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ツムグ



糸が心の人のカタチ




人の葛藤は交叉の軌跡


人が進化を超えるとき


新たなる尊厳を懸けた戦いが始まる


そう、リプルリバ―スの―――



   プロロ―グ



 東京クイ―ンホテル・シンラ研究会フォ―ラム。

 二十一世紀、最後の頭脳と謳われた故ト―ル・シンラ博士。彼の発表した数々の難解な理論や発明の実証・開発のために発足した研究会の定期報告がホテルの大ホ―ルで行なわれていた。

「我々は既にシンラ博士の開発した人工細胞〈キザン〉を用いて、人造人間の肉体開発に九十パ―セント以上の成果を上げています」

 現在、ステ―ジ上で発表を行なっているのは三十路程の秀麗な若輩。しかし彼の胸に付けられたネ―ムプレ―トには『人造人間開発部総取締役・関俊彦博士せきとしひこ』とその責務の確固たる様が伺える。

「残る課題は肉体を動かすソフトです」

 関博士は熱っぽくなりすぎず、また落ち着きすぎずと自然な動作で自らの蟀谷を指差した。

「第二セクションで開発した人格移植AI。ご存じの通りこれはシンラ博士が提唱した生命の脳髄を模造する次世代型有機コンピュ―タ―のことです。その大部分が〈キザン〉で構成され、それに制御OSがインプラントされる形となります。よって人格が存在すると言うよりは、より深い判断力が可能となったコンピュ―タ―の再現であり、人権問題やロボット工学の三原則の徹底はクリアしてると見ていいでしょう」

 会場は静まりこの若き天才の言葉を一言も逃さぬようにと固唾を呑む。

「脳髄の模造は最新鋭の全方位照射型THzスキャナ―と、あらゆる心理学テストの結果をインタ―フェイスの役割も担う制御OSから〈キザン〉形成部位に入力する方式を取ります。既に動物実験でその安全性は立証されており、人格提供者の選抜も多方面の判断より決定致しております。近い将来、人に忠実な人より優れた労働力が誕生し、少子化と共に人材不足に悩まされる救急や看護といった決してミスの許されない現場で、我々の人造人間が大いに活躍してくれることでしょう」

 発表が終了し、関博士がお辞儀をすると会場中からスタンディングオベ―ションが沸き起こる。各方面で著名な学者も企業家もマスコミも、誰もがこの夢のような話の実現を約束するこの男に称賛を与えた。

「ありがとうございます」

 関博士は誇りの極みに柔らかい笑みを浮かべ、

「やっと―――」

 願いが成就すると目頭を熱くするのであった。


   


