めでたしめでたしの黒幕
スー
大きく息を吸って
ハー
吐く。
心臓がどきどきしています。
私はただいま、小さな家の小さな戸口の前で立ち往生しています。
既に見慣れたこの小さな家は、つい昨日までわたしが暮らしていた家です。
街から外れた森の中、小さな湖畔に佇む、木で出来た質素で温かみのある家。
もともとこの家の家主さんが一人で住んでいたところに、私が転がり込む形でお世話になっていました。
なんでそんなことになってしまったかというと、わたし、ファンタジーの定番、異世界トリップなるものを体験してしまったのです。湖畔に倒れていたわたしを発見、保護してくれたのがこの家の家主さんでした。
家主さんはとても優しい人です。
この世界のことがちんぷんかんぷんなわたしを怪しみもせず、居たいだけこの家にいていいよ、と言ってくれたのです。
その優しい笑顔にわたし・・・・・恋してしまいました。
本当は、元の世界に帰る方法を探さなければいけないし、
いつまでも厄介になるわけにもいかないと分かっていたのですが。
家主さんとの暮らしは思いがけず楽しくて
朝起きて、家主さんにおはようを言う瞬間とか。
昼寝中の家主さんの髪の毛をそっと摘んで日に透かして眺める瞬間とか。
一緒に食事をして、掃除をして、家主さんの仕事を手伝って、
小さなことが幸せで。
つい
つい
長居してしまったのです。
そんなわたしにばちが当たったのでしょう。
お別れは急にやってきました。
神殿の使いという人がやってきたのです。
どうやらわたしは異世界トリップでも召還モノに属していたようで。
巫女様を召還しようとしたところの、「手違い」で、こちらの世界に迷い込んでしまったようでした。
本物の巫女様で無いわたしは不完全な召還で神殿に姿を現すことができず、あの湖畔に倒れていたのだろう、そう神殿の方が説明してくれました。
それから神殿の人たちはわたしの気配を探していたらしいのですが、一般人で何の特徴もないわたしを見つけるのは至難の技だったらしいのです。
そこで、再度巫女様を召還し、次は見事に成功。
その巫女様が、巫女様ゆえの力でわたしの居場所を突き止めたということでした。
わたしは丁重に謝罪され、巫女様により元の世界に帰していただけることになったのでした。
帰りたくない。
なんて、言えなかったんです。
だってわたしは家主さんのただの同居人ですから。
健康な男女が同じ屋根の下にいたというのに、わたしたちには全く色っぽい空気など無く。
女子として少し落ち込んだことは内緒です。
もとの世界に帰ることができると聞いたときも、笑顔でよかったね、と言って頂きましたし。
その笑顔に涙したのは秘密です。
いいんです。
所詮、同居人・・いえ、居候ですもの。
だから、昨日笑ってこの家を出たんです。
きちんと、お世話になりました。と伝えて、家の中もぴかぴかに掃除して。
その程度じゃ何のお返しにもならないのですが。
せめて、家主さんの記憶に残るわたしが笑顔だったらいいな、なんてセンチメンタリズムに浸って。
そして
今
またこの家の前にいます。
きっと、巫女様の返還の儀式は失敗だったのでしょう。
もう一度、神殿に向かって、次こそ元の世界に帰らなければなりません。
でも
この扉の向こうに家主さんがいると思うと。
わたしの足は縫い付けられたように動かなくなったんです。
会いたい
でも
お別れを言っておいて、今更、ですよね。
もしも迷惑な顔されてしまったら。
家主さんに限ってそんなあからさまに嫌な顔はしないでしょうが、それでももしも少しでも拒絶されたら・・・
そう思うと怖くて私は戸を開けません。
それでも、やっぱりわたしはここから去れないんです。
だって
その扉の向こうには、大好きなあの人がいるんです。
わたしは大きく息を吸いました。
ぎゅっと目を瞑って、扉に手をかけました。
もう、勢いに頼るしかありません!
えい!
思いっきり扉を開けました。
が
「あれ?」
そこに思い描いていた人はいませんでした。
扉を開けた先の作業台でいつもならお仕事をしているかと思ったのですが。
残念なような安心したような、とにかく肩の力が抜けました。
数歩家の中に入ったところで、カチャリと扉が閉まる音がしました。
あれ?と振り返ると、ぎゅっと誰かに抱きしめられました。
誰か、というかそんな人この家には一人しかいないのですが。
夢、かもしれません。
あまりにも思い描きすぎて、都合の良い夢を見ているのかも。
ただ、わたしを包むお日様の匂いは、家主さんのもので。
「おかえり」
そう言った声は、たしかにわたしの大好きな人の声で。
「た、だいま、、と言っていいんででしょうか?」
家主さんは、そっと上半身を離すと、やさしく笑いました。
それは、肯定と受け止めていいのでしょうか。
「君さえ良ければ、ずっとここにいて良いと言ったよ?」
確かに。
でも、それは、親切では・・
「あの・・」
言い募ろうとするわたしの唇に、家主さんがそっと人差し指を当てました。
その瞳がとても優しくて。
「ただいま、と」
そう促され、
「た・・だいま」
恐る恐るわたしが言うと、家主さんは綺麗に笑って
そしてわたしをそっと抱き寄せました。
「うん。おかえり」
* * * * * * * * * * * * *
「しっかし、あの方もやること手が込んでるってーか、腹黒ってゆーか」
二人の成り行きを水晶に映し眺めていた男は、呆れたように呟いた。
「まー、もと大大魔法使い様だもの、それは捻くれるわよ」
ふふ、と女は笑う。
「きっと、あの子全く微塵も気付いてなんだろーなぁ」
「まぁ、意図的にあの場所に召還されて、彼女の気持ち確かめる為に今回のこと仕組まれたなんて、まさか夢にも思ってないでしょうね」
「可愛そうに・・」
「そうでも、ないと思うわ」
「?」
「だって、あの子は自分で選んであの人の元に帰ったんだもの」
「最初からそういう術じゃなかったって?」
女は頷いた。
「私がかけたのは元の世界に帰る術でもあの人の元に戻す術でもないわ、
・・あの子が一番求める場所に、そういう術をかけたの」
ふふふ、と少女に巫女と名乗った女は笑う。
「ソレって一歩間違えると、元の世界に帰る可能性もあったってこと?」
男の呆れた問いかけに、女は頷いた。
「んなことなってたら、俺たち今頃命ないな・・・」
「まぁ、いいじゃない」
ほら、と促す水晶の先には、幸せそうな少女の笑顔がある。
「めでたしめでたし」
黒幕は、家主さん。な、お話でした。