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「来た......ついに来た......」
明彦は分厚い封筒を自室の勉強机に置き、興奮気味に呟く。
このなんとも言えない厚みと重量感に、明彦の胸は自然に輝かしい未来を想像してときめく。
二月中旬、桜の花はまるで学生達の入学式を華やかに飾るための準備をしているかのように蕾を膨らませている。
そんな中、広瀬 明彦の家に、一通の郵便が届いた。
なにを隠そう、今日は受験の結果が届く日なのだ。
今日は土曜日だったので、そわそわしながら自宅待機。
昼頃に漸く郵便が届き、受け取るやいなや自室に駆け込んだ次第である。
「これは、もうそう思っていいんだよな......?」
明彦は今一度分厚い封筒をまじまじと見る。
明彦が受験した学校は、都内某所にある私立自由ヶ原高等学校である。
明彦がこの高校に受験を決めた理由はただ一つ。
この高校、校則がゆるっゆるなのだ。
それはもう日本国憲法さえ守っていれば大方おとがめなく生活する事ができる程で、その名の通り実に自由な学校なのだ。
明彦はこの高校に入学し、自由気ままに遊びまくる薔薇色のスクールデイズを想像してはにやついていた。
明彦は覚悟を決めて郵便の封を切る。
薔薇色のスクールデイズへの扉が開かれるか、否か、全てはこの瞬間で決まる。
心臓の音が煩いくらいに高鳴り、明彦は慎重に封筒の中を物色する。
そして、見つけた。
「よっしゃぁぁぁぁぁ!!」
明彦は歓喜の雄叫びを上げると、机の上にある一枚の紙を穴が空くほど見つめる。
そこには確かに“合格通知”という輝かしい四文字が並んでいた。
明彦は今まであらゆる娯楽を切り捨て、塾や予備校に通い詰め、勉強を勉強で挟んで食べるような勉強漬けの生活を続けていた。
しかし、そんな生活はもう終わったのだ。
長い年月地中で暮らし、そこから成虫となり大空へ羽ばたく蝉の如く、明彦は漸く自由の身となったのだ。
あまりの嬉しさに、僅かに目尻に涙が浮かぶ。
(やってやる。
今まで我慢してきた分、遊んで遊んで遊び尽くしてやる!
待っていろ、薔薇色のスクールデイズ!!)
明彦はそう意気込み、思わず高笑いを浮かべそうになるが、そこはグッと堪える。
しかし、その幻想が、まさか本当に蝉の如く一週間でその命を燃やし尽くす事になろうとは、まだ明彦は知るよしもなかった――
キーンコーンカーンコーン――
今日の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
生徒達が黙々と帰宅の準備を進める中、明彦は授業で使っていた教科書やらノートやらを広げたまま、机に突っ伏していた。
(全っ然解らねぇ......)
入学式から一週間が経過したにも関わらず、明彦は全く授業に付いていく事が出来なかった。
それもその筈。
この自由ヶ原高校は、毎年殆んどの生徒が有名大学へ進学する程のリート進学校だったのだ。
校則が皆無に等しいにも関わらず、何も問題が起きないのはその為だ。
各々勉強に手一杯か、進学に不利になるような事をわざわざしようとは考えないのだ。
そもそも明彦が勉強漬けの日々を過ごす事になったのも、この学校がエリート進学校である事に起因している。
しかし、合格通知を受け取ってからというもの、明彦は膨らむ学校生活での妄想に浮かれ勉強を怠っていた。
それ故に、今やまぐれ入学の落ち溢れという不名誉なレッテルを貼られ、更に、「自由気ままに遊びまくる」という明彦の志しの低さからか、最近ではクラスでも孤立していた。
ホームルームが終わり、明彦は特にやることもないので寮に戻ろうと教室を後にする。
因みにこの学校は全寮制であり、校舎から少し離れた場所にそれがある。
明彦も入学式の三日前に、生まれ育った千葉から引っ越してきたのだ。
「これじゃぁ真逆じゃんかよぉ……」
明彦はあまりにも想像とかけ離れた現状にがっくりと項垂れながら廊下を歩く。
このままでは薔薇色のスクールデイズは遠退いていく一方だ。
早急に心の隙間を埋め、癒してくれそうな友人、最低でも勉強を教えてくれそうな人物を得るために行動しなければいけない。
明彦が悶々と思考を廻らせながら歩みを進めていると、ふと廊下の左右に伸びる渡り廊下との交差点で足が止まる。
この自由ヶ原高校には、三階建ての校舎が三つあり、それぞれが川の字のように縦に並んでいて、三本の渡り廊下が碁盤の目のようにそれらを繋いでいる。
校舎は右から、実習室や職員室等のある特別棟、教室のある教室棟、部室のある部室棟と、使用目的によって分類されている。
尚、部室棟があるのは校則がほぼ皆無に等しく、簡単に部活を創設する事が出来るためである。
要は、それだけ部活があるのだ。
そこで明彦は考える。
この学校において部活を創設、或いは部活に所属しているという事は、そういうことが出来る程学力に余裕があるという事だ。