 東京某市の公営団地。

 夕日の柔らかい光が差し込む一室に、トントントントンと夕げの訪れを示唆する小気味よい音が響いていた。

「らららぁ〜♪あなたがいつもキラキラ笑う―――」

 鼻歌混じりに巧みな手捌きでネギを刻んでいるのは関樹東せききあずま。まだ小学六年生の男の子である。

「ふう」

 樹東は材料を一通り切り終わり一息吐く。

 そして柱に掛かった時計を目にし、

「光冴の奴遅いな。味噌買うのにどんだけかかってんだ?」

 お使いを頼んだ弟の帰りが遅いことを憂える。

「まさか―――」

 何かを思いついたように、樹東はエプロン姿のまま玄関から飛び出した。



「ねぇ返してよ」

 公営団地の敷地内に設けられた公園。

 そのベンチに座って漫画雑誌を読んでいる小太りの少年とその前に立ってオロオロしている少年がいる。半泣きの少年の方は樹東と瓜二つだ。

 彼が樹東の双子の弟、光冴こうさである。小太りの少年はいかにもガキ大将といった風体だ。

「ねぇ……青木くん」

「うるせぇ!読みおわったら返すっつってんだろ」

 ガキ大将に怒鳴られ肩を竦める光冴。元来温和しい性格の彼はガキ大将にこれ以上なにも言えなくなってしまった。

「大体、諺でもあるだろ?お前のものはオレのもの、オレのものもおれのも―――」

「あんたは●ャイアンかぁあ!?」

 突然の絶叫と共に、ガキ大将の後頭部に鈍い衝撃が走る。

「痛っなんっ!?」

 ガキ大将は頭を抱えながら振り返る。するとベンチの後に活発そうな少女が拳骨を掲げて立っていた。

「何しやがる柊沢っ!?」

 少女の名は柊沢ゆう。彼らの同級生だ。

「何しやがるはこっちの科白よっ!」

 ゆうは可愛らしい顔に青筋を浮かべ物凄い剣幕で喝破する。

「人が嫌がってるってのに漫画取り上げて。光冴がチクらないからって、もしこのことがキキにばれたらあんたボコボコよ」

 キキとは樹東のことだ。セキキアズマと呼びにくいので、彼を知るものは大抵そう呼んでいる。

「けっあんなブラコン主婦野郎なんかけちょんけちょ―――」

 小躍りして調子に乗っていたガキ大将は、ゆうの表情がみるみる引きつっていくのを目にし体を硬直させる。

「まさか―――」

「『好きで主婦やってんじゃねぇぞキィッ―ク!』」

 いつのまにか現われた樹東の飛び蹴りがガキ大将の背中に命中する。

「『お兄ちゃんが弟の心配して何が悪いんだパ―ンチ!』」

 蹴りの勢いで吹き飛ぶガキ大将に追い付きアパ―カットを繰り出す樹東。

「『けちょんけちょんになるのはお前だ巴投げ』」

「にっ人間の動きじゃないわ……」

 樹東のハイクオリティ―な技の数々に瞠目するゆう。

「けったわいもない」

 言葉通りけちょんけちょんに撃沈したガキ大将を捨て置き、樹東はポカンと口を開けている光冴に近寄る。

「大丈夫か光冴?」

 心配そうに訊ねる樹東に光冴はこくこくと首を縦に振った。それを見て樹東は頷くと光冴の持っていた買物袋を受け取る。

「ちょっとは手加減しなさいよ、キキ」

 呆れて物申すゆうに樹東は目を見開いて、

「光冴をいじめる奴は万死に値するわっ!!」

 そう告げ夕飯の準備に戻るべく、来た道を引き返していく。

 朱色のエプロンを風に靡かせて―――。

「あっ待ってよお兄ちゃん」

 光冴はベンチの前に落ちていた漫画雑誌を拾って樹東の跡を追う。

「だから言ったじゃん。バァカ」

 その光景を見守りながら、ゆうは未だ昏倒しているガキ大将の尻をぐりぐりと踏み躙った。




「たっだいまぁ〜」

「ん……洗面所でうがい手洗いしろ」

 自宅に着くと樹東は流しで手を丁寧に洗ってから味噌汁を作り始める。

「ガラガラガラ―――ペッ……ねぇ、お兄ちゃん今日のご飯何?」

 洗面所でうがい手洗いを済ませた光冴は樹東に訊ねる。

「野菜炒めと焼き鮭……あと味噌汁だ。もうすぐ出来るから、間食すんなよ」

「はぁ〜い」

 光冴が元気よく返事をしたところで自宅の電話が鳴り始める。

「光冴、悪いけど出て……」

「うっうん」

 電話が苦手な光冴は恐る恐る受話器を取った。

「もしもし―――あっお父さん!」

 父親の俊彦からだ。

「えっ?うんわかった。はぁ〜い」

「父さん何だって?」

 光冴が受話器を置くのを見計らって樹東は訊ねる。

「今日、お父さん帰ってくるって!久しぶりだよね。やったぁ!あっそうそう夕飯、家で食べるそうだから」

 燥ぐ光冴とは対照的に、

「なぬっ!?」

 二人分の夕食を用意していた樹東は思わず眉間に皺を寄せるのだった。



 都内某私立病院の個室。

 人工呼吸器を付けた女性がベッドの上に横たわっている。

「…………」

 白くやつれたその女性を俊彦は悲愁の表情で見守っていた。

「もうすぐだよ……ジ―ン―――もうすぐ、キミの願いが叶うから」

 俊彦はほんの少しの欣幸を笑みに浮かべてから病室を後にした。

 その姿を見かけた看護師の一人が近くの仲間たちのところに駆け寄り、

「ねっねっまた来てるよ、あの格好いい旦那さん」

 と噂話を持ち掛ける。

「ほんと……もう七年にもなるのに。毎日大変ねぇ」

「入院費もバカにならないんでしょ?」

「他に面倒見てくれる身内もいないらしくってねぇ」

 そう言いながら彼女たちは、姿勢良く歩いていく俊彦の背中に目を遣る。

「あれでしょ?なんか偉い人の実験で頭掻き回されて植物状態になったって」

「えぇ〜何それ、人体実験じゃない!?」

「しぃ。ただの噂でしょ。でも、ホントまだ若いのに―――」

 植物状態の命を維持し続ける大変さは尋常ではない。そのために七年もここに通い続ける俊彦を誰もが『妻思いの男』と敬愛し同情の念を抱いていた。



「たっだいまぁ〜」

「お帰りなさいっ!」

 ほぼ三週間ぶりの父親の帰宅に光冴は大いに喜び俊彦に抱きついた。俊彦も愛しそうに光冴を抱え込み髪を優しく撫でる。

「よしよし、元気だったかぁ光冴?」

「うん、元気だったよ」

 光冴の溌剌な返事に俊彦は大いに喜び、息子を高い高いするように掲げてから床に下ろした。

 俊彦はそれを横で見守っていた樹東に顔を向け、

「樹東、変わったことはなかったかい?」

 と柔らかい口調で訊ねた。樹東は仏頂面でそれに応じる。

「べつに、ないよ。それより帰ってくるなら早めに連絡欲しいな。ご飯作るの僕なんだから」

「はは、ごめんごめん。そういえば、ホントお腹すいたなぁ。飯にするか、光冴?」

「うん」

 久しぶりに関家の食卓に父親が加わる。いつもは樹東と光冴が隣り合って食べるのだが今日は光冴の横に俊彦が座り、樹東は父親の正面に座ることになった。

「ねぇお父さん」

 ご飯を食べる間中、光冴は俊彦の顔を見上げ引っきりなしに近況報告をし続ける。

「僕、こないだテストで百点とったよ」

「おおっすごいなぁそれは!」

 俊彦は茶わんを置き左手で光冴の頭を撫でた。

「偉い偉い」

「えっへっへぇ  でも、お兄ちゃんはいっつも百点なんだよ」

「そっかぁ〜お兄ちゃんは優秀だからなぁ」

「…………………………」

 樹東は黙々とご飯を食べ続ける。その代わりのように光冴が浮かれて、

「そうだよ!お兄ちゃんすごいんだよ!運動神経も抜群だし―――僕のヒ―ロ―なんだ!」

 それを聞き、樹東の表情に少しだけ変化が生まれる。

「そっかぁ光冴はお兄ちゃんが大好きなんだね」

「うん、僕お兄ちゃんがだぁ〜い好き」

 光冴は樹東に笑い掛ける。それを受け樹東も照れたような笑みで応えた。

「うっ」

 突然、味噌汁に手を付けた光冴が顔を顰める。

「お兄ちゃんイリコ取ってよ〜まずい〜」

「だしを取った煮干しにも栄養が沢山あるんだ、我慢して食べろ」

「ぶ〜」

 ほっぺたを膨らませる光冴に俊彦は愉快そうに笑った。

「お父さん―――」

「ん?」

 どこからどう見ても子供思いの優しい父を複雑な心境で眺めていた樹東は意を決したように進言する。

「もう少し頻繁に帰ってこれないの?仕事が忙しいのも分かるけど数週間に一度だなんて光冴が可哀相だ」

「すまない」

 俊彦は箸を置き謝罪する。無理だということだろう。

「光冴ごめんなぁ、寂しい思いさせて」

「ううん。僕、お父さんがいなくて寂しいけど、僕にはお兄ちゃんがいるもん。大丈夫だよ」

「ありがと」

 俊彦は光冴の頭を抱える。そして思い出したように、

「そうだ。仕事で思い出したけど、光冴明日は学校休んでお父さんの研究室にきなさい」

「なんで?」

 樹東が訊いた。俊彦は樹東に向き直って質問に答える。

「お父さんの研究室で人造人間を作っているのは知っているだろ?」

「うん」

「光冴をその人造人間のAI、詰まり心のモデルにしたいんだ」

「心のモデルってどういうことするの?」

「機械で光冴の心を読み取ったり、幾つか質問に答えてもらったりするんだ」

 そこまで聞いて樹東は食べる手を止め箸を置いた。

「心を読み取るって脳をスキャンするってことだろ?危険じゃないのそれ?」

 真っすぐと目を見つめて問う樹東に、俊彦も目を逸らさず答えた。

「危険なことなんて絶対にない」

「本当に?」

「本当だ」

 俊彦の険しいまでの断言に樹東は目を逸らした。いっときの間、静寂が生まれる。

 やがてサ―モが切り替わり冷蔵庫が音を立て始めるのをスイッチに光冴が口を開く。

「ねぇロボットさん僕をモデルにするんでしょ?」

「ああ、そうだよ」

 俊彦は光冴の言葉に頬を緩める。

「じゃあお友達になれるかなぁ」

「ああもちろんさ。光冴をモデルにするんだから、絶対優しい子だよ」

「やったぁ〜!」

 樹東の心配をよそに、光冴は無邪気に喜んだ。



 その日の夜、親子は俊彦・光冴・樹東の順に川の字に布団を並べて就寝した。

 既に光冴は仰向けになって寝息を立てている。俊彦は寝返りを打って外方を向いた。

「ねぇ本当に大丈夫なんだよね」

 樹東は父の背中に杞憂をぶつける。父は背を向けたまま、

「ああ、大丈夫だ。そうさ、危険なことだったら光冴にやらせるわけない」

 堅い口調で答えた。どこか自分自身に言聞かせるように。

「ごめん……おやすみなさい」

「ああ」

 夜の闇に目を凝らし、樹東は光冴の寝顔を覗き込む。

 光冴のロボットか―――。

『きっと優しい子だ』

 父の言う通りだと、樹東の顔は自然と綻んだ。



   ツムグ



 五年の月日が流れた。

 樹東・光冴、高校二年の夏。

「光冴、さっさとしないと課外に遅れる」

 既に登校の準備を済ませていた樹東は、もたもたしている光冴に玄関から急かせた。

「待って〜キキ兄。国語の教科書が―――あった」

 光冴がどたばたと部屋から出てくる。

「おまたせぇ」

「ん」

 樹東が玄関の戸締まりを済ませ、二人は並んで公営団地の階段を下りた。

「ヤッホ〜!キキ、光冴」

 二人が階段を下り切ると、そこに柊沢ゆうが待っていた。

「ん」

「おはよ〜、ゆうちゃん。今日も暑いねぇ」

 彼らは三人とも、歩いていけるほどの近所にある進学校に通っている。

「しかし、あんたら年々似てきてるわね」

 ゆうは歩きながら二人の顔を見比べしみじみと語った。

「まぁな。髪型が違わなきゃ親でもわからんだろ」

「だねぇ」

 光冴は横髪を長めに残していて、樹東は短く刈ってある。そんな風に区別を付けなければ、日常生活に支障を来すほど二人の姿形は見分けが付かなくなっている。

「そういえばあんた、聞いたわよ。野球部エ―スの黒田君にスカウトされたけど断ったんですって?」

 からかうように訊ねてくるゆうに、

「体育の授業で投げてるところをたまたま見られたんだ」

 いい迷惑だったと眉間に皺を寄せて答える樹東。

「こちとら家事で急がしいんだ。なのに黒田の奴いくら断っても『きみには才能がある』とかしつこく誘いにきてな―――」

「まっ黒田くんの気持ちも分かるけど。あんたむかつくくらい出来杉君だし。スポ―ツ万能、勉強も出来る、おまけに絵もうまけりゃ歌もうまい。それが家事にしか興味ないんだから、神さまもやってくれるってかんじ」

「そうそう、キキ兄もう夏休みの宿題終わったんだよ」

「マジでぇ」

 ゆうは度胆を抜く。夏休みも始まったばかりでまだ前期課外授業も終了していない。それなのにあの大量の宿題を終わらせたというのか、この男は……。

「読書感想文以外だ。今、カフカの『変身』を読んでるんだがこれがまた読み辛くてな」

「あの〜」

 ゆうは胸の前で手を重ね、きらきら目を輝かせて樹東の顔を見上げる。

「樹東さま―――」

「写させんからな」

 間髪を容れずに宣告する樹東。ゆうは表情を一気に崩した。

「光冴も、分からんところは教えてやるからちゃんと自分でやれよ」

「ほ〜い」

 光冴は口を尖らせ返事をする。

「よぉ〜し」

 ゆうは突然両手を上げて吠えた。

「光冴っ!こうなったら、課外の後あんたん家で勉強会よ」

「ナイスアイデア」

 ゆうの提案に光冴は親指を立てて応える。

「三人寄ればもんじゅは原発っ!」

「プルサ―マル計画始動ね」

 ゆうと光冴は胸の前で腕を交差させ、

『MOXッMOXッ!MOXッMOXッ!』

「……………………」

 支離滅裂に意気投合する。そんな二人を見守りながら、樹東は『バカども寄れば姦しいだな、こりゃ』などと人知れずギャグを咬ましていた。

「まっ勉強するのはいいが、オレは読書するから静かにしてくれ。アレ読むの神経使うんだ」

「フッフッフ。もちのろんですわ樹東さま」

 絶対騒ぐ気満々。

「はぁ」

 何を言ってもだめだと、樹東はため息を吐いた。



「のんきだねぇ〜」

 高いビルの屋上。

 双眼鏡を手にした男が覗き見ている光景の感想を呟いた。それこそのんきな口調で。

「ん?」

 携帯電話に着信が入った。男は装着したイヤフォンマイクで応答する。

「もしもし?」

『もしもし、オレだ』

「ああ、法師さま?珍しいね、あんたから電話なんて」

『今、大丈夫か?』

「ん?オッケ―っスよ」

 男は依然双眼鏡を覗きながら電話に応じていた。彼の横には臨戦態勢のスナイパ―ライフルが灼熱の太陽に照らされている。

『シ―ルズグロ―ブで問題が起きた。暫く動けん。悪いけどお前、大智のこと預かってくれんか』

「えっ?」

 にやにやしていた男の表情が惚ける。

『ダメか?』

「いや。なんつうか、よくオレなんかに大事な息子を預ける気になるなぁて」

 男は双眼鏡を横に置いて屋上の壁に凭れ掛かった。

「悪いけど、あんたの神経疑うね」

『ふん。確かにお前は目的のためなら手段選ばん男だからな。が、同時にそれは目的達成のために最善を尽くしてるってことだ』

「な〜る。大智くんになんかあったときは道半ばで殺されるってか、法師さま?」

『信頼もしている』

「…………………」

『お前は本当は優しい男だ』

「よしてくれ」

 男は辛そうに言った。

「萎えそうになるじゃんか―――オレは悪魔って罵られてる方がちょうどいんだよ」

『…………………』

「オッケ―今からそっち行くわ」

『わりぃな。仕事中だったんだろ?』  

「いいって。どうせこっちもノ―ギャラだ。後回しにしたって怒られない。じゃ後で」

 通話を終え、男は再び双眼鏡を手にする。

 眼前に迫る光冴のキラキラした笑顔。

「ほんと、のんきだねぇ」

 男は青空を仰いで呟いた。


   


