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ゆめうつつ - 濃尾

作者: 濃尾

ゆめうつつ ‐ 濃尾



彼女は41歳の女性。38歳の夫がいる。

子どもは3人。12歳の長男、8歳の長女、4歳の次男。


秀麗な眉目と素直な性格が功を奏し、高所得の配偶者を得るのに困らなかった。

しかし、そんな彼女にも弱点があった。ひとつは男を見定める目。これが原因で、何度か失敗を重ねた。

もうひとつは睡眠障害。1日の平均睡眠時間は約3時間。それもショートスリーパーで、こま切れの睡眠だ。原因ははっきりしない。


今日も重たい体を動かし、子どもたちを寝かしつけたところで体力が尽き、睡眠薬も飲まずに寝てしまった。

目を覚ますと、いつものようにだるかった。時計は午前2時半を指している。

また3時間しか寝ていない。頭の中がモヤモヤと騒がしく、落ち着かない。


子どもの弁当、夫の不機嫌、家の散らかり具合。全部がごちゃ混ぜになって、彼女を締め付ける。

ベッドから這うように起き上がり、キッチンへ向かった。


最近覚えてしまった習慣、レモン酎ハイを飲む。少し気がまぎれたが、すぐにまた重々しい気分が戻ってくる。


若い頃は、夜更かししても平気だった。友だちと笑い合い、恋愛のドキドキに胸を躍らせていた。

だが今、彼女の毎日は重い。男選びの失敗が、すべての綻びの始まりだった。前の夫はDV、現在の夫は少し冷淡だ。


高収入でも、家ではろくに話さない。

「寝ろよ」と夫は簡単に言うが、彼女の睡眠障害をあまり理解していない。睡眠薬だって、飲んでも効かない日がある。


子どもたちは可愛いけれど、騒がしい。学校の準備、習い事、兄弟げんかの仲裁。

毎日クタクタで、頭を整理する余裕もない。


鏡を見る。自分はまだ美しい、と彼女は思った。

だが、それで何だというのか。誰も褒めてくれないし、疲れが顔ににじむ。

昔は「可愛い」と言われたのに。今はただ生きるのがしんどい。


朝が来れば、彼女は子どもたちを起こし、ご飯を作り、笑顔で送り出す。

それが彼女の日常だ。



俺は妻を愛している。少なくとも、そう思いたい。

彼女は今も美しい。41歳とは思えないほどだ。

若い頃、彼女の笑顔に惹かれた。あの頃の彼女は、まるで光をまとっているようだった。


でも、今は…何か違う。彼女の目はどこか遠くを見ていて、俺には届かない。


仕事が忙しい。朝早く出て、夜遅く帰る。

家にいるときは、静かにしていたいと思う。子どもたちは騒がしいし、彼女はいつも疲れた顔をしている。


「寝ろよ」と言ったとき、彼女の顔が一瞬曇った。

睡眠障害のことは知っている。彼女は医者にも行っているし、薬も飲んでいる。

でも、正直、俺はどうすればいいのかわからない。


彼女が夜中にキッチンでレモン酎ハイを飲んでいるのを見たことがある。

何か言おうとしたけど、言葉が出てこなかった。


俺だって疲れている。会社では数字と上司のプレッシャー、家では子どもたちの声と散らかった部屋。

彼女は頑張っていると思う。子どもたちの世話もちゃんとしている。

でも、俺には彼女の心の中が見えない。


昔はもっと話した。彼女の笑い声が家を明るくした。

今は、俺が何か言うと、彼女はただ頷くか、疲れた笑顔を返すだけだ。


彼女の過去の結婚のことは知っている。前の夫がひどい奴だったと聞いた。

俺は違う、と思いたいけど、彼女が俺を見る目にはどこか疑いがある気がする。

高収入だから選ばれた、なんて考えたくないけど、頭をよぎる。


彼女が鏡の前で自分を見つめる姿を見たことがある。

美しいのに、彼女自身はそれに気づいていないのかもしれない。

