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陽暦1475年3月1日④〜爺いはヤギを買いつけ、人の世話になる

セキサイは村長に会い、赤子のことを教えることにしました。

「おう、おるぞ、誰かい。入りんさい。赤子が元気に泣きよるの」

 部屋の中から、年寄りの声がする。


 セキサイが遠慮なく屋内に入ると、そこは、簡素な造りであるも、ちょっとした集会ができるくらいの広間があった。

 広間の横にはカウンターがあり、駐在騎士たちが詰め所として使えるようになっている。

 

 奥の椅子に茶色いゆったりした服を来た、ハゲ頭で白髭を伸ばした老人が座っていた。村長だ。


「おや、おんしは……山籠りの爺いではないか。以前、死にかけに見えておったが、ずいぶん達者に見えるぞ。それにその赤子は……、まさかおんしの子か」


「そんなわけあるか。実際ワシは昨日まで死にかけておったのだ」


 セキサイは村長に事態を簡単に説明する。


「……女神か……信じがたいが……ま、事実そこにおるしな。それで、用件はなんじゃ?里子に出すのか」


 通常ならその方がいいかも知れなかったが、セキサイはそんな気はなかった。

 女神とのやり取りの流れから、元々自分に育てる責任がある気がしていた。


 なお、村長と話している間も、ずっと赤子は泣き続けている。


「いいや。乳をやらねばならんので、ヤギを分けて貰いに来た」


「そうか、ならばとりあえずフリードのとこに行くと良かろう。ヤギもおるが、あそこの夫婦にも子が生まれたばかりで乳が分けてもらえるやも知れん」


「フリードは、近くで店してるヤツだったな」


「ついて行ってやるわい」


「それは助かる」


 村長とセキサイは連れ立って家を出て、近くにある商店に向かった。

 木造2階建てで看板が出ているが、どの建物も同じように簡素な造りだ。

 

 裏には柵がしてあり、ヤギ、羊、牛が放ってある。

 

 また、商店の中からも赤子の泣く声が聞こえてくる。


 手前からも、屋内からも、赤子の鳴き声が重なってずいぶん賑やかだ。


「イバじゃ。マギーはおるか!」


「ちょっと待ってー!」


 屋内から声が聞こえ、少し待っていると、店内から、マギーと呼ばれた店の若女将が、泣き止んだ赤子を抱いて出てきた。


 マギーは(ひな)には稀な眼力(めぢから)つよつよ超美人だが、今は子育ての慌ただしさのため、自慢の赤毛もちょっとやつれた感じがしている。


「おしめ替えてたの。村長ー!どうしたのその赤ちゃん!」

 

「こっちの爺いが年甲斐もなくどっかでこさえて来てのう」


「嘘はやめろクソじじい。とにかく乳を貰えんか。礼はする」


「いいわよー。お腹空いてるみたいね。ヨイショっと。この子はヤナよ。同い年ね」


 マギーは自分の子をセキサイに預け、セキサイから赤子を受け取ると、店内に引っ込んでいった。


 すぐに泣き声が聞こえなくなったので、中で乳をやっているのだと思う。


 しばらくすると、マギーは赤子を抱っこして戻ってきた。


「おっぱい飲んですぐ寝ちゃった。なんだか物分かりのいい子だねー」


「そう思うか」


「名前はなんて言うの?」


「まだない」


 セキサイはいきさつをマギーに説明する。


「おかしな話であろう。ちと内密にしといてくれんか」


「分かったわ。村で変な噂が立たないように内緒にしといたげる」


「かたじけない」

 

 マギーは微笑む。

 顔も頭も性格もスタイルまで良いスーパーウーマンだ。


「ちょっと旦那呼んでくるね」


 そう言うと、屋内に入って、奥で作業していたフリードを呼んできた。


 フリードは長身で、スッキリ通った鼻梁、金髪碧眼、優しげな雰囲気の役者の様な美青年である。


 元々行商人だったが、たまたま立ち寄ったこの村でマギーを見初め、結婚、定住することにした。


「あれっ、珍しい、お久しぶりですねセキサイさん。ときどきモンスター素材をアルさん経由で買い取らせてもらってます。いつもどうもありがとうございます。話はマギーから聞きました。ヤギですね」