 パソコンのディスプレ―に映る古い雑誌の記事。その文字の一つ一つが郷愁、そして追懐の念を呼び覚ます。

「……………………」

 それを払拭するように貴子は聊か厳しい表情で頭を振った。

 松雪貴子。職業フリ―ライタ―。

 彼女は仲間内で『戦う女神』と称されるほど美しい女である。しかし今年で三四歳独身の彼女は世間で言うところの『負け犬』と範疇される存在。女にしても男にしても結婚して一人前という風潮が、社会の移り変りと共に必要となる制度や施設の充実云々より先に語られる節があるのだろう。

 もっとも彼女がそれを耳にしたら『勝っても負けても犬は犬。狼の私には関係ないわねぇ』と自嘲気味に笑うことだろう。それ程までに貴子は今、マイノリティ―な人生を送っていた。

 大衆の幸せに憧れもあるが決して届くことない道程も存在するのだと思い込んでいる。

 でも、だからこそできることもある。

 真実を求めること……真実を伝えること。

 たとえ、それが命を鉛玉へと化す必要があろうとも。

 そう、自分はハンタ―だ。真実という濃霧に包まれた獲物に標準を合わせている。

「貴子さん何読んでるんっすかぁ?」

 貴子の助手の高木がコ―ヒ―を二つ手にしてやってきた。

 貴子は高木からコ―ヒ―を受け取ると、見てみろと体を横に傾ける。高木はコ―ヒ―を啜りながら貴子のパソコンを覗き込んだ。

「古い記事っすね」

「五年前のものよ。フリ―になる前に、上から無理遣り書かされた代物」

「ふ〜ん……なになに『人造人間誕生間近!?シンラ研究会の若き天才が語る』」

 五年前、関俊彦博士が発表したフォ―ラムの記事だ。

「ふふっ『人権問題やロボット工学の三原則の徹底はクリアしてる』ね……人格がある以上そんな保障あるわけないわよねぇ」

「ロボット工学の三原則ってなんっすか?」

 高木は記事に目を通しながら訊ねた。貴子は記憶を手繰り寄せるように目を瞑り、

「え〜と―――確か『第一原則・ロボットは人間に危害を加えてはならない。あるいは、なにも行動を起こさずに、人間に危害が及ぶのを見過ごしてはならない』『第二原則・ロボットは人間の命令に従わなければならない。ただし、その命令が第一原則に違反する場合は例外とする』『第三原則・ロボットは自らの存在を守らなければならない。ただし、第一原則および第二原則に違反しない場合に限る』だったかしら?昔の作家が提唱して、今だに規範となっている制御のいろはよ」

「ふ〜ん」

 高木はとくに感慨もなく聞き流した。

「でっなんでこんな記事読んでるんすか?まさか!?」

 ハッとなって顔を強ばらせる高木に、貴子はにんまりと口の端を引き上げ、

「そっそのまさか。ちょっとしたコネがあってね、そっから仕入れた情報なんだけどこの人造人間そろそろ完成するらしいわ」

 ケ―キのおいしい素敵なお店ができたのとでも言うように嬉々となる。

「ちょっとつっついてみたら面白そうじゃない?」

「じょっ冗談でしょっ!?」

高木は顔面蒼白になって声を上げる。

「シンラ研究会にはあの鉄総司が―――」

 そんな彼の口を貴子は慌てて塞いだ。

「あんまりその名を口にしないでくれる」

「すいません……でっでも危険っすよ」

 鉄総司。

 財団法人シンラ研究会のパトロンであり、この国の財界を牛耳っていると言われている男。早い話、アンダ―グラウンドの顔でもある。テロリストとすら繋がりがあると言われている鉄総司は〃蝿の王〃などというけったいな二つ名で称されており、盾突けば命がないだけでは済まされないと恐れられている男である。

「高木くん。危険が危ないことは承知してるでしょ?」

「らっ落語っすか?……でも今日辺り広田議員の件で地検が動くかもだから―――」

 先週、貴子が素っ破抜いた現役議員の汚職事件。でかでかとその証拠が雑誌に載ったことで検察も動かざるえなくなるという金星を貴子が上げていた。そして今日辺り逮捕状が執行されるのではないかと、マスコミはその議員の動向に注目しているのだ。

「そんな過ぎた事件なんか他の人たちに任せておけばいいのよ。あれは、後ろ盾からの依頼でやったまでなんだから」

「金ふんだくってるくせに、かっこつけちゃって」

 思わず本心を吐露してしまう高木。貴子は別段怒ったようでもなく、時報でも読むような体で言う。

「高木くんのお給料、90パ―セント減」

「すいませんすいませんすいません」

 ひたすら謝り捲る高木に何も答えず貴子はゆっくりと立ち上がる。

「今日は情報の確認……明後日ぐらいには駄目もとでアポとってみましょ」

 関俊彦博士が推し進める『人造人間開発計画』―――。

 そこに真実の全てがあるわけではない。それでも視界の妨げになる濃霧を少しでも晴らす材料になるはずだと貴子は確信していた。 そう、自分はハンタ―だ。真実という濃霧に包まれた獲物に標準を合わせている。


  

 『変身』―――ある朝、目が覚めると巨大で醜悪な虫の姿になっていた男とその家族の悲劇。淡々とした説明調の文体で描かれているそれは、ことの異様さのわりに大きな事件も起きず払拭できない苦悩だけがそこにある。『そこで彼が寝椅子の下から……』

 樹東は帰宅すると細々とした家事を済ませてから、自室に篭もり静かに読書感想文の課題を黙読していた。

「う〜ん―――」

 度々文章が前後していたり、難しい言い回しだったりと、樹東は物語の把握に四苦八苦している。

 そのおり、

「さて問題です!」

 隣の光冴の部屋からお世辞にも控えめとは言えないゆうの声が聞こえてきた。今朝の宣言通り二人で宿題を片付けるために来たのだが、いつのまにかクイズ大会に変わってしまったようだ。

 樹東は極力、それらの雑音を脳内から排除して読書を続けようとするのだが、

「…………」

「いつまでも大人社会に同化しない或いは出来ない青年のことを何というでしょうか?」

「……〃モラトリアム人間〃……」

 ついつい心の中でクイズに答えてしまう。

「う〜と『ニ―ト世代は辛いよ』!」

 張り切って訳分からないことを言う光冴の声。

「ぶ〜答えは『モラトリアム人間』でした。残念」

「くそ〜今度は四択で勝負だっ!」

「あぁ……うるせぇ―――」

 樹東は本にしおりを挟んで畳の上に倒れこむ。

「Dの昇華」

「正解です」

「やったぁ〜V!」

 樹東の予想していた通りに頗る姦しくなった。

「……………」

 彼は自然と瞼を閉じる。

「じゃあさ、合理化の意味はなんなの?」

「だから、それはぁ―――」

 夏のくそ暑い日の光が差し込む部屋での喧騒。それでも、樹東は体の芯が溶けるような心地よさを覚えていた。

 光冴が笑っている。光冴が身近で楽しそうにしている。

「アタック25みたいにしようよ」

「じゃあオセロをパネルに―――」     

「大事な大事なアタックチャ〜ンス」

「チャンンス、早すぎだって」

「……はは、バカでぇあいつら」

 それだけで自分は幸せだ。



 夕食を済ませた後、食卓に腰掛けテレビを見ている光冴。その横で樹東は慣れた手つきで食器を洗っていた。

「ねぇキキ兄?」

 テレビに目を向けたまま光冴は樹東に話し掛ける。

「ん?」

 樹東は洗い物をする手を休めずに訊き返した。光冴は少し間を置いてから答える。

「なんでもない」

 いっときの沈黙。そして、

「手伝おっか?」

 樹東の背中に撫でるような声で光冴は訊ねた。

「もう終わるからいい」

 素っ気ない兄の言葉にしゅんとなる光冴。

 樹東は背中に目があるかのようにそれを察し、

「TVゲ―ムの相手をしてほしんだろ?少し待ってろ」

「………………………」

 兄の言う通りだった。ただ、なんとなく複雑な気持ちになり、光冴は黙ってテレビに目を戻した。


   


「ねぇ、キキ兄。やっぱ野球部入れば?」

 次の日の登校中。光冴はいつものようにおちゃらけた口調で言った。

「ん?」

「べつに野球じゃなくてもいいけど。そんだけ才能あるんだし、なんかやったら?」

「興味ない。それに忙しい」

 樹東の言葉に光冴は少しむっとした表情になる。

「だけどさ、キキ兄そうやって忙しい忙しいって言って自分の時間ないじゃん」

「……………………」

 樹東はどう応えていいか分からず首を傾げた。

 その様子を見ていたゆうはまたかとため息を吐く。高校生になったくらいから、一ヵ月に一回くらいのペ―スでこういう風なことが起こるようになった。光冴が兄に提案し樹東は困ったように眉間に皺を寄せる。

