あめあがり
誤字脱字などの校正は一応しましたが何かありましたらご指摘お願いします。
青い髪をした少女が一人、朝方に紫色の――形容するならば茄子のような黒味が少しかかった様な紫苑の――古ぼけた唐傘を地面に転がしながら、一人さめざめとした空気を纏っていた。彼女が腰かけているのは決して縁起のいいものではない。むしろ、避けるべきものである墓石である。
彼女のいる場所は命蓮寺という寺にあるお墓の片隅。どんな人であっても日も明けないような時間帯に墓石に座るなどという罰当たりなことは避けるであろう。それは死者への冒涜であり、ご先祖様への侮蔑へと繋がるからだ。
しかし、彼女には関係のないことである。彼女は人間ではない。その証拠に彼女の唐傘には目玉がついて、舌も出ている。万人から見てもお化け傘である。それを持つ彼女はお化け傘であり、とどのつまり妖怪という存在である。しかし、妖怪という存在がなぜ存在するのか。それはここが現代の世界とは隔絶された世『幻想郷』だからである。
『幻想郷』。それは八雲紫という名の妖怪が作った妖怪のための箱庭である。
近代化が進む世の中で『幻想』から生まれた『妖怪』が生き残るために作り出されたもので、そこでは現代社会の科学技術はない。特に人の住む場所へはごく一部しか現代の技術はない。それは『妖怪』とは『幻想』からなるものであり、『科学技術』はそれを批判する。つまりは『畏怖』や『迷信』などといったものが形となった『妖怪』には敵であるのだ。
そこで八雲紫は考えた。そして、『妖怪』のための箱庭を作ることを思い至った。それが『幻想郷』である。
舞台は戻って唐傘お化けの彼女もまた前述のとおり妖怪であり、名を多々良小傘という。
青い髪のボブヘッドに両目は左が赤と右が青のオッドアイ、青を基調とした袖のない上着のようなものの中には長袖の白いシャツを着ていて、スカートは上着と同じ青を基調としたものである。また足には下駄を履いていた。
彼女は『妖怪』ではあるものの一般的な――人を恐怖に陥れて食べてしまうような――者たちと違う。人を驚かせばそれだけで満足できるのだ。『妖怪』は厳密には生物ではないので満足すれば腹が膨れるのである。
「おなかすいた……。」
しかし、ここに空腹の妖怪がいた。
「私って才能ないのかな?」
彼女は深くため息をついた。彼女が空腹を感じている現状、つまりは人を驚かせることができていない状況はまさに彼女にとっては死活問題なのだ。
彼女も少し前は、お墓という絶好の場所に気が付いたときはその時が絶頂期と言っても過言ではないほどであった。しかし、時が経つにつれて人が夜間には寄り付かなくなってしまった。時が経てば夜間に妖怪出るという噂は広がり人足は少なくなるのは当然である。しかし、彼女はそれに気が付かないでいた。これこそが彼女の欠点、簡単な推理でわかることすら気が付かないこと。つまり彼女はアホの娘なのだ。
彼女は自らの境遇を相談するために命蓮寺へ足を運んだ。彼女は頻繁に相談しに赴くため彼女の顔はよく知られていた。
命蓮寺とは聖白蓮という魔法使いの僧が主の寺である。そこは人里の隅にあり人だけでなく妖怪にも門戸を開いている。実際それを示すように、寺に住む者は妖怪ばかりであり、そのほとんどが彼女に救われた者たちである。
「あれ?小傘じゃん。」
彼女がとぼとぼと歩いていると頭上から声が聞こえた。
黒いワンピースに黒いニーソックス、黒い靴と全身黒づくめであり、髪もまた黒く短い。背中には奇怪な形の羽が生えている少女が小傘に声をかけた。
彼女の名前は封獣ぬえ。はるか昔かの都、平安京を恐怖に陥れた『鵺』本人である。頭はトラだったり尻尾は蛇だったりする獣という奇妙奇天烈な化け物とされていたがその真の姿は悪戯好きな可憐な少女であったのだ。かの記述は彼女の能力で物や彼女自身を正体不明な何かに見せていたからである。
そんな彼女がなぜ幻想郷にいるのかという経緯は省くが大妖怪であるのには変わりはない。彼女のアドバイスは小傘にとっては大きな助け舟と感じられる。
「さては、また人が来なくなったとか言うんじゃないでしょうね。」
「なんでわかったの!?」
ぬえがわかったのも無理はない。前述のとおり、何度も足を運んでいるのだから。失敗するたびに。
そんな小傘に彼女はため息を吐いてしまう。