ならば何かしらの部活に所属すれば、現在抱えている問題を一挙に解決できるのではないだろうか。
そう結論付けると、明彦は直ぐに行動した。
一階は基本的に運動部が使用している。
運動部に入ってしまうと、それこそ勉強どころの騒ぎではなくなってしまう。
というか、元々汗臭い青春など明彦の目指す薔薇色のスクールデイズには含まれていない。
故にそこには目を向けず、明彦は足早に階段を昇る。
二階は運動部と文化部が入り交じっているが、文化部の方が多く見える。
しかし、そこはどこにでもあるような平凡な部活しかなかった。
適当な文化部に入れば良いとも考えたが、取り敢えず明彦は三階にも行ってみる事にした。
大体想像はしていたが、この階には結構色んな部活があった。
娯楽部、隣人部、GJ部、ジャージ部、ホスト部――
とかは流石に無かったが、それでもそこそこオリジナリティーのある部活の部室が疎らに配置されていた。
その中の一つ。
“人間関係及び対人コミュニケーション研究会”
ドアにそう書かれた紙が貼ってある部室の前で明彦の足が止まる。
「これは……」
明彦は、あまりにも今の自分に相応しい、且つ求めていた部活に思わず声を漏らす。
そして、躊躇う事なくドアを三回程ノックする。
「すいません、見学させてもらっていいですか?」
乾いた音の後に明彦が付け足す。
「どうぞ」
ドアの奥から凛とした女性の声が聞こえ、明彦はおもむろにドアノブを捻り、恐る恐るドアを開ける。
「私に惚れるなよ!」
部室に入るやいなや、気怠そうに瞼を半分閉じた女子生徒が、ビシッという効果音が聞こえてきそうな勢いで明彦を指差しながらそんな事を言う。
部室の中は、中央に長机が二つ隣り合って置いてあり、その女子生徒は向かって右側の手前でパイプ椅子に座っていた。
「は……?」
あまりにも唐突な発言に、明彦は唖然とする。
「あ~気にすんな。
俺も初対面の時言われた」
そんな明彦に、今度は向かって左側の奥に座った男が声を掛ける。
「まぁ俺はお前こそ惚れんなよって言い返してやったけどな」
フードを目深に被ったその男子生徒は、ノートパソコンを弄る片手間にそう付け加える。
(いや、それはどうなんでしょうか!?)
「すまない。
適当に座ってくれ」
心の中でツッコミを入れる明彦に、一番奥に座っている女子生徒がそう促す。
明彦は部室の隅に立て掛けられていたパイプ椅子を一つ取ると、その女子生徒と向かい合うように座る。
「で、用件はなんだったかな?
見学?」
最早入学式以来目にすることがなかった学校の制服を着たその女子生徒が首を傾げる。
「あっ、はい」
明彦が頷く。
「と、言うと君もなにかしら人間関係に問題があるのか?」
制服の女子生徒が尋ねる。
「ええ、まぁ……
最近クラスで孤立気味と言いますか……」
うつむきながらそう言うと、明彦はハッとした様子で顔を上げる。
「え゛っ!?
君もって……ここってそんな人達ばっかりなんですか!?」
「ああ、そうだぞ」
驚く明彦に、制服の女子生徒が冷静に答える。
「紹介が遅れたな。
私はこの人間関係及び対人コミュニケーション研究会、通称ニコ研の会長。
二年A組の天猫院 薫だ」
威厳のある凛とした顔立ちで、スタイルも良く、まるでモデルのようであった。
髪は黒髪のロングヘアーで、まるでシルクのように艶やかで美しい。
薫は立ち上がって簡単な自己紹介を終えると、丁寧にお辞儀する。
腰の辺りまで伸びた髪が光を反射させながら揺れる。
「まぁ私自身自覚はないのだが、周りからはバカ正直で堅物と言われている。
なんでも規律に厳し過ぎたり、些細な嘘を鵜呑みにしてしまったりするのが気に食わないらしい」
薫は顔を上げると、気恥ずかしそうに付け加える。
「そして、彼が草苅 誠。
二年D組だ」
薫が先程のフードの男子生徒に腕をやる。
地味な色のパーカーのフードを目深にかぶり、そこから眼鏡が怪しく覗いている。
表情はおろか、顔も殆んど見えない。
正直不気味だ。
「お~っす」
薫に紹介された誠が適当に挨拶を返す。
「彼は女性が苦手――と言うよりは嫌いなんだ。
彼曰く、女と話すことすら億劫らしい」
薫はそう言うと、今度は先程訳の分からない言葉を放ってきた女子生徒に腕をやる。
「彼女は冬野 雪菜。
君と同じ一年生だ。
たしか、B組だったかな?」
首を傾げる薫に対し、雪菜がコクりと頷く。
眠た気に半分だけ開かれた瞳。
髪は短く、毛先が肩につく程度で、癖っ毛か寝癖か少しボサボサしている。
何処で買ったか、何故それなのかは不明だが、“憮然”と書かれた襟の広いトレーナーを着ている。
それも含め、兎に角彼女の外見からは取っ組みづらそうなオーラがムンムンに垂れ流されていた。
「彼女は入学初日から男女の隔たりなく敵を作って、先生の紹介でここに入ったんだ」
(とんでもない問題児きたぁぁぁ!!)