何かしてやりたいと思うけど、何をすればいいのかわからない。


朝、彼女が子どもたちを送り出す笑顔を見ると、俺は少し安心する。

でも、その笑顔が本物かどうか、俺にはわからない…。



ママ、いつも疲れてる。

朝、起こしてくれるときの声は優しいけど、目がなんか…ぼんやりしてる。


私が学校から帰ると、ママはキッチンでご飯作ってるか、弟の宿題見てるとか、そんな感じ。

最近、ママが夜中にキッチンにいるのを見た。何か飲んでて、じっと窓の外見てた。

声かけようかと思ったけど、なんか…ママ、遠くにいるみたいだったから、言えなかった。


ママ、昔はもっと笑ってた気がする。

私の小さい頃の写真見ると、ママ、キラキラしてる。

今もきれいだよ、ママ。でも、なんか、ママがママじゃないみたいに見える時がある。


パパと話してるとき、ほとんど目合わせないし。

パパも忙しいからかな、家にいてもスマホばっかり見てる。


弟たちがケンカすると、ママが「もう、やめてっ!」って叫ぶ。

その声、ちょっと怖いけど、悲しそうでもある。


私、もっとママと話したい。

でも、ママ、いつも忙しそう。私のテストの話とか、友だちの話とか、聞いてくれるけど、なんかママが遠くにいるときある。


ママの睡眠の薬、キッチンの棚にあるの知ってる。

飲んでも寝れないって、前にママが電話で誰かに話してたの聞いた。

ママ、寝れないってどんな感じなんだろう。

私、夜中に目が覚めたとき、なんかドキドキして寝れないことあるけど、ママはずっとそんな感じなのかな。


ママが作ってくれるお弁当、いつも美味しい。

でも、ママが笑って「いってらっしゃい」って言うとき、ちょっと無理してるみたいに見える。

私、何かしてあげたいけど、何すればいいかわからない。

ママがまた昔みたいに笑ってくれたらいいのに。

でも、私が何か言うと、ママ、もっと疲れちゃうかなって思うから、黙ってる。



考えるのは面倒だし、考えたって疲れるだけ。

それでも、彼女の心のどこかで、モヤモヤが消えない。


このままでいいのか、なんて思いがチラつく。

すぐにその考えを振り払う。考えると、頭が余計に重くなるだけだから。


…ああ、また新しい朝が来る…。

もう、すべてに疲れた…。



夜の静けさが、彼女を落ち着かせるどころか、落ち着かなくさせる。

リビングの窓から見える街灯の光が、ぼんやりと揺れている。


体は疲れているのに、頭は冴えてしまう。いつものことだ。

睡眠障害が彼女を蝕む。こま切れの3時間しか眠れない夜が続き、思考は霧のようにぼやける。


彼女は書斎の隅に置かれた古い箱に目をやる。

埃をかぶったその箱には、彼女の若い頃の手紙や写真が詰まっている。

久しぶりに開けてみる気になった。


膝の上に箱を置き、蓋を開ける。色あせた手紙の束。

学生時代の恋人からのラブレター、友だちとの他愛ないメモ。

彼女の指が一枚の写真に触れる。20代の自分。笑顔がまぶしい。

隣には、初恋の男。DVの前夫ではない、もっと前の、淡い記憶の男だ。


あの頃、彼女は未来を信じていた。

手紙を読み返す。甘い言葉、叶わなかった約束。

彼女の胸が締め付けられる。こんな自分に戻りたいわけじゃない。

ただ、あの軽やかさが懐かしい。


箱を閉じ、書斎を出る。子どもたちの寝室を覗く。

長男は本を抱えて眠り、長女は毛布を蹴り飛ばしている。

次男は小さく寝息を立てている。

愛おしいのに、彼女の心は重い。


夫の足音が玄関で聞こえる。遅い帰宅。

彼女はリビングに戻り、夫と目を合わせない。

「遅かったね」とだけ言う。夫は「うん」と頷き、寝室へ向かう。


彼女はソファに座り直し、目を閉じる。眠れない。