「ヤギ乳だけでは良くないわ。私母乳多くて困っているから、村に来た時は飲ませに来なさいよ。毎日でもいいのよー」

 マギーは本心からそう言っている。


「ありがたい、そうさせて貰えれば助かる」


「みんなであなたの事を世捨て人の変人かと噂してたんだけど、そんなんじゃないみたいだねー」


「どうだかな。それで、ヤギはつがいで欲しい。さらには一緒にこれで必要そうなものを見繕ってくれぬか。金が足りねば明日また金を持って来よう」


 セキサイはそう言って金貨5枚を差し出す。


 フリードはそれを見ると思案しながら言った。


「それは多過ぎますね……それなら荷車と羊も2匹付けて差し上げます。毛が取れたら便利だし、不要なら買い取りもしますよ」


「そうであるか。ありがたい。では、感謝して頂くとしよう」


 セキサイは、金に無頓着な面があるのを自分で知っているので、その辺りは昔から専門家に任せきりだ。


 少しくらいなら騙されても仕方ないとさえ思っているが、フリード夫婦はどうやら商人の中でもお人好しの部類であるようだ。


「そう言えば、来た道の途中でグレートウルフを5匹狩ったが、時間が無くてそのままにしておいた。荷車を貸してくれ。取りに行って来る。素材は全部やるから肉だけ少しくれ」


 その場にいた全員が目を丸くする。


「一人で5匹も狩ったんですか!その棒で!?」

 フリードは仰天して思わず口に出した。


 セキサイはニヤリと笑う。

「コツンとな」


「おんしそんな強かったんか。前見たときは死にそうな見た目だったから、知らんかったわい」


「早めに取りに行ったが良いと思うわ。モンスターが寄って来るかも知れないから」


「戻って来るまでこの子を預かっといてくれるか」


「もちろん!無理しないでね」


 赤子をマギーに預け、フリードが荷車を用意している間、セキサイは袋から最後のパンを取り出して食う。


 久しぶりに体調が良くなって運動したので、今ものすごい空腹感を覚えている。


「干し肉のシチューが残っているから、それも持って来るね」


「お主はとても気が利くのう」


「商売人ですから!サービスよ」

 マギーは笑って言う。


 セキサイは遠慮せずにシチューを2人前食べ終わると、フリードから預かった荷車を引いて街道を目指す。


 セキサイは、食事によりどんどん体力と精神力が回復していっている気がする。


 村の入り口に行ったとき、門衛から「おい」と声をかけられたが、面倒なので「忘れ物を取りに行ってくるわい」と言って早足で駆け抜けた。



 セキサイは体が軽く、荷車を引きつつも、往路よりも早い時間で狼の群れを屠った場所まで戻れた。


 狼の死体を積み上げた場所に、デカい獣がいるのが見える。

 狼の死体を貪っている。

 

 赤毛と黒毛が逆立っている巨大なベア、この辺りのモンスター生態系の頂点に位置するウォーベアがいる。


 立ち上がった体高は優に4メートル、体重は1トン半を超える。


 普通のハンターでは数人がかりでも太刀打ちできず、熟練の冒険者パーティへの討伐依頼が出されるレベルの、災害級のモンスターだ。


 セキサイがわざと挑発的に足音を立てて近づいていくと、この危険極まりないクマは食事を止め、セキサイの方を見やる。


 ウォーベアは思った。

 普通の人間は、自分を見れば慌てふためいて逃げ散らかすのが常だが、この年老いた個体は棒っ切れ一本持ってわざわざ無造作に近づいてくる。

 奇妙な光景だ。


 この辺りのヌシであるウォーベアは、ちょっと威嚇してみようと振り返って立ち上がり、両手の爪を振り上げて吠えてみた。

 物凄い咆哮に、周辺の空気がびりびりと震え、周りの樹々から鳥達が慌てて飛び立つ。


「やるか、クマ公」


 セキサイは全く動じることなく、不敵に笑い、棒を中腰に構える。


 棒の先端をウォーベアの目に向けて、相手の挙動に集中する。


 今は久しぶりに体が動く、良い感じだ。


 ウォーベアは自分を恐れない人間は初めて見た。

 どうやらコイツは無謀にもこの細い棒切れで自分と戦うつもりだ。

 

「ホゴォアアァァァァァ!!」


 怒りの咆哮を上げ、セキサイに向かって飛びかかる。

 巨体に似合わぬ俊敏性だ。

 腕の振りも凄まじい速さ。


 食らったら上半身と下半身が泣き分かれるような必殺の爪撃がセキサイに迫る。


 セキサイは瞬時に腕の軌跡を先読みし、当たる直前まで引きつけて身を低くし、通り過ぎたウォーベアの右手の甲を、棒で上から目一杯叩いた。


 膝を抜く滑らか極まりない動きで、起こりが全くないため、ウォーベアからするとセキサイが消えた様に見えた。


 ガツッという嫌な音が響くとウォーベアは悲痛な声を上げ後退る。


 物凄い痛み。


 細い棒で打たれただけとは思えない痛烈に重い一撃で、手の甲の骨が砕かれた。

 ここらで最強と恐れられているクマは、痺れ続ける右手に追撃する意欲を失ってしまう。


 この人間は素早すぎる、危険だと本能が叫び、この辺りの生態系の王は無様にも逃げを選択する他なかった。


 慌てて振り向き、森の方に向かって走り去ろうとする。


 ウォーベアの全速力は時速60キロを超えてくるので、セキサイであっても走っては追いつけない。



 その時、突然一本の矢が飛んできて、ウォーベアの左目に突き刺さった。

 第二、第三の矢が次々に飛んできて肩や背中に突き刺さる。


 ウォーベアは、怒号をあげるも、逃げの一手で森の中に消えていった。


 矢の飛来した方向を見ると、遠くに、周りの風景と同じ様な色合いの毛皮を着た狩人が近づいて来るのが見えた。


「おーい!大丈夫かー!ってセキサイさんじゃないか。体は治ったんか」

 弓を抱えて小走りに近づいて来る狩人が言う。

 

 交流のある数少ない知人のアルだ。


 アルは58歳、元は一流の冒険者で、今は狩人を生業にしている。

 180センチを超える長身の男で、無骨で無口、誠実な人柄の好人物だ。


 昔からセキサイのことを知っている人物でもある。


「仕留め損ねてしもうた。アルよ。ヤツが今後街道に近づく様であれば言ってくれ。一緒に狩るとしよう」


「だなぁ。それは良いとして、セキサイさん、なんでそんな元気なんか。あんな弱ってたのにウォーベアと戦うなんて」


 グレートウルフの死体はすでに2匹食い散らかされていた。

 

 アルも今からテオの村に帰ると言う。

 セキサイは残りのグレートウルフの死体を荷車に載せつつ言う。


「それは道すがら教えるとしよう」



 セキサイとアルが荷車を引きつつ村に戻ると、陽が落ちそうな時間になっていた。

 その足でフリードの店に行くと、マギーが赤子を抱っこしてあやしていた。


「お帰りー。アルさんまでご一緒ね。……グレートウルフ3体かー。すごいねー」


「残りはウォーベアに食われた」


「えっ、ウォーベア!どうしたの!」


「逃げられてしもうた。」


「その場にいたんだ!よく生きて帰って来れたねー!」


「アルがいたお陰でな。」


 アルは「いやいや、オレはなんもしてねえ」と思ったが、説明する程のことでもないと思って黙っている。


 マギーは、眼を見開いてセキサイに言った。


「そうそう、おくるみにこの子の名前と思うけど、ここに白い糸で刺繍してあったわよ。凄くいい生地でビックリしちゃったわ。」


「ほう!何と?」


「この子、リョウって名前みたいね。呼ぶと笑うもの」


 セキサイは、マギーから赤子を手渡され、抱き抱えて顔を見つめる。


「そうか。お前のなまえはリョウか」


 赤子は、名前を呼ばれたのが分かるのか、セキサイを見返して満面の笑みで応えた。


「……リョウ、リョウか……しっくりくる名前だな」


 リョウは、きゃっきゃっと笑う。


「さあ、そろそろ冷え始めるわ。中にお入りなさいな。セキサイさん。今日は泊まって行って」


「そうじゃな……。すまぬ、世話になる、恩に着る」


「遠慮はご無用です」


 アルと挨拶して別れ、その日セキサイはフリードの家に泊まることになった。





 


 

 





なかなか爺さん一人で赤子を育てるのは大変ですよね。

周りも応援してくれるようです。


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