陽暦1475年3月1日②〜弱った(でも達者な)爺いは村を目指して歩く
赤ちゃんを爺さんがどう育てるのか……苦労しそうですねー
セキサイは、絹と綿で出来ている上質なおくるみに包まれた乳幼児を、脇に抱きながら、途方に暮れた。
人一人の重さを感じる。
昨晩の嵐のさなか、誰かがウチに入り赤子を捨てていった……訳ではないようだ。戸のかんぬきは掛けたままになっている。
赤子など抱くのは何十年振りか。
まだ落ち着いて寝ているが、いつ起きるか分からない。
この子は髪はまだ生えそろっておらず、生まれたばかりに見える。
しかし、何故このようなことになっているのか……。
ふとうっすらと思い出す。昨夜の夢の断片を。
女神とやらと何やら契約した気がする。
そして、弟子を育てるやりとりを思い出した。
「弟子……だと……これが……?まるで詐欺ではないか……」
自分の体は全く不調がなくなり、すでに健康体になっているようである。
どうやら、この赤子の魂を導く、もとい育てる時間と引き換えに、女神の奇跡の前払いで、呪いを解かれてしまったようだ。
抱いている赤子が目を覚ました。
つぶらな黒い瞳で、整った顔立ちをしている。
泣きもせず、両手を伸ばしてセキサイの顔に触ろうとしている。
「アー!」
赤子は、セキサイの顎を触ると、満面の笑みで微笑みかけた。
「うぐっ」
赤子の笑みにセキサイの心が揺れる。
途方に暮れていたが現実に引き戻される。
小さい動物はすべからくかわいく造形してあるようだ。
もやもやっとしか動けない赤子を見ているうちに、セキサイは、とりあえずこの子を庇護せねばならないという、動物的な、根源的な思いが湧いてきた。
この寒い山奥、自分とこの無力な存在だけしかいない場所で、自分が世話をしなければ、この生き物は3日たたずに死んでしまうだろう。
かつて武の道では、鬼神の如く畏れられたセキサイと言えど、人間の心は持ち合わせいる。
「ワシは乳は出んのだぞ」
子育て云々は別として、とにかく、セキサイのこの小屋には、赤子が生きていくには必要なものが無さすぎる。
セキサイには、かつて妻との間に一人娘がいて育てたが、妻の死別ののち、その娘は妻の実家に引き取られてしまった。
子育てはとんと妻に任せていたが、その何十年前の朧げな記憶を頼るしかない。
「とにかく、乳を飲ませねばならん。ここは久しぶりに村に行くしかない」
セキサイは窓を開け、外は一面の雪景色だが、良い天気であることに感謝した。
日中には気温も上がっていきそうだ。
ここ数年、呪いでまともに動けなかったため、体力は極限までに落ちている。
とりあえず自分のメシが先だ。
赤子を布団の上にそっと置くと、セキサイは手早く作業する。
とうもろこしの粉を水で伸ばし、塩をふって丸め、伸ばしてパン状の塊に形成し、それを3つ、火を点けた暖炉の上で焼いた。
「おまえもこれが食えたら良いのにな」
急ぎそれを一つ食べ、残りは袋に入れて持っていくことにする。
食べ終えてからセキサイは身支度を整え、赤子の入ったおくるみを更に布団で包み、紐で体の前に括りつけた。
万が一家に放置し、帰ったら死んでいた、では寝覚めが悪いことこの上ない。
衣装箱の下の床板を持ち上げ、そこに隠していた金貨を思案して5枚掴むと胸に下げた袋にしまう。
そして、フックで壁に掛けていた2メートルほどの長さの棒を一本手に取る。
「さて、行くか。急がねば」
セキサイは戸を閉め、一面膝のあたりまで積もっている雪を見てため息をつくも、一歩一歩力強く踏み締めていく。
昨日まで寝たきりだったとは思えないような足取りで、ぐんぐん進んでいく。
どうやらこの老人は、やはり常人ではないようだった。
目指すテオの村まで、約30キロメートル。
のんびり進むので、ストレスがあったら「タルくなってきた」とか教えて頂ければ幸いです。
読んでいただける皆様に感謝です。




