陽暦1475年3月1日③〜爺いは歩きながら回復し、村に着く
ようやく爺さんと赤ちゃんが村に到着します。
セキサイは、歩きながらおくるみの安定感を確かめるが、良い感じにフィットしており、急ぎ足であってもなかなか安定していて、赤子がぐずる様子はない。
セキサイの歩き方は独特で、上体は全くブレず、頭の高さが一定だ。
腕は振らず、体も捻らず、後ろ足で蹴らずに進んでおり、足元の雪は後ろではなく前に飛ぶ。
前に向かって落ち続けているような動きだ。
手に持った棒は杖としては一切使わないが、邪魔にはなっていないようだ。
高山地帯から、尾根伝いに山を下っているとはいえ、小走りくらいの速度が出ている。
セキサイは、茶色の薄いなめし革の上着に、所々に皮が充てられた厚めの綿のズボン、頑丈なウォーベア素材の革靴という出立ちだ。
外気温の低さにしてはちょっと薄着だが、早足での長距離移動で体が温もり、全く問題ない。
セキサイは、急な運動にもかかわらず、長期間床に臥していたと思えないほど呼吸も安定しており、何なら軽く汗を流しながら、少しづつ血色が良くなっていっているように見える。
多少のアップダウンはあるも、1時間ほど下ると、ようやく雪が少なくなって街道が見えてきた。
道中ずっと平穏に進んでいたが、この辺りから植生が変わり始め、木々がある程度高くなってくる。
それでもまだ人は一人も見かけない。
そろそろベアやウルフなどの危険な生き物に出くわす恐れがある。
セキサイは街道わきに立ち止まると、袋から焼いたパンを取り出し、水筒の水でそれを流し込んだ。
ひと気の無い街道に入り、再び急ぎ足で進み始める。
風が吹かない日で良かった、と独りごちる。
セキサイが今下っているのは、ドルガ山脈という、ここウルシオ大陸の北側に6000メートル級の山々が背骨のように連なる、世界の屋根と呼ばれている場所だ。
この国ヤーマス王国と、北側にあるオーロ帝国は、そのドルガ山脈で隔たれており、山越えの道はないため、お互いの交流はほとんどない。
その山脈の中にある険峻な山、マンジェ山の中腹にセキサイの小屋がある。
辺りには雪原モンスターがうようよとおり、モンスター素材目当ての狩人以外、全く人が足を踏み入れない場所だ。
そのような場所にわざわざ世捨て人のように住んでいたが、また人と交流しなければならなくなったのは因果な話だ。
セキサイが無心で進んでいると、100メートルほど先、街道横の木々の傍に、大型の狼が数匹いるのに気が付いた。
「来たか」
数の大きな群れではないようだ。
ヤツらが殺気立っている様子が遠くからでも窺えた。
こちらを食糧とみなして、襲って来る。
グレートウルフが5匹。
1匹でも厄介な相手だが、群れると取り囲んで襲ってくるため、恐ろしいモンスターだ。
大きな個体で1匹130キロぐらいありそうな凶暴なオオカミに集団が、唸り声をあげて襲ってくる。
一般人が対峙したら卒倒しそうな様相の上、猛烈な加速がついている。
その5匹全てがセキサイの眼前で、一斉に時速80キロ超で暴風のように飛びかかってきた。
セキサイは棒を両手で把持し、少し腰を落としてそれを地面と平行に構えている。
ニヤリと笑って呟く。
「体はすでに温もっておるのでな」
セキサイは飛びかかって来た狼たちを、全く慌てた様子なく、冷静に1匹ずつ小さな動きで、把持している棒で突いた。
棒の先は特に尖っておらず、丸い平面だ。
喉、口の中、目、重要臓器、いずれも最小限度の動きで軽く突いたように見えるが、どの攻撃も鈍い音とともに正確に急所に深く命中し、狼たちは「ギャン!」と鳴き声をあげて、すれ違いざまに地面に臥して、起き上がれずそのまま絶命した。