頭の中で、手紙の言葉が響く。

「君はいつも輝いてる。」

誰にも言われなくなった言葉だ。



俺はシャワーを浴びながら、今日の会議を思い出す。

数字が足りないと上司に詰められた。部下がミスしたせいだ。俺のせいじゃない。

でも、言い訳は通用しない。


疲れた体でベッドに倒れ込む。彼女はリビングにいる。

さっき、玄関で「遅かったね」と言われたけど、俺の返事はそっけなかった。

悪いとは思う。でも、言葉が続かない。


彼女のことが頭を離れない。美しい。昔も今も。

でも、彼女の笑顔が遠い。

昔は、彼女の冗談で笑い合った。夜遅くまで語り合った。

今は、俺が何か言うと、彼女は静かに頷くだけ。


俺が冷たいのか? 彼女が閉じてるのか? わからない。

彼女の睡眠障害の話、医者から聞いてる。薬も飲んでる。

でも、俺には何もできない。


ふと、彼女が書斎で何かを見ていたのを思い出す。古い箱。

彼女が片付けなかったから、俺が埃を払ったことがある。

中には手紙や写真。彼女の過去だ。

俺には関係ない、と思う。でも、気になる。

彼女があの箱を見るとき、どんな気持ちなんだろう。

俺には聞けない。聞くのが怖いのかもしれない。


ベッドサイドの時計は午前0時を回る。彼女はまだリビングにいる。

話しかけようかと思うけど、足が動かない。

俺は目を閉じる。彼女のことが頭から離れない。

でも、俺には何もできない。



学校の図書室で、本を借りた。ママが好きそうな小説。

ママ、最近、本読んでるの見たことないけど、昔は読書家だったって言ってた。

家に帰ったら、ママに渡してみようと思う。

8歳の私には、難しい本だけど、ママが笑ってくれたらいいな。


家に着くと、ママはソファでうつらうつらしてる。

テレビの音が小さい。ママ、寝れてないんだよね。

前に、ママが友だちに「夜、頭がぐるぐるする」って話してたの、聞いたことある。

怖い夢で目が覚めることはあるけど、ママはずっとそんな感じ?


「ママ、本、借りてきたよ。」そっと声をかける。

ママ、びっくりしたみたいに目を開ける。「え、なに?」って、眠そうな声。

本を渡す。「ママ、好きかなって思って。」


ママ、ちょっと笑った。久しぶりに見る、ママの笑顔。

ほんとに少しだけ、キラキラしてる。

「ありがとう」って、ママが言う。

でも、すぐにまた目がぼんやりする。


パパが帰ってきた。ママと何か話してるけど、短い会話。

パパ、疲れてる顔。部屋に戻る。

ママ、本、読んでくれるかな。

ママが昔みたいに、楽しそうに話してくれたらいいな。

でも、私が何かしても、ママ、変わらないかな。

ベッドで本を開くけど、頭はママのことでいっぱいだ。



学校でサッカーの練習、めっちゃ疲れた。

帰ったら、弟がテレビでアニメ見てる。うるさいな、って思うけど、ケンカするの面倒だから黙ってる。


ママ、キッチンでコーヒー飲んでる。なんか、ぼーっとしてる。

「ただいま」って言うと、ママ、微笑むけど、目が疲れてる。


ママ、夜、寝れないんだよね。

前に、夜中に起きたとき、ママがリビングでじっとしてた。

なんか、考え込んでるみたいだった。

俺、声かけなかった。ママ、辛そうなとき、話しかけにくい。


パパも、最近、話すの少ない。仕事で忙しいんだろうな。

昔、家族で公園行ったとき、パパとママ、もっと笑ってた。俺も楽しかった。

今は、なんか、みんな遠い。


今日、クラスの友だちが「親とケンカした」って話してた。

俺、親とケンカしたことないけど、なんか、話したいことも話せない。

ママ、いつも忙しそう。パパは帰ってくるの遅い。


宿題しながら考える。ママを元気にしたいけど、どうすればいい?

