陽暦1489年11月〜皆伝
リョウがジンライを討伐してから1年半が過ぎた。
完全に怪我が癒えるまで3ヶ月ほど体を休めたが、実戦を知った今では前以上に激しい訓練を行っている。
リョウは今や背丈がセキサイを超え、全身に使える筋肉をまとったその稽古着姿は、もはや誰からみても強者の風格が漂っている。
だが顔つきと表情にはまだあどけなさが少し残っている。
セキサイは74歳になっていた。
リョウを育てるため、自身も無茶な重量トレーニングを続けていたが、最近、担いで走る200キロが重く感じるような気がしてきている。
長い間酷使してきた体だが、女神の恩寵を受けながらもついに訪れてきた寄る年波。
しかしこれまでの鍛錬で自分の状態は仕上がり切っており、全盛期と比べても遜色ない、かそれを上回っているくらいだ。
今しかない。
小屋の前でリョウに声をかける。
「今日の稽古、重りを全部外してやるぞ」
「分かった」
「返事がいいな」
「本気出すんだろ爺ちゃん」
「そうだ。お前の力量、量ってやる。死ぬなよ」
そう言って笑うセキサイの全身を纏う空気がぐにゃあと歪み始める。
リョウはシマーが見える訳では無いが、このレベルまで発されると空気が揺らぎ始めて見える。
「……へへっ、ビリビリくるねぇ」
リョウも重りを全部外し、ぴょんぴょんと跳ねてみたあと、気合いを入れて構える。
リョウの周りの空気も目に見えない濃密なシマーのため、揺らぎ始める。
「よし!」
セキサイは腕組みしながら満足そうに頷く。
リョウとセキサイは互いに中間距離で何にでも対応可能な構えを取りながら、少しずつ間合いを詰め始めた。
ハクヤも四足で立ったままの姿勢で2人をじっと見ている。
「でやっ!」
リョウは急に踏み込んで距離を詰め、セキサイに右の拳をまっすぐ突きだした。
一般人の目には瞬間移動したかと思えるような全力の踏み込み。
セキサイも感心するほどの速さで、身をよじって躱すのが精一杯だ。
そこに左の追い突きを連撃で放つ。
飛び退るセキサイ。
すでにお互いの脳は全開フルスロットルで回転中だが、ゾーンに入っていてもそれより二段階ほど速い動きに、お互い対応が追いつかない。
一手でも読み違えたら畳み掛けられてしまうのは必定だ。
セキサイの背筋に緊張と戦慄が走る。
リョウのやつこれ程まで育っておったとは。
しかし、お互い手の内は知り尽くしている相手だ。
セキサイには、リョウのほんの僅かなクセで次の攻撃の予兆が見えてしまう。
次に居そうな場所に先読みでカウンターのフックを被せるとリョウは当たりながら避けた。
「あぶねぇっ!」
本来大ダメージを受けるところを当たった瞬間に受け流され、セキサイも驚いた。
反射神経と目が良い。
避けたことで体が流れるリョウにセキサイは虎のように飛びかかり、腰と腿裏を掴んで地面に押し倒した。
ついでに頭突きを鳩尾に食らわせながら、リョウの足を取って側面に回り、足首の腱を逆に伸ばそうと力を入れたが、リョウに肩を蹴られてするりと抜けられてしまった。
技の入りは悪く無かったが、リョウの反応の良さは大したものだ。
セキサイは再び猛虎のように低重心から膝下タックルに行く、振りをして、途中から跳び膝蹴りを放ってきた。
肘と膝をくっつけたまま飛び込む攻防一体の突進技「肘膝一体」だ。
シンプルに強い形のままぶつかり、相手を崩すセキサイの得意技。
正面から受けることは出来ないと知っているリョウは地面に倒れ込みながら膝を躱し、そこから右手を地面について、飛び上がりながら左足でセキサイのスネを蹴り上げた。
「ぬおっ!」
思わぬ角度からのカウンターに驚くセキサイ。
「弩弓蹴とは味な真似を」
「寝技に持ち込まれたら勝ち目ねぇからね」
「良くわかっておるな」
セキサイとリョウの差と言えば、それは修行の年月の差に他ならない。
セキサイのように人生のほぼ全てを武に捧げた者には、才能の差は多少あれど、後進の者には決して追い越すことなどできない経験の差がある。
単純にセキサイとリョウには60年の差があるのだ。
その中でも寝技、逆技つまり関節技の練度については、稽古の時間が絶対的に物を言う。
リョウもそこは分かっている。
「騎士になっても寝技の稽古を続けるんじゃぞ」
「わかってるよ」
リョウの武への探求心は既に求道者の域に達している。
セキサイはこのいきなり降って湧いた孫のようなリョウが、自分と同じレベルの精神性を備えるまでに成長したことに、感無量となっていた。
弟子を育てたいかと女神に問われ、まさか赤子から育てさせられるとは思っていなかったが、あの頃からよくまっすぐ育ってくれた。
つたない孫育てだったかも知れない。
普通の子のようにはしてやれなかったかとも思う。
ふと、以前妻の実家に引き取られていった娘のことを思い出す。
「リョウ、よく鍛えたな。次に出す技が最後の秘伝よ。もし耐えられたら皆伝をやろう」
「おう!」
「ついでに……聞く気があるなら、お前の出生について話してやる」
「お、おう?」
リョウはそっちにはあまり興味がわかない。
「では、行くぞ」
セキサイを取り巻く重苦しい空気の歪みが広がっていき、セキサイの周りを球状に囲む。
ハクヤが気圧されて飛び退く。
リョウも全身の肌が総毛立つような危機感を覚える。
「無間」
セキサイがそう呟くと、取り囲んでいた空気の膜が体に吸い込まれたように見えた。
そしてセキサイの体が光を吸収するかの如く真っ黒く染まり、その輪郭自体が滲んで見える。
その直後、セキサイは黒い旋風となってこれまでとは比較にならない速度でリョウに襲いかかった。
目にも止まらぬ神速の連撃の嵐がリョウの全身を打ちのめす。
縦横無尽、無限に続くかの如き黒き打撃の黒旋風に襲われ、リョウの意識が刈り取られそうになる。
打撃音のみで構成された暗闇の世界。
息を止め、防御姿勢を取るしかない。
すべての攻撃がリョウの急所めがけて正確に繰り出されている。
リョウはその重い一撃一撃を堪えながら、これは確かに爺ちゃんの攻撃だ、と分かる。
刹那、脳裏に思い出される幼い頃からのセキサイとの組手の日々、掛かり稽古や乱取りの数々。
故に、これまでの年月から次狙う場所が分かり、奇跡的に受けられる。
そして直感する。
この技は耐えきれれば勝ち!
リョウは猛攻撃の嵐の中、全身全霊で受けに回る。
勘に頼りながらひたすら避ける、受ける。
時間にして約10秒。
しかし永久に続くかと思われたその黒旋風は急に終わった。
リョウの眼前には膝をついて肩で息をしているセキサイ。
リョウはリョウで手足のダメージが重すぎて動けない。
やっと息が整ったセキサイは髪は乱れ、汗だくだが、リョウの目を見つめ続ける。
その目は、力強い意志の炎が灯ったままだ。
「よく耐えたな。皆伝じゃ」