しかし、彼女は小傘を見捨てることはできなかった。確かに自分にとってははるかに弱小な妖怪であろう。矮小な存在であろう。しかし、だからこそであった。
彼女は今日もまた一つの案を小傘の問いを無視して提示した。
「せっかく手に持ってるものがあるのなら使えばいいんじゃないの?」
今回彼女が提示したのは小傘にとってはまさに原点回帰であった。何よりもその唐傘は目玉がついて舌も垂らしている。これが突如として視界を覆えば普通の人ならば恐れるだろう。
しかし、そうもうまく事が運ぶものだろうか。
ぬえは気がついてはいるのだが、これは半年も前に一度彼女に提示した案なのだ。
しかし、結果はアウト。驚きはなかった。
理由は2つ。まず、白昼堂々であったこと。これでは驚きも少なくなる。だがもう一つの『幻想郷』ならではの問題があった。
前述のとおり、『幻想郷』は妖怪の箱庭である。妖怪とて生活物資は基本、人里で調達せざるを得ない。野生の生き物を狩るのが苦手な妖怪だっているのだ。田畑を持てない者もいるのだ。
そんな理由などから、生活のために、時には娯楽などのために人里を訪れる妖怪は少なくない。また、『幻想郷』において、人里で人を襲うことは禁止されているので、下手に心配する必要もないのだ。
詰まる所、人が妖怪に見慣れている為に多少奇怪奇抜奇想天外なものを持っていようとも驚かない。これが最も大きな課題であった。
しかし、ぬえは馬鹿ではない。少なくとも小傘よりは賢かった。
「以前は失敗したけどさ、条件を変えれば成功するって。」
「条件?」
「夜で歩いてる人にこっそりと近づいていきなり大きな声で驚かせれば成功するはずだよ。」
小傘はそれを愚策だと思った。
彼女は墓場で夜に驚かせていたのだ。だから里でも同じだと考えた。もう夜には人は出てこないのではないか、と。当然その理屈はおかしいのだが。
「私は失敗すると思う。だって、墓場でも夜来ないから。」
むしろ、墓場だからこそ来ないという発想は彼女にはなかった。
小傘はぬえに感謝の言葉を送った後に次の相談相手を探した。もう少し経験のありそうな妖怪に頼むべきだと考えた。
「ふむ、何か困っておるようじゃの。」
小傘の背後から老人口調の少女の声が響いた。
「どれ、わしに一つ話してみてはどうじゃ?」
そう小傘に歩み寄ったのは茶色を基調とした服にスカートの服装をし、メガネを光らせている少女であった。
「えーっと……誰だっけ?」
小傘は顔を合わせたことは覚えてはいたのだがその人物の――いや、頭に丸い茶色の毛並みの耳に加えて大きな縞々の尻尾までつけているのだから妖怪であろう――名前までは頭に浮かぶことはなかった。
「ふむ、そうくるか。なら改めて自己紹介としようかのう。わしは二ッ岩マミゾウというてな、見ての通り化け狸じゃ。お前さんは多々良小傘であってるじゃろうか?」
「え……、あ、うん。」
「それで、何が悩みじゃ?」
意外にもぐいぐいと話を進めようとする彼女に若干たじろぎつつも小傘は自らの悩みを打ち明けた。
「ふむ、それは簡単かつ難儀な悩みじゃな。して、お前さんはどの程度まで許せるんじゃ?」
小傘には彼女の言う意味がいまいちわからなかった。これはただ、マミゾウの言葉不足であるのだが。
「悪戯程度であるのか、命を危機にさらす程度の驚きであるかじゃよ。」
小傘の表情をうかがってから彼女は累加した。
小傘は悩んだ。
彼女がこうして化け傘となったのは人間への恨みである。類を見ないような色合いであることからほとんど使われることもなく、そして捨てられ忘れられた。しかし、それは人を殺めるほどの憎悪だろうか、と。せいぜい、見返してやろう程度であり、そしてそれが自らの行動原理であり存在意義であることを彼女が再認識するのには時間はさほど要さなかった。
「ふむ、いい目の色になったのう。それでいいんじゃ。して、結論はどっちじゃ?」
小傘は再度迷うことなく前者を選んだ。
「ふむ、なら話は早い。人間を学ぶのが一番の近道じゃろうな。」
「人間を……学ぶ?」
「そうじゃよ。敵を知らねば作戦とはうまくいかないものじゃ。百年ほど人里で暮らしてみてはどうじゃ?」
「わちきには無理!」
小傘はノータイムで撤廃した。
「なんでじゃ?」
「私は今お腹が空いてるの。そんなに待ってたら、私死んじゃう!」
小傘はドンとマミゾウを押して寺の敷地から出て行った。
実のところ、マミゾウは初めは小傘と一緒だったのだが人助けなどをしていたら祭り上げられた稀な妖怪である。その間、驚かせるようなことは少なかったのだが、元々狸であったために一般的な妖怪よりも存在の維持は強いという点があったという面もある。それを彼女はそのまま小傘に押し付けたのだ。
彼女と小傘との相違はまさにその点であり、事実小傘はそんな悠長にはしてはいられないのであった。
小傘が寺から逃げるように飛び出し、行くあてもなく適当に彷徨っていると日も徐々に傾き始めた。
そんな小傘の目にはうっすらと涙が浮かび始めていた。彼女の頭には自らに悲観的な考えしかもう浮かばなかった。
「私、もうだめなのかな……。」
妖怪はその迷信すら忘れられてしまったら存在意義を失ってしまう。その結果は考えるまでもない。ましてや、『幻想郷』という外で忘れ去られたものが流れ着くこの場でそれを失えばそれから行き着く先はないのだ。
今まで彼女はどうにかして繋ぎとめることができてきた弱小妖怪ではあるが、それもここで終わりなのではないかと悲観的になる。
彼女は人の命は脅かさない、ただそれが悪いのではないかと思ってしまうが、そこまでする必要はないのだと、一線を越えてはいけないのだと首を振った。
決して人が嫌いというわけではない。ただ憎いというほどでもないのだが自らを罵り見捨てた様な人たちを見返したい、なにかしてやってしまいたい、それこそが彼女の思いなのだ。
だからこそ彼女は苦悶していた。
確かに妖怪として脅威になれば簡単だ。だが彼女にはそんな力は残念ながらない。加えてそれをするほど人間が恨めしいわけではない。
では時が来るのを待つのか。しかし、今の彼女にはそんな余裕はなかった。
しかし、このままでは今後苦労してしまう。そう考えると彼女は焦燥感に駆られてしまいがちになってしまう。
「なに悩んでるのー?」
彼女が思考に沈んでいるといきなり背後から少女の声がし、その声に身を少し竦ませる。
彼女が振り返ると、緑と黒と青を基調とした服とスカートに身を包み、頭に黒い帽子をかぶった緑の髪の少女が小傘を覗き込んでいた。
「あなた、だれ?」
気配もなく自らの背後に現れた存在に小傘は警戒しながらも尋ねた。
「私は覚り妖怪の古明地こいし。」
小傘はその言葉にさらに身が縮こまった気分になった。
覚り妖怪とは心を読むという大御所の妖怪であるということは小傘も知っていた。そんな存在がどうしてここにいるのか、そして何故『何を考えているのか』を質問したのか、特に後者が大きな疑問であった。
「ふふ、それはね、私が目を閉じちゃったから。」
不思議そうな顔をしている小傘に対して、顔を見ればわかると告げてから左手を胸元の彼女の一部でもある球体に添えながら明かした。
「私は誰の心も見えない覚り妖怪。でも、いや、だからこそあなたの悩みがわかる。」
こいしはにっこりとほほ笑みながら小傘の手をとった。
「自分がわからないんでしょう?そんな顔してるもの。昔の私と同じ顔してる。」
そう言われて小傘は目を見開いた。
彼女はどうすれば人間を驚かせることができるかを悩んでいたがその根本は自分がどうあるのかということであったということに。
妖怪とは生き方が存在になり、存在が生き方になる。ゆえに他者がどうあれ、たとえ自らの相手がなんであろうとも自身を保つことが『妖怪』としての生き方なのだ。
「なんで、なんで私のことを構うの?」
「気になったからだよ、あなたが。ただそれだけ。」
こいしはただ、そう告げた。
「それだけ……か……。」
その言葉に小傘の悩みは完全に融解した。
ただ、自分のやりたいようにやる、それでいいじゃないかと。もとより自分はこうであったのだから、たとえそれがマイナスに働いてしまっても、それが『自分なのだから』と。
そう自覚した小傘の顔は雨が明けた時に架かる虹のように清々しかった。
「ありがとう。」
小傘は両手でこいしの手を握り込んで大きく振った。
「どういたしまして。」
こいしもそれに応えてしっかりと手を握り返した。
それから数日後、小傘は人里で話題に挙がるほどの妖怪になっておいた。
いつも明るく友好的な、でも時々驚かせてくる妖怪がよく人里に出る。そんな話が。
「私も変わらないとダメだなー。」
物影から小傘を覗いていた緑の髪の少女はそう呟いてから自らの第三の目に手を添えた。
本当の主人公はこいし(嘘)