サッカーの試合、勝ったら、ママ、喜ぶかな。俺、頑張ってみようかな。


部屋でボールを蹴るマネしてたら、妹が「うるさい!」って叫んできた。

ママが「静かにして」って言う。声、優しいけど、なんか弱ってる。

静かにする。ママ、休んでほしいな。



ママ、朝、僕の靴下はかせてくれるとき、いつも歌うみたいな声で「よーし、でーきーたっ!」って言う。

僕、笑っちゃう。

でも、ママの顔、なんか曇ってるみたい。お空に雲かかってるみたいだよ。


今日、幼稚園で粘土でクマさん作った。ママに持って帰って見せようと思ったんだ。

家に帰ったら、ママ、洗濯物たたんでた。

僕、「ママ、クマさん!」って見せたら、「かわいいね」って言ってくれた。

でも、ママの目、キラキラしない。僕、もっとキラキラしてほしかった。


夜、寝る前、ママが僕のお布団直してくれた。

ママの手、あったかいけど、なんか軽い。ふわふわしてるみたい。

僕、「ママ、寝るとき、なんで目つぶるの?」って聞いた。

ママ、ちょっと笑って、「寝るの、気持ちいいよ」って言った。

でも、ママ、寝るの苦手なんだよね。兄ちゃんがそう言ってた。

ママ、夜、目つぶっても、お星さま見えないのかな。


パパ、今日も遅く帰ってきた。

僕、ブロックで高い塔作ってたんだけど、パパ、僕の横でテレビ見てただけ。

ママとパパ、ほとんど話さない。

僕、塔をパパに見せたら、「おお、すごいな」って言ってくれたけど、すぐまたテレビ見ちゃった。


ママ、ソファの隅で毛布かけて、じっとしてた。

僕、幼稚園で先生が「かぞくはたからもの」って言ってた。

ママとパパと兄ちゃんと姉ちゃん、僕のたからもの。

でも、なんか、宝物はちょっと重たそう。


ママ、いつも疲れてるみたい。

僕、クマさんの粘土、ママの枕の横に置いておこうかな。

ママが寝るとき、クマさんが一緒なら、怖い夢見ないかも。

朝、ママが僕を起こすとき、クマさん持って「これ、守っててくれたよ」って言ってくれるかな。

ママが笑ったら、僕、もっと粘土でいっぱい作るよ。

ママの目、キラキラしてほしいな。



頭が重い。考えがまとまらない。夜が長い。

静かすぎる家の中で、胸の奥がざわざわする。


長女がくれた本がテーブルの上に置いてある。

優しい子だ。心が温まるけど、すぐに冷める。

こんな自分が嫌になる。愛されてるのに、愛を感じられない。


書斎の箱を開けたのが、間違いだったかもしれない。

過去は過去だ。なのに、開けずにはいられなかった。

あの手紙、あの写真。昔の自分は、希望でいっぱいだった。

今は、わからない。


夫は帰ってきたけど、言葉は少ない。

彼の疲れた顔を見ると、責める気にもなれない。


子どもたちの寝顔を見た。みんな、大きくなった。

私のために頑張ってくれてる。長女の本、長男のサッカーの話。次男の無邪気な笑顔。

でも、私の心のひび割れは埋まらない。


睡眠障害が、私を縛る。薬も、気休めだ。

医者は「リラックスして」と言うけど、どうやって?


夜が明ける。新しい日が来る。

子どもたちのために、母でいなきゃ。夫のために、妻でいなきゃ。

でも、私のために、何ができる?

わからない。目を閉じる。眠れない夜が、また続く。


10


朝。ママがキッチンでお弁当を作ってる。

いつもより少し、顔が明るい気がする。

昨日渡した本、テーブルの上に開いたまま置いてある。少し読んだのかな。


「ママ、面白かった?」って聞いてみる。

ママ、ちょっとびっくりした顔して、「うん、とても」って笑う。

ほんとに少し、キラキラしてる。


パパが朝ごはん食べながら、「今度、みんなでどっか行こうか」って言う。

珍しい。ママ、黙って頷くけど、目がちょっと柔らかくなる。


学校行く前、ママが「いってらっしゃい」って言う。

いつもより、声が軽い気がした。なんか嬉しい。

でも、ママの薬、棚にまだある。ママ、ちゃんと寝れてるかな。


私、もっとママと話したい。

少しずつ、昔みたいなママに戻ってほしいな。


                 


                 完


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