「べつにさ、掃除とか頻繁にする必要ないし夕食だって店屋物とかでいいじゃん」

「成長期の人間がそんなもの―――」

「そういうこと言ってるんじゃないじゃん。高校に入って、キキ兄友達とかできてないんじゃないの?」

「……………………」

 黙り込む樹東。

「もういいよっ!」

 そう残して光冴は一人走っていった。

「光冴……」

 樹東は憮然と弟の背中を眺める。途方に暮れるという言葉がこれほどしっくりくることもあるまい。

「どっちもバカね」

 ゆうは樹東に気取られないよう口の中で呟いた。



 放課後。樹東は下校を同じくするためにクラスが違う光冴の組の教室を訪れる。

「光冴ならいないわよ」

 光冴を探す樹東を見て、光冴と一緒のクラスのゆうが彼に教えた。

「青木たちと遊んで帰るって」

「ん」

 それを聞いて樹東は踵を返し、さっさと帰宅しようと歩き始める。

「ちょっとまってよ」

 ゆうは慌てて鞄を手にし樹東を追った。

「………………………」

 樹東とゆうは黙々と帰路を歩き続ける。

 こうやって考えると樹東はホントに必要以上のことを喋らないし、逆に光冴はうるさいくらいお喋りだ。

 ゆう自身は人に合わせる性格なので普段光冴がいるときは賑やかに振る舞うが、べつに根っからのお調子者でも騒ぎ好きなわけでもない。

 たまにはこういうのもいいかな、などと思っていた。

 真夏の静寂。

 熱を持ったアスファルトと靴底。木漏れ日をつくる並木の囁き。蝉の鳴き声。どうしようもない雑音。それでも切り取った一枚の写真のようなこのひとときに酔い痴れる思いが込み上げてくる。

「なぁ……」

 そんなおり、樹東がぼそりと口を開いた。

 彼の声に夢が覚め、また夢に渉る。

「今朝のこと……よく分からなくてな―――」

 いつものように怒ってるような何かを考えているような真剣な顔つきで樹東は言った。

 ゆうは少し苦笑いを浮かべフォロ―する。

「ふっ。まぁ、あれでしょ。光冴は光冴なりにキキのこと気づかってんのよ」

「………………………」

「光冴の言う通りキキもたまには羽のばしてさ―――」

「オレはべつに無理してるつもりないんだ」

 抑揚のない声で樹東は言う。

「朝、顔を洗って歯を磨く。そんな習慣と同じことをやってるつもりだ。光冴の世話をやくのはそれが好きだからだ。だからって、オレが全てを犠牲にしているわけじゃない。オレだってテレビ見て笑ってるし、漫画だって読む。外で遊ばなかったり、友達が少ないのはオレがそういう性格だからであって、家事やってることとかとは一切関係ない。光冴が気を使うようなことはなにもないんだ」

「………………………」

 ほろ苦い感情が零れるような気がする。

「知ってるわ」

 ゆうは宥めるように言った。

 実際、樹東のそういうところを結構気に入ってる学友も多い。だから直接遊びに誘ったりする友人は少なくても、樹東は孤独というわけではない。

 それでも光冴は―――。

「ねっ今から遊びに行かない?」

「は?」

「たまにはぱぁとね」

「しかし―――」

 突然の誘いに困惑する樹東。それでもゆうは強引に樹東の手を引いて、

「いいじゃん。カラオケでも行こうよ。久しぶりにキキの歌う関白宣言が聞きたいし」

「歌ったことねぇよ。そんなの」

 ぶっきらぼうに言う樹東。

「ふふ……」

 嬉しくて切ない。

 握る手はとても温かいのに、その温もりが交じり合うことは叶わないように思えて。



 

「イェ―イ!」

 近場のカラオケボックスに入り、ゆうは快活な曲をノリノリで歌い上げる。歌を歌うことが好きな彼女的には大満足だったが、外方を向いて遠くを見ている樹東を目にしたら急にげんなりとテンションが下がった。

「お―いキキくん」

 マイクを使って語り掛けるゆう。樹東は現実に引き戻されたように彼女の顔を見た。

 ゆうはため息を一つ吐いて座っていたソファに寝転んだ。

「ねぇキキ―――」

 ゆうはそのままマイクに向かって訊ねた。

「あんたってさぁ、ぶっちゃけ光冴に対して近親相か―――」

「なんつうこと吐かすんだ己れは!?」

 珍しく焦って声を張り上げる樹東。ゆうはその珍事に少しだけ愉快になって笑う。

「はは―――冗談よ冗談」

「冗談じゃねぇよ」

「だから冗談だって―――あれよね。あんたは弟思いのいいお兄ちゃんなんだよねぇ」

 人生の八割を弟に捧げているようなこの男に、多少皮肉を込めて言ってやった。

 樹東は顔を顰めて外方を向く。べつに怒っているわけではない。こういうときは大抵、理解に苦しんでいる時だ。

 カラオケボックスの中でしばらく沈黙が続いて、

「オレたちは恐らく不憫なんだ」

 樹東は吐き捨てるように言う。

「母親は物心着く前に植物状態。父さんはその後から徐々に家に帰らなくなった。オレが幼稚園の頃から、包丁持って器用になんでも熟してたのも原因だった」

「…………………………」

「オレは小さい頃から父さんの代わりに自分がって思ってた。でも、光冴は違う。たまに帰ってくる父さんは大げさなくらい優しくて温かい人だから、それに縋り続けたいと寂しさだけを募らせていく。だからオレが光冴の心を支えなきゃいけなかったし、それがオレの支えだった。光冴が寂しい思いをしている分だけ、出来るだけ負担をなくすことが最前だろ?それだけがオレに出来る唯一のことだろ?オレが光冴を守らなきゃいけないんだ。だから、光冴が毎日生きてることが楽しいって思えるように、そうなって欲しいだけなのに―――」 

 樹東は俯き後半言葉を淀ませた。涙こそ見せないまでも胸の苦しみが痛いほど伝わる。 ゆうは樹東の横に座りなおし、下がった彼の頭をポンポンと撫でる。

「分かってるって。ごめんね。変なこと言って。光冴もきっとキキに感謝してるから」

 だけど光冴も苦しんでいる。出来すぎた兄に劣等感を持たないわけない。まして兄弟と言っても双子なのだ。見た目はまったく同じなのになんで自分だけと思っている。それでも兄に頼ってしまう甘えきった自分に嫌気がしている。

 ずっと見守ってきたものだけが知っている真実。

 それでも口を挟むには、この兄弟の黒い楔が強すぎて邪魔をしている。



 その日の夜。

「水道代が4600円。ガスが―――」

 樹東は台所のテ―ブルで家計簿を付けていた。

「光冴の大学積みたて金を入れると定期の方がギリギリ足りんから―――」

 樹東が悩ましげに電卓を叩いているところに光冴が自室から顔を出す。彼は樹東の正面の椅子に腰掛け声を掛ける。

「ねぇキキ兄」

「ん?」

 樹東が作業をしながら聞き返すと光冴は逡巡するように黙り込む。樹東は不振に思い手を止め光冴の顔を伺った。今朝の続きかと心配したが、光冴の顔は別段悩んでたり怒ったりしているようには見えない。

「どうした?」

 樹東が促すと光冴は少し間を置いてから口を開く。

「キキ兄、ゆうちゃんのことどう思う?」

「……………………」

 樹東はすぐに答えなかった。彼は目玉を上に向け、質問の意図を模索する。それでもよく分からなかったので正直に答えた。

「幼なじみだが」

 光冴は呆気に取られたように笑う。

「そうじゃなくて、だからぁその好きとか嫌いとか」

「嫌いだったらダチやってないだろ」

「……………………」

 どうも光冴と樹東の間ではうまく会話のキャッチボ―ルがなされていない。光冴は椅子の上で不貞腐れるように足を抱える。

「僕は好きだよ」

「……………」

「だからぁ―――恋して止まないとかっていうの?」

「ああ」

 やっと納得いったと樹東は頷いた。

「それで?」

「キキ兄はどうなのかなって」

「オレはあいつにそんな感情はない」

「ホントに?」

 光冴は上目遣いで訊いてくる。

「ああ―――友達としてはいいやつだと思うがな」

 本心だった。ゆうのことは普通に好きだけど、それが恋などではなく一人の人間として尊敬しているものだと樹東は自覚していた。

「今日さ、キキ兄ゆうちゃんとカラオケ行ったでしょ?見かけたって人がいたよ」

「あれはあいつがたまには息抜きしたいと言い出して無理遣り付き合わされただけだ。お前がおらんかったからオレが行くはめになったんだぞ」

「ふ〜ん」

 光冴は納得したようなしてないような体で鼻を鳴らした。

「ねぇキキ兄。お願いがあるんだけど」

「なんだ?」

「キキ兄から、ゆうちゃんに僕の気持ち伝えてくれない?」

「…………………」

 樹東は首を捻って光冴の顔を凝視する。光冴も真っすぐそれを受けとめた。

「お前なぁそれは男としてどうかと思うぞ」

「だってぇ―――」

 光冴は口を尖らせる。

「……………………」

 樹東は黙ってボ―ルペンを手に取り、忙しく芯を出したり引っ込めたりを繰り返す。そんなことを二十回ほどしてから、

「わかった。明日の課外が終わった後、お兄ちゃんからあいつに言ってやる」

 そして家計簿の作成に戻った。

「やったぁ〜!ありがとキキ兄」

 両手を上げて喜ぶ光冴。

「もう寝ろ。また寝坊するぞ。教科書の準備はしとけよ」

「は〜い」

 元気に返事をしてから光冴は自室に戻っていった。

「ふぅ」

 樹東はため息を吐くと、先ほど迄とは違って黙りと作業を進めた。



「…………………」

 寝床についてから樹東は中々寝付けないでいた。

 光冴が恋か。当然だ。もう高校二年にもなるんだから。

 樹東は寝返りをうって壁を見る。向こうの部屋で寝ている光冴が見えてる気がした。

「…………………」

 あれは中学に入ってすぐだった。光冴が部屋を別々にしたいと言い出したのは。

 いつからか、『お兄ちゃん大好き』と言わなくなった。

 徐々に『キキ兄』と呼ぶようになって、今では完全に『お兄ちゃん』とは呼ばない。

 最近ではしつこく干渉すると、たまにではあるが『うるさい』と怒るようになった。

 光冴は変わっていく。人間なのだ。ましてや子供から大人になっていく時期なのだから当然だ。

「自分はあの頃のまま」

 光冴の世話を焼き、光冴と共にいたいと願っている。

 ゆうの冗談ではないが自分がそういう嗜好の持ち主なのかと疑ったこともあった。だがどうもそうではないらしい。光冴のことを独占したいとは思わないし、ゆうと光冴のことがうまくいけば自分のことのように嬉しいと思う。だから、情けなくても仲介役を引き受けたのだ。

