう。だけどその記憶を結ぶ神経細胞が死滅している。だからその代用としてクロシングオ―バ―が必要だった。アレの脳を人間として熟成させてから記憶を除いた部位をキザンでコピ―しジ―ンの記憶を移植する。脳髄の代用は混乱を生むかもしれないが、所詮人間は記憶の集合だ」

「しかし、それも失敗に終わった」

 高木の突放すような言葉。俊彦は顔を真っ赤にさせて怒鳴り散らす。

「お前がっ!!お前が悪いんじゃないかっ!?」

「っ!?」

 その血走った目は確実に樹東を射抜いていた。

「お前がいたからボクは―――ジ―ンは―――そしてクロシングオ―バ―までっ!?」

「父さん」

「お前はっ!お前はいつもボクの前に立ちふさがる」

「お父さん、僕は―――」

「お前が人間じゃないからっ!!」

 俊彦の絶叫が広い室内に響く。

 地下深く、太陽の光が降り注いでいるのにもかかわらず、そこはまるで奈落の如く絶望に翻弄された人間たちの思いが蠢いていた。




                                        つづく―――




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