令和7年10月29日…② 対象者(タマ)との約束
昨日の続きです。
あれから半年、李明と会うのは今日で8回目だ。
さすがに会うのに慣れてきた相手とは言え、スパイ容疑者との接触を前にして、山村良の少し童顔で柔和な顔つきの中にも眼光が一瞬鋭くなる。
李明という男は、35歳という若さにして、中国の大手企業である天啓電子集団の、経理部門のエース的存在だ。
風が冷たい…山村は少し身震いし、やっぱり上着を着てくれば良かったと思ったが、少し緊張もあるようだと自己分析する。
山村は、半年前に件のメールでの指示を受け、その後、上司と検討を重ね、自然な感じで初回の接触が出来るような場所を選んだ。
その結果、行動調査の段階で判明していた、李明行きつけの中国人スナックにおいて接触を狙うことになった。
山村は、その店に接触見込みの一ヶ月前から、李明のいない日を選んで店に行き、ママやホステスたちの顔馴染みになっておいた。
いよいよ初めて接触する日、予想通り李明が入店した。
そこでタイミングを見計らい、ママに依頼して李明を紹介してもらう。
山村が、自分は中国関連の貿易企業に勤めていると言うと、李明は興味をもって、連絡先交換を提案してきた。
ここまでは想定通りだった。
李明は、にこやかな雰囲気の、切長の目に通った鼻筋の整った顔立ちの色男である。
180センチを超える細身の長身で、長髪をオールバックでゆるく固め、前髪が一部分垂れ下がっている。
いつも高級なスーツを着こなしており、羽振りが良さそうだった。
だが、無駄に華美な感じはなく、上品な物腰と落ち着いた言動の中にもユーモアがあり、ホステスたちからとてもよくモテていた。
そんな李明は、変な女遊びはしないところがとても好印象で、他の男からも信頼されている様子だ。
なお、山村には武道の道を歩んできたためか、人の立ち姿や歩き方から、その相手の身体能力や強さをある程度感じ取るという特技がある。
しかし、李明についてはちょっとその自前の勘が狂うのか、観察しても強さが判然としなかった。
その後、スナックでの楽しい時間を重ねて、山村と李はお互いに「李さん」、「山さん」と呼び合うくらいの間柄になっていた。
将来的にはお互いの家に行き来するような関係になれるよう山村は目論んで接触を続けてきたが、今日は初めて李明から「夜、中国料理を食べに行こう」と電話で誘われ、急遽会うこととなったのである。
李から指定された店「海天楼酒家」は駅前のメインストリートから一本外れた場所にあった。
そこは薄暗い路地の一角にあったが、見るからに落ち着いている高級店だった。
山村が赤い提灯が派手に飾ってあるドアを抜けると、チャイナドレスのロングヘア美女が「歓迎光臨」と言いながら出迎えてくれ、店の一番奥にある個室まで案内してくれた。
道中やたら長い通路で、傍らには高そうな大きな壺が並んでいて平凡な家庭に育った山村は若干気後れしてしまう。
チャイナドレス美女は部屋の扉を開け、山村に会釈した後引き返して行った。
李明は先に部屋に入っており、テーブル脇に立って笑顔で山村を出迎えた。
なお部屋には別の可愛らしい小姐が立っており、どうやらその娘が世話を焼いてくれるようだった。
「山さんこんばんは。あ、今日は私のおごりね。お財布の心配はいらないですよ」
山村は上着を脱いで、おそるおそるそれを個室付きの別の小姐に預けながら席についた。
「こんばんは。今日はありがとう李先生。普段来れないような店だからちょっとおじけ付いてるのバレましたか。ご馳走になります」
「まあ、ゆっくり座ってください。とりあえず生でしょ」
「さすがっすね、白酒じゃなくていいんですか」
「私も日本もう長くなりましたからねー。今日はエビのいいのをたくさん食べましょう」
「おっ、それは最高ですね」
なかなか先に進みませんねw
序章なのですが、すいません。