 結論として自分は恋をしないのだという考えに至った。人を慈しみ愛することは出来ても、恋をすることはないのだと。

「……………………」

 光冴とゆうが結婚したら、さすがに離れなきゃならない。

 そうしたら自分は一人だな。

 きっと何もかもがどうでもよくなる。

「お父さん……どうして光冴だけで……僕のことを―――」

 自分でも気付かないうちに樹東の瞳から涙が零れ落ちていた。



 深夜の研究室。関俊彦は一人そこに佇んでいた。

 人の形をした物の前に……。

「やっと完成した」

 身が打ち震える喜びで天井を仰ぎ、涙を頬に伝わせる。

「これが成功すれば―――」

 ジ―ン―――これでやっとキミの真意に辿り着く。


   


 次の日の課外授業の後、樹東は光冴たちの組の教室に向かって闊歩する。

「ようっキキ兄」

 教室に着くと、入り口近くの席の生徒が樹東に話し掛けてきた。このクラスの人間は光冴の真似をして樹東をそう呼ぶのだ。

「光冴ならさっき、鞄置いてどっか行ってたぜ」

「いや、柊沢に用がある」

 樹東が言うと、その生徒は帰り支度をしていたゆうに呼び掛けてくれる。

「お〜い!柊沢、キキ兄が来たぞ!」

 ゆうは入り口を一瞥して、

「ちょっと待ってて」

 と机の中から教科書を取り出す手を休めない。樹東は教室に入り、ゆうの机の前まで行く。

「帰る前に話がある。着いてきてくれ」

「は?」

 ゆうは手を止め、眉間に皺を寄せて樹東の顔を見上げる。なんなのか訊き返そうとしたが、樹東の表情がいつもより深刻に見えたので言葉を止めた。昨日の今日ということもあった。

 その代わりに、

「わかったわ」

 と席を立ち上がる。

「すまん」

 樹東は謝意を表して歩きだす。ゆうもそれにならった。

 二人は教室を後にして、裏門付近の木が茂っている人気のない場所までやってきた。光冴もここのどっかに隠れて聞耳を立てていることだろう。

「でっなに?話って」

 樹東は言葉を選ぶように考えてから、

「お前、光冴のことどう思う?」

 昨晩、光冴が彼に訊いてきたようなことを口にする。ゆうも昨晩の樹東と同じように首を傾げた。

「どうって?」

「だから、その好きとか嫌いとか」

 これも同じ。

「好きよ」

 ゆうはあっけらかんと答えた。

「ふっあんたと違って可愛げあるしねぇ」

 皮肉っぽい笑みを浮かべて。

 樹東は後を振り向く。視線の先にある生け垣のような茂みの中に光冴がいることが気配でわかった。

 樹東は正面に顔を戻して意を決して言う。自分のことでもないのに、柄にもなく緊張していた。

「その……光冴もお前のこと好きだって」

「…………………」

「だから―――その、交際?付き合うっての、それをだな、代わりに申し込んでくれといわれたんで。いや―――オレだって最初は自分で言えって言ったんだ。でも、しつこくてな」

「……………………」

 ゆうは目を伏せる。

「あっあの―――そういうわけで―――」

 それはどういうリアクションだ?と樹東も地面に目を落とす。

「……………………」

 長い間が生まれる。

 足元には養分が豊富そうな濃い茶の土が敷き詰められていた。樹東はそれを靴の先で穿り返す。場の空気に耐えきれずの苦し紛れである。

「あのね―――」

 永遠に続くのかと思うほど長かったそれが終わった。ゆうは拙く言葉を切り出す。

「そのね……光冴のこと好きだよ――― 」

 ゆうの目は泳いでいる。どういえば一番相手にとっていいのか考えながら喋っている。

「好きだけど――― 好きだけど、好きな人が好きってだからっていうか大切にしてるから」

「……………………」

「気が置けない感じでいいけど……」

 ゆうはそこまで言うと両手で口を押さえ目を瞑る。樹東は睨むようにそんな彼女を見ていた。

「ああ、もう……ホントに鈍感ね―――」

 口から手を離し、ゆうは樹東の顔を真っすぐ見つめて明言する。

「弟なの!」

「…………………」

「異性としては―――キキが……樹東のことが好きだから」

「っ!?」

 予想外だった。いや、ありえる話なのに考えていなかった。樹東は思考が止まったように口を半開きにさせる。

「光冴っ!?」

 突然茂みから光冴が現われ、ゆうは咄嗟に彼の名を呼ぶ。樹東が後を振り向くと、既に光冴は裏門に向かって走り去ろうとしてた。

「光冴っ!?」

 樹東は慌てて光冴を追い掛ける。俊足の彼は裏門を少しでたところで光冴の手を掴むことが出来た。

「光冴っ!」

「放してよっ!」

 光冴は目に涙を溜めて怒号する。悠久の仇にでも会ったかのようにその目で樹東を睨み付ける。

「光冴、話を聞け―――」

「うるさいっ!」

 樹東が必死で宥めるようとするのだが、まったくもって取りつく島がない。

「光冴……」

「一人にしてって言ってんだよ!?」

 光冴が樹東の手を強引に払い除けた。その勢いで樹東は転倒する。

 倒れざまに空が見えた。

 真っ青な、それに浮かぶ太陽は今日もカンカン照りで―――。

 このくそ暑い中なんで勉強なんかしてんだろとか、授業中に思った。

 今年は海にいけるのかとか、光冴が花火見に行きたいって言ってたから毎日ネットでどんな祭りがあるとか調べたり、夏休みの予定を立てていて。

 今日の晩飯は少しあっさりしたものがいいとか考えたり。

 恋人が出来るんだったらデ―ト費が掛かるから、光冴の小遣いアップしなきゃなとか。 普通の日だった。

 ゆうのことは説得しようと思っているし。

 ホントに普通の日だった。

 切り裂くようなクラクションが樹東の耳を支配するまでは―――。


   


『回路正常』

『ドナ―との誤差0・09パ―セント』

『〈キザン〉制御レベル、ノ―マル』

 オペレ―タ―たちの報告が飛びかう中、俊彦は椅子に腰掛け作業の行方をじっと見守っている。

『信号受信』

『インプラントチェッカ―、オ―ルグリ―ン表示』

「最終確認に移行」

 俊彦の横に立っていた若い研究員がオペレ―タ―たちに指示を出す。

『デ―タ圧縮』

『チェックプログラム、戊から癸へ』

『プログラムキ―パ―正常に作動』

『〈軍師〉の解答、肯定』

 その瞬間どっと歓声が沸き起こる。

 完成した。

「……………………」

 溢れでる感奮に俊彦は天井を仰ぐ。

 これでやっと自らの真価を見届けることが出来る。また一歩願いに近付ける。    

「最終調整は終了しました。後はAU(人工子宮)を開放するだけです」

「ああ」

 研究員の言葉に頷き、俊彦は巨大なカプセルに収められている人の形を見つめた。

 『AU開放』と言い掛けたそのとき、室内の電話が鳴って俊彦の言葉を妨げる。

「もしもし―――」

 オペレ―タ―の一人が手早く受話器を取って応対した。

「はい―――わかりました。博士、フリ―ライタ―の松雪貴子という人が取材をしたいと言ってきているそうです」

「ライタ―の松雪貴子?」

 どこかで聞いたことがあるような。

 俊彦が記憶を探っていると、隣に立っていた研究員が彼に耳打ちをする。

「なんだってっ―――それは会わない訳にはいかない……すぐにでも取材に応じると言ってくれ」

「分かりました―――」

「始動は明日に変更する―――山本くん、すぐに鉄会長にどう対応すればいいのか連絡を」

 俊彦は冷静に対応する胸の打ちで、お預けを食ってしまったことに激しい憤慨の念をいていた。



 シンラ研究所を訪れる松雪貴子。高木はやはり広田議員が気になると一人で議員の自宅に張り込みにいっていた。

 貴子が応接室らしい部屋に通されると、すでにそこには関俊彦が座っていた。

「お会いできて光栄です。関博士。まさかこんなにも早く取材に応じてくださるなんて本当に感謝します」

 貴子は氷の彫刻のようなその美しい顔に微笑を浮かべ頭を下げた。俊彦の方も負けじと営業用の表情を作って彼女を歓迎する。

「いえいえ。お会いするのは始めてでしたね。記者としてご活躍していると拝見しておりました」

「あまりいい噂ではないでしょう?敵ばかり作っていますわ」

「それはまぁ―――記者の勲章のようなものでしょうから……それにしてもこんなにも美しい方とは―――」

「ふふ。それはお互い様ですわ。写真で拝見してたよりもずいぶんお若くてハンサムでいらっしゃる」

「恐縮です」

 互いに互いの隙を伺うような誉め合い。曲者同士ではあまり意味のなさない牽制。

「ところで―――」

 挨拶をしソファ―を勧めてお茶を出す。そんな形式的接客が済んだところで俊彦の方から話を切り出す。

「今日はどういったご用件で?」

 その言葉を皮切りに貴子の表情が一筋鋭くなった。とてもよく磨かれた刃物のようだと俊彦は思う。自分を脅かしかねない凶器にも関わらず、その美しさは人を魅了する。

 俊彦は背中で汗を掻いていた。

「不躾で申し訳ないのですが、とある筋の情報でおたくさまのセクションで開発中の人造人間が完成間近と耳にしまして」

「ほう、それは早耳ですね」

 鉄会長からはある程度、本当のことを流すように指示されていた。或いは一気にマスコミを味方にする算段を模索しているのかもしれない。

「確かに完成間近ですよ。気密事項などの調整もあり、残念ながら正式な記者発表は当分先になる予定ですが」

「そうなんですか。実物を拝見出来る日が楽しみですわ……ところで―――」

 ほらきた。

 記者特有の切り返し。この絶妙なタイミングがじりじりと相手の突破口を塞ぐ包囲網となるのだろう。

「私どもでおたくさまが現在発表している情報を出来るかぎり集めて参りましたの」

 そう言って貴子は鞄から資料の束を取り出しテ―ブルに広げる。

「それで、その解説をですね―――そうそう、これだ……人工細胞〈キザン〉―――これってやっぱり中国の山から命名されたんで?」

「あの諸葛孔明も攻略に難航したとされる要害のことですか?直接、訊ねたわけではないのでなんとも」

「シンラ博士は三国志がお好きだったですかねぇ?」

「さぁどうでしょう」

「えぇっと―――人格移植AI……つまり、この組合せは粘土のように人の手で造形しやすい細胞の脳味噌に人間の人格を焼き付けるようなものですよね?」

 まったく意図とはかけ離れた話題をしてから核心をつく。本音を聞き出すための常套手段。

 分かっていればそんな手に引っ掛かりはしない。伊達に天才をやっているわけではないのだ。

 俊彦は笑みを崩さず貴子の質問に答える。

「ええ、ですが細胞や脳髄というよりは複雑系の有機コンピュ―タ―の再現ですね。完全な制御が出来る以上、命ある奴隷ではなくあくまでも人格のある道具ですから」

「ええ―――わかっています―――そうですね。え〜と……有機コンピュ―タ―の制御と申されますと具体的にはどういった方法をとるものなんでしょうか?」

「詳しいことは気密事項ですが、主に内分泌系の制御になります」

 貴子はにっこりと首肯する。そして思いついたように燥ぎながら、

「なるほど……ふふ―――バカみたいな質問ですけど、その人造人間ってお笑いのテレビとか見て笑うのかしら?」

 と訊ねた。

 それに対して俊彦は得意そうに頷く。

「もちろん。こちらが設定段階でタブ―にしなければの話ですが」

「フランダ―スの犬とか見て泣いたりも?」

「おそらく」

「へぇ―――そうそう、ロボット三原則についてなんですがたしか『第一原則・ロボットは人に危害を加えてはならない。あるいは、何も行動を起こさずに、人間に危害が及ぶのを見過ごしてはならない』『第二原則・第一原則に反しないかぎり人間の命令に従わなければならない』『第三原則・一、二原則に反しないかぎり自分を守らねばならない』でしたよね」

「ええ」

「これって―――」

 貴子は何かを思慮するように顔を横に向けぶつぶつと呟き始める。

「自分を守るということは、自分が壊れないようにするってことよね……これって矛盾してるような」

「はい?」

 俊彦の中に一抹の不安がよぎった。貴子は澄ました顔で彼に告げる。

「ええ―――その第一原則、第二原則の通りにすればロボットは必ず人間から攻撃を受けますよ。ふふ、そういう病んだ人間は大勢いますから。なのに自身を守れという。ただのシリコンコンピュ―タ―でプログラムに従うだけのロボットならいいんですよ。いくら罵倒されても、殴り蹴られても感情なんてないんですから」

「それは―――」

 俊彦はここにきて初めて笑みを消した。

 この女っ―――!? 

「三原則が最初に提唱されたアシモフの小説にでてきたロボットは矛盾した命令に出くわした場合、回路が焼き切れたりしてましたよね。まっ実際にはエラ―となって受け付け拒否が起こるだけでしょうが。でも、この人造人間は違う。人を模倣しすぎている。複雑すぎる。お笑いを見て笑って感動映画で泣くことが出来る。笑えるということは欲求を満たそうとする力があるということです。泣けるということは傷ついたら嫌だと思えることです。その上、自分を守れと植え付けられる。それなのに人間には逆らえない。フラストレ―ションが発生する条件としてはこの上ないですよね」

「………………………」

「〃人に忠実な人より優れた人造人間〃その心が―――いえ、あえてプログラムと言いましょう。それが奥深くで生じた矛盾によって壊れないといいきれますか?内分泌系の制御。快楽のベクトルを操作すること。命の奴隷。あなたはあくまで優秀な有機コンピュ―タ―の再現だと言いますが、ならあなたはその人造人間の構造を100パ―セント把握できてるんですか?決して暴走しないといいきれますか?」

 淡々と語る貴子の言葉に俊彦は、先ほど自分を魅了した美しき刃物を喉首に突き立てられた思いがした。

「ひっ必要なのは制御システムの把握だ」

 なんとか貴子の言い分に待ったを掛けようと言葉を絞るが、先程までの余裕はまったくない。俊彦の声は震えている。

「たとえば―――そう、たとえば自爆因子を組み込むとか。それに壊れれば捨てればいいだけの話だ。いや違う―――違います。だいいち必要なんです。この人造人間が……。知ってますか?このまま少子化が進めば、来世紀中には日本の壮年人口は破綻してしまうんですよ!国の労働力が消えてしまえばいったいどれだけの悲劇が待っているか―――そのためにも―――いえ、絶対にいるんだ。僕が――」

「…………………………」

 貴子は真剣な表情のまま、心の中で冷笑を浮かべていた。

 未知数が露呈していく。濃霧を払う材料としては申し分ない。

「膨大なプログラムのスパゲティ―化―――現在、最も問題になっているテクノクライシスの一つですよね」

 まるで『王手』と宣告する棋士のように貴子は言った。

「くっ」

 俊彦は俯くとポケットに挿していたボ―ルペンを手に取り、忙しく芯を出したり引っ込めたりを繰り返す。

「貴様―――」

 下を向いていた俊彦の目がぎょろりと動いて貴子を捕らえる。

 そして、

「まさか〃アシハラ〃の差し金―――」

「っ!?」

 鬼首が降りかかる。

「博士っ!」

 ノックもなしに応接室の戸が開き、研究員が大童に駆け込んできた。

「?」

「息子さんが車に―――」

「へっ!?」


   



 気温三十度・湿度八十パ―セント以上の熱帯夜。

「スァ―――ハァ―――スァ―――ハァ―――」

 樹東は窓を閉めきった部屋の隅で布団を被って震えていた。

「スァ―――ハァ―――スァ―――ハァ―――」

 先程まで辛酸が呼ぶ興奮で床をのた打ち回っていた。

「スァ―――ハァ―――スァ―――ハァ―――」

 電気は帰宅したときのまま点けてない。とかく絶望に似た暗闇の中で樹東は一人打ち拉がれていた。

「スァ―――オト―――スァ―――サン―――」

 昼間、霊安室での出来事が頭によぎる。

『……………………』

 呆然とやってきた父が横たわる光冴の顔に掛けられた白布そっと摘んだ。

『嘘だ』

 吐く息だけで呟いてから、狂ったように光冴の体に泣き縋る。

『嘘だっ 嘘だと言ってくれぇぁえ―――こうさぁあ』

 父の絶叫に、膝に顔を押しあてて隅の地べたに直接座っていたゆうの肩がピクリと跳ね上がった。

 父に付き添ってきた看護師が沈痛な面持ちで佇んでいる。

『嘘だよなぁあ光冴ぁあ―――』

 父の悲愴が狭い霊安室にこだました。

『だって……だって……もうすぐだったのに―――あとちょっとで三人で暮らせるようになるはずだったのに……』

 瞬きすることも口を閉じることも忘れ、パイプ椅子に凭れ掛かっていた自分を父が睨み付ける。一瞬、光冴のそれとダブって心臓が締め付けられた。

『お前がっ!お前がいてなんでっ!』

 狂気の表情をした父が自分の衿を掴み上げる。

『やめて!?おじさん』

 ゆうがバネのように跳ね起きて自分と父の間に割って入ろうとする。

『落ち着いてください!お父さん』

 看護師も父を止めに入った。

『何のためにお前を光冴と―――』

『ごめんなさいっごめんなさいっごめんなさいっごめんなさいっ―――』

 騒ぎを聞き付けて医者だとか看護師とかが霊安室にばたばたと駆け込んでくる。

 結局、父と引き離されるように自分が部屋から出された。後は全てから逃げるために一人帰宅した。

「ごめんなさいっごめんなさいっごめんなさいっごめんなさいっ―――」

 樹東は呪いのように謝罪を繰り返す。



「ごめんなさいっごめんなさいっごめんなさいっごめんなさいっ―――」

 光冴がいなくなった。世界から……自分の前から消えた。訳が分からない。理解することが出来ない。

「ハァッハァッハァッハァッハァッ―――」

 吐き気が襲う。

「ぐげぇ―――ぅあ―――」

 朝食べたきり他に何も食べてない。胃酸だけがその出口を求め吐き出される。

「げほっげほっ―――」

 咳き込むと残った汚物が糸を引いて口からたれる。

「………………………」

 樹東は汚れた床の上に崩れ落ちた。まとまらない思考に時計の進む音だけが耳にまとわり付く。

 展望の効かない夜が明けるには秒針の刻みがとてももどかしく―――。



 シンラ研究会・人造人間開発部。

「本気ですかっ!?」

 研究員の一人である山本博士はたった今、俊彦の放った言葉に我が耳を疑った。

「もう少し様子を見たほうが……もし、システムに欠陥が見られたら―――」

 年の若い山本は、言葉を選びながらも俊彦に思い止まるよう説得する。それだけの実力と信頼が自分にはあると彼は自負していた。

 だが、俊彦は泣き腫らした目を山本に向け首を横に振る。

「もう既に鉄会長には話を通してある。会長は二つ返事で快諾してくれた」

「くっ」

 あの鉄総司が許可したのなら、これは一研究員の山本が口出しできる次元ではなくなったということだ。へたをすれば命にかかわることとなる。だとしても納得することはできない。

「一研究者としての意見を言わせていただきます」

 山本は腹に力を入れ言い放った。

「これは明らかに非人道的な行為であり、あなたは私的感情で判断を誤っています。長年お世話になっているものとして私はあなたを尊敬しています。今のあなたの境遇に同情もします。だからこそ私は自暴自棄としか思えないあなたの行動を諌めたいんです」

 かつて山本がこれほどまでに自分の意志を曝け出したことはない。彼は常に人を立てることを忘れないお人好しな男だ。だからこそ今自分にやれること、それが一個人としての責任なのだと考えることが出来る君子でもある。きっぱりと言い退けることが礼儀であると。

 俊彦は部下の心遣いに感謝した。しかしそれでも曲げられないこともある。それが自分の幸せなのだと信じて止まない道程。

「ありがとう山本くん。でも、もうだめなんだ。早く―――早く次の段階に進まなければ僕は壊れてしまう。あの女の言ったことなんかもうどうだっていい。妻の、ジ―ンの真意に触れることだけが僕の全てだ。そのためにクロスの成果を手っ取りばやく知る必要があるんだ」

「………………………」

「それにこれは樹東のためでもある」

「息子さんの?」

 俊彦は自嘲気味に頷く。

「アイツは光冴がいなきゃだめなんだ」

「………………………」

「さっき、樹東に酷いこと言ってしまった。本心だった。それでも彼には感謝している。だから光冴の代わりにクロスを与える。僕にはそれしかできないから」

 そう言うと、俊彦はゆっくりと振り替えり人の形を見据える。

 人工子宮の中でじっと佇むそれに山本も目を向けた。

「やはりあなたは間違っています」

 もっと他にたくさんやり方があるはずだ。それらを全て放棄して、最も背徳な果実に手を延ばそうとしている。

「ばかだと思うか?」

 俊彦は疲れ切った笑みで問う。

「ええ、ばかです。……いえ、ばかなのは私も同じだ。この研究自体愚かしいことだったのかもしれないと最近になって後悔しているんですから」

「そうかもしれない」

「そうです」

「だけど……それでも人は、人形が必要だったんだよ。自らを慰めるために。たとえそれがどんなに神を冒涜した行為だとしても」

 俊彦は静かに告げた。その象徴である人の形に否定も公定もせずに。


   


 いつのまにか樹東は眠りに就いていた。いや気を失っていたというほうが正しいのかもしれない。それなのに彼は布団の中にいた。

「ううっ―――」

 物凄い頭痛で目が覚める。

 目を開くと樹東は、今置かれている情況が把握できずに、いっときの間ぼうっとしていた。しばらくして尿意があることに気が付き彼は這うように布団からでる。そのまま四つんばいの格好で台所へ続く襖を開けた。

「おはよう」

「…………………」

 樹東は硬直する。

 なぜか台所のテ―ブルにゆうが座っていて当たり前のように挨拶してきた。どういうことかを考えようとするが頭痛がそれを邪魔する。樹東はとりあえず小用を足そうと、よろけながら立ち上がりトイレに向かった。

「…………………」

 膀胱をすっきりさせてから台所に戻るがやはりゆうがいる。しかも、テ―ブルの上にはなぜか二人分の食事が用意されてあった。

 樹東はそれらを無視し、流しの蛇口を捻って水をがぶ飲みする。これでもかと喉を潤してから、樹東はその場にへたり込んだ。

「あのさ玄関、開いてたから勝手に入った」

 ゆうは申し訳なさそうに言う。

 そこでようやく樹東は思いつく。自分がきちんと布団の中にいたのはきっと彼女が畳の上に倒れていたのを運んでくれたからだと。

「それから台所も勝手に使わせてもらった」

「…………………」

「キキが作ったのに比べたらまずいかもしれないけど食べて」

 とてもじゃないけどそんな気になれなかった。

「いらない」

 樹東はフロ―リングの床に目を落としたまま小声で答える。そんな彼を見下ろしているゆうは少し強制するような響きで、

「食べて」

 ともう一度進める。樹東は首を振って拒否する。

「食べて」

 それでもゆうは無理強いする。

「いらない」

 今度はきっぱりとした口調で断る樹東。

「食べてよっ!」

「いらないっていってんだろっ!?」

 語気を強めたゆうに刺激されて樹東も怒鳴った。ゆうを睨み付ける。彼女は自分は間違ったことをしてないと真っすぐ樹東を見下ろしていた。

「…………………」

 圧倒的な精神力の差に、樹東は根負けして項垂れる。

「ごめん。食欲がない―――」

 叱られた子供のようになった樹東を目にしゆうは、

「あっそ。じゃあ私だけでいただくわ」

 と自分の作った食事を食べ始めた。

「けっこういけるじゃん」

 わざとらしく批評を口にし、ご飯を掻き込む。

 ゆうとて食欲なんてもうとうない。光冴のことは自分のせいだ。そう考えると胸が焼ける思いだ。それでも、自分より落ち込み今にも生きることを放棄してしまいそうな樹東の歩行器になろうと必死でご飯を喉に押し込んだ。

「…………………」

 樹東もそれを感じ取り泣けてくる。ゆうへの感謝ではなく、自分という存在の違和感に情けなくなっていた。今にも蒸発していきそうな気がする。

「…………………」

 カチャカチャ箸とお茶わんの当たる音だけが空間を支配していた。外界から隔てられここだけ時間がゆっくりと流れているような錯覚に陥る。世界には自分とゆうの二人だけしか存在していないのではないかと感じる。

 本当のことだ。

 光冴がいない以上、自分という存在がぽっかりと世界から孤立し、そこに無理遣り侵入してくるゆうだけが隣にいる。

 殻に綴じ込むことさえ出来ない。そう思ったとき、家の電話が鳴り始めた。

「…………………」

 樹東は動かない。仕方なくゆうは食べるのを止め立ち上がった。

「はい、もしもし関ですが。えっ?あっはいそうです―――いいえ。はい、今かわります」

 ゆうは受話器から耳を外し、

「お父さんからよ」

 と樹東に出るよう進める。樹東は顔を上げ親機の横にある子機を目で指した。

「ふう」

 世話が焼けると息をついてから、回線を子機に切り替え樹東に手渡した。

「もしもし―――」

 恐る恐る電話に出る樹東。

「うん。大丈夫」

 父が自分の安否を気づかってきた。思えばこんなこと、生まれて初めてではないだろうか?

「いいんだ、べつ――― 」

 昨日のことを謝ってくる。樹東としては謝られる謂れはないと思った。父が言ったことは本当のことだし、言われて当然だと思っていたから。寧ろ謝られたりしたら却って心苦しい。

「うん。わかった―――えっゆうも?」

 樹東は自分を見守って見下ろしているゆうの顔を見た。彼女は小首を傾げる。

「わかった。聞いてみるよ」

 そう言って電話を切る。

「どうかした?」

「今から迎えをよこすから、研究室にこいって……ゆうにも出来れば来てほしいらしい」

「わたしも?」

 ゆうは驚く。樹東の父が何の用だろう。いやな緊張が込み上げてくる。光冴の死に同じ息子である樹東に対してあんな取り乱しかたをしていた姿を見ていては、あまり会いたい気にはなれなかった。光冴の死の原因といえる自分がどの面下げて会えばいいのか検討もつかない。

「……………………」

 ふらふらと立ち上がり着替えをしようと自室に向こう樹東を見て、彼女はさっと彼の体を支える。

 樹東の重みを感じながら、これは光冴の重みと同じなのだとゆうは不思議な感じを覚えた。



 シンラ研究所に到着した樹東とゆうは、迎えにきてくれた山本にテレビモニタ―やパソコンみたいなものがたくさんある講堂くらいの広さの部屋に通される。正面にあるキ―ボ―ドが並ぶカウンタ―調のテ―ブルに十人近い人たちが座っていて何やら専門的なことを言っている。その部屋の中央に設置されたデスクに俊彦が腰を下ろしていた。二人がやってくると彼は立ち上がり、

「わざわざ悪かったね、樹東」

 と疲れた笑みを浮かべた。昨日の今日で目の周りは赤く泣き腫らしているが、ずいぶんと落ち着いており、どこか余裕すら感じられる。

「柊沢さんも、ご足労いただいて申し訳ありません」

 丁寧にお辞儀をする俊彦に、ゆうもかしこまる。

「いいえ、その―――」

「昨日はたいへん失礼なところをお見せしてホントに恥ずかしいかぎりです。今日も、樹東のことが心配で訪ねてくださったんでしょう」

「あっその―――ええ」

「ありがとう」

 深い感謝の言葉。俊彦の敬愛が目に見えて伝わってくる。

「いいえ」

 思いがけず懐かしい思い出に出くわす。そんな郷愁にゆうは寂しく目を細めた。

 この人、光冴に似ている。

 親子なのだから顔が似ているのは当たり前だ。しかし見るものが受け取る雰囲気は樹東のものでなく、やはり光冴のものに近い。大人になれば少し欝陶しくなっていく純粋さ。生きていくのにときとしては邪魔になってしまう一途な感情。子供のように我侭が罷り通っているのだと思わせる無邪気な一面。

 それは愛しくも儚い保育器の中の未熟児。光冴の場合、樹東がそれだった。守りすぎてダメにする。光冴自身はそれに気が付き、藻掻いていた。日が変わる度に樹東に対しての態度がコロコロと変わっていたのが他人のゆうにでも分かった。甘えながらじたばたしていた。彼は焦っていたのだ。保育器から這い出ることに。だけど焦りすぎて呼吸の仕方を知らぬまま蓋を開けてしまった。

 この人は……この半端に力を持った大人は誰に心を預けているんだろう?

「樹東、今日来てもらったのはきみたちに見てもらいたいものがあったからだよ」

「見てもらいたいもの?」

 俊彦の言葉に樹東は疲労しきった顔を歪ませた。俊彦はそんな彼を心配することなく話を進める。

「うん。僕の研究の成果だ。あれだよ」

 俊彦は左の壁を指差す。そこにはMRIのような筒状の機械が縦向きに置かれていた。

「山本くん?」

「はい。全ての準備が整いました」

 抑揚なく答える山本の言葉に俊彦は大きく頷いた。

「クロシングオ―バ―始動っ!」

 俊彦の宣言と共に部屋中が騒がしくなる。『始動プログラム入力』

『初期始動完了』

『回路切断』

『プルコ―ド』

『SAF排水』

 オペレ―タ―の口早な報告と共に、筒状の機械の駆動音が辺りに響いた。

『AU開放』

 機械のフロントが音を立てて上に開いていく。

「足?」

 ゆうは眉を顰めた。緩慢に上がっていくフロントの隙間から人の素足が見える。

「まさか……」

 樹東の顔が強ばった。

 見覚えのあるその体。毎日脱衣所の鏡で嫌でも目にしている。そして、それと同じものがこの世にある。いや、昨日まであった。

 裸の男体が首まで曝された。

 そして、顔が―――。

『光冴っ!』

 樹東とゆうの声が重なった。

 そう、そこに光冴が立っていた。ぬめぬめとした液体塗れになりながら、目を瞑っている。やがてそれは顔を上げ目蓋を開けた。

「お兄ちゃん?」

 その言葉に樹東は弾けたようにそれに駆け寄る。

「おいっ!?お前、光冴なのか?」

 肩をがっしり掴み詰問した。

 イエスだって言ってくれ。そうじゃなきゃオレっ--。

 熱くなった血が頭の血管を押し広げて駆け巡っている。答えの是非によってはショックで死してしまうのではないかと思われるほどに。

 だが、樹東の期待に反して光冴の顔は首を横に振る。

「僕はクロスだよ、お兄ちゃん。光冴の人格が移植された人造人間なんだ」

「人……造?」

 樹東は凍り付く。疲れた頭ではそれがどういうことなのか理解できなかった。

「前に人造人間を作るのに光冴の心をコピ―するって言っただろ。それがこのクロシングオ―バ―……クロスだ」

 俊彦は一人と一体に歩み寄り、裸のままのクロスに白衣を羽織らせる。

「人造人間?これが―――」

 信じられないと、樹東はクロスの顔を撫でた。まったく人間と変わりない肌。姿形も表情の作り方も喋り方さえ光冴とまったく同じである。

 後ろでその様子を見ていたゆうは考えを巡らせるように口を押さえている。

「人格移植を行なう際、本来なら不必要な記憶は排除するつもりなんだけど、今回は試験型と言うこともあってそのまま移植した。もちろん命令に従ったり、人を傷つけてはいけないなどという制御プログラムは内蔵されているけどね」

「………………………」

 そうか。体格は今のものでも人格のコピ―をしたのは五年前。だからこいつは『お兄ちゃん』っていうんだな。

 樹東はいつのまにか自分でも気が付かないうちに薄笑いを浮かべていた。

「なぁ……オレのことお兄ちゃんって思うのか?」

 べとべとしたクロスの髪を撫でながら訪ねる。

「うん。制御や知識レベルを上げてるから少し混乱してるけど、ほとんど光冴と変わりないから」

 クロスはにっこり笑って答えた。

「お父さん―――」

 樹東は血走った目を俊彦に向ける。

 コレをくれ。コレがなきゃオレは死んでしまう。

「クロスの成長抑制を完成予定年のオリジナルと同じ年令にしておいてよかった。肉体の精製にかかる時間にはまだ課題が残されているからね。でもこれくらいまで育っていれば十分だ。抑制してこれ以上成長しなくてもそれほど目立つことはないしね」

「…………………」

「樹東。クロスには今日から当分の間、光冴として生活してもらう。クロスが成功品かどうか判断するには日常生活に置くのが手っ取り早いからね」

「じゃっ―――じゃあ―――」

 歓喜を押さえるべく声を震わせる樹東。

「一緒に暮らしてもいいんだね?オレがもらってもいいんだね?」

「ああ、光冴として接して上げなさい」

 俊彦の言葉を耳にし、樹東はクロスを抱き寄せる。

「いいか。今日からお前は光冴だ。オレがお前のお兄ちゃんだ。いいな!?」

「うん、お兄ちゃん」

 樹東は喜びで胸がつまり涙を零す。

 コレは光冴だ。誰が何と言おうが光冴だ。オレの生きる意味が戻ってきた。お父さん、ありがとう。

「…………………」

 その光景を見守っていた人々のほとんどが喜ぶ樹東にほろりとなる。しかし事情にある程度明るい山本は父親が父親なら息子も息子だと、弟の代用品で心を満たしている樹東に怪訝な目を送っていた。

 そしてもう一人、

「ちょっと待ってください」

 柊沢ゆうが思わず声を上げる。

「私あんまり頭よくないから話それほど理解できたわけじゃないけど、その子は光冴じゃなくておじさんの作ったロボットなんですよね?それを光冴とすり替えて、日常生活を送れるかどうかテストするためにキキ―――樹東くんと共に生活させる、そういうことですよね?」

「ええ」

「そんな安全かどうか分からないものと、樹東くんと一緒にさせるんですか?」

「それは―――」

 俊彦は困ったというより悲しんだ様子で目を逸らした。ゆうはそれを見て心臓がどきっと跳ね上がる。自分が傷つけてしまった、自分が可哀相なこの人に悪いことをしてしまった。

「くっ」

 ゆうは俊彦の雰囲気に衝迫されそうになるのを必死で押さえ、

「キキもキキだよ!」

 と代わりに樹東の説得を試みる。

「たとえ見た目は同じでも、それは光冴じゃないんだよ。それともあんたにとっての光冴はそんな作り物で誤魔化せるような安っぽいものだったの!?」

「うるさい!」

 樹東はクロスを抱き寄せたまま怒鳴り声を上げる。

「他人のお前にオレたち家族の何がわかるってんだ!?」

「っ!?」

「オレたちは常に光冴が中心だった。その光冴がいなくなって、心にぽっかりと穴が空いて、それを埋めるためにこいつに縋って何が悪いっ!?」

 絶叫しながら樹東はクロスを抱く腕に力を込める。

「痛いよ。お兄ちゃん」

 か細いクロスの声に樹東はハッとなって、

「ごっごめん――」

 慌てて腕を解く。

「ごめんな光冴。大丈夫か?」

「うん。大丈夫だよ」

 どことなく嬉しそうに訊く樹東にクロスも同じように笑って頷いた。

 そして樹東はゆうに顔を戻し、

「オレの心を埋めてくれるのは光冴だけだ。たとえそれが人形でもな」

「………………………」

 分かってる。そんなこと、キキを好きな私が一番よく理解している。だけど、たとえそれがこの世にあるたった一つの方法だったとしても、どんなに残酷な答えだとしても、間違っているものは間違っているわ。

 ゆうはその様子を後ろで見守っていた山本を見た。

 彼もゆうと同じことを感じている。それでも俊彦の背後にある、とてつもない力の流れには逆らうことが出来ないと苦虫を噛み潰した表情で佇んでいる。

「柊沢さん……」

 俊彦が真っすぐとゆうの目を見て口を開いた。

「ありがとう。あなたはホントに樹東のことを思ってくれているんだね」

「あっ」

 穏やかな響きを持つその言葉にゆうは赤面する。それを見て俊彦は優しく微笑んだ。

「今日はあなたにお礼が言いたくてご足労いただいたんです。光冴のこともいつも見守ってくれていたそうで―――腑甲斐ない父親として何度お礼を言っても足りないくらいです」

「………………………」

「ですがもう一度だけ僕の身勝手を許していただけませんか。僕の息子たちを、もう少しだけ見守っていてください。お願いします」

 俊彦は地面に頭が着きそうな勢いで頭を下げる。

 やはり、なんて我侭な大人だろう。すべて自分の思い通りにしようとしている。そんな風に言われてしまったら断れるわけない。 

「うっ―――うっ―――」

 樹東が泣いている。

 光冴がいなくなってから何度見ただろう。いなくなる前は一度も見ることはなかったのに。

 もういやだ。これ以上彼のそんな姿を目にするのは。


   


「見てください!貴子さん」

 シンラ研究所前に車を止め見張っていた貴子たち。樹東たちが出てくるのを見て高木が声を上げる。

「二人いる。片方は昨日事故で―――」

「ええ」

 貴子は口元だけで笑い、樹東の横で笑っているクロスを見据えた。

「とうとう、暴走し始めたようね。狂った果実は甘いだけでは済まされないわ」

「あれが人造人間」

 信じられないと高木は呟く。

「人間の代わりの労働力。寧ろ人そのものの代わりだわ。だからこそ、恐ろしいのよ」

 俊彦の言葉。『知ってますか?このまま少子化が進めば、来世紀中には日本の壮年人口は破綻してしまうんですよ!』

 人のやること、やれることが増えすぎた。

 彼の言う通り、人は文明の進化によってその歴史を閉じてしまうのかもしれない。

「……………………………」

 そのときは潔く滅びればいいのよ。それが私たちの選んだ道ならね。それでも自ら代行者を作り上げ、破滅を導くことは決して許されるものではないわ。

『貴様、まさか〃アシハラ〃の差し金―――』

 彼らは私のことなど全てお見通し。

 もう、引き返すことはできない。

 そう、自分はハンタ―だ。真実という濃霧に包まれた獲物に照準を合わせている。



                                       つづく―――






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