驚愕の表情を浮かべると共に顔を青ざめさせる明彦とは裏腹に、雪菜は眉一つ動かす事なく読書に耽っていた。
「それで、君の名前は?」
薫にそう尋ねられ、明彦は自分がまだ名のっていない事に気づく。
「あっ、俺は広瀬 明彦って言います。
一年で、E組です」
「そうか、広瀬君か。
よろしく」
そう言って薫がニッコリと笑う。
やはりまごうことなく美人である。
「さて、実は部員はあと一人いてな――」
ガチャッ――
薫の言葉を遮るように部室のドアが開かれ、中ぐらいの買い物袋を下げた女子生徒が顔を見せる。
「おお美華、ちょうどいいところに」
薫がその女子生徒に向かって手を挙げる。
が、
「なっななななな!!??」
彼女は明彦を見た瞬間、高速で後退り、体を震わせながら指を指すという、まるで幽霊でも目撃したかの様な反応を見せる。
「なっなに!?
あっあああ貴方、だだだだ誰!?」
酸欠で倒れるのではないかと思うほどの勢いで吃りながら、美華と呼ばれた女子生徒が言う。
「ちょっ、落ち着いて下さい!
俺はべつに怪しいものじゃ――」
あまりにも怯えた様子だったので、明彦は彼女を安心させようと、そう言いながら立ち上がって一歩前に出る。
「ひっ!!」
すると、その女子生徒は短い悲鳴を上げながら尻餅をつく。
彼女は今にも取って食われるのではないかというような表情を浮かべ、涙で潤んだ瞳で明彦を見る。
(えっ、なに?
俺ってそんな強面?
それともあれか?
生理的に受け付けないほどの不細工?)
「まぁそう落ち込まないでくれ。
彼女は極度の人見知りなんだ」
その反応に多少なりともショックを受ける明彦に、薫が説明する。
「ああ、そうだったんですか」
それを聞いて一応納得した明彦が一歩下がる。
「かっかかか薫ちゃん!
誰、誰!?」
美華と呼ばれた女子生徒が床に座ったまま明彦を指差す。
「落ち着け美華。
彼は一年生の広瀬 明彦君。
入部希望者だぞ?
失礼ではないか」
「にゅっ入部希望!?
だっ、だってこの前も……!!」
美華と呼ばれた女子生徒が、困惑した様子で雪菜と明彦の顔を交互に見る。
「すまないな、彼女の名前は立花 美華。
私と同じ二年生だ。
クラスはC組。
さっきも言ったが、極度の人見知りでな。
本人希望でこの部に入ったんだ」
薫の紹介の間に、美華は数回深呼吸をして、ゆっくりと立ち上がる。
「ごっごごごご免なさい。
わっ私、この人見知りを治したくて入ったんだけど……
全然駄目で……」
そして紹介が終わると、美華は口元を握り拳で隠し、チラチラと明彦の顔を見ながら言う。
身長は大体明彦と同じ程度だが、ツインテールのせいか若干幼く見える。
つり目ではあるが、そんなにきつい感じはせず、寧ろおっとりした印象だ。
清潔感のある清楚なワンピースを着ていて、スタイルもそれなりに良い。
「いえいえ」と明彦が答えると、美華は緊張した面持ちで誠の隣に座る。
「これで全員揃った。
ゆっくりと見学していってくれ」
「あっ、はい」
薫にそう言われ、明彦は再びパイプ椅子に腰を下ろす。
暫くして明彦は違和感を感じる。
(なんか……静かじゃね?)
雪菜は本を読み、誠はパソコンを弄り、美華は持っていた買い物袋から漫画雑誌を取り出して読んでいる。
薫が向かって左の奥にある小さな箪笥を物色する音と、キーを叩く音、ページを捲る音以外はほぼ無音である。
さながらどこぞの図書館に用もなく入り込んだ様な、そんな居心地の悪さが明彦を包む。
「一応これが入部届けだ」
薫が明彦の隣にやって来て、机の上に一枚の紙を置く。
「言うまでもないが、人間関係の改善は一朝一夕で出来るものではない。
故に私達はこうしてコミュニケーションを取る事でお互いを知り合い、認め合い、苦手を克服するために日々活動している。
君も、本気で苦手を克服したいのなら是非入部してほしい」
それもそうだなと思った明彦は、バックからペンを取り出して必要事項に記入していく。
しかし、それを下記終え、薫に渡し、再び静けさが戻って明彦は気づく。
(あれ……?
この人達、活動してなくね……?)
かくして明彦のニコ研部員としての生活が始まったのである。