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短編小説「余命」  作者: 高山 和義
第2章 そして、旅が始まって
12/12

目の前には広大な海。

小さな無人の駅舎と、三本の柱で立っている小さな屋根。

雑誌で見たそのままの光景が目の前に広がっていた。

駅と海以外まるで何もないような錯覚に陥る。

そんな場所が、ここ、「下灘駅」だった。

駅舎には窓口はあるものの人はおらず、カーテンがかかっていた。

なんとなく外に出ると、目の前はすでに山。舗装がぼろぼろになっている細い道路が左右に伸びていた。

ホームに戻り、ベンチに腰掛ける。

目の前の瀬戸内海は、どこまでもきれいな水色をたたえて広がっている。

眼下には真新しい国道が通っており、ひっきりなしに車が駆け抜けている。

理不尽かもしれないが、この道路が景観を損ねているように思えた。

なんの変哲もない海だけど、何時間でも眺めていられそうだった。

とはいえ、せっかくここまで来て、駅から出ないというのももったいない気がしたので、駅舎を通って、道路に出た。

どっちに行こうかな?

なんとなく、右。

右のほうは、緩やかな上り坂になっており、そこをゆっくりと歩いていく。

時々、山の上のほうへと伸びていく細い道があったが、あの先に果たして何があるんだろうか?

やがて道は下り坂になり、踏切を超えるとさっき見えた国道と合流した。

それをずっと歩いていくと、港が見えてきた。なんともさびれた感じがする港だ。

国道から一本それて、港を囲む防波堤を歩く。

防波堤の先には小さな赤い灯台がある。なんとなくそこまで歩いてみることにした。

改めて近くで海を見ると、その透明さに驚いた。防波堤に囲まれた中の海はとても静かで、ごく浅いが底が見えるほどだった。

きれいなエメラルドグリーンを見て、思わずコンデジを取り出して、一枚。

途中から防波堤の上を歩けるようになっており、広大な瀬戸内海がさっきの駅よりも身近に感じられた。

雲に隠れた太陽が、隙間から光の帯を伸ばし、海面をまだらに照らしている。

まるで、水平線のないような。

空と海が一体になったような、そんな錯覚を覚えた。

パチリ。

防波堤の先を行く。

途中、はしごになっている部分も、意にも介さずに上っていく。

そして、防波堤の先端にたどり着いた。

とうとう、視界から一切の障害物が消える。

海と空と一緒に溶け合いそうな、自分まで青に染まりそうな、そんな錯覚を覚えた。

ああ、もう死んでもいいや。

不謹慎にもそう思えるほど、僕は満たされていた。

誰もいなかったので、防波堤からちょっと足がはみ出る位置に寝転がる。

もう自分でも何をしているかよくわからなかった。ただ、この景色を、海を、空を、全身で感じたかった。


ちょっと眠くなってきた。こんなところで寝るのもどうかと思ったが、まあいいか。



                   *

目が覚めたころには、すでに日が傾き始めていて、空はさきほどの青から橙へと変わり始めていた。

おっと、寝すぎてしまった、と慌てて起き上がる。

ほかに見るところもなさそうなので、駅に戻ることにした。

途中の自販機で、缶コーヒーを買って、飲みながら歩く。

駅に戻って、まっさきに列車の時間を確認した。今朝の体験から、時間を確認しておかないとまずいかなと思った。

案の定、というより、かなりひどかった。電車は二時間に一本。そして今日の電車はあと二本しかなかった。さっき行ったばかりだ。

夕焼けを撮りに来たのだろうか、カメラを持った人が数人、駅に集まっていた。

写真をわざわざ撮りに来るほど夕焼けが綺麗なら、ぜひとも沈むまで見ていたい。

ホームのベンチに腰掛ける。

日は徐々に傾いていき、空の橙はだんだんと色を濃くしていく。

雲がほとんどなく、夕焼けがとても綺麗だった。

空の色に紫色が混ざり始めたころ、夕日は沈み、沈んだ瞬間に空は夜の色に支配された。

写真を撮りに来た人が一斉に散らばっていく。彼らはどうやら車やバイクで来ているようで、駅には僕とほか数人しか残らなかった。

その数人も反対側の列車に乗ってしまい、しまいには僕一人になってしまった。

時計を確認すると、次の列車は一時間後だった。


                     *


なんだか、すごく疲れてしまった。

病気のせいじゃない、と思う。

結局、なぜこんな事になってしまったのかはわからずじまいだ。

というより、治療法不明な病気なんて、そんな心当たりがあったら医者も自分も苦労しないだろう。

世の中を常に漂っている災難という何かが、ほんの偶然、自分にふりかかってきたと考えるほかないのだろう。いずれかはだれかに降りかかってしまうのだ。

別にこの得体の知れぬ病気を肯定するわけじゃない。

自分にその災難がふりかかってきて良かったと思ってもいない。


でも


その諸々が、僕をこの地に導いたと思っている。


病気になっていなければ、入院してなければ、あの雑誌を読んでいなければ、僕はこの下灘という地を、この絶景を知ることもなく生きていたかもしれないのだ。

偶然とは、奇妙なものである。

良いことも悪いことも、全部が重なり合って、何かが起きる。

その結果の今がある。

そして、その今があって良かった、と思っている僕がいた。

胸から熱いものがこみ上げてくる。

そして、激しく咳き込んだ。

吐き気を催すほどに咳き込む。もしかして、とあの時の記憶が頭をよぎる。

ぱたぱたっ。

ホームに血が飛び散る。

体の力が抜けて、ベンチに崩れるように座る。

まだ咳は続き、体のあちこちが痛む。

喉が痛い。

一回一回の咳で意識が遠のいていく。

視界に映るコンクリートのホームが、ズボンが、赤く染まっていく。


生命の終わりを悟った。


死を悟った。


でも、こんなものか、とも思った。


とてもあっさりとした幕引きだ。


ありがとう、そして、さような―


                  *

翌日の早朝、駅の利用客が血に濡れて失神している男性を発見した。

寝ている酔っ払いかと思い声をかけたところ、足元が血まみれになっており、体はすでに冷たかったという。

急いで救急車を呼んだが、救急隊員によってその場で死亡が確認された。

発見した利用客が言うには、その男性は、まるで眠っているような、とても安らかな顔をしていたという。


その男性がどうしてここへ来たかは、誰も知らない。




短い作品でしたが、お付き合いいただきありがとうございました。

更新通知や定期ツイートをRT・お気に入りしてくださった皆さまにも感謝を。

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