一瞬の5連突きで、大型の狼5匹が、それぞれ一撃で急所を抉られ即死するなど、信じがたい技量だと言える。
セキサイは、狼の死体を棒で1匹ずつ街道のわきに排除して積み上げる。
赤子はというと、まばたき少なく、一部始終を見つめていた……が、急に顔が赤くなり息み始めた。
「おっとっと」
セキサイは手早く結び目を解いて、赤子をおくるみから出し、下半身を裸にして地面に近いところで息ませる。
何となく顔つきから思っていた通り、男児だった。
大小便を済ませた後、赤子の尻を湿らせた布で拭いてやると、冷たくて不快だったのか、火のついたように泣き叫び始めた。
「すまんなあ」
セキサイは慌てて赤子の下半身を布で巻いて、元の通り布団で包んだおくるみごと自分の体に括り付けた。
赤子は、体が温もって落ち着いたのか、泣き止んで薄目を開けてじっとしている。
セキサイは、物分かり良さげな赤子の様子に安心した。
そして積み重ねた狼の死骸を見やる。
セキサイは、普段であれば、牙や毛皮を剥ぎ取って持ち帰り、知り合いの猟師に売りつけるところだが、今は急いでいるので「ふむ」と呟くと、前を向き、村を目指して再度歩き始めた。
傾斜もなだらかになり、ほぼ平坦になった街道に沿ってさらに1時間ほど進むと、遠くに石垣で囲われたテオの村が見え始めた。
街道の横は耕作地が広がっているが、今は雪解けを待って何も植え付けてられておらず、ちょぼちょぼ雑草が生えているのみだ。
まだ日の高いうちに目的地に着けて、セキサイはホッとした。
息は切れておらず、特に疲労感はない。
思い返すと腹が立つ女神だが、呪いは完全に解いてくれたようで、何なら体も10歳ばかり若返ったように調子が良い。
久方ぶりに人々の暮らしに近づき、セキサイは少しだけ心が躍る。
別に人が嫌いで僻地に住んでいた訳ではない。
更に足早に進むとテオの村の入り口に到着した。
門の前には革鎧を着て、槍を持っている体の大きな若い門衛が一人いる。
赤子を抱えて棒を持ったセキサイを疑わしいような眼差しで見てきた。
セキサイは以前何度か村に来たことがあるが、見たことがない男だった。
おおかたここ2、3年のうち、新たに派遣されてきた駐在騎士だろう。
「爺さん、見かけねぇ顔だが、何用だ」
「ワシはセキサイ。あの山から下りてきた。この子を育てるために乳がいる。それでヤギを買おうと思っておる。狩人のアルの知り合いだ」
門衛は遠く水色に霞む山を見ると、まじまじとセキサイを見つめて言った。
「アルさんの知り合いか。あのマンジェ山に一人住んでいる爺さんの話は聞いたことがあったが、ほんとだったか。通っていいぞ。……てかその赤子はどうしたんだ」
「とある者に預けられ、ワシが育てることとなった、としか言えぬ」
それまで静かにしていた赤子がぐずって泣き始めた。
おそらく相当腹が減っているに違いない。
門衛は赤子の鳴き声にしかめ面をして嫌そうに言う。
「本当か、面倒そうな話だな。迷惑だけはかけてくれるなよ」
「分かっておるわい」
村に入るまで一悶着あるかと思っていたが、アルの名前を出して正解だった。
そのまま村長のいる場所を目指す。
村の中には家が点在しており、外で声を上げて遊んでいた子供たちが、セキサイと泣き喚く赤子を見て静かになった。
村の中心にある、大きな木造の2階建ての家が、村長の家と村役場的な施設を兼ねていた。
セキサイは入り口のドアを叩いて声を張って言う。
「村長はいるかねー